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2017年8月17日

こしひかり (26歳)
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何年経っても思い出してしまうな

フジファブリック・志村正彦について思うこと

7月10日。
朝、いつも通り起きて、仕事に行き、帰宅。良くも悪くも何が起きるわけでもなく淡々と過ごした1日。いつもと何ら変わらない。ひとつだけ、いつもと違うことと言えば、私が好きなバンド・フジファブリックの志村正彦の誕生日だった。
というのもあって、通勤中など、いつもはその時の気分で聴きたい曲を選ぶのだが、その日ばかりはフジファブリックのオンパレードであった。

私が初めて聴いたフジファブリックの作品は、2ndアルバム『FAB FOX』。
好きなアーティストといえば、誰でも知っているようなメジャー級の人々。中学生の頃、吹奏楽部に所属してはいたが、音楽用語を言われても何のこっちゃといった、まるで音楽に詳しくない自分。そんな人間でも、フジファブリックの作品を初めて聴いた時、彼らの音楽は鬼才っぷりが如実に現れている、と強く思った。
ギターが奏でる中毒性のあるメロディ。キーボードは曲に深みとポップさを加えながらも、どこか妖しげ。粘り気のある歌声が紡ぐ、ユニークでセンチメンタルな詞。全てが合わさった、変態的なのに叙情性に富んだ世界。激しい曲もあれば、しっとりと聴かせるような曲もある。異色の極み、と言っても過言ではないこのアルバムに、彼らの音楽に、私はあっという間に飲み込まれた。

『FAB FOX』を聴き終えると、私はすぐさま最寄りのCDショップへ向かった。今日まで彼らを知らなかった悔しさを掻き消すように、ドン引きする店員の視線を横目に、手当たり次第に過去作を買い物かごに入れた。
当時、私は大学生で自由な時間は山のようにあった。それこそ、好きな時に好きな音楽を聴くことができた。しかし、購入したフジファブリックのCDを昼間に聴くことはなかった。聴くのは決まって真夜中。人気が無く、車もあまり通らない時間。眠るつもりはないが、部屋の灯りも全て消した。なんてったって、聴いたことが無いフジファブリックの曲に出会い、新たな感動に直面するというのは、生涯でたった一度きりの経験なのだ。私は、「過去作を辿る」という新規ファンにとってはごくごく普通の行動を、極めて重要で貴重なものと捉えていた。そのため、より深く曲に入り込める環境作りに、並々ならぬこだわりを持っていたのだ。雑音の入る環境で適当に聴くことなど許せなかったし、せっかく聴くのならとことん味わい尽くしたかった。

無駄に全神経を集中させながら彼らの過去作を辿る日が続き、あっという間にラスト1枚となった。最後の作品は『シングルB面集 2004-2009』。これを聴いてしまえば「志村が作った曲」と出会うことは、きっと二度と無い。タイトルから、歌詞から、どんなメロディなのだろうと妄想に耽ることもできなくなる。そんなことを考えながら、私は、1曲目“桜並木、二つの傘”、2曲目“NAGISAにて”と順に聴いていたが、3曲目“虫の祭り”にさしかかった途端、思わず早送りした。4曲目の“黒服の人”も同様に。続く5曲目の“ダンス2000”は、既にミニアルバム『アラカルト』で聴いていたので普通に聴き終えたが、6曲目の“蜃気楼”は再び早送り。その後、聴きたい、聴けない、と葛藤を繰り返しながら7曲目以降はどうにか聴き終えたものの、早送りした3曲に関しては未だに聴けないままだ。
一応、フジファブリックの作品を一通り聴き終えた私は、それからというもの、彼らの曲を自分の血肉となるほどに聴き込んだ。例えば、アプリなり何らかの機能を使って再生回数を表示してみれば、病的なハマり具合が他のアーティストの曲とは桁違いな数字として反映されるに違いない。
フジファブリックの音楽は日常のBGMどころか一部と化し、目に映る情景に曲を投影させることは癖になっていた。道端に咲いている花も、夜空に浮かぶ月や星も、環状七号線を飛ばすバイクも、某公園にある池も、某ハンバーガーショップのチーズバーガーも、コーヒーにミルクが混ざる時も――彼らの曲中にある一瞬に遭遇してしまえば、頭の中でメロディが流れずにはいられなかった。

こんな風に、私は彼らの曲を溺愛し、それを周囲の人に公言しているのだが、例えば、どの曲が好きかと問われると非常に困る。「これとこれが好き」と断定することなんてとてもできない。
不思議なもので、彼らの曲の場合、これまでそうでもなかった曲にいきなりハマるという現象が多々起きてしまうのだ。それはきっと、曲を作った時の彼らと似た感情や境遇にあると、その曲がスラスラと自分の中に入ってくるからだ。志村が作った曲はほぼノンフィクションで、雑誌のインタビューやブログ「志村日記」で制作時の苦悩が赤裸々に語られていて、彼が身を削りながらも完成させた曲であるということを知っているから、というのが大きい。曲を聴いて人間味を感じて、作り手の感情にまで想いが及び愛おしさが募るなんてことは、私は他のアーティストであまり味わったことがなかった。
その一方で、彼らの曲に魅了されればされるほど、志村がこの世には居ないことが悔しくて仕方なくなった。

特に強く悔やんだのは、radikoを使って某若手バンドのラジオを聴いていた日のことだ。その時、某メンバーが “夜明けのBEAT”を選曲し、番組内で流したところ、十代のリスナーからの「こんな良い曲があるんですね。初めて聴きました!」いうコメントが、タイムラインに並んでいた。私はこのコメントが嬉しくもあり、無性にショックだった。志村が今も生きていたら、彼はどんな名曲を世に放っていただろうか。どれだけの人に愛されていただろうか。なぜ、こんなにも才能に満ちた人が、29歳という若さで亡くなってしまったのか。これから先、志村を知らない人や志村を忘れてしまう人が、増えていく一方なのだろうか。私は悲観的になった挙句、亡くなったあの日にどうにかして戻って、彼を救えないのかと考えた。二十歳をとうに超えたいい大人が思うことではないと分かってはいたが、そんなことはどうでもよくなるほど悔しくて、志村が居ない世界は、なんて淋しくつまらないのだろうとさえ思った。

それからというもの、私はごくたまにではあるが、ネット上で志村正彦の名前を検索するようになった。例えば、彼にまつわる新着記事や、今も変わらずに想いを馳せるファンのブログなんかを見つけると安堵した。大丈夫、志村はまだみんなの中で生きている、と。そんな中、ひとつの書き込みが目に入った。
「志村は確かにもうこの世には居ないけど、例えばしんどい時にフジファブリックを聴くと、自分には志村が代弁してくれているように聴こえる。自分はそれで前に進めて、まるで志村の曲と共に生きているような気持ちになれるから、あまり志村が亡くなったことに悔しさを感じない。志村は居ないけど、曲は自分の中で生き続けているから」といった内容であった。私はこの書き込みを見て、これまでの自分の子どもじみた考えに呆れた。

自分の命が尽きるまで、自分の中で志村を生かしてやる。
そんな強い意思で、志村が居ない世界を悲観するのではなく、志村の曲と共に生きていけば良いのだ。未だに聴いたことがないあの3曲だって、勿体ぶらずに聴き、他の曲のようにふとした瞬間に思い出して、慈しんで、日常の一部にしてしまうべきなのだ。
志村が遺してくれた曲を聴くことこそが、志村が生き続けるということに繋がるのだろう。あの3曲も、初めて聴いた直後はピンと来なかったとしても、突然ハマる日がやってくるのだろうか。

志村はこの世にいない。でも、彼の歌と想いは彼を愛する人々の中で今も生きているし、来年も再来年も、何年経とうが、私は心の中で勝手に誕生日を祝わせてもらう。
ちなみに、志村の誕生日である7月10日、自分の心情とリンクして特に聴き込んでいた曲は、4thアルバム『CHRONICLE』収録の“クロニクル”だ。

《キミに会えた事は キミのいない今日も 人生でかけがえの無いものでありつづけます》

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