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鳥籠の中でエバーグリーンの輝きを確立したアーティスト「HYDE」

HYDE ACOUSTIC CONCERT 2019 黑ミサ BIRTHDAY~生と死をみつめて~

暗闇の中、「UNEXPECTED」の旋律が静かに鳴り響く。スモークが立ち込め、キャンドル型ライトに明かりが灯り、黒い衣装を身にまとったオーケストラの奏者たちが登場し、次々と自分の持ち場に着席した。
ステージ中央、重厚感のある黒い翼があしらわれたゴシック調の椅子は主の到着を待ちわびていた。椅子の横にぽつんと置かれた鳥籠の中のライトの明かりもいつの間にか灯っていた。同じくゴシック調のフレームで枠組まれた鏡のような大スクリーンにはコンサートのロゴが映し出されていた。最後に頭のてっぺんから足のつま先まで全身黒ずくめの主役が登場した。
「HYDE ACOUSTIC CONCERT 2019 黑ミサ BIRTHDAY -WAKAYAMA-」の幕開けだ。

HYDEお得意のオーディエンスと共に暴れまくるハードロックなライブとは一変、50歳の誕生日を祝うライブはまるでクラシックコンサートのように厳粛なムードに包まれていた。
「自分が歌いたい曲を選びました。永遠と暗い曲が続きます。」最初のМCでHYDEは静かに断言した。宣言通り、ハードロックとは裏腹な繊細なアレンジが施されたHYDEソロの楽曲が続いた。「JESUS CHRIST」、「A DROP OF COLOUR」、「EVERGREEN」(※大文字表記はこのDVDのパッケージ表記に倣ったもの)、「SHALLOW SLEEP」…。

「EVERGREEN」はその曲名の通り、何年経っても色褪せることのない名バラードだと改めて聞き惚れた。エバグリの話をし出すとキリがないほどで、おそらく自分の人生の中で再生回数がダントツ1位の楽曲である。2001年10月にリリースされてから早20年が経過しようとしているなんて信じられない。何百回はたまた何千回聞いたか分からないけれど、聞き飽きるということがない。珍しい棺桶型ケースに入った8センチのシングルCDをいまだにリピートモードにして繰り返し聞くことだってある。余裕で1時間以上聞いていられる。これほど死にゆく時間を美しく描いた楽曲が他にあるだろうか。

<無情な時計の針を 痛みの分だけ 戻せたなら>

<近づく終わりに 言葉ひとつ言い出せない This scenery is evergreen 愛しい人よ>

初めてこの曲を聞いた時の感動がいまだに心に残っていて、何度聞いてもその感動に心揺さぶられる。死は悲しいものだけれど、美しいものでもあった。大切な人を失うなんて心痛むはずなのに、不思議とやさしい気持ちになれた。暗い世界に旅立つはずなのに、<淡い陽射し>が最後まで揺らめいているような感覚に陥った。私にとって理想的な最期の光景、時間が描かれていた。

HYDEはライブ中盤のМCで「僕の曲は死ぬ曲が多いんです。理由はよく分からないんですけど、最後のご飯に近いというか、核心をついてると思う。本当に欲しいものとかに近い。死に関係する物語に真実や、愛の意味が隠れている。」というような独自の死生観を語っていた。
その言葉を聞いた瞬間、自分の長年のもやもやが解決した気がした。希死念慮があるわけでもないのに、昔から死を彷彿とさせるものに自然と意識が向かうことが多く、最近は死んでしまう物語ばかり書いていて、「死ぬ話が多いよね。」と言われる機会が多かったから。答えがみつかった。HYDEさんの言う通り、私も真実とか本当の愛を求めて死を意識することが多いのだろうと、やっと納得することができた。

死を意識してこそ、命の輝きが見える。死の淵に立ってこそ、生の輝きを見出せる。生きる意味を見つけたくて、死をイメージしていたのかもしれない。
「VAMPIRE’S LOVE」は誰も死んでいないのに死んだ気になってしまう曲とも話していた。「HONEY」も死を匂わせた曲だと言った。
「flower」においても

<胸が痛くて 痛くて 壊れそうだから かなわぬ想いなら せめて枯れたい!>

失恋の時のような、心の死を描いている。

HYDEって本当に不思議なアーティストだ。ハッピーなバースデーライブのはずなのに、まるでお葬式のごとく、死を語るし、暗い曲を歌うと宣言して、本当は激しいロックで歌えるはずの曲であっても、控えめにしっとり歌い上げていた。
これは本当にこの世に生を授かった喜びを祝うライブなのかとHYDEを知らない人が見たら、違和感を覚えるかもしれない。しかし私も含めてファンならしっくりするバースデーライブだ。
ホラーや≪死≫を連想するモチーフが好きなHYDEだからこそ、そこから生きる意味を見出そうとしてくれていると実感できたから。

真っ暗なステージ上には所々に命の灯のようにライトの明かりが光っていたし、鳥籠ライトの足元には薔薇の花が敷き詰められていて、よく見ると赤色だけでなく、青色の薔薇の花も交じっていた。薔薇の集合体はハート型にも見えた。つまりそこには静脈と動脈が交差する≪心臓=命≫が宿っていた。激しいライブと比べたら、照明の色や動きは控えめだったかもしれないけれど、たとえ真っ暗闇のステージになってもHYDEの歌声とオーケストラやギターの音色が光のように伸びて会場全体に≪命の鼓動≫がしっかり響き渡っていた。死を彷彿とさせる黒い空間にたしかな≪生のぬくもり≫を音楽という形で体現してくれた。それは胎児の頃の記憶のようでもあり、光が届かない中、外に出られる日を母親の心臓の音を聞きながら、ひとりきりでじっと待っていた時の心境に似ている気もした。あのライブ空間の暗がりは生まれる前の≪生≫に憧れる時期のイメージに近い。だからこそまさにバースデーにぴったりだと思った。

そしてHYDEは≪死と生≫の表現の仕方が巧みであると同時に、≪静と動≫の使い分けも巧妙だ。ソロ活動をスタートさせた当時、今回のライブのように静かなロックが根底にあった。静なるロックの集大成『ROENTGEN』というアルバムも存在する。ロックであるはずなのに、クラシック音楽を聞いている時のように、心が洗われる感覚になる。音源としては『ROENTGEN』以降、≪動≫を意識したハードロックにシフトチェンジしているのだが、時折黑ミサを始めとする着席して聞けるアコースティックライブを敢行してくれている。HYDEの楽曲は≪静≫であっても、≪動≫になり得るし、≪動≫であっても、≪静≫になり得るのだ。

どういうことかと説明すると、例えば「EVERGREEN」は元々静かなアコースティック調の楽曲であるけれど、「EVERGREEN(DIST.)」という激しいロックにアレンジしたバージョンも存在するのである。逆に「HONEY」はラルクの中でも有名なロックであるけれど、同曲はアコースティックバージョンも存在するのだ。つまりHYDEが作る曲は≪静≫にも≪動≫にも自由自在にアレンジ可能な魔法のような神曲が多いのである。だからこそ、やんちゃできる激しいライブも厳かなアコースティックコンサートも両立可能なのである。

そしてさらに自身が作った楽曲以外も、美しいファルセット、歪んだシャウトを巧みに使いこなすという幅広いボーカル力でまるで自分の曲のように歌うことが可能である。今回もglobe「DEPARTURES」のカバーをオーケストラバージョンで披露してくれた。「最近は自分の曲のように歌ってますけど」とMCで話していた。ほんとにその通りで、カバーのはずなのに元々HYDEの楽曲であるように聞こえてしまうからすごいことだ。

YOSHIKIとコラボした「Red Swan」も、ラルクの曲も、VAMPSの曲も、HYDEの曲もすべてボーカルHYDEの曲として歌い上げることがすごいと思う。
ラルクの曲に関しては初期の「In the Air」や「White Feathers」のような幻想的な楽曲から、中期の「LORELEY」(もちろんサックス演奏も交えて)や「forbidden lover」、わりと新しめの「永遠」、「叙情詩」、「X X X」まで新旧問わずどんな楽曲もいまだにリアルタイムで歌い続けているかのように歌いこなしている点もさすがHYDEだと実感する。

今回のコンサートでサプライズ登場したラルクのメンバーであるkenも「HYDEにしか歌えない曲」と紹介して、「White Feathers」を演奏してくれたくらいだ。そうなのだ。カバーであっても、コラボであっても、ラルクであっても、VAMPSであっても、ソロであっても、すべての曲はHYDEにしか歌えない曲なのだ。そう思わせてくれる歌い手が今回のコンサートの主役だった。

主役であるはずなのに、時折オーケストラ奏者たちをやさしい眼差しで俯瞰している姿も見られた。MC時、観客に力強い歌声とは裏腹の穏やかな口調でやさしい笑顔を向けてくれた。HYDEの魅力のひとつに控えめで穏やか過ぎる地声も挙げられると思う。歌っている時とはまるで別人で、たまに関西弁も交じるトークを聞いているとほんわかした気分にさせられる。歌声と地声のギャップに私はいまだにときめいてしまう。

その穏やかな口調で今回、故郷(和歌山)についての思いも熱く語ってくれた。
「今日、ここ(今回のコンサートの会場となった和歌山ビックホエール)でやるという夢が叶いました。いつかここでやりたいと思っていて、ずっと憧れていて、記念すべき自分の節目の時に夢が叶って感慨深いです。」と。涙を流しながらVAMPS「MEMORIES」を歌っていた。この曲は和歌山を思い出す、コンサートに来てくれる人たち、駆け抜けた季節を思い出すと。

<風を切るように僕らは駆け抜けた 眩しい日差し浴びて 何処までもずっと一緒だと信じてた 僕の大事な MEMORIES>

ラルク「星空」を歌い切った後も、これまでの思いをたくさん語ってくれた。
「慕ってくれるみんなのおかげでここまで歩いて来れた。和歌山にいる(子どもの)頃、いじめられたり、いろんな別れも経験して、ずっと悔しい気持ちが消えなかった。そういう経験が今の僕の人格や人生に必要だった。そう思えば嫌な過去も少しは許せるようになった。それ以上に素敵な出会いもたくさんあったし。たくさんの人たち、この街が僕を育ててくれた。それらのひとつでも欠けていたら運命は狂っていたはずで。なんでここでやりたかったのかその意味をずっと考えてた。もちろん恩返ししたい思いがあって、それと同時に自分の人生間違ってなかったかなと確かめたかったんだと思う。たくさんの愛すべき人たちに支えられて、感謝しています。」というような普段のライブでは聞くことのできないような心情を自ら確かめるようにゆっくり話してくれた。激しいライブ時のやれんのか、かかってこいよという強気なあおりMCとはまるで別人で、過去の弱さもさらけ出してくれて、着飾らない等身大の心も見せてくれた。深々とお辞儀をして、ありがとうございましたと。ハッピーバースデーでお祝いをされる立場のはずなのに、プレゼントを受け取る立場のはずなのに、逆に私たちファンに本音の心をプレゼントしてくれた。弱さなんて言わなくても済むことなのに、あえて全部伝えてくれたことに心打たれた。

しんみりした雰囲気に浸っていたら、ある人の登場でガラリと雰囲気が一変した。最後にkenが思いの籠ったアンプ並みに重いプレゼントを自ら抱えてサプライズ登場してくれたのだ。「日本中のHYDE好きが集まっていると噂に聞いて、僕もその一人なのでやって参りました。」と笑いを誘ってくれるkenのトークが一気に明るいムードを引き出した。HYDEも観客も思わず満面の笑みがこぼれる。
「最近ライブで(kenに)近づくと逃げられる」とHYDEが言うと、kenが「HYDEは僕にとってもアイドルみたいなものだから、ライブ中とか接近されるときょどるし、冷静に演奏できなくなる。」というようなことを発言したせいか、いたずらっこHYDEはkenと一緒に「White Feathers」を披露している最中もいつものようにkenにぴったり寄り添ってkenを困らせるというほのぼのする一コマも見れた。

kenが登場した途端、HYDEに笑顔が増えて、まるでkenは太陽みたいだと思った。HYDEの雨のような涙の後、kenという光が出現して、たしかにそこに虹が架かった。

<運命は不思議だね錆びついて止まっていた時が この世界にも朝を告げてくれるよ>「snow drop」

というように、明らかに時間の流れが変わって、ゆったり動いていた時間がkenという光によって加速し始めて、黒一色だった会場にカラフルな色彩が戻ってきて、kenのアグレッシブなギター演奏はHYDEの歌声に虹色をもたらしてくれた。二人の音が融合したら虹が見えた気がした。

<時は奏でて想いはあふれる 途切れそうなほど透明な声に 歩きだしたその瞳へ 果てしない未来が続いてる>「虹」

HYDEが言っていた周りの人たちに恵まれていたってこういうことだと気付いた。たしかにHYDEは才能があるし、カリスマ性もあって、ひとりでだってソロでも十分にアーティストとして存在感を放つことができる。けれど、そのHYDEをより輝かせることができるのは周囲の人たちだ。kenだけでなく、交流のある様々なアーティスト、故郷の人たち、そしてHYDEを愛するファン…すべての人たちがHYDEをより輝かせる存在なのだと思う。「White Feathers」披露中、お決まりの白い羽が雪のようにたくさん降り注いで、黒い世界が瞬く間に真っ白な世界に変わった。それはHYDEの誕生日を祝福するように。

<君へと夢は今 目の前で煌めいてる 花弁の舞降るような雪が祝福した>「BLESS」

「こんなに素敵な誕生日を迎えられて胸がいっぱい。僕自身はたいしたことできないし、ただ人生をみんなと一緒に歩んできただけで。ほんとは僕なんかって言いたいくらい。みんながかわいそうだから、あまり(卑下して)言わないようにしてたけど。僕を慕ってくれる人がたくさんいて、祝ってもらえて、すごい幸せ者だと思います。僕の人生に悔いはないです。」最後のМCでHYDEは改めて、自分の弱さと強さを伝えてくれた。アーティストとして確固たる地位を築き上げて、順風満帆そうに見えるHYDEでさえ、「僕なんか」と思う瞬間があることを教えてくれて、意外だったけれど、親しみも覚えた。本当は繊細な性格なのにファンを悲しませないように、強がって自信があるようにアーティストHYDEを演じてくれていたんだ。それってやさしさに溢れているし、強さでもあると思う。自分のためではなくて、他者のために普段は弱さを隠して強くたくましく生きているということだろう。でもこうして必要な時にはちゃんと弱音も吐いてくれる。さすが愛されキャラだなとつくづく思う。

<本当はとても心はもろく 誰もがひびわれている 降り出した雨に濡れて 君はまた立ち止まってしまうけど 信じてくれるから>「虹」

HYDEさんは周りの人たちに恵まれているって言ってたけど、それはこんな風に自身にたくさんの魅力があるから、多くの人たちを引き寄せてしまうのだろう。生まれ育った地元の人たちのことも、仲の良いアーティストの人たちのことも、多くのファンのことも自分を取り巻くすべての人たちに感謝の気持ちを忘れず、平等に大切に接してくれる。そんな人のことを周囲が放っておくわけがない。みんなHYDEさんのことが大好きで、そのみんなのHYDE愛が光となって、暗闇の中でも大きな虹が架かるという魔法のような奇跡の瞬間を何度でも見せてくれる。皆を愛しむ寛容な心の持ち主だから、皆から慕われ愛でられる存在になった。死を考えることこそ、生の輝きの証明になるとやさしく教えてくれた。

<誰より高く 空へと近づく 輝きを集め光を求める 燃え尽きても 構わないさ 全ては真実と共にある Ah…>「虹」

コンサートの途中、バースデーケーキが用意され、オーディエンスは手元に隠し持っていた銀色のフライヤーをパタパタはためかせて、HYDEを祝福した。そのキラキラ輝く光景を見たHYDEは思わず、自分のスマホで会場の撮影を始めた。「めっちゃキレイ」と無邪気に喜ぶHYDEの瞳が一番輝いて見えた。終盤、「星空」を歌う前もそうだった。みんなにスマホライトをつけてほしいとお願いして、暗い会場に星空を再現した。たしかにスマホライトもキレイだけど、やっぱりHYDEの瞳が一番輝いていた。キレイなものを素直にキレイと感動できる純粋な心を持っているHYDE自身が暗闇の中で一番神々しく輝かしい存在だった。

<ねえ 降りそそぐ夜空が綺麗だよ いつの日か君にも見せたいから 目覚めたら変わっていると良いな 争いの終わった世界へと>「星空」

HYDEはまさに皆にとっての常緑樹「EVERGREEN」のような存在だ。寒い冬も一年中、生い茂っている常緑樹は定期的に葉を落としては新しい葉を生やしている。つまり小さな死と再生を繰り返して、変わらぬ命をキープしているのだ。HYDEもそうだと思う。昔から変わらない神秘的なオーラを醸し出しているように見えるけれど、確実に歳は重ねていて、泣いたり、笑ったり、悔しがったり、喜んだり、何かを犠牲にしたり、代わりに何かを拾ったりしながら、常緑樹の葉のような自らの羽を生やし変えながら、必死に半世紀を羽ばたき続けて来たのだろうと思う。

そしてHYDEは昔から鳥籠モチーフが好きだ。鳥籠の中にいた鳥のようなHYDEは自由を犠牲にして、何かに捕らえられたまま、生きていた過去もあったかもしれない。

<部屋のすみには足をつながれた鳥が 必死に羽ばたき>

<あの鳥のように この地につながれている>「White Feathers」

特にラルクという大きな箱舟に乗っている時はラルクのhydeとしてhydeらしさを見せなければいけない。VAMPS時代も含めてソロ活動をしている時は籠から解き放たれて、すっかり自由の身になったのかなと思っていたけれど、そうでもないのかもしれない。本当の自由なんて生きている限り、誰も経験できないものだから。世の中から求められている音楽、海外でも受け入れてもらえる音楽を作り上げようとする姿勢は自分の好きなことだけを好きなようにやるというスタンスとは少し違う。しかも(今みたいな激しい楽曲やライブに関して)リミットは後数年かもしれないと夢を追いかけていても、年齢という現実もちゃんと見据えている。

彼を神のような天使のようなイメージで見てしまうファンとしてはついついHYDEは永久的に歳を取らない存在と勘違いしてしまう時もあるけれど、実際は人間だから年齢を重ねているわけで、体力的なリミットはあるのだ。つまりソロ活動で自由そうに見えても、真の意味での自由ではない。世の中のニーズ、自分の限界…。しかしたとえ何かに捕らわれていても、制約があっても、自身の内なるロック魂を決して消すことはない。籠の中に居たって自分の命は輝かせることはできるのだ。それはまるで籠型ライトの明かりが灯り続けるように。HYDEは鳥籠の中という制約された条件下の中にいながらも、新しい音楽を作り続けて歌い続けてくれるから、かっこいい。特にラルクでは幻想的な歌詞も多く綴っているのに、妙にリアリストで自身を俯瞰して見るというか客観視できる性格もリスペクトできる。

HYDEはこうも言っていた。
「みんなの記憶の一部に僕の曲が残ってる。それは残念ながら一生消えません。僕にもそういうアーティストはいるから。」
「EVERGREEN」を始めとして、私の人生からHYDEの楽曲が消えることはないらしい。それは少し困るようで、でもやっぱり喜ばしいことだ。今のところ、自分の人生の終焉には「EVERGREEN」を聞きたいと願っている。最期の晩餐ならぬ最期の音楽は「EVERGREEN」と決めている。最期に聞きたい音楽が他に見つからない。人生に刻まれてしまったらしいから、きっとそれは変わらないと思う。そもそもそういう状況で聞きたい音楽を聞けるかどうかは不明だけれど、もしも最期にエバグリを聞けたなら、きっと幸せを感じられる。優しい季節を呼んでくれて、薬みたいに身体に浸透するHYDEの歌声が命の記憶に刻まれて、決して忘れることはできないだろう。

<優しい季節を呼ぶ 可憐な君は 無邪気になついて そっと身体に流れる 薬みたいに 溶けて行ったね>「EVERGREEN」

そういえば寶井秀人著『THE HYDE』という本の中で≪Death≫という項目があって、その中でこんなことも語っている。
「盲目的なファンは俺が居なくなって、希望がなくなってしまうかもしれないけど、よく考えてほしい。音楽は死なないから。俺が死んでも、音楽は生き続ける。それが、その人の希望になってほしいと切に思うね。」と。この言葉の通り、HYDEの楽曲はすでに多くのファンにとってエバーグリーンな存在となっている。HYDEは無情な時計の針を止められないことも分かっていて、ライブでどんなにファンが血を捧げても(たとえ話)本物の不老不死なヴァンパイアにはなれないことも知っている。
限りある時間の中で、最上の音楽を作ってくれて、最高のライブで時間を共有してくれる。永遠を夢見るのではなく、止められない時計の針の音を聞きながら、いかに永久的、エバーグリーンになり得る音楽を残せるかと時間と戦っているようにも見える。50歳を過ぎても今なお、反抗心を掲げて、闘争心を燃やしながら、活動の幅を広げてくれているけれど、きっと戦っている相手は他の誰でもなく、時間なのだろう。自身に残された時間との戦いだ。

少し遅れてしまったけれど、2020年1月29日にリリースされた「HYDE ACOUSTIC CONCERT 2019 黑ミサ BIRTHDAY -WAKAYAMA-」を最近やっと鑑賞して、そんなことを考えた。このDVDを観て、HYDEの死生観が垣間見られた気がする。生とは何か、死とは何かという、生まれたこと、生きること、死にゆくことの意味を教えてもらった。心が洗われて、浄化された。

黑ミサ、家で鑑賞するのも良いけれど、いつか生で聞いてみたくなった。名残惜しむように、余韻を残したまま、コンサートの幕は閉じた。50年分の人生、30年分のアーティスト活動、それらすべてを惜しみなく見せてくれた。足早に駆け抜けた50年、ふと足を止めるようにこのコンサートはゆったりした時間が流れていた。穏やかに回顧するように、感謝を込めるように。約156分というそう長くはない時間の中で濃縮されたHYDE半世紀分の人生をたしかに見ることができた。

<This scenery is evergreen>

現在、世界中の人たちが制約された条件下、ある意味、鳥籠の中での生活を強いられている。多くの人たちが忍び寄る死の恐怖も抱えている。こんな時だからこそ、より鳥籠の中でいかに生の、命の輝きを見出せるかと考えることが大切だと思う。何かに捕らわれて悲観するのではなく、どんな条件下にいても明かりは灯すことができる。これまでのHYDE流の生き方は今、鳥籠の中に閉じ込められてしまったすべての地球上の人たちの希望の光になり得るのではないかとふとそんなことも考えたりした。
ライブを開催できない、ライブに行けない分、ライブDVDなどを鑑賞するのも心の安息につながるだろう。今、鑑賞できて良かったと心から思う。

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