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Mr.Childrenにはなれないけど

夢破れた胸にも鳴り続けるメロディー

夢は叶わなかった。

29歳の時、そう日記に書いた。それから10年という歳月が流れた。

書いた時点で思ったことであり、いま読み返しても思う事であるのだけど、なんて悲しいセンテンスなのだろう。その「夢」が何だったのか、ここに明記することはできない。そして「命ある限り、あきらめる必要などないのでは?」と諭してくれる人もいるかもしれない。それでも(言い訳じみたことを書くけど)社会には「年令制限」というものがあるし、個人の努力では如何ともしがたい状況に追い込まれることもある。

努力をすれば夢が叶うわけではいということは、歴史が証明しているようにも思える。僕は頬の肉が削ぎ落されるほど努力をした結果、これ以上、この夢を追い続けても、誰も喜んでくれないだろうし、自分の心身が潰れることになるだろうと見切りをつけた。そして「夢が終わったあとの人生」が始まった。

<<描いた夢 それを追い続けたって 所詮 たどり着けるのはひとにぎりの人だけ>>

Mr.Childrenは「東京」のなかで、そんなことを歌う。Mr.Childrenが少年期から青年期にかけて、どんな夢を描いていたのかは分からない。それでも彼らが「ミュージシャンになる」という偉業を成し遂げ、さらには「人の心を打つ」ことまでも果たしたのは確かなことであり、そんな彼らが奏でる「東京」は、僕の胸に切なく流れつづけている。

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僕はミュージシャンになりたいわけではなかった。それでも本気で、その職業を目指しながらも、届かずに終わった例を知っている。学生時代のことだったと思うけど、ある大きな公園で、懸命にキーボードを奏でながら、自作曲を歌っている女性を見た。あまり多くのギャラリーは集まっていなかったけど、僕は最後まで彼女の曲を聴き、どこか心惹かれるところがあると感じたので、デモ音源のようなものを購入した。それから20年ほどの時が流れたけど、僕の知る限り、彼女はメジャーデビューを果たしていないし、その名をライブハウスの告知ポスターなどで目にすることもない。

もしかすると彼女は、別のアーティスト名を名乗って、第一線で輝くには至らなくとも、音楽を仕事にすることを果たしはしたのかもしれない。でも、どちらかというと、彼女が夢に見切りをつけ、生活のためと割り切った仕事を選び、それでもライフワークとして奏楽をつづけている現在のほうが、失礼ながらリアルに思い描ける。夢破れた者(僕のことだ)の想像力は、このようなものになってしまうのかと、本文を書きながら悲しく思う。悲しい。

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いま一応は衣食住が満たされ、心を許せる友人がいて、Mr.Childrenの新曲を待ち望めている僕は、少なくとも「不幸」ではないのかもしれない。自分が<<安定>>を手にしたとまでは言い切れない(どんな企業に勤める人も、専門的なスキルを持つ人も、どこかで明日のことを不安に思っているのではないだろうか)。それでも僕は、歯を磨いてシャワーを浴びて、部屋の照明を落としたあとも、浅い眠りのなかでうなされることがある。「ことがある」どころではない。毎夜のように悪夢を見る。

<<安定を得るために斬り捨てた 衝動が化けて出てきて 枕元で言うんだ>>

前述したように、かつて思い描いていた「夢」には、これ以上、どう頑張ってみても僕の手は届きようがない。それでも「もうやめよう」と(選択の余地がなかったとはいえ)決断したのは他ならぬ僕だ。<<衝動>>を<<斬り捨てた>>のは僕自身だ。ことによると僕は生涯、安眠を得られないかもしれない。Mr.Childrenのことは好きだ。その楽曲は素晴らしいものだと思う。それでも時に、少なくとも社会的な成功をおさめはした彼らのことが、たまらなく妬ましく思えてしまうことはある。Mr.Childrenの楽曲に心を震わされる自分のことが、所謂「負け組」のように思えて虚しくなることはある。

もちろんMr.Childrenも、私人としての悩みや不満を抱えてはいるのだと思う。それでも…いや、もう、この話はやめよう。僕はMr.Childrenの「ように」なりたかった。そういうことだ。

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いま僕が生きているのは、夢破れたあとなのに生きているのは、やはりMr.Childrenが歌うように<<この街に大切な人がいる>>からだと思う。恐らく彼ら彼女らは、僕が成功しようと失敗しようと、様々な形で慰め、励ましつづけてくれるのではないかと思う。だから僕は、その人たちを喜ばせるために生きつづけているわけではない。他ならぬ僕自身が、あらたなる夢、いや、もう夢という言葉を使うべき歳ではないのかもしれない、願望のようなものを持っていて、それを叶えるところを見てほしいから、何とか生きているのだと思う。これは「他人のために」生きていることになるのだろうか? それは分からない。

それでも僕は思う。何らかの形で自尊心を取り戻さなければ、いずれ自分は「周囲の人を慈しもう」という意欲さえ喪失してしまうだろうと。愛しい人の顔を正面から見られないような、卑屈な人間になってしまうだろうと。

この胸に、いま秘めている願望についても、この場にハッキリと書くことは(やはり)できない。ちっぽけなものではあるけど、自分にとっては大事なものであるし、それを口に出してしまったら叶わないような気がするからだ。それはかつて抱いていた夢よりは、まだ「叶いやすい」ものかもしれないとも思う。あきらめずに日々を過ごし、ある種の努力を重ねていけば、僕のように非才な人間にも手に入るかもしれないものだと思っている。

それでも悪夢にうなされながら、つまり疲れ果てた状態で朝を迎えながら、それでも生きつづけるというのは、生半可なことではない。明日、何か食べられるかを案じている人たちに比べれば、はるかに自分は恵まれていると思う。甘ったれていると思う。それでも端的に言って、いま僕は心身ともに疲れ果てている。その疲れが、周囲の人に迷惑や心配をかけていることを自覚している。

<<もういいや もういいや 疲れ果てちまった>>
<<そう言って そう言って ここまで来たじゃないか>>

たしかに僕もまた<<ここまで来た>>。39年を生きた。少なくともMr.Childrenを嫌いになってはいない。躊躇いなく「好きだ」と言える人が<<この街に>>いる。もし僕が、願いを持つことくらいは許されるなら、その権利は、どんな時もMr.Childrenを聴きつづけてきたがゆえに与えられた「褒美」のようなものなのかもしれない。もし僕が願望を叶えることができたなら、届くかは分からないけど、Mr.Childrenに向けて「ありがとう」と呟くことになると思う。心からの感謝をいだくためには、可能性がゼロになるまで、歩き続けるだけの気概は求められると思う。

「頑張ります」とは約束できない。それでも「願いつづけてはみます」。ひとかけらでもエネルギーが残っている限り。この拍動が続く限り。

※<<>>内はMr.Children「東京」「跳べ」「雨のち晴れ」の歌詞より引用

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