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今あらためて聴く繙くデビューアルバム『diorama』

米津玄師 1991年3月10日に生まれた彼の宿命

 2020年3月10日は、米津玄師さんの29歳の誕生日だった。
 この日、米津さんはTwitterとインスタグラムに幼馴染でツアーのサポートメンバーでもある中ちゃんこと中島宏士さんとの楽しげな写真をあげていた。
 本当ならば4月29日の上海メルセデス・ベンツアリーナまで続くライブ「米津玄師2020TOUR/HYPE」がコロナウイルスの影響で中止または延期となり、彼の影響力の大きさと個人事務所である彼の背負っているものの大きさ、そして延期・中止の声明での理性と知性を改めて見せられたのだが、この写真のように、できれば29歳の男の人の普通の楽しみ、友人や恋人との他愛ない時間を過ごしてほしいとも思う。
 
 私が、「その事」に気づいたのはつい最近だ。震災から2020年3月11日で9年経つことと米津さんが3月10日に29歳の誕生日を迎えることが頭の中で結びついた。
 二十歳、大人になった翌日に東日本大震災が起こった。
 自分の二十歳の誕生日の翌日に東日本大震災が起こったことについて、米津さんが言及しているのを、私は目にしていない。ただ、翌年発表された「米津玄師」としての初めてのアルバム『ddiorama』のジャケットは鯰の上に「街」が乗っている絵が描かれており、本人も江戸時代に地震封じのおまじないとして多く描かれた「鯰絵」を踏襲しているとラジオで語っている。
 これは、私の憶測なのだけれども、二十歳になった途端に未曽有の大震災が起こったことで米津さんは自分が芸術によって人の心に寄り添い、世の中を良い方向に変えなくてはいけない宿命を感じたのではないか。
 『diorama』の最後の曲は「抄本」。歌詞に「街」が出てくるこの曲は冒頭の「街」と対になる曲だ。抄本の対義語は「謄本」-原本を写したもの-なので、当初もっと長い曲だったという原曲が謄本、写された「原本」はその時の米津さん自身なのだろう。
 歌詞の終わりのフレーズは「細やかな日常だけが残る」。
 9年前の東日本大震災の時も、現在巻き起こっているコロナ禍も、「細やかな日常」が蝕まれたことによって、やっとその大切さがわかる「細やかな日常」。
 それを21歳で歌い上げていた米津さんは、100年前なら宗教家、50年前なら文学者、今の時代に生まれたから音楽家なのだろう。
 私は今まで生きてきて、新しい思想や制度が人の心に馴染み、世の中が本当に変わるには、20年はかかるとのだという実感がある。例をあげるなら、「家事労働の有償化」を唱えていた田嶋陽子さんが『愛という名の支配』を著したのが1992年で、「家事労働の有償化」をポップに描いた海野つなみの漫画『逃げるは恥だが役に立つ』が始まったのが2012年。
 米津さんが音楽に仕込んでいる「遅効性の毒」の効果はあと20年後に顕著となるだろう。
 私がそれを見届けることができるかどうかはわからないけれど。

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