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人の数だけある正義、新しい世界での戦い方

『Tribe Called Discord~documentary of GEZAN~』を観て

2018年3月21日に神谷亮佑監督がGEZANとともに地球半周分を優に超える距離を移動したアメリカツアーの旅に出る所から始まるドキュメンタリー映画。
GEZANというバンドが独自のクラウドファンディングで資金を集め、アメリカツアーを敢行し、さまざまなものを見て感じて帰国し、全感覚祭2018を開催するまでが描かれている。

冒頭で流れる2018年3月15日の代官山UNITでのライブMCでマヒトゥ・ザ・ピーポーは「勘のいい人は気づいてると思うけど、新しい時代がもう目の前に来てて、今まで積み上げて来たいろんな価値観とか倫理が全部変わる、優しさの意味とかも全部変わっちゃうような新しい世界がもう目の前まで来てて、そういう世界で正しさも人の数だけ出てくるから、新しい勝ち方を」と言う。
ここからちょうど2年後の2020年、世界がパンデミックに陥った混乱の最中で、わたしはこの映画を観ている。

意気揚々とアメリカに乗り込む彼らはとても楽しそうでキラキラしている。
『DNA』のMVが撮影された場所のシーンも織り込まれていて、観ているこちらまで最高にハッピーになる。
途中で警察を呼ばれ、イベントが中止されてしまうほどのボリュームで行われるGEZANのライブ。
告知なく開催されたライブでその場に居合わせた、おそらく曲を知らないであろうお客さんから返る『Absolutely Imagination』のシンガロング。
踊りまくる人たち、彼らの演奏を聴いて泣き出してしまう白人の女の子。
日本と同じ、あるいは、それ以上。
GEZANのライブはいつだってどこでだって人を熱狂させ心を震わせるのだと思う。
人だけじゃない、もしケニアの国立保護区で彼らがライブをしたら野生動物たちが踊り出すだろう。
かつてグリーン・デイやランシドがライブを行っていた80年代〜90年代初頭のイーストベイ・パンクシーンの聖地、924 Gilman Stでのライブ。
『wasted youth』で生き生きと楽しそうに暴れ回るお客さんたち。
いつかGEZANもグリーン・デイやランシドぐらい大きくなってしまうかもしれない。
どうしよう。それは困る。チケットが取れなくなる。

異国の地でライブを行う場所だけブッキングし、宿はその日に現地で会った人に「泊めてもらえないか?」と交渉する。
なんと大胆で荒唐無稽なバンドだろうか。
だが時代を変えてきたのはいつだって、こういうとんでもない人たちだった。

アメリカに入ってから現実としての人種差別を肌で感じていく彼らは、電気も水も仕事も全くない特別保留地で育ったというネイティブ ・アメリカン、ナバホ族の女性の家に宿泊させてもらったことで、アメリカが抱える更なる闇を突き付けられることとなる。

先祖から受け継いできた地を後からやって来た人たちに踏みにじられる。
それはコロンブスが「新」大陸を「発見」して以来、現在に至るまでネイティブ・アメリカンの人たちが経験して来たこと。
黒人初の大統領に選出されたバラク・オバマはかつて民主党大会の演説で「黒人のアメリカ、白人のアメリカ、ラティーノのアメリカ、アジア系のアメリカがあるのではなく、ひとつのアメリカがあるのだ」と訴えた。
後にノーベル平和賞を受賞した彼のアメリカにはネイティブ・アメリカンは入っていなかった。

差別により、筆舌に尽くし難いような辛い経験をしたネイティブ ・アメリカンの男性が白人を逆差別する。
彼に対して「差別はいけないよ」などと軽はずみなことは言えないGEZANのメンバー。
わたしが過去に聞いたヘイトクライムの事件では、17歳の少年が3人の白人男性に無残に嬲り殺され、3人は逮捕されたが裁判では無罪になっていた。
のちに少年の父親が協力者を得て抗議運動を起こし、やり直し裁判がなされ、3人には無期刑が下ったが、なぜネイティブ ・アメリカンは尊厳を守る為にそこまでしなければならないのか。
それに、いくら犯人に無期刑が下っても失われた命は返らない。
いじめをした側はいじめたことを忘れるがいじめを受けた側はいじめられたことを一生忘れないように、差別をした側は差別したことを忘れるが、された側は差別でどんな目に遭ったかを忘れない。
虐殺や侵略の時代からは長い時間が流れたが、その後の暴力的な同化政策、環境の変化による疾病、そして差別と貧困は未だ終わりを見せない。

ネイティブ ・アメリカンの古くからの予言「聖なる地を掘り起こしたら、誰かがひょうたんの灰を発明して黒い雨を降らせる」。
白人から強制労働でウランの採掘をさせられたネイティブ ・アメリカン。
広島に降った黒い雨。
ネイティブ ・アメリカンと日本人を繋ぐあまりにも悲しい話。
このことは、日本人として、知ることができて良かった。

人間は差別する生き物である。肌の色で差別、出自で差別、階級で差別、自分と違う考えを持った人間を差別する。
差別が良くないことは誰しもわかっている。だが差別は無くならない。
差別という言葉は誰でも知っている。大なり小なり誰もが感じたことのあるものだと思う。
性差別、障害者差別……わたしの周りにも小さな差別はいくらでも転がっている。
しかし死の瀬戸際まで、あるいは実際の死にまで追いやられるような根深い差別を見て、感じて、それを上手く説明できる人がどれくらいいるだろうか。
そういった意味においてこのドキュメンタリー映画が果たす役割はとてつもなく大きい。

「数分の間だけ 集結する部族よ/もう一度未来という言葉を この場所で科学しよう』(『赤曜日』)

わたしはこの曲が大好きだ。昨年のフジロックのホワイトステージでのこの曲のかっこ良さにやられたのがGEZANを好きになったきっかけでもある。
しかし正直なところ「部族」と言われても日本に生まれ育ったわたしにはあまりピンと来なかった。
ただ何となく、この曲を聴いている人たちの中に連帯のようなものを見出し、今現在わたし達を取り巻く世界というものに対する違和感を大事にしましょうね、と言っているのだろうか?などとぼんやりしたイメージを浮かべていただけだった。
だが実際はそんなものではなかった。
本当の「部族」が、ネイティブ ・アメリカンの人たちが抱える現実を目の当たりにしてきたから「部族」という言葉を使ったのかと腑に落ちた。
この曲で彼らは構造、破壊、連帯、未来、革命、暴動、重税、混乱、権力、組織……この世界で、この仕組みの中を行きてゆく上で避けては通れないあらゆる問題に踏み込む。
日々の忙しさや憂さを晴らしてくれるような、聴いているだけで居心地が良くなり心が癒される気がするようなシティポップが決して提起しない問題。
最後の「GEZANを殺せ」とは、この曲に酔ってないでお前ら自分の頭で考えろよ、想像力を働かせろよ、というメッセージだろうか。
この曲のタイトルが『赤曜日』であること、マヒトが赤いものを好み、いつも身につけていることも、60年代から70年代にかけてネイティブ ・アメリカンにより展開されたレッドパワームーブメントのイメージと重なる。

GEZANがアメリカから持ち帰ったエネルギーを放出させた全感覚祭2018、出演したTHE NOVEMBERSの小林祐介は「各々が各々の信条を、綺麗なものを持ち寄り、ひとつにならずにそこにいるのがいい、民族もそうだ」と言っている。
マヒトがラインナップについて「好きな人たちに声をかけたらこうなった」と言っているのがとても頷ける。

マヒトはアメリカで自己紹介をする時に「My name is ピーポー」と言う。
最初にそれを見た時、うんやっぱりその名前おかしいよね?とちょっと笑ってしまった。
しかしこの作品を一度観終わった後、その言葉が持つ意味を再考した。
「わたしの名前は、人間です。アジア人でも、男性でも、ミュージシャンでもない、ただの人間です」そんな意味に思えた。
アメリカという国に根づく差別を目の当たりにしてそれを震える声で話す、時にネイティブ・アメリカンの方が受けたあまりにも残酷な仕打ちに、拭い去ることの出来ない憎しみに、隣の人の手を守るようにをぎゅっと握りしめ表情を変えずにただ涙を流すマヒト。
彼の前には人種や性別、職業などのカテゴライズはまったく意味をなさないのだと思う。
どうにもならない世界への違和感に嘆き、苛立ち、葛藤しながら、ただひとりの人間として、彼は生きて、音を鳴らしている。
そのエネルギーがあまりにも凄まじいので、なんだか寿命を縮めてそうな気すらしてくる。
どうか健康で長生きして。
咆哮し、ギターをかき鳴らし、俊敏な動きで元気にバスケするおじいちゃんになって。
お願い。

『狂(KLUE)』の楽曲にディジュリドゥが取り入れられていたり、アイヌ音楽からの影響を感じるのも、このアメリカツアーがあってこそだったのだという気がする。
サブスクリプションでもGEZANのこれまでのアルバムはロックやオルタナティブに分類されているが、このアルバムはワールドミュージックに分類されている。
個人的にはこのアルバムはわたし達が尊厳を守る為の、抵抗としての音楽だと思っているので、ジャンル分けなどどうでも良いのだが。

帰国後の神谷監督のおよそ人間が住んでいるとは思えないほど散らかった部屋や、仕事を辞めてしまったという発言からも、このアメリカツアーが彼にどれほどの衝撃を与えたものであったかが窺える。
そして神谷監督が最後まで逃げずに、死なずに、このドキュメンタリーを、監督が抱えたプレッシャーを大きく上回る作品にしてくれたことに心から感謝する。
人の心を揺さぶる作品というのは、命がけの仕事の末にできたものなのだと改めて思う。
こういう作品は消費されていってはならないと、永久に残って行くべきだと感じる。
それはアルバム『狂(KLUE)』についても同じことだ。

「人間が想像出来ることは、人間が必ず実現出来る」
未来への想像を物語にしてきた19世紀フランスの小説家、ジュール・ヴェルヌの言葉である。
クラウドファンディングでアメリカでのライブツアーやレコーディング、フリーフードのフェスまで成功させてしまうGEZANを見ていると、この言葉を思い出す。こんな青臭い言葉を全力で信じてみたくなる。
短期間であまりにも多くのGEZANに関する記事を読み漁ったので記憶が曖昧だが、マヒト自身も似たようなことを言っていた気がする。

2020年3月現在、正義の名の下にたくさんの主張が横行している。
正義の反対が悪ではなく、別の正義なのでどれを取捨選択すべきなのか迷う。
2年前のマヒトが言った通り、人の数だけ正しさがある。
未知のウイルスに関しての曖昧な情報を頼りに数多くのデマが飛び交う。
政府の自粛要請により、多くのライブやイベントが中止を余儀なくされた。
人が密集する閉所であるライブハウスは悪とされ、多くのバンドマンが理不尽な差別を受けている。
普段、バンド以外に介護福祉士として働いているGEZANのベーシスト、カルロス・尾崎はバンド活動をしているといる理由で職場から出勤停止を言い渡された。
マヒトゥ・ザ・ピーポーはギターを背負っているだけで電車の中で舌打ちをされたという。

COVID-19というウイルスは、人間の群衆心理というものを浮き彫りにし、新しい差別を生み出した。
市民はマスクやトイレットペーパーに右往左往し、公園で遊ぶ子どもは通報され、バンドマンには罵声が浴びせられる。
このウイルスは人々の体よりも先に、心を蝕んだ。
この先も、このウイルスに罹患することによる直接的な死者よりも、デマや政府が打った施策などによって経済的、あるいは精神的なことから死に追いやられる者の方がはるかに多いのではないかと思う。
この新しい世界、新しい差別、新しい暴力と、わたしはどうやって戦う?

東京事変のライブが決行された際、その開催をめぐる話題でわたしはひとりの友人とケンカをしてLINEも着信もブロックしてしまった。
ライブの開催を良しとしたわたしと、悪とした友人。
この友人はいわゆるセクシャルマイノリティであり、普段は自身の権利を主張する活動をしている。
その友人が、ライブ予定が何本も潰れてシンプルに落胆するわたしと、ライブを決行するアーティストやライブハウスに対して侮蔑的な言葉を放ったことにひどく腹を立ててしまった。
どちらが正しいのかはわからない。
それぞれの正義を主張し合っただけのことだし、正解が出るまでには少し時間を要する気がするので謝る気はさらさらない。
だが、わたしの放った正義、わたしが友人をブロックしたという事実は、相手にとっては攻撃であり悪意としか取れなかったと思う。
この映画を観た後、世界中に蔓延る差別や悪意を憂う前に、自分の中の悪意を見つめ、制御することが今の自分に出来る小さな一歩である気がした。
そもそもライブが開催されるかどうかの問題で長年かけて培ってきた友情にヒビを入れる必要もない。
闘うべきはそんなところではない。わたし達はもっと幸せになっていい。
だからブロックを解除して連絡してみようと思う。
わかり合うことは難しい、わかり合えないまま「ライブがたくさん飛んで、ぶっちゃけ参ってんだけど」と話してみようと思う。
この映画を観なければ、そんな気にはならなかった。
もう一生、その友人と連絡を絶ったままでも良いとさえ思っていた。
GEZANと神谷監督の労苦の上に作られた作品は、こんな小さなところにではあるが確実に影響を及ぼしている。
この作品は観た人間の中の「何か」を確実に変えてしまう映画である。

わたしは音楽も映画も好きである。今までわりとたくさんの音楽や映画に触れて来たつもりだった。
それらに触れ、楽しい気分になったり、癒されたり、ストレス解消をしたりしてきた。
しかしGEZANに関しては、どうしても楽しい、心地好い、癒されるなどと言った感情だけでは済まされない部分が多い。
マヒトゥ・ザ・ピーポーの書くメロディや歌詞や文章はとても美しく優しい。
なのに彼が言わんとしていることを理解しようとする時、これまでわたしが目を背けて来た、なるべく考えないように蓋をして来たような、地球上で起こっているあらゆる問題について、嫌でも思考を巡らさざるを得ない。
実に面倒くさい。元々のメンタルがよわよわなので何もかもをマイナスに考えがちなのでしんどい。考えるのは疲弊する。

しかし差別にせよ戦争にせよ環境問題にせよ、人類が直面する大きな課題に対する一番の敵は思考停止である。
よく考える人間には複雑に絡み合った様々な物事の事象が鮮明に見えるが、考えない人間にはそれが見えて来ない。
見えて来ないとどうなるか。問題がないと思い込むようになってしまう。
問題意識を持たない人間はいずれ無自覚なままに何らかの加害者になることがある。
これは一番恐れるべきことである。
マヒトは非常に視力が良い。よく考える人間だから。彼にはきっと様々な物事が鮮明に見えている。
わたしの頭上などとっくに通過している彼には、ずいぶん先の未来が見えていると思う。だからどこか予言めいた発言や曲も多い。
こういうアーティストに出会えたことを、とても幸せに思う。

2020年3月23日、COVID-19による情報は毎日更新され、東京五輪も延期の気配を見せている。
東京五輪が延期になれば、今後も数多くのライブやイベントは中止を余儀なくされ、現在組まれている延期公演も更なる延期や中止に追い込まれるだろう。
わたしも今日までで既にチケットを取って楽しみにしていたライブの予定が7本消えている。
アーティストにとっても、ライブを日々の生きる糧としている音楽ファンにとっても辛い日々が続きそうだ。
昨日マヒトはTwitterで
「武器と呼ばれるものの中には、誰かを傷つけず、この世界を戦うために存在するものがある。
思想や哲学、そして音楽。
散らばった悪意の中から各々の武器を手にし、生きのびてほしい。
憎しみに生きることなく、こんな時でも桜を綺麗だと呼べる自分を捨てずにいたい。
失った尊厳は全て取り返す
抵抗」
と呟いていた。

この呟きを見る前、わたしは桜を見に行っていた。
人間界はごちゃごちゃしているが、夏秋冬を耐え凌ぎ満開に咲き誇る桜と空の青さは、自然界は美しかった。

「ここで空を見て/涙、蒸発してゆく み空 み空/空虚に花が咲いて/あの頃のぼくは 永遠を夢みてた」(『Soul Material』)

空虚に咲いた花を見て、限りなく透明でブルーな空に、涙が蒸発していった。
誰かを傷つけず、世界と戦う方法を持つアーティストを羨ましく思ったりもするが、その作品を手にしているわたしはどうやら既に武器を手にしているようだ。

「ちゃんと笑えるだろう/ちゃんと笑うんだよ/そのために生まれてきたんだもの」(『I』)

まだまだ混迷を極めるであろう世界で、わたしはこの最強の武器を手に、ちゃんと笑っていようと思う。

全感覚祭2018やアルバム『狂(KLUE)』という、新しい世界で戦う方法論を生み出した過程が描かれている『Tribe Called Discord~documentary of GEZAN~』。
この映画を多くの人が観て、それぞれが何かを感じたならば、世界はほんの少しだけ良い方向に変わるのではないかと思う。
そういう力が、このドキュメンタリーには宿っている。
そういう風が、この作品には吹いている。

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