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ceroはその航路を< http >へと変えて。

「Contemporary http Cruise」について、1.4のこと。

 ceroが開催する全国ツアー「Contemporary Tokyo Cruise」はその航路を〈http〉に変更せんと舵を切った。と格好良く文章を走り出させたいのだが、httpってwebサイトとかのテキストのことで、動画配信とかとは関係ないんじゃない?とひっかかる。そもそもIT基礎知識がないので、httpって何だ?と思って調べるが阿保なのであまりピンとこない。しかし〈ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル〉という響きは最高だし、ceroっぽいなとも思う。
 
 

・Contemporay http Cruiseについて、1つ目のこと。
 

 今回敢行されたceroのツアーはコロナウイルスの煽りを受けて、急遽電子チケット制ライブの試みへと移行した。リアルタイム配信、その後1週間はアーカイブ視聴が可能となる。このような配信はceroに限らず、公演が中止となったライブハウスでせめてもと「無観客ライブ」として行われ、一種のムーブメントとなっている。ライブハウスが矢面には立っているが、きっと舞台などでも同じ流れが進むのだろう。
 知ったような口、いや、フリックで書いてしまったが、実はcero以外の配信ライブはちゃんと見ていない。画面越しに見るのは消費しているようで何だか勿体無いなあという気持ちはもちろん、本音を言えば日々の忙しさが理由だ。しかし、それは誰にも当てはまるもので、ライブハウスに足を運ぶとなると尚のことではないだろうか。本ツアーに関しても4都市を回るにとどまり、必然的に遠出を強いられるファンもいたはずなのだ。近場とて貴重な休日を割いてライブに行く気になれないことがある。音楽愛は労働に負けることがある。
 そんな割と昔からある、どうしようもなかった問題に対して、このムーブメントにより新たな選択肢が生まれたという側面もある。結果として彼らを応援する新たなきっかけができたのは良い。
 というのはSNS等でよく見受けられる話で、なるべくイイねを稼ぎたい私が書く主題は次の点である。今回の「無観客」という困難に対してceroが、結果論ではあるが表現における面白い取り組みを生み出せたのではないかということである。

 ライブハウスという密室構造が窮地に立たされる中、様々なアーティストがピンチをチャンスに、ではないけれど無観客ライブを敢行した。それは単なる代替案に終始せず、あるいはナンバーガールの場合、無観客を逆手に取ったコンテンポラリーダンスや、画面越しという制約をうまく利用した演出を行っていた。向井秀徳が幾本もの煙草に火をつけて、カメラに向かって拳銃を発砲する。見たことないけどvシネマみたいな、そんな日本映画特有の湿めっぽさを、ジリジリとにじり寄るカメラワークと焦燥感溢れるサウンドから感じた(向井秀徳も昔『映画を撮りたい』って言っていた気がする)。
 一方のceroはどうだっただろうか。ナンバーガールが「煙草と拳銃」なら、ceroは「観葉植物とパーティー」というパンチラインを組み込んできた。
 

 中盤までは髙城晶平(vo)の愛らしいMCを挟みつつの従来の流れではあったが、新曲「Fdf」の間奏で髙城と橋本翼(gt)が大きな観葉植物を運び始める。ステージ正面(通常のライブであれば、観客席のあたり)へと30代男性2人がかり、中腰で移動させる妙な間抜けさと、観葉植物のインパクト、都会的な音楽が混ざり合い、処理仕切れない空気に完全にヤラれる。
 運んだ先にはフルーツやドリンクが並んだホームパーティー前の居間のようなセット。これは何の伏線?と思うが、特に何事もなくそのままステージに戻る(実はライブ冒頭、メンバーがしっかりこの居間からステージへと向かっている)。曲が終わるとメンバーがステージを退場し始めるので「ライブ終わりか!結構短いな!」と思うも、しっかりBGMも流れている妙な違和感。
 やおら先程の居間にメンバーが集まり、机の上にあるフルーツやドリンクに手を伸ばす。居間の正面にはセッティングされた機材とVJと1人の男。VIDEOTAPEMUSIC × 髙城晶平へとシームレスに繋がり、その他メンバーは曲に合わせて踊り、さながらアフターパーティーの様相である。揺れる肩、ドリンクや食事が運ばれる口元、最高の音楽。パーティの断片のような一瞬一瞬が切り取られ、ややスノッブな気もするが、そのムードには少なからず高揚した。それはシティボーイ御用達のPOPEYEを読んでいるのがバレるのは恥ずかしいが、とはいえ部屋特集は好きだし結局読むよなあ、という共感を得にくいソレに似ている。
 

 いわゆる一般的なバンドのライブは「ステージ」と「客席」という関係上、観客の私たちに固定されたアングルを強いる。全てのライブハウスが、縦横無尽な広さを持っているわけではない。しかし、生のライブの中でありながら今回のような無観客故の奥行きと、複数のカメラマンの可動域を前提とした映像演出は、記録映像的なライブDVDともまた違うものを生んだ。もともと、髙城が芸術系の大学で演劇を学んでいたこともあり、初期のceroのライブには演劇的な試みがあったので彼らからしたら延長線上、もともと在籍していたフィールドに少し重心をずらしただけかもしれないが、今回のライブとパーティが突然に混ざるような演出は、急遽決定した配信ライブの試みとしては、なかなかに小慣れて見えた。
 無観客なライブをポジティブに捉えれば「観客」という制約を振り切ったとも言える。今回のライブは彼らが経験値として持ち合わせた演劇的な感性を流用して、生のライブと演出がシームレスに交わり、それが映像という編集可能性によってより効果的な「リアルタイム性のあるミュージックビデオ」のようなものになったのではないだろうか。緊急ライブなのでどこまで思案された取り組みかはわかりかねるが、この困難に対し、結果として攻めの取り組みに転じて着地できたのは事実だ。
 ナンバーガールの取り組みが「焦燥と衝動」を上手くパフォーマンスできていたように、ceroもまた「都市生活者」としての音楽性を興味深い形でアウトプットした。
 
 

・0.4のことについて、余談

 この配信制ライブ、便利すぎて浸透したら生のライブに人がこなくなっちゃうんじゃないか…?という浅めの心配をしていたが、やっぱり生で見たいなと思った。音のことはもちろん、うちのWi-Fiが良くないのでレイテンシー(0.4)がどうしても生じてしまうのだ。
 …ひどくつまらない上にレイテンシーの意味も微妙に違うような。でも〈レイテンシー〉という言葉の響きも、〈ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル〉に劣らずイケていると思う。

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