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レッド・ツェッペリンは、きっと終わらない

名曲を生みだしたあとでも

何年も前のことだけど、お酒を飲みながら音楽を聴いたり奏でたり、ライブ映像を観たりもできる、スタジオとバーを合わせたような風変わりな店に、恩師に連れていってもらった。

そこで私(たち)は「The Kennedy Center Honors Led Zeppelin 2012」を鑑賞しながら、アーティストが流す涙には、どのような感情がこもっているものなのか、そして「全盛期」を若き日に迎えたアーティストは、はたして幸せなのかというようなことを考えた。

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「The Kennedy Center Honors Led Zeppelin 2012」では、レッド・ツェッペリンが生み出した名曲を、彼らよりは年少のアーティストがカバーする。催しの序盤はにこやかに拍手を送っていたロバート・プラント氏の瞳に、「天国への階段」の演奏が佳境に入った時、涙が滲んだ。これはどういう涙なのでしょうね、と私は恩師に問いかけた。

恩師は(呑めない私と違ってアルコールが入ったせいもあると思うのだけど)「こんなにも素晴らしい曲を俺は作ったんだなあって、きっと感慨深いんじゃないの」と笑いながら答えてくれた。たしかにそうなのかもしれない。それでも私は、氏が泣いたのには、別の理由があるのではないかと考えてもいた(それは私がソフトドリンクしか飲んでいなかったからかもしれない)。

その時は言葉にはしなかったけど、私が思ったのは、以下のようなことだった。

「自分たちの創り出した楽曲が、年少のミュージシャンに愛されているということに、感極まったんじゃないでしょうか。これはもう自分たちだけの作品ではないなとさえ思ったんじゃないでしょうか」

泣くロバート・プラント氏を観ながら、こうも私は訊ねた。レッド・ツェッペリンが(代表曲と言えるであろう)「天国への階段」を生みだしたのは、何歳ごろのことだったんでしょうかと。恩師は「たぶん20代だと思う」と答えた。「多くのミュージシャンが、20代から30代、そのくらいの時節に、会心の一作を作るものだよ」

そのとき私は、すでに20代を終えており、それでいて自分が「歴史に刻めるような何か」を生み出してはいないことを憂いていた。それでも、ふと思ったのだ、若き日に何かを成し遂げてしまうというのは、それはそれで苦しいことなのではないかと。すでに自分が、出すべきパワーを絞り出してしまったように感じて、つまり今を「余生」のようなものに感じてしまって、辛くなるのではないかと。

ロバート・プラント氏が何ゆえに泣いたのかは、今に至るまで私には分からない。でも、それは「人生のある段階」を通り過ぎてしまったという、成功したという感覚を持つがゆえに流された涙なのではないかと推察するのだ。

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私自身は、しがない市民ベーシストなので「天国への階段」の冒頭を飾る、あの印象的なギターフレーズを、コピーすることはできない(何か月か努力すればできるかもしれないけど)。それでも、そのイントロや、楽曲の中盤以降に奏でられる激しいギターソロを、ある種の「課題曲」と見なして、いわばピアノにおける「ハノン」のようなものと見なして、奏でつづけている人を知っている。そういう意味ではレッド・ツェッペリンは「伝説」というより、「教科書」のような存在として、今に至るまで生きつづけていると思うのだ。プロ・アマを問わない、多くのミュージシャンの(とりわけ若い人の)腕を磨いているという意味で、レッド・ツェッペリンは「終わっていない」と私は考える。

いま私の周りには「すでに自分は夢を叶えた」と語る人がいる。「だから今後は、周囲の人のために尽くしていくつもりだ」と。眩いばかりにクールな発言だと思う。そして夢を叶えながら(目標としていた職業に就きながら)最初に願っていたことは何だったのかと、ふと悩むことがあるとこぼす旧友もいる。それもまた奥深い、真摯さを持つがゆえに発せられた言葉だと思う。どこかに辿りついた人も、それによって「旅を終えた」わけではなく、新たなる課題を見出したり、時に悲しくなったりするものなのだ。そのことに、いくぶん慰められる私は、みじめな人間だろうか。

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かくいう私が、何ひとつ成しとげていないかと訊かれたら、厳密にはノーである、微かな足跡は刻んだかもしれない、そう答えるほうが正確だと思う。非常に拙いものであれ、2編の中編小説を活字化してもらうことができたし(もっとも、それらを収録した書籍は、いまや所謂「灰色文献」に近いものになってしまっている)、市民アスリートとしても、いくつかの夢を叶えはした(たとえばフルマラソンをサブ4で走りぬいた)。

それでも私は、自身の辿った道を振り返って涙を流すような地点には、もちろん到達していない。このままで人生が終わるかもしれないことを思うと、焦燥感をおぼえる。夢を叶えた知己や、功績を残したレッド・ツェッペリンが妬ましく思えてたまらなくなったりもする。もしかすると人間は、どんな地点にいようと、その場、その場の苦しみを味わうのではないだろうか。歩きはじめたばかりの人も、立ち止まっている人も、やれやれと腰をおろした人も、それぞれに苦しいのかもしれない。

そうなのだとしたら、私たちが、どんな相手とも、いわば「対等な関係で」励まし合えるという希望が、この世界にはあるのかもしれない。偉そうなことを書いてしまったけど、いま私の体のなかには、一滴のアルコールも入っていない。しらふで本文を書いている。互いの夢が叶うこと、叶ったあとも生きつづけられること。それを願って眠りにつくことなど、絵空事だろうか。

これから部屋の照明を落とすけれど、恐らくは眠りにつくまで、私の胸のなかに「天国への階段」が流れることになると思う。そして暗闇のなかに、ロバート・プラント氏の泣き顔が浮かぶだろうとも思う。それは少なくとも「不幸なこと」ではないだろう。

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