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何もない僕らが追う、美しい世界。

米津玄師と音楽。その先にある「生きる」ということ。

もし私に小学6年の時の自分と話せるチャンスがあったとしたら。と、たまにふと想像することがある。

あの頃の自分にもし何か言うとしたら。
そんなことを真面目に考えている。

そして、毎回辿り着くセンテンスがある。

いつも考える時は、12歳の自分が目の前に座っていることを想像する。
どこで養われたのか分からない想像力を生かして、目の前の自分と話をする。

くだらない話とか、勉強の話とか、色んなことを12歳の自分と話すが、その話をしているうちに何故か毎回涙が溢れでてくる。

そして今の自分は言うのだ。

「ごめんね、自分。」と。
 
 

12歳の時の私は、いわゆる暗黒期だった。

自分は他の人とは違う。
そんなことを思うようになり始めた時期だった。

最近知った事だが、私はHSPという他の人より敏感過ぎる気質を持った人間だった。
私の場合、他の人があまりに気にしないことが強くストレスになっている。

例えば、先生。
「叱る」という行為は、子供の成長のためにかかせないことである。何か悪いことをしてしまえば、叱られるのは当然だとも思っている。
だが私は、人のイライラしている声、怒鳴り声がとても苦手なのだ。
私に向かった叱りじゃなくても、その声の雰囲気、緊迫した空気が、感覚的に言えば、心臓に突き刺さるような感じがする。
胸の真ん中のあたりが凄く痛くなって、辛くて、苦しくて、泣いてしまう。

今思えば、小学校低学年の頃からよく先生の顔色を窺う癖があったような気もする。

だが、先生に「叱らないでください」なんて言うことは出来ない。
叱らなければいけない場面はあるし、そもそも、こんなことを誰かに話せば馬鹿にされると思っていた。
 

だが、何よりも私にとって苦痛になっていたのは「教室」という空間であった。

小学6年生という反抗期に突入し始める時期。
周りの同級生たちは、他人への悪口を覚えたばかりの侮辱的な言葉で軽々と口にしていく。

その言葉が自分自身に向けられていなくても、酷い言葉を口にすることが出来るその空間にいることが苦しかった。

なんでそんなこと言うの?
どうしてそんな酷いことするの?

本人たちに言えるはずもない、痛みを伴ったそんな気持ちが、行き場を無くし、常に身体中を駆け回っていた。

辛かった。
学校に行かなければならなくなる朝を迎えることが怖い。寝ようとしたときに訪れる明日への恐怖で、毎日泣いていた。

だが、その日々はやがて耐えきれるものではなくなってしまう。

とうとう悪口の矛先が自分に向けられた。
と言っても、悪口を言ったのはごく一部の人間で、直接的にいじめられた、という訳でもない。

だけど、それが私の中の糸を切った。
 

全てが嫌になった。

自分の容姿や言動全てに自信を無くした。
自分の居場所はどこにもない。
学校に行くことに対して拒否反応が起こる。
学校に行くことを考えるだけで、怖くて泣いてしまう。
今思えば、軽いうつ状態だったんじゃないかと思うし、思い出すだけでも心苦しくなる。

そこで私は、学校に行かないことを選んだ。

家にいれば、何もストレスは無い。
怖いものもない。
家にずっといて、心を休めたかった。
 

そんな時に出会ったのが、米津玄師だった。
 

学校に行かなくなったちょうどその日に、「Lemon」のMVが公開された。
今流行っている人だという認識はあったため、暇になったついでにMVを見た。

それが、私にとって、私の人生にとって、
とても重要で大切で奇跡的なことであったと今になって思う。
 

「Lemon」にあったのは、まさに、
とても大きな「美しい世界」だった。
 

シンプルなピアノの和音と共に響く米津玄師の声。
そこにスパイスを加えるように突如として鳴る、不思議な音。

ヒールを履いた米津玄師の姿と、世の中の全てを知ってしまった悲しみ纏い、静かに踊る1人の女性の姿。

画面越しでも伝わる、煙の中の星のような雰囲気を持つ教会に差し込む、無機質な光。

それらが不器用に混じり合い、そして、誰も触れられないような「美しい世界」を生み出していく。
 

私は信じられなかった。
この世界に、こんなにも美しい世界があるのか、と。
 

そんな雷に打たれ、呆然として動けなくなっている私の耳に、こんなフレーズが飛び込んできた。
 

『どこかであなたが今
 わたしと同じ様な
 涙にくれ 淋しさの中にいるなら
 わたしのことなどどうか 忘れてください』
 (Lemon)
 

もはや、衝撃どうこうの話では無くなっていた。
私の頭の中は真っ白。
唯一あるのは、目の前に動いている音楽だけ。

そして、その前に流れていた歌詞を思い出す。
 

『受け止めきれないものと出会うたび
 溢れてやまないのは涙だけ』 (Lemon)
 

きっと私は、この美しい世界を受け止めきれていないんだな。そう思った。

その後も絶え間なく鳴り続ける山の空気のような音。
悲しみと光を不器用に帯びた米津玄師の声。

それらが静かに熱を生み出して、そして人間の息が止まるときのように混ざり合っていく。
 

そんな儚き夢の世界は、私がぐちゃぐちゃに泣いて呆然としているうちに終わっていた。

泣いたせいで速まった心臓の鼓動と、何かを告げるように規則的に動く秒針の音だけが聴こえる。
 

私はこの時、初めて音楽に心を奪われた。
 

そして、映画の主人公のように思う。

「なんて美しい世界なんだ」と。
 

そこからの話は、恐らく米津玄師ファンの大抵の人々と同じだろう。

YouTubeの検索履歴の一番上を米津玄師が支配し、その下も関連する言葉が、列を作った。

聴いた。とにかく聴き続けた。
 

そして結果的に、
私の不登校生活は7日で幕を閉じる。
 

学校という世界しか知らなかった私は、
音楽という世界に出会った。
 

今、自分がいる世界がどれだけ醜く見えても、
どこかに必ず「音楽」という美しい世界がある。

当時私を奮起させたこの考えは、
2年たった今でも、私の根底に流れ、
学校に行く勇気になっている。
 

そして、米津玄師の音楽との出会いから約1年後。

私はその音楽と米津玄師を、
この目で見ることになる。
 

2019年2月2日。

米津玄師は、あの時、
ピンク一色に染められた照明に照らされ、
私の目の前に現れた。

ずっと泣いていた。
恐らく隣にいたお兄さんに引かれていただろう。

そして、きっとその時の涙は、
初めて「Lemon」を聴いた時と同じ涙だと思っている。

米津玄師のライブは美術館を見ているようだと評価されることがあるが、まさにその通りだった。
 

目の前で音楽が動いているのが見える。
そしてそれは、
今まで見たことがないほど、美しかった。
 

そして、本編の最後に歌われた「Lemon」。

会場を包む、苦いレモンの匂い。
暗闇で音楽をなぞったあの時と同じように、
私はまた思った。
 

「なんて美しい世界なんだ」と。
 

そして、それまであやふやだった気持ちが、確信へと変わる。
 

「自分の居場所はここだ」
  

その言葉を、私が私の心の中で叫んでいた。

私の悪口を言ったあいつも、
理不尽な世の中も関係ない、

私の居場所があるのなら、
私の居場所は、音楽だ、と。

それからの私の日々は、
音楽にまみれていた。
 
 
 

米津玄師。

「米津玄師の音楽は変わった」
そんな言葉を最近耳にする。

確かに、「diorama」と「BOOTLEG」を聴き比べたら、違いははっきりと分かる。

だが、私が耳にした「変わった」というセンテンスには悲観的な意味が込められていた。
私は「変わった」という言葉に悲観的なものを込めるのは、ちょっと違うんじゃないかと思う。
 

単刀直入に言えば、もし変わっていなければ、「Lemon」の大ヒットは無かっただろう。

きっと「変わった」と思うのは、当初の「diorama」のような独特な世界観が、薄れてきていると感じているからなのではないだろうか。

いや、薄れてきていると言うのはちょっと違うのかもしれない。

米津玄師は雑誌やテレビのインタビュー等で、
「普遍的な音楽を作りたい」とよく口にしている。

彼は、「普遍的な音楽を作りたい」という、いわゆる「目標」を、着実に形にしているのだ。

だから、「変わる」ことに対して悲観的なものを込めてはいけない。否定してはいけない。
 

普遍的な音楽を作りたいという彼の希望を否定する権利は、私たちに無い。
 

それがたとえ、彼のファンであったとしてもだ。
確かに、ハチ時代のような曲をどこかで望む自分はいるが、私たちと同じように、米津玄師の人生も1度きりであり、その彼の人生の中の楽しみや目標を私たちの我儘で保留させてしまうことは、あまりにもカッコ悪い。

そんなことを「変わった」という言葉に対して思う。
 

だが、米津玄師の音楽に変わらないところもある。

それは、何度も口にしている「美しさ」だ。

例えば、「Lemon」。

「Lemon」にも独特な世界観は残っている。
それに普遍的な要素が加えられ、そしてそれらが米津玄師の才能と努力により混ざり合い、あれほどの作品、音楽が生まれたのだ。
 

米津玄師が織り成す変わらない美しさと、進化に伴って音楽が変わったことで、
「Lemon」の大ヒットは必然的なものになった。

そして彼は、トップミュージシャンの仲間入りを果たし、その後も数々のヒットを生み出した。
 
 

米津玄師は「カリスマ」と言われることがあり、私たちファンは「信者」と言われることがある。

確かに、米津玄師は「カリスマ」のようだし、もちろん「カリスマ」と自分の関係性がちょうどいいという人も必ずいるだろう。
 

だけど、「私の場合」、だ。

私の場合、いつかに音楽文に投稿したように、やはり、米津玄師を「カリスマ」と見ることは出来ないし、私は米津玄師を神様だと思っているわけでもない。
 

逆だ。真逆だ。

物理的、事実上で言えば、米津玄師は私のことなど1ミリも知らないし、田舎町と東京という新幹線でも3時間かかるような遠く離れた場所の、いわゆる他人だ。

だが、どうしても他人に見れない自分がいる。
 

なぜなら。

米津玄師は私が辛い時に音楽を鳴らしてくれた。

米津玄師は私の居場所を教えてくれた。

米津玄師はずっと音楽を通してそばにいてくれた。

私にとって米津玄師は、
「カリスマ」でも、もはや「天才」でもなく、

「ずっとそばにいてくれた人」なのだ。

そんな想いが、計り知れないほどの大きな感謝を伴って、ずっと私の中にある。
 

結局、私たちは世界を変えるほどの頭脳も無くて、
財力も、権力もない。
どこか知らないところで決められたルールを、それがたとえ辛いことであっても従って、生きていかなければならない。

それを辛いと思う人もいるだろう。
 

だけど、そこに美しさを見いだして、
必死に生きていたのは、
紛れもない「米津玄師」だった。

手をどれだけ伸ばしても、映画のような世界には届かない。私たちにそんな超能力は無い。けれど、
 

「美しい世界を追い求めて生きる」。
 

ただただ自分が憧れる世界を追い求めて、
時間を忘れて生きていく。

その姿が、何よりもカッコよかった。

何もない私だけど、自分が憧れる世界を追う。
それだけで、私は生きていける。

そんな想いを持った人間を、
米津玄師は、今も昔も歌っていた。

だからこそ、何も出来ずにもがいて、だけど、ずっと何かを追い求めている人々に支持されているのだ。
 

12歳の頃の私も、きっと何かを追い求めていた。
今の私は、12歳の私にいつもこう言う。
 

「ごめんね、自分。
 自分のやりたいことに気付けなくて。
 
 だけど、大丈夫。
 これから美しい世界があなたを待っている。
 
 それが自分にとって大事だと思ったら、
 それをずっと追い求めて。」 と。
 
 

私たちは何もない。
だからこそ、何かを追い求められる。
 
 

その先陣を切るのが、
 

米津玄師だ。

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