3456 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

オリンピック延期による関係者の痛みを想って

SEKAI NO OWARIとMr.Childrenが五輪に寄せた曲

東京オリンピックが延期されることになった。苦渋の決断だったと察せるし、賢明な判断だったとも思う。いま世界がパンデミックに直面していることは、少なくとも誰かひとり(個人)の責任ではないだろう。それでも多くの人が、様々な形で、この「延期」によって痛手を受けている。誰のせいでもないけど、誰もかもが少なからず傷つくという事象は、歴史上、何度となく発生している。

オリンピックに直接の関係はないけど、まずはMr.Childrenの楽曲から、ひとつセンテンスを引用する。

<<誰のせいでもなく愛は その傷口をひろげて>>

***

オリンピックの開催に向けて、海外の選手団や観客を迎え入れようと準備を進めていた人たちの無念は、察するに余りある。知己にホテル業界で働く人や、飲食店に勤める人がいるので、とても他人事とは思えない。この日本という国で、多くの訪問者に快適な時を過ごしてもらうべく、準備するというのは並大抵のことではなかっただろうし、開催の時期が先送りになったことで、露骨に言えば経済的な損失も発生しているはずだ。

それでも一時期、かなり熱心にフルマラソンを走っていた者として、いちばん感情移入してしまうのは、やはりアスリートである。マラソンというのは、号砲からの数時間に最大限の力を発揮できるように、何か月(あるいは何年)もかけて肉体を追い込み、そしてある時点から、意図的に練習量を落とすような、徹底した自己管理が求められる競技である(根性よりも計画性がものをいうスポーツだと私は考えている)。

仮に来年、パンデミックが収束しているとして(もとより皆がそう願っているだろうけど)「それでは、スタートラインについて」と言われても、困ってしまうのがマラソンランナーという生きものだ。みんな条件は同じだと言われるかもしれないけど、レースに対する思い入れが強いランナーほど、ピーキングに神経をすり減らしてきたものではないかと思う。

***

そのような哀しみに届きうる、オリンピックのテーマソングを私が選ぶとすれば、Mr.Childrenの「GIFT」と、SEKAI NO OWARIの「サザンカ」ということになる。この2曲は東京オリンピックのために書き下ろされたものではない(特に「サザンカ」は冬季オリンピックのテーマソングとして起用されたものだ)。

それでも「GIFT」と「サザンカ」は、競技で全力を尽くそうというようなことだけを単純に歌うものではなく、苦しい時間帯を耐え抜こうとする人や、もどかしく何かを待っている人への、エールが込められた楽曲だと私は考えている。それを聴くことが、多くのアスリートの苦しみを軽減しうるのではないかと思う(もちろん東京オリンピックに向けて作られたのも、優れた楽曲だとは思うけど、それについて本記事では触れない)。

***

まずはMr.Childrenの「GIFT」から。

<<長い間 君に渡したくて 強く握り締めていたから>>
<<もうグジャグジャになって 色は変わり果て>>

本曲は「GIFT」を誰かに渡したいと切望する主人公の姿を描いたものだから、<<グジャグジャになって>>いるのは、恐らくは形を持つものだろうと思う。それでも私が、ここから連想するのは、自らの勇姿を見せたいという願いを、ずっと<<握り締めて>>きたアスリートの姿である。オリンピックは原則的に、4年という間隔で催されるけど、4年間、意志を<<握り締めて>>生きるというのは、とてつもなく険しい道だと察せる。その道が今、さらに延びているわけだ。

あるいは新進のアスリートなら、それを「さらに自分を鍛えられるポジティブな待ち時間」と受け止められるのかもしれない。でも、この東京オリンピックを、現役選手としての最後の舞台にしようと心に期していたベテランのアスリートには、この先の1年が、恐らくは長く感じられるのではないか。

その「長く待たされた」結果が<<お世辞にもきれいとは言えない>>成績となったとしても、それを誰が咎めるだろうか。彼ら彼女らが、いま忍んで待っていることこそが、メダルに匹敵する達成なのではないかと私は考える。そして当然、ベストのコンディションで「その時」が迎えられることを(難しい願いだとは分かっているけど)願ってもいるのだ。

<<知らぬ間に増えていった荷物も まだ何とか背負っていけるから>>
<<降り注ぐ日差しがあって だからこそ日陰もあって>>

たとえアスリートの<<荷物>>が増えたのだとしても、自分が<<日陰>>にいると感じているのだとしても、そんな姿をMr.Childrenは見守っているはずだと私は思う。

***

SEKAI NO OWARIの「サザンカ」は、不遇に見舞われる誰かを労わる楽曲であり、その歌詞と旋律は、アスリートに限らない人たちに届きうるだろう。

<<ここで諦めたら今までの自分が可哀想だと 君は泣いた>>

あるいは来年(以降)まで、自身の全盛期はつづかないと悟り、東京オリンピックへの参加を断念しようと考え始めているアスリートがいるかもしれない。ご当人の決断というのは、恐らくは最も大事なものであるはずで、その選択を非難するつもりは全くない。それでも私は、観客のためというよりも、関係者のためというよりも、まさに<<今までの自分>>のために、簡単には夢をあきらめてほしくないと願う。

オリンピックに参加できる人の数は、当然、限られている。これまで選考をめぐってトラブルのようなものが起きた例を、いくつか私は知っている。ベテランの選手に身を引くように促す人の気持ちも分からなくはない。ピークを過ぎた選手が走る様を、誰かが笑うこともあるかもしれない。それでもSEKAI NO OWARIは歌う。

<<いつだって物語の主人公は笑われる方だ>>
<<人を笑う方じゃない>>

アスリートのひとりひとりが、きっとオリンピックの<<主人公>>だ。そして彼ら彼女らが笑われるなら、寄せられる嘲笑の数に反比例するように、その姿は勇ましいものになっていくはずだと思われる。たとえ転倒することがあっても、ふらつくことがあっても、<<立ち上がる限り>>。

<<立ち上がる>>というのは色々な解釈を赦す表現だと思う。車椅子を利用するパラリンピックの選手も、比喩的に言うならば、日々<<立ち上が>>っている。そして競技のなかでも、何度となく<<立ち上がる>>のではないか。

***

オリンピックという催しは、すべての祭典がそうであるように(あるいは人間の生というものが根本的にそうであるように)長く語り継がれこそするものの、永続的に輝くものではないだろう。メダルの色は時が経てばくすんでいき、記録は塗り替えられていき、鍛え上げられたアスリートの肉体も、もちろん永遠にはのこらない。

それでも、たとえそれが「束の間の夢」だとしても、それを見届けようとしている人は多いはずだし、その「束の間の夢」が先送りになっているもどかしさを、きっと多くの人が共有しているはずだ。まだ「世界の終わり」が来たわけではない。

<<いつしか全てはうつろう運命だとしても>>。

※<<>>内はMr.Children「さよならは夢の中へ」「GIFT」、SEKAI NO OWARI「サザンカ」の歌詞より引用

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい