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あの日見たOfficial髭男dismはヒゲダンではなかった

これは「宿命」なのか

宿命とは『生まれる前の世から定まっている人間の運命』である。
 
 

自然による災害とも人間による戦争とも違う、目に見えない敵とのこの戦いはある意味「肉体的かつ精神的な戦争」であると感じられる今日この頃だ。会社の産業医が「感染しても無症状の人がいるということが一番の朗報であり一番の悲報でもあります。」と言っていて、そのあまりに秀逸な表現に初めて会社の会議室で唸ってしまいそうになった。
 

私の故郷はOfficial髭男dismの故郷と同じ山陰だ。そしてボーカル藤原聡と全く同じ年に同じ県で生まれた約6,000人の「自称同級生」の内の一人を勝手に名乗っている。そんな故郷は結界を張っているようにこの新型のウイルスから未だに守られているらしく、それを遠くから見てさすが我が田舎と少し喜んでいた部分もあったのだけど大いなる間違いだった。
 

私は今、故郷に帰省することすら許されない状況に追い込まれた。地元の友達が、子どもの通う保育園から届いた一通のメールを送ってきた。「東京・大阪・兵庫にお住まいの方と直接会うことは例え親族であってもお控えください。やむを得ず直接会う場合は、必ず事前に園に連絡をお願いします。登園時に健康診断を行わせていただき、体調次第では登園禁止等の処置を取らせていただく場合があります。ご理解ください。」思った以上にショックだった。あ、私は今ここに住んでいるだけで「病原体」のようなものだとみなされるんだ。もう今は地元に帰って友達やその幼い子どもと遊んだり、年老いた祖母に会いにいくこともできない。
 

今まで自由に当たり前にできていたから気づかなかった。自分から切り離された瞬間、それは手を放してしまった風船のようにゆっくりと空高く昇っていく。今までそれを手に持っていたことすら気づいていなかったのかもしれない。手から離れた瞬間に、自分から離れていくのを眺めている時に、それを持っていたことに気づく。「大切なことは失ってから気づく」というのはこういうことだと思う。もう今の自分には手が届かない。ただゆっくりと昇っていくのを眺めることしかできない。いつしかそれは見えなくなる。何も見えない。それはいつか自分の元へ戻ってくるのだろうか。それすらわからない。
 

このたった1ヶ月の間に、行くはずだったライブがあっさりと5本消え果てた。1本消えていくごとに感覚と感情が鈍麻していく。殴られ続けていると痛みに慣れてしまうというのはきっとこういうことだ。ショックは受けている内が花なのかもしれない。いつしか振り替え公演の日時が発表されても喜べなくなった。5本目の延期のお知らせが来た頃には、正直ライブに行く気すら失せていた。ライブが開催されること、マスクが売っていること、外食に行くこと、友達と会うこと、帰省すること、何もかもが当たり前ではなくなった。何もかも、失ってからでないとその有難さに気づくことができない。仕方がない。人間の脳はそういう風に最初からプログラムされている。仕様なのだ。それがデフォルトなのだ。情けないけど、それが自分が人間であることの証だ。
 

「自分が大切な人に会いに行くことで、大切な人を苦しめ失うことになるかもしれない」という一見異常な論理が、今この世の中においては正常となってしまっている。今や「大切な人に会いに行くことで、自分も相手も喜ぶ」という論理の方が異常になってしまった。世界は今、逆転している。
 

そんな混沌とした今、ヒゲダンが生放送の音楽番組に出演するのだという。このご時世に、明らかに密閉された空間であるスタジオに色んなアーティストが集まり生放送だなんて大丈夫なのだろうかという一抹の不安がよぎった。
 
 

が、それは本当にどうでもいい不安だった。
 
 

演奏前に、いつものヒゲダンがいつものようにマイペースにわちゃわちゃと喋るVTRが流れる。消え去ってしまったアリーナツアーで披露するはずだった10人編成での演奏や、今日披露する2曲について語る。「I LOVE…」については「人生の価値観を変えてくれた人たちへ感謝と愛を伝える曲」のように説明し、「宿命」については「自分がライブでやっていて一番熱が入る曲」のように説明していた。そこにはいつも通りのヒゲダンがいた。
 
 

そのままいつも通りのヒゲダンが見られると思っていた。
 
 

スタジオにメンバーが入ってきて、「I LOVE…」の軽やかで幸福なホーンサウンドのイントロが始まった瞬間にその場の雰囲気が一変したのをテレビ越しにでも感じた。9人の演奏を後ろに、ハンドマイクを持ちステージを縦横無尽に軽やかに移動する藤原聡。ピアノの前に座り両手を動かしながら歌っているその姿とはまるで違う。羽根が生えて自由になったかのように、頭の先からつま先まで、指の先までをフルに使って力強く「感謝と愛」を表現していた。9人の演奏の前でもはや「舞って」いた藤原聡は、間違いなくボーカルではあるのだけど9人の演奏をまとめあげる指揮者にも見えた。
 

この曲では、自分の何気ない日常の中で価値観を変えてくれるような大切な人や物に突然出会うことを《まるで水槽の中に飛び込んで溶けた絵の具みたいな イレギュラー》と表現している。そして今、私はそんな《絵の具》のような大切な存在にことごとく会えない状況に置かれている。4月20日のMr.Childrenのライブにも、3月5日のKing Gnuのライブにも、4月19日のスピッツのライブにも、3月3日のXIIXのライブにも、3月21日のOfficial髭男dismのライブにも行けなくなった。水道代の振込の締切の日時はどうも覚えられないのに、ライブのある日付だけは一瞬で覚えられるし忘れられない。今まで自分の人生を彩ってくれた大切な音楽という存在に直接会えない。地元にも帰れない、友達にも会えない、身内にすら会えない。
 

もしかしたら、彼ら自身も今同じような事を感じているのかもしれない。アリーナツアーは延期が続いている。私と同じように地元にいる大切な人達に対して歯痒い気持ちを抱えているかもしれない。そんな気持ちは、9人の演奏とそれを見事にまとめあげる藤原聡の表現により見事に昇華されていた。
 

それはもはや「医者とナースの恋模様」のための曲ではなかった。あらゆる人の人生を彩るあらゆる《絵の具》のような存在を讃え感謝と愛を伝える曲。壮大だ。あまりにもスケールが壮大すぎて度肝を抜かれた。少なくとも、他の番組で観たこの曲とは全くスケールが違う。今、この時だからこそ、この時にしかできないパフォーマンスだと思った。もちろんこの曲は、こんな事態を想定して作られた曲でもなんでもないだろう。しかし、今この時だからこそストレートに突き刺さる。ピンチをチャンスに、なんて陳腐な言葉で表現したくはない。しかしこの混沌とした空気すらグッドミュージックに昇華してしまう彼らの底知れぬ「力」を感じた。運やタイミングやタイアップのおかげではない。そんなものが転がってきたって、掴み取らなければ意味がない。間違いなく、彼らにはそれを掴み取る「力」があるのだとこの時感じた。
 
 

しかしこれは残念ながら前菜だった。決して「I LOVE…」を卑下しているのではない。こんな圧倒的なパフォーマンスを「前菜だった」と言わざるを得ないくらい、次の曲が凄まじ過ぎただけなのだ。
 
 

音楽にとって「タイアップ」というのは諸刃の剣だ。アーティストや曲の知名度を一気に高める最強の武器にもなり得るが、そのイメージはいい意味でも悪い意味でも曲にナイフのように突き刺さり抜けない。
 
 

「宿命」は私の中で「高校野球の曲」でしかなかった。それ以上でも以下でもない、ただ「高校野球の曲」だった。
 
 

だから正直この時も「なぜ今、宿命なのだろう」という疑問を抱いていた。「I LOVE…」は最新のシングル曲だし、まあわかる。ヒゲダンにはひたすら人々を幸せにできるハッピーな曲が他にもあるのに、なぜ宿命?という疑問を消し去ることができなかった。
 
 

しかし曲が始まり、最初のフレーズを聴いた瞬間にそれは消えた。
 
 

《心臓から溢れだした声で
 歌うメロディ 振り向いた未来
 君から溢れだした声と
 合わさって響いた 群青の空の下》
 

この混沌とした毎日の中ですっかり忘れてしまっていた。芸能人が亡くなっただとか、今日は何人が感染して何人が亡くなっただとか、ロックダウンだとか、クラスターだとか、緊急事態宣言だとか、そんな人間の生命がかかった巨大なインパクトを持つ情報に流れ流され忘れていただけだった。
 
 

春の甲子園は、中止になったんだった。
 
 

《夢じゃない 夢じゃない 涙の足跡
 嘘じゃない 嘘じゃない 泥だらけの笑顔
 夢じゃない 夢じゃない 肩を組んで叫びたい
 僕らの想い 届け!》
 

「I LOVE…」もそうだが、この「宿命」もこんな事態を想定して作った曲ではないと思う。でも不思議だ。あの夏聴こえてきたこの曲と、今この春に聴こえるこの曲は、同じなのに違って聴こえる。あの夏に鳴っていたこの曲は、今この春に形を変え響く。こうしてどんな場面であっても人々の気持ちにピッタリはまってしまう汎用性や柔軟性を持つ音楽こそ「名曲」と呼ぶにふさわしいのだと思う。
 

《嘘》だとか《夢》だとか、そうであってほしいと思うような衝撃的な出来事が現実に簡単に起こる。そんな中《夢じゃない》《嘘じゃない》と、今この世界に転がっている不条理や理不尽を全て正面から飲み込んで吐き出すように顔を歪め歌う藤原聡は、もう私が今まで知っていた藤原聡ではなかった。そこに柔和で温厚なコアラの面影はなかった。
 

《奇跡じゃなくていい 美しくなくていい
 生きがいってやつが光り輝くから
 切れないバッテリー 魂の限り
 宿命ってやつを燃やして 暴れ出すだけなんだ》
 

もうこのフレーズに差し掛かる頃には私はテレビを見ながらベロッベロに泣いていた。いつぶりだろう。テレビ越しに本気で心が動いてしまったのは。テレビを見てここまで感動したのはいつが最後だろう。思い出せもしない。テレビなんてそんなもんだと思っていた。間接的な映像なんて、歌番組なんて、そんなもんだと思っていた。でも違った。重要なのは手段や方法ではなかった。中身だ。何もかも薄汚れ偽物がまかり通るこんな今だからこそ、本物がテレビの中でただ当たり前のように光り輝いているだけだ。
 

ここで、私の中で「高校野球の曲」だったこの曲が「現状を表現する曲」に変化していく。両者はお互い混ざり合い、マーブル模様のような様相を見せる。今この世界が「非常時」と呼んでも差し支えない状況に陥っていることは事実である。そして幸せは絶対的なものではない。その人や状況によって変化する。今はもう、奇跡じゃなくてもいいし、美しくなくてもいい。奇跡や美しさを望んでいたあの日々は今はもうない。今は、ただ平穏があればいい。しかし奇跡や美しさを望んでいた日々を羨み、平穏を求める今を嘆く必要はない。「幸せ」が形を変えただけなのだ。そのどちらも「幸せ」であることに変わりはない。今自分にできることは、ただじっとバッテリーを切らさずにいること。無理矢理頑張る必要もない。ただ、バッテリーさえ切らさなければまた動き出せるはずだ。その日がやってくるまで、今できることをして己を充電するしかない。
 

《沈黙が続いたイヤフォン
 自分の弱さに遠ざかってく未来
 「大丈夫」や「頑張れ」って歌詞に
 苛立ってしまった そんな夜もあった

 夢じゃない 夢じゃない あの日の悔しさと
 忘れない 忘れない 掌の爪痕
 無駄じゃない 無駄じゃない それも全て讃えたい
 もうあと少し
 
 願いの熱さに 汗まみれになったり
 期待背負って立って 重さに臆病になるけど
 僕らの背番号 それは背中じゃなく
 瞳の奥のアンサー 重なって 照らしあってくFOREVER》
 
 

もはやこの時藤原聡は床にしゃがみ込み歌っていた。もうこの曲は「高校野球の曲」ではない。今この時に人々が抱えている嘆きや悲しみや憎悪や鬱憤、そしてまだ少しだけ抱いている微かな希望を表現しているように聴こえた。今の悔しさや虚しさは忘れてはいけない。決して無駄ではなかったと、こんな日々すら讃えられる日がきっといつか来る。《もうあと少し》が一体どれくらいなのかも見えない今。これからこの世界がどう動いていくかは、一人一人の行動にかかっている部分もあるのだと思う。いうなれば一人一人が《背番号》をつけているイメージで、それぞれ違うポジションで違う役割で一人の個人としてできることを全うすべき時なのかもしれない。それぞれが秘める《瞳の奥のアンサー》はそれぞれ異なるだろう。自分、家族、友達、仕事、生活、お金、健康。皆がそれぞれに異なる守るべきものを抱えている。こんな時だからこそ、「守るべきもの」に目を向けたい。人々がそれを重ね合えば、何かが照らし合えるのかもしれない。
 

《緊張から不安が芽生えて
 根を張るみたいに 僕らを支配する
 そんなものに負けてたまるかと
 今 宿命ってやつを燃やして 暴れ出す

 届け!
 奇跡じゃなくていい 美しくなくていい
 生き甲斐ってやつが光り輝くから
 切れないバッテリー 魂の限り
 宿命ってやつを燃やして 暴れ出すだけなんだ》
 

そうだ。今、支配されているものに負けてたまるかよ。音楽は、人間は、脆いけど強い。今はひたすらにそう信じていたい。皮肉にも「ライブ」という場は真っ先に倒れ消え果てたが、この世界に平穏が戻ったことを告げられるのも「ライブ」という場しかないのだと思う。いつか「ライブ」という場で再び鳴り響く音や声が、この世界に平穏が戻ったことを告げる「祝砲」になると思う。
 
 

「宿命」とはなんだろう。今巻き起こっている出来事に自分が巻き込まれていることは「宿命」なのだろうか。そんなことは、誰にもわからない。
 
 
 

《ただ宿命ってやつをかざして 立ち向かうだけなんだ》
 
 
 

その真っ直ぐ突き上げられた手が、ただ、どこまでも、誇らしかった。
 
 
 
 
 

※『』内の出典は 小学館/デジタル大辞泉

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