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まだまだ突き止めたいバンドの話

ザ・バンドから辿って行きたい音楽を探す旅

アメリカのロックバンド、ザ・バンドのアルバムを調べていると、1970年の「ステージ・フライト」に関する話題にいつも登場してくるのは、トッド・ラングレンによる録音とグリン・ジョンズによるミックスという、ロックファンなら気になる話だ。
ザ・バンドの音楽自体よりも、その音響技術の部分が強調して取り上げられているのは「ステージ・フライト」の特徴的な一面かもしれない。

しかし「ステージ・フライト」を除いて他のアルバムに関して見ていくとき、その録音に関わった人たちの情報はほとんど伝わってきていないように思える。また、今になってそんな事を調べている人もいないのかもしれない。

僕はとりあえず今、ザ・バンドのアルバムジャケットを調べて、記されている録音エンジニアの人たちの名を見てみた。
1968年の1作目「MUSIC FROM BIG PINK」は、
Don Hahn Tony May Rex Updegraft Shelly Yakus と記されている。
1969年「THE BAND」には、
JOE ZAGARINO Tony Mayと記されている。
「ビッグ・ピンク」から続いて参加しているトニー・メイ、その人よりもジョー・ザガリノの名前が大文字で強調して記されているのは気になる。
1970年の「STAGE FRIGHT」は、
Todd Rundgrenによるエンジニア、Gryn Johnsによるミックスダウンとなっている。
1971年「CAHOOTS」ここからは、しばらく同じエンジニアに落ち着くらしい。Mark Harmanという人だ。
1972年「ROCK OF AGES」にはそのマーク・ハーマンとPhil Ramoneの名前がある。フィル・ラモーンの名前はよく聞く、有名なエンジニアであり注目されるところではあるかもしれない。
1973年「MOONDOG MATINEE」には、マーク・ハーマンに加えて、Jay Ranellucci John Wilsonとなっている。
1975年「NORTHERN LIGHTS SOURTHERN CROSS(南十字星)」になると、Rob Fraboni Ed Anderson Nat Jeffreyに変更されている。
この3名は、ボブ・ディランとザ・バンドによる1967年の音源の発掘1975年の「The Basement Tapes」のミックスや、ディランのザ・バンドとの共演「PLANET WAVES」「BEFORE THE FLOOD」の録音およびミックスに関わる人たちだ。
ほかにもザ・バンド関係のアルバム、エリック・クラプトン「No Reason To Cry」や、ポール・バターフィールド「Put It In Your Ear」、その時期にロビー・ロバートソンがプロデュースしたニール・ダイアモンド「Beautiful Noise」、ザ・バンド解散後メンバーのソロ作、レヴォン・ヘルム「RCO All-Stars」、リック・ダンコ「Rick Danko」のアルバムの録音に関わっている。
 

話を少し戻すと、ザ・バンドにまつわるそれらのエンジニアがその当時から以降にどんな音楽に関わっていたかが気になったので少し調べてみた。

「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」に関わったDon Hahnなる人は、その当時ジャズの録音に携わっていたりする。同じくTony Mayも70年代以降はジャズが多いらしい。参加クレジットにキース・ジャレットのアルバムが多いのも気になる。
Shelly Yakusは、ジャズにもロックにも幅が広いのかもしれない。この人の活動を見ていくとジョニー・ウィンターやジョン・レノンのアルバムに関わっているのが目に付く。「イマジン」にも一部で録音に立ち会っているらしい。
気になるのは、ザ・バンドとも相互に影響をし合うヴァン・モリソンの、1970年のアルバム「Moondance」には、Tony MayとShelly Yakusが参加している事だ。Don Hahnを含めたこれらの3名は「ビッグ・ピンク」のプロデューサー、ジョン・サイモンの人脈なのか、そのサイモンのソロ作「John Simon’s Album」(1970)にも揃って参加している。ジョン・サイモン人脈で行くと、Seals & Crofts「Down Home」(1970)にも名前があり、ここには、ザ・バンド「カフーツ」からエンジニアを担当するMark Harmanも居る。マーク・ハーマンもジョン・サイモン人脈なのだろう。サイモンが1972年にプロデュースしたジャッキー・ロマックス「Three」、同じく72年のジョン・ハートフォード「Morning Bugle」にエンジニアで関わっている。

“Mark Harman”を調べると、1974年のニール・ヤングのアルバム「On The Beach」にレヴォン・ヘルムが参加した曲にはマーク・ハーマンがプロデュースにまで加わっているのが分かる。この人はウッドストック、ベアズヴィルスタジオのエンジニアだったのだろうか。マーク・ハーマンの名は、M.Henry Harmanという表記で、1975年ウッドストック録音のマディ・ウォーターズ「Woodstock Album」にも見つけることが出来る。

ここではマディ・ウォーターズを支えるレヴォン・ヘルムのたくましいビートが全編に渡って重厚に響いてくる。重心は低いのだが、鳴りは軽やかにも立ち上がってゆく。憧れのマディと一緒に鳴らす音楽は実に楽しそうだ。レヴォン・ヘルムがアルバム全体に参加してドラムを叩いているものは、この当時ザ・バンド以外にないという点でもその意気込みが伝わってくるというものだ。伝説のシカゴブルース時代にマディ・ウォーターズのバンドを支えていたハーモニカ奏者リトル・ウォルターを生まれ還らせたようなポール・バターフィールドのブルースハープによる生粋のブルーズ感覚と共に、レヴォンのルーツにもなっているブルースのリズムが生き生きとして光る。
ザ・バンドからはガース・ハドソンも参じているが、その特徴的なアコーディオンの音色がブルースの色を黒から黄色へとを明るく彩っているように、その音の印象は強い。敬愛するマディを支える頼もしいミュージシャンシップ。ここに漲る鮮やかな音楽の響きは敬意に充ちているからこそ暖かく広い。
ザ・バンドの素晴らしさは、その音楽家自体によるものだけではなく、そこに同時に揃った音楽環境、録音における音響技術を含めて捉えるべきものかもしれない。

僕はこの「THE MUDDY WATERS WOODSTOCK ALBUM」と翌年76年のPAUL BUTTERFIELD「Put It In Your Ear」と、その翌77年のLEVON HELM「THE RCO All-STARS」を3部作のように聴きたい。代わる代わるに聴き返していくと、演奏家とプロダクションを含めた皆の熱の籠った音楽への態度がありありと浮かんでくるようだ。

ポール・バターフィールドのアルバムには幾らかニューヨークのジャズミュージシャンが参加ということもあるのか、ストリングスや管楽器の及ぶその都会的ムードが耳に残りすぎることもあるけれど、総じてファンキーなビートが聞こえる晴れ晴れしいものだ。これらの3作に共鳴するものは、ザ・バンドとも通ずるロックンロールのルーツミュージックのミックス感覚だろう。そして実際に、共通するものは、全体の音楽総監督とも言えるヘンリー・グローヴァーの存在だ。また同じ時期にはザ・バンドの「ラスト・ワルツ」にも関わっているが、ヘンリー・グローヴァーも彼らにとって伝説的な音楽家だったにちがいない。
 

僕は音楽に対する敬意が感じられるものが好きだ。そして演奏家同士の、お互いを活かし合う音楽への熱意を感じるのはとても美しいと思う。

ポール・バターフィールド「Put It In Your Ear」(1976)とレヴォン・ヘルム「RCO オールスターズ」(1977)における、録音エンジニアが共通するのは、Ed Andersonという人の名前だけだが、ザ・バンド「南十字星」(1975)から引き続きの関係だったのか。
しかし、ここでは既に初期、中期へと続くザ・バンドにまつわるエンジニアの存在が見当たらなくなっている。初期中期と後期の大きな違いは、録音場所が、初期のニューヨーク、ウッドストック、ベアズヴィルスタジオから、後期はカリフォルニア、マリブのシャングリラ・スタジオへと移行した事にある。

エンジニアというのは、やはり録音スタジオに関わる人たちではあるだろう。録音スタジオが変われば、エンジニアも替わるということだろうか。だとするなら、録音やミキシングのエンジニアを外部から呼び寄せるというのはあまりないのかもしれない。
「ステージ・フライト」の録音がトッド・ラングレンだというのは、トッドがベアズヴィルスタジオにまつわる人物であって自然だが、ミキシングが、イギリスのエンジニア、グリン・ジョンズというのはどういう経緯だったのだろう。
 

僕は若い時からいつの間にか、録音エンジニアの名前を気にするようになった。10年20年と音楽を聴いていると今度はさらにミキシングやマスタリングに関わる人たちを探るようになった。
最初にエンジニアの存在を感じるようになったのは、1995年から始まったビートルズの未発表曲や別バージョン、デモを集めたアンソロジーシリーズを聴いてからだったと思う。特によく聴いていた「アンソロジー3」では、日本版CDの解説書にまで、1曲1曲のエンジニアが記されていた。
グリン・ジョンズの名前はそこで覚えたのかもしれない。他にも、ケン・スコット、フィル・マクドナルド、クリス・トーマス、アラン・パーソンズという人たちがいた。ケン・スコットは後にデヴィッド・ボウイのエンジニア、クリス・トーマスはプロコル・ハルムやロキシー・ミュージック、サディスティック・ミカ・バンド、セックス・ピストルズもこの人だった。
アラン・パーソンズはピンク・フロイドの代表作「DARK SIDE OF THE MOON(狂気)」や、アル・スチュワートのアルバムに関わっていたのを発見した。

また、グリン・ジョンズがザ・フーの「WHO’S NEXT」のエンジニアだったというのも気になった。フェイセズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンのアルバムでもその名は見かけた。特に印象的に聴いたのはイーグルスのグループを脱退したバーニー・リードンがマイケル・ジョージアディスという人と作った1977年の「Natural Progressions」のアルバムでのグリン・ジョンズの音響だった。これが自分には、アメリカンロックらしからぬ陰影と立体の響きに思えた。さすがグリン・ジョンズ、と僕は勝手な想像力を働かせていた。グリン・ジョンズがここに関わるのは、かつて協力したイーグルスの初期のアルバムに関係しているのだろうと思っていた。

今、ザ・バンドの「ステージ・フライト」を聴けば、その印象と特徴は、ドラムの乾いた音とリズムの細かい分散の鳴りのような気がした。翌71年の「カフーツ」ではこういうリズム音響が見えにくいほど各楽器間の音色が強められているのは気になる。72年発表の「ロック・オブ・エイジズ」は、それまでの代表曲を別の感触で伝えてくるようなライブ録音だが、進んで1973年の「ムーンドッグ・マチネー」になると、それ以前よりも各楽器音の分離が分かりやすく強調されている。録音場所は変わらずウッドストックだが、音に顕れたこの変化は、音楽性に及ぶ印象に向けて著しく大きいものだ。
1975年「南十字星」になると、さらに音響の広がりと分離が顕著だ。これこそシャングリラ・スタジオの環境によるものだろうか。

初期のザ・バンドの音響は、ジョン・サイモンの整備によるものが大きかったかもしれないが、それでも代表作であるはずのその地点へとは戻らず、ジョン・サイモンに助けを求めなかったのかは気になるところだ。1976年の「ラスト・ワルツ」にはジョン・サイモンの協力があったが、それはライブの現場におけるものでしかない。
ところで、中期を支えたエンジニア、マーク・ハーマンがシャングリラ・スタジオに移った後期ザ・バンドに関わっていないのは理解できるとしても、その後の1975年ベアズヴィルスタジオのマディ・ウォーターズ以降、ポール・バターフィールド、レヴォン・ヘルムRCOオールスターズ、の現場に居ないのは気になる。

しかし、録音エンジニアが誰であるにせよ、ウッドストック、ベアズヴィルスタジオの録音はやはり素晴らしいものだというのは断言出来る。例えば、レヴォン・ヘルム「RCO オールスターズ」である。
このアルバムの約半々は、ウッドストック、ベアズヴィル録音、カリフォルニア、シャングリラ録音に分かれている。それらはサイド1とサイド2とに分けられることなく、まんべんなく混ぜ合わせられているが、統一感で言えば違和感なくまとめられている。この手腕は、イギリスのプログレ畑からやって来たエンジニア、エディー・オフォードによるものにちがいない。ふくよかで分厚い音圧と、靄の中からいさぎよく立ち上がる音響のダイナミックレンジ。そこでよく聴いてみることも大切だ。ジャケットをつぶさに見て、シャングリラとベアズヴィルを聴き比べると、その違いはそれでもよく分かるほど、晴れ晴れしさ清々しさが一歩前へと競り出てくるのだ。”ザ・バンド”サウンドの真髄を感じたいなら、ベアズヴィル録音はそのまんまにザ・バンドだ。
このアルバム、シャングリラ録音のなかで特別に興味深いものは、たぶん”Havana Moon”という曲だと思う。オリジナル曲は1957年のチャック・ベリーによるものだが、当時の、のどかなチャック・ベリーバージョンを、ポップにトロピカルに再解釈して表現してみせるレヴォン・ヘルムはその20年後77年よりも少し時代を先に見ていたのかもしれない。この感覚はすでに1980年代のニューウェイヴ勢に共鳴したかのように、リズムを音響で捉えている。

僕は1980年代をリズム音響の時代と解釈している。1970年代後期から80年代にかけるある種の流行は、レゲエやダブ、ソウル、ファンク、ディスコのリズムの影響を受けた音楽と共にある。キーワードは例えばコンパスポイントスタジオかもしれない。流行に敏感なローリング・ストーンズは1980年にここで録音しているが、もっと早いのはトーキング・ヘッズであり、ロバート・パーマーもそこで録音したアルバムを数多く発表している。そこに連なるトム・トム・クラブ、グレース・ジョーンズやマリアンヌ・フェイスフルのアルバム、リジー・メルシエ・デクルー、あるいはレゲエのグレゴリー・アイザックス、ブラック・ウフルなどもここで録音していたりする。

話がそれていっているが、ここで共に注目したいのは、1978年のレヴォン・ヘルムのアルバム「LEVON HELM」だ。
ここではレヴォンがドラムを叩いていないのが至極残念だが、リズム&ブルース、ソウルからアメリカ南部のルーツミュージックを真摯に歌うことに専念するところは聞き逃せない。レヴォン・ヘルムのアルバムは基本的にほとんどがカバー曲で成り立っている。そこで特に取り上げたいものはアル・グリーンの”Take Me To The River”である。実はこの同じ1978年にはトーキング・ヘッズがこの曲をカバーしているのだ。

特に面白い話題でもないかもしれない。しかし、1978年は、アル・グリーンがソウルミュージックの世界から事実引退し、ゴスペルの世界へ行ってしまった年だったらしい。同じときにこれを取り上げた彼らがこの事を踏まえたものとして歌ったのだとしたらそれは興味深いし、もしかすると、レヴォン・ヘルムもザ・バンドもトーキング・ヘッズもその音楽世界と感覚が別々のものではなく何処かで通じ合うものだったとしたらそれは面白いと思うのだ。

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