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10分に鳴る『言葉を持たぬラブレター』

Mr.Childrenが子守唄だった私と「365日」の話

14時28分。

雨が降っている。
灰色と黒色の見事なコントラストを纏った雲が、部屋の窓枠を額縁のようにして、どこかの美術館に飾ってありそうな小さな絵画のフリをしていた。

不規則過ぎる雨音。
その音を真剣に聴いてみようと耳に神経を集中させ目を閉じていたら、知らないうちに1時間が経過していた。時は本当に規則的に動いているのか?と、誰もが抱いたことのある疑問をぼんやり脳に透写する。答えは出なかった。

漫画に出てきそうな、脇のほうで目が点々だけで表されている野次馬的なキャラクターみたいな顔をして、必要最低限の臓器だけ稼働させて、時間が足早に過ぎていく空間に流される。そんなことをするのがここ最近増えてきた。

よく分からない罪悪感に毎回襲われるが、その行動がそんなに嫌いではない自分がいる。

心臓がフニャッとなる。
少しでも触ったら崩れ落ちそうなくらい、心臓が柔らかくなるのだ。

そして、その状態で音楽を聴く。
それがまだ未成年の私にとって、アルコール的な役割を果たしている。

目の前にあるウォークマンに手を伸ばす。
BUMP OF CHICKENにしようか、いや、今日は米津玄師にしようかな、ああでも、あいみょんもいいなあ。RADWIMPSの手も、あ、King Gnuもありだな。

そんな感じで、プロゲーマーに負けないスピードで手を動かし、ミュージシャンの名前を目に映していった。
 
 
 

14時30分。

Mr.Childrenの欄を開いた。
そして、曲を選んでいく。

いつもミスチルの曲の中から1曲を選ぶ時間というのは、懐かしさが私の中に渦巻く時間でもある。

何言ってんだ、まだ14だろ。と言われるかもしれないが、これでもミスチルは、恐らく10年以上聴いてきた。

私の母が、ミスチルの大ファンなのだ。
だから物心ついた頃には、移動する車の中は、ミスチルのCDが流れているか、MVが流れているか、ライブDVDが流れているかの3択だった。まさにミスチルの英才教育。

そんな私だが、年をとるにつれて自分の好きな音楽というのを確立し、一時期ミスチルは、「母が好きなバンド」というレッテルを貼られ、どこかに置き忘れていた。

だが、約2年前。
私は何気なく聴いた「Starting Over」に衝撃を受ける。

ただ単純に「カッコイイ」と思った。
「母が好きなバンド」というレッテルを、ビリビリに破り捨てた瞬間だった。

母の若き日の埃を被ったCDを引っ張り出し、今度は私の青春の埃を被せるために聴き漁る。

その時初めて分かったのだが、私はほとんどの曲のタイトルを知らなかった。
幼い頃に聴いてきたからしょうがないのかもしれないが、有名な曲も、よく聴いていた曲も、何も分からなかった。

だが、私は気付く。
恐らくミスチルファンの中にそんなにいないであろう、「この曲はこんなタイトルだったんだ!」、「このタイトルはあの時聴いてたあの曲か!」という宝探しゲーム的な最高の特権を持っていることに。

自分にとって「ドアをノックする唄」は「終わりなき旅」っていう曲名だったのか!
ライブで「もう一回~」と歌う曲は「HANABI」だったのか!
何故か観覧車のイメージがあるこの曲は「箒星」っていう観覧車の「か」の字もない曲名だったのか!

幼い頃の記憶と目の前にあるタイトルを、星座を探すように点と点で結んでいき、そして、結ばれた時は、失くした大切なものを数十年ぶりに見つけた時と同じような感動が生まれる。

そんな思い出のようなヴィンテージ色の感情が、大きくなった雨音によって呼び起こされているうちに、1曲が決まった。

「365日」

私が5歳の時にリリースされ、恐らくライブ会場で本物を聴いているこの曲。もしかしたら私は、この曲で1年が365日だということを覚えたかもしれない。

とにかく美しい。
そんなイメージを「365日」に対して持っている。

もう少しで寿命を迎え超新星爆発を目前にしている、揺らぐ光を纏った星のようなこの曲に淡い期待を抱きながら、私は再生ボタンを押した。
 
 
 

14時31分。

太陽の面影に似た空気と、小指にできた小さな傷さえも優しく抱きしめる美しい旋律が聴こえる。

その中できっと鳴っているであろう、羊毛で出来たハンマーが弦を叩く音と、人間が触れた木の音色を探す。

ありえない程に美しい。

オーケストラサウンドとピアノ、それだけで私たちは運命から手の届かない場所に立っているような気分になる。そして、それに毎回感銘を受ける。

クラシックピアノを6歳から真面目にやってきた身としても、これほどピアノという楽器に誠実で、そして大胆なメロディーは、邦楽界の中でもトップクラスの美しさを持っているだろう。

まさに桜井和寿らしい、曲のはじまりだ。

そして私は、そのミスチルワールドに心をかよわせていく。崩れ落ちそうな心臓に、夕焼けの海の色と星空の端にくるまっている空の色が混ざり合った音符が入り込む。

そして、刹那の静寂の後、桜井和寿の私たちが知らない空気を優しく吸う音がした。
 

『聞こえてくる 流れてくる
 君を巡る 抑えようのない想いがここにあんだ
 耳を塞いでも鳴り響いてる』
 

シンプルなピアノの寄り添いと、心臓から少しそれた場所に響くゆっくりとした低音。

馴染みがあるはずの桜井和寿の声は、人間が一生触れることの出来ない魔法によって、暗闇に輝くクリスマスツリーの星のように特別なものになっていく。

それらが、初めて恋人同士が手を繋ぐ時のように混じり合い、溢れ、止まない、そして、鳴り、響く、惑星よりも大きな思いの輪郭を露にさせる。
 

『君が好き 分かっている 
 馬鹿げている でもどうしようもない
 目覚めた瞬間から また夢の中
 もうずっと君の夢を見てんだ』
 

それまでよりもさらに深い場所へと誘うバスドラムと、いつかの綺麗な映画で見た妖精が纏うオーラのような音。

それらが『君が好き』という、ストレートで、だけどどこかに影を潜ませる言葉に、静かな熱を与えていく。

何気ない風景にある、コップから水が溢れ出す様と同じ、この唄の中にいる主人公の思いが伝染して、名前の持たない感情が心臓を渦巻いていく。
 

『同じ気持ちでいてくれたらいいな
 針の穴に通すような願いを繋いで』
 

「針の穴に通すような願い」。
あまりにも切実で、あまりにも儚くて、そして、微かな光を持つその歌詞が、桜井和寿の声に乗る優しいビブラートに連れられ、細いけれども永久に切れることのない糸のように真っ直ぐ届く。

そして、私の耳に流れ込む音たちは、柔らかで静かな熱を持ってゆっくり歩いていく。
 

『365日の 言葉を持たぬラブレター
 とりとめなく ただ君を書き連ねる
 明かりを灯し続けよう
 心の中のキャンドルにフーっと風が吹いても
 消えたりしないように』
 

「なんて美しいメロディーなんだ」

そんな想いが静かな風にのってくる羽のように溢れてくる。

当時小学校にもあがっていなかった私は、このサビの部分が大好きだった。
歌詞の意味もよく分からない。ラブソングなのかどうかも知らない。

だけど、今でもはっきり覚えているのは、
「この唄は大切な人のために歌っている曲なんだ」
ということを確信しながら聴いていたことだ。

「言葉を持たぬラブレター」とは何だろう。
そんな疑問さえも浮かばないほど歌詞を理解していなかった。

それでも、この曲は、
私にとって大切な人。そして、誰かにとって大切な私。その全てに寄り添っていた。
そのことを、幼い私はこの美しいメロディーから感じ取っていた。感じ取ることが出来た。

あの頃からだいぶ身長が大きくなった私は、幼い私が感じていたメロディーの根底にある何よりも大切なものを、必死に拾い集めていく。
 

『例えば「自由」
 例えば「夢」
 盾にしてたどんなフレーズも
 効力を無くしたんだ
 君が放つ稲光に魅せられて』
 

いつもだったら映画の主役のような役割を持つ「自由」や「夢」を「盾」と言ってしまえる。そして、それほどの力を与える「稲光」。その間に流れる、運命や時間や定めにも勝ってしまうほどの互いを思うその繋がりが、とても美しい。

始まりよりもテンポ感を持ち始めた音たちが、その美しい関係に見とれるようにゆっくりと進んでいく。
 

『「ひとりきりの方が気楽でいいや」
 そんな臆病な言い逃れはもう終わりにしなくちゃ』
 

そんな小さくて強くて大きい決意を、弱っている虫を雨風から守る手のように硬く確実なものへと変え、それまでとは比べ物にならないほどの、天体も追い付くことが出来ない大きさを持って、私の身体の全てを揺るがした。
 

『砂漠の街に住んでても
 君がそこにいさえすれば
 きっと渇きなど忘れて暮らせる
 そんなこと考えてたら
 遠い空の綿菓子が
 ふわっと僕らの街に
 剥がれて落ちた』
 

刹那的な時間の中に流れる、様々な感情、情景、空気、自然。それら全てが混ざり合い、「僕」と「君」の間、周りの空間全部を何よりも美しいものにしていく。

儚さを纏った情熱。

それがあまりにも美しい。
 

冒頭に流れたあの旋律が、今度は様々な音を連れて、そして重なって、私に向かって鳴り響く。

それは誰しもが見ることの出来ない、壮大過ぎる暗闇と微かな光にまみれた宇宙と、いつも隣にある日常という小さな眩い光に似ていた。

私の細胞1つひとつに入り込み、そして、自らも光っているのではないかと錯覚してしまうほどのエネルギーを発生させる。
 

だが、やがて、
微かな静寂が訪れ、ピアノと声だけが残る。

そして、それまでの熱も静寂も、
全てが何よりも美しいものなのだと知る。
 

『君に触れたい 心にキスしたい
 昨日よりも深い場所で君と出逢いたい』
 

その全ての美しいものがまた混ざり合い、
輝きを放っていった。
 

『365日の 心に綴るラブレター
 情熱に身を委ねて書き連ねる
 明かりを守り続けよう
 君の心のキャンドルに
 フーっと風が吹いても消えぬように
 365日の 君に捧げる愛の詩』
 

「言葉を持たぬラブレター」
「心に綴るラブレター」
それはきっと、「君を誰よりも想う」という、この世の中で1番美しく、そして言葉よりも強い繋がりを持つラブレターなのだ。

その最高に煌めいている輝きに触れる。だけど、どうしてかその輝きに触れた手が震えている。
私は、それほどに美しい「言葉を持たぬラブレター」を知らないのかもしれない、と思った。

でも、この唄は、

でもこの唄は、「言葉を持たぬラブレター」を知らない、私のそばにも居てくれている。
そんな唄なのだ。

もしかしたら私の母も、この優しさに触れて寂しい夜を乗り越えてきたのかもしれない。

私の「言葉を持たぬラブレター」を贈る相手は、
一体誰なのだろうか。

そんな淡い疑問も、今この瞬間に流れる美しすぎるメロディーの輝きに、太陽に隠れた星のように消えてしまった。何故か抱きしめられているみたいだ。

そして、抱きしめられている心臓へ、今降っている雨と似た静寂が再び訪れた。
 

『聞こえてくる 流れてくる
 君を巡る 想いのすべてよ
 どうか君に届け』
 

これほどまでに強く抱いた、美しい君を想う大きな気持ちを、君に届けたい。それを切に願う人。
その姿が、夕日に見える一人のシルエットのように浮かびあがり、そして切なさも儚さも、希望も愛も、全てが混ざり合って、さらに美しいものとなっていった。

そして、Mr.Childrenの「365日」は終わりを告げる。
 
 
 

14時36分。

雨が降っている。
8分前と何も変化のない雲が、まだ絵画のフリを続けているものだから少し驚いた。

今日は珍しく、最後まで泣かないで音楽を聴いたな。

そんな他人にとっては病んでるのかと疑われるようなことを思いながら、いつもどおり過ぎて逆に恐ろしくなるドアノブをひねり、寝室を出る。

リビングへ向かった。
テレビが着いている。そして、恐らくこの数ヶ月で100回以上聞いているワードが耳に流れ込んできた。

「新型コロナウイルスの感染者数が――」

いよいよ、私の住む田舎街にも感染者が出てしまった。

あれほど楽しみにしていた修学旅行も白紙、家からほとんど出られない退屈な日々。

だけど、そんな憂鬱なことなど、どうでもよくなるような数字が、今私の目に映っている。

「死者が○万人を超え――」

この言葉を聞いたとき、さっきまでは出てこなかった涙が、急に溢れでてきた。

知り合いが死んでしまったわけでもないし、亡くなった方々の名前を知っているわけでもない。

だけど、
もしかしたら防げたかもしれない死を迎えてしまった人々が、こんなにもたくさんいることに衝撃を受けてしまった。

メディアでは、「死者」という名前をつけられ、他人事にしか聞こえなくなる数字で片付けられてしまっている。

だが本来なら、そのとてつもない膨大な数だけ、何十年という美しい人生があり、そして、少なくともその数の倍の人数の「死者」の「大切な人」がいる。

どれほど辛いだろうか。
そんなことを考えてしまう。私の良いのか悪いのかも分からない癖だ。

だけど、思う。

さっきまで聴いていたあの唄は、今次々と消えていく関係の延長にいる人々の唄なのではないか、と。

いや、その美しい関係は、消えてはいないだろう。

その理由は、全て「365日」の中に詰まっている。
桜井和寿が描いた歌詞も、キラキラと輝く音の粒たちも、防げたかもしれない死を迎えてしまった人々を、必死になって優しく抱きしめている。

この唄は、今のこの時代にとって、
全く知らない人々の死の周りに生きる美しい関係を、全く知らない私たちが確認するための唄なのではないか。

亡くなっている人々に「死者」というレッテルを付けてはいけない。

私たちだけでも、きっと在ったであろう、この唄に見える美しすぎる関係をちゃんと見つめて、心に刻みこまなければならない。

少なくとも私は、そうしなければ心が持たない。

防げたかもしれない死を迎えた亡くなっている方々を、他人事だと言って放棄することは、あまりにも残虐過ぎる。

休校になって、もう1カ月以上が経過した。

その長い期間の間、たくさんの人々が亡くなっていく様をありありと見せつけられ、そのことがショックで、何度もどこに向けられているのか分からない涙を流してきた。

でも、その答えが見つかった気がする。

私が名前も知らない亡くなった人々を想って涙を流すこと、それこそが、「言葉を持たぬラブレター」なのではないか。
 
 
 

14時38分。

雨が止んでいた。
太陽が見える。

こんな時にも、自分自身の涙を音楽に関連づけてしまった。

やはり私は音楽バカなのだと痛感する。

だけど、こんな私だが、
もう亡くなってしまった方々が、その方にとって大切な人々の愛によって、「言葉を持たぬラブレター」によって、天国に行けることを、
心から願っています。
 
 
 

(『』内はMr.Children「365日」歌詞より引用)

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