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リンゴ・スターと五十嵐公太が刻んだもの

それは正確なビートだけではなかった

自分で認めてしまうのも、みじめなのですが、退屈きわまりない演奏者なのです。市民ミュージシャンを気取りながら、まともに弾けるのは(担当している)ベースだけで、ギターやピアノの演奏は、とても他人様に聴かせられたものじゃありません。音感はあるくせに(「ド」が鳴っていると「ド」だなと気付けるのですが)、いざ自分が歌うとなると、あまりピッチが合わない。だからメインボーカルどころか、コーラス担当も務まらない。

几帳面なのが美点と言えば美点で、バンドマスターが鼻歌で作り出すオリジナル曲を、せっせと音符に起こしてコードをふる役目は引き受けているのですが、それも多分、時間を費やせば、ほかのメンバーにだってできるでしょう。まめに働く。その姿勢を買われて在籍させてもらっているだけで、純粋なベーシストとしては、アマチュアとしても凡庸の下だと自覚しています。詞や曲を、何度か書いてみたことがあるのですが、メンバーに「どう?」と訊ねる前に、自分で譜面を破りました。とにかく非才なのです。

そういうわけで、せめてリズムキープだけは担おうと努めており、少しだけ似たような「ソングライターとしては無名だけど・プレイヤーとしては優秀」と言えそうなアーティストを手本にしようと考えていたのですが。

実は彼らが(少なくはあれ)印象的なオリジナル曲を作り上げていることを知った時は、いよいよ心が沈みました。こんな風に俺も、せめて1~2曲、人の心に残るような旋律を生み出したいなあ、でも、できそうにないなあと。

「彼ら」というのは、「手本」どころか「教科書」のような存在は、ビートルズのリンゴ・スター氏と、JUDY AND MARYの五十嵐公太氏です。

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JUDY AND MARYの神髄は、奔放さだろうと考えています。もう解散してしまったバンドですが、あれほど各パートが生き生きと動くバンドというのは、ほかに例が(それほど多くは)ないのでは。ぴょんぴょんと跳ねながら歌うYUKIさん。聴衆を挑発するかのように、遊び心に溢れるフレーズを投げかけてくるTAKUYA氏。時として(たとえば「Over Drive」で)和音までをもベースで出し、曲に厚みを持たせる恩田快人氏。そうした個性の集まりが「破綻」しないのは、やはり各位が「合わせよう」という意識を持っているからであり、そして何より、五十嵐公太氏が実直にリズムキープしているからなのだろうと考えていました。

JUDY AND MARYで踊るのはYUKIさんであり、にこやかに彼女を躍らせるのはTAKUYA氏と恩田氏であり、その踊りに加わろうとするのがリスナーであり、そうした「一体感」を、どっしり構えて見守っているのが五十嵐氏なのだろうと、不遜に、しろうと考えていたわけです(あながち間違った見方ではなかったのかもしれませんが)。それでも五十嵐氏が、冷静なだけの演奏者だったら、歌心を持たないドラマーだったとしたら、楽曲「散歩道」は生まれなかったのではないでしょうか。

ドラマーが歌メロを作るとなると、やはりドラムを打ち鳴らしやすいものが生まれがちなのではないでしょうか。シンプルな、もっと言えば淡白なビートに乗った、そんなメロディーラインが作られやすいのではないでしょうか。しかし、まあ、何と奔放なことでしょう、名曲「散歩道」の旋律。いまひとつ理論的なことは分からないのですが、特にサビの旋律に、自身がベースを合わせることは難しいです。その「気ままさ」には、私のように退屈な市民ベーシストは付いていけません。きっと五十嵐氏はJUDY AND MARYを鳥瞰しながら、自分自身の表現衝動というものを、ずっと温めていたのではないでしょうか。

<<あの雲に乗れるくらい 頭 やわらかくしよう>>
<<あたしが思うよりもずっと あたしの空はひろがってるんだわ>>

本曲の詞を書いたのはYUKIさんですが、五十嵐氏の<<あたしの空>>は、ご自身が思っていたよりも、いつしか<<ひろがって>>いたのではないでしょうか。実直にバスドラを蹴るうちに、意識的になのか、無意識のうちになのかは分かりませんが、五十嵐氏は内奥の世界を広げていたのではないでしょうか。ヴォーカリストを守ること、そして自身も楽しむこと。それがリズムセクションの<<何よりも 大切なこと>>なのかもしれません。

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ビートルズのリンゴ・スター氏は、私の感じる限り、五十嵐氏よりも更に「黒子の美学」を知っているようですし、縁の下を支えることに専念しているようです。実際、リンゴ・スター氏がメインボーカルを担ったビートルズの楽曲は少なく、そのなかでビートルズを好まない人さえもが知っているは「イエロー・サブマリン」くらいなのではないでしょうか。(そんなことなかったら申し訳ありません)。

そういうわけで私は、リンゴ・スター氏を「卓越したドラマー」としてしか敬愛しておらず、そのドラムの見事さも、十全には理解できないまま今日に至ります。リンゴ・スター氏が、ドラムソロらしいドラムソロを披露しているのは、恐らくは(ビートルズの解散が近くなってからリリースされた)「アビイ・ロード」に収録されている「ジ・エンド」くらいではないでしょうか。その「ジ・エンド」のソロも、引き締まったクールなものではあり、個人的には大好きなのですが、その力量を「自慢」するような豪快なものではないようにも感じられるのです。

それでも、よく調べたみたところ、リンゴ・スター(リチャードスターキー)氏が、作曲したビートルズナンバーも、しっかりと存在するではないですか。「ドント・パス・ミー・バイ」と「オクトパス・ガーデン」です。オクトパス・ガーデン? ユニークな題です。この楽曲でリンゴ・スター氏は、どんなメッセージを届けてくれるのでしょうか。どんなドラムを聴かせてくれるのでしょうか(「アビイ・ロード」の「傾聴すべきところ」は終盤のメドレーだと思っていたので、この曲を集中して聴きこんだことが、それまでなかった私は本当に愚かです)。

楽曲「オクトパス・ガーデン」を牽引するのは、剽軽なような、どこか切なげなエレキギターであるように感じられます。リンゴ・スター氏は、要所で抑揚をきかせはするものの、自作曲のなかでさえ「激しい自己主張」はしなかったようです。それでも、その穏やかでありながら哀愁をも含むような声調は、歌詞の内容に合っているのではないでしょうか。

<< I’d like to be under the sea In an octopus’s garden in the shade >>

これは「現実逃避したい」、あるいは「地上での生活に疲れちゃった」という心情を表すもののようにも思えますが、そこに「オクトパス」という単語が入ることで、本曲にはユーモアさえも滲んだのではないのでしょうか。少なくとも私は共感しますね。どこかに逃げ出せるものなら、タコさんと一緒に暮らしたい。まあ一口にタコさんといっても、きっと色々な御方がいるのでしょうが。「まあ、気楽にやりなよ」というようなことを口にしながら、八本の腕で肩を叩いてくれるような誰かがいたら、いくぶん力が抜けるような気がします。

つい「気楽になりなよ」などと書いてしまいましたが、これは、かの名曲「レット・イット・ビー」にも通じる発想かもしれません。「レット・イット・ビー」はシリアスで尊い励ましの曲。「オクトパス・ガーデン」はユニークであるがゆえに貴い労りの曲。そんな私見を述べたら、リンゴ・スター氏の(あるいはビートルズの)ファンに叱られてしまうでしょうか。

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<<ムズかしい言葉ばっかりじゃ あの娘とも仲良くなれないの>>
<< I’d like to be under the sea In an octopus’s garden with you >>

誰かと<<仲良く>>なって、一緒に「オクトパス・ガーデン」に行きたいがゆえに、意図的に力を抜いて書いてみましたが、五十嵐公太氏とリンゴ・スター氏が、秀でたドラマーであり創作者でもあることは、それこそ力を込めて、真面目に主張したいと思います。

※<<>>内はJUDY AND MARY「散歩道」、ザ・ビートルズ「オクトパス・ガーデン」の歌詞より引用

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