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SPEEDと尾崎豊の歌った「旅立ち」

卒業式に立ち会えなかった人へ

この情勢下、学校機関からの巣立ちを迎えながら、卒業式というものを体験できなかった人がいると思われる。そしてお子さんや、弟妹の式に立ち会えなかったという無念をかかえる人も多いと考えられる。

儀式というものを重んじる人、それは区切りに過ぎないと見なす人、それぞれにいるだろうけど、たとえ皆で旅立ちを言祝げなくとも「個人として」感懐にひたる、その助けとなりうる楽曲から、この場を借りて歌詞を引用してみたい。

あるいは人間は日々、色々な場所や心情から「卒業」しているのかもしれないし、そうなのだとしたら、毎日が誰かの卒業式なのだ。そういう意味では、私たちは決して孤独ではないし、同時に、ひとりで何かを噛みしめなければならないとも言えるだろう。

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まずはSPEEDの「my graduation」から。

<< あなたと出逢えてよかった >>

そのように始まる「my graduation」は<<あなた>>との関係性が、もはや維持することができないことを歌う、とても哀しい楽曲である。本曲で示される<<あなた>>は、恐らくは恋仲にあった相手なのだろう。

<< 愛が芽生えたJuly 最初のKiss >>
<< あの日くれたチョーカー 今も胸で光っています >>

SPEEDは相手に対する感謝を精一杯に歌いながら、その恋が終わらなければよかったと嘆きもする。私たちが「卒業」と同時に会えなくなってしまう相手は、もしかすると恋人に限らないのではないか。すべての同窓生とコンタクトを取りつづけることは難しいし、日々の忙しさにかまけるうちに、かつて心を通い合わせた友人の顔や名前を、忘れてしまうことも起こりうる。だからこそ卒業式という催しは尊いのかもしれないし、それを開催できなかった学校関係者の無念は察するに余りある。

それでも私たちは、SPPEDの歌に呼応するように、どんな場所からも願うことくらいはできるはずだ。

<< やさしさと 勇気をくれたよね >>
<< あなたのその夢が いつの日か かないますように >>

個人的には、自分に<<やさしさ>>や<<勇気>>が備わっているかは確信がもてない。それでも、関わりを持った大事な人の<<その夢>>が叶うことは願っている。それが<<やさしさ>>の片鱗なのだとしたら、それは誰かが引き出してくれたものだと思う。私は自力で<<やさしさ>>に辿りつき「卒業」を迎えたわけではない。

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尾崎豊氏の「卒業」も、あっけらかんと「おめでとう、嬉しいね」というような感情を歌い上げる楽曲ではない。悲しい思い出や、幼い自分と訣別できるか自信を持てない主人公の苦悩が描かれる作品だ。

<< 行儀よくまじめなんて 出来やしなかった >>
<< 自分がどれだけ強いか 知りたかった >>

そういった己の弱さを認めている時点で、楽曲「卒業」の主人公は、強くなり始めているのかもしれない。はたして彼は今後<<行儀よく>>生きていくことができるだろうか。そして強さを確かめようなどという蒼い欲を捨て去り、真なる「卒業」を果たすことができるのだろうか。「卒業」は尾崎氏(楽曲の主人公)のファンのみならず、この春、課題を抱えたまま、新しい場所へと向かう人たちが、心のなかで歌える佳曲だと思う。

<< 卒業して いったい何解ると言うのか >>
<< これからは 何が俺を縛りつけるだろう >>

大学を出て16度目の春を迎えた者として言わせてもらえば、少なくとも私は、未だに多くのことを解っていない。むしろ解らないことの多さに気付き、歳を重ねたぶんだけ己の未熟さを痛感するようになっている。だからと言ったら不遜だけど「卒業」のタイミングで「自分には学べなかった何かがあるなあ」と感じている若い人には、そんな風に自分を責めないでほしいと思う。個人的な感覚ではあるけど、私の先を走る先輩ですら、解らないことを多く抱えているようである。

さらに言うなら、恐らくは人間というのは、どこに行こうと、どんな道を選ぼうと、何らかの制約を受けつづけるものだと思う。それを「縛られる」と表現するのは躊躇われるのだけど、その縄は何かの代償に与えられるものだし、そういった制約のなかでも、ある種の<<自由>>を感じていくことは、必ずしも不可能なことではないと思えるのだ。

尾崎氏の歌う通り、それは<<仕組まれた自由>>なのかもしれない。それでも私たちは、限りなく小さなものであれ、何らかの選択権をもって日々を生きている。少なくとも私は、そうであるはずだと信じている。

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SPEEDの「my graduation」にも、尾崎豊氏の「卒業」にも、この世界の残酷なのかもしれない真実が込められているように思う。私たちは究極的には、命ある限り「卒業」など果たしえないと言えるかもしれない。何かを乗り越えるたび、何かを終えるたび、気持ちに区切りをつけるたび、新たなる課題が浮かび上がってくるものではないだろうか。その課題は「生まれる」というよりは、そこに最初からあったもので、それに気付けるようになったということが、ある種の成長なのかもしれない。そう私は思う。

Mr.Childrenの「GIFT」から、辿りつけない場所があるからこそ、私たちが生きる意味があることを示唆するような、そんなメッセージを引用したいと思う。

<< 地平線の先に辿り着いても 新しい地平線が広がるだけ >>
<< 「もうやめにしようか?」 自分の胸に聞くと >>
<< 「まだ歩き続けたい」と返事が聞こえたよ >>

Mr.Childrenは傑作を作り上げ、それを世に放ったあとも、それで満足することなく活動をつづけ、今日に至っている。それはMr.Childrenが「graduation」、あるいは「卒業」を果たせないからこそ、できていることなのではないだろうか。

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おこがましいことかもしれないけど、学校から卒業した少年少女と、その保護者様に、私は「おめでとうございます」と言いたいです。彼ら彼女らの将来が、SPEEDや尾崎豊氏、そしてMr.Childrenの楽曲に彩られることを願って筆を置きます。

※<<>>内はSPEED「my graduation」、尾崎豊「卒業」、Mr.Children「GIFT」の歌詞より引用

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