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かつて僕の部屋にいた金魚

BONNIE PINKという名を教えてもらったころ

中学時代から高校時代にかけて、他校に通う幼なじみの女性と文通をしていた。ずいぶんと古風な「恋のようなもの」をしていたなと思う(恐らく先方は僕に対して強い恋情などは持ってはいなかったはずである)。彼女からの手紙に何が書かれていたかは、もちろん詳しくは述べることができない(それは彼女のプライバシーを守るためであり、また僕自身が、ある種の「宝」として胸に秘めつづけたいがゆえでもある)。

ただ、彼女の好きなアーティストがBONNIE PINKであったこと、そして一度だけ「ある事情」ゆえに、どれだけその日、泣いてしまったかを、僕に打ち明けてくれたことくらいは、述べても差し支えないかと思われる。

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BONNIE PINKの楽曲は、当時の僕にとって、やや「難解なもの」に感じられた。メロディーラインに「ひねり」が入るというか、不思議な節回しで歌われる部分がある。たとえば「金魚」のなかで、BONNIE PINKは

<<私の居場所なんてものは あなた次第なのに>>

と発信するのだけど、その<<なのに>>は、まるで感情を吐き出すかのように、いくぶん早口で歌われるのだ。その旋律を<<とても不安定>>と形容しては、さすがに失礼だと思う。むしろ<<薄っぺらなもの>>からは程遠い、とても奥深いものだと今なら思える。それでも当時の僕は、どちらかと言えば、シンプルなビートに乗った楽曲のほうが好きだったので「金魚」を(言うなれば)女性がデートで行きたがりそうなカフェに下見にでも行くような気分で、いくぶんの緊張を感じながら聴いていた。

BONNIE PINKの作品は僕にとって、少年期にだけ味わえる恋情を、象徴するものだった。その歌声は、たしかに美しかった、小ぎれいな衣服を連想させるようなものだった。それでも僕は、それを正面から受け止めるほどに成熟していなかったし(今もしていないと思う)、相手の顔色をうかがいながらコーヒーでもすするかのように、極端に言えば距離をとって聴いていたのだ。それは当時、文通相手に対していだいていた思いと、かなりシンクロしていた。僕は彼女のことを知りたかったし、知りすぎるのが怖くもあった。

<<強くて弱い金魚だから>>

僕は文字通りの「金魚」を飼ってもいた(今は飼っていない)。その弱さは、幼いなりに知っていたと思う。水温に気を配り、餌をやりすぎないように注意し、水草を絶やさないよう努めていた。それでも長生きをしてくれる「金魚」は珍しかった。はかなく終わってしまうのは少年期であり、恋であり、小動物の命でもあると、僕は経験上、いま思う。

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それまでにも着実にファンを集めていたBONNIE PINKの知名度が、一段と高まったのは「A Perfect Sky」がリリースされた時ではないだろうか。この曲の節回しは、やはり独自性を感じさせるものであり、そして痛快なものでもある。

<< I’m looking for a perfect sky >>

この部分を真似て歌うことが、いまだに僕にはできない(それでなくても歌が下手くそなのだけど、リズムさえ合わせられないのだ)。それでも、その奔放なメロディーラインが、きっと多くのリスナーを惹きつけたのだろうし、BONNIE PINKの偉大さを世に知らしめたのではないかとも思う。

この作品は季節感に溢れる、さわやかな楽曲だと言えるだろう。それでも僕は「A Perfect Sky」を聴いた時、複雑な心境になった。ただ<<暑い夏>>を待ち焦がれるような、昂揚感はいただけなかった。

<<君が思うほど子供じゃない>>

そうBONNIE PINKが歌うように、僕もまた<<子供じゃない>>時節を迎えていた、内面はともかく、年齢的には。それゆえに、こんなフレーズが突き刺さってきた。

<<君の胸で泣かない>>

かつて「ある事情」を手紙に書きつづってくれた女の子は、僕の胸では泣かなかったわけだ。もちろん僕は、彼女を物理的に抱けるような距離(関係性)にあったわけではないし、そうする必要、あるいは資格もなかったのだろうとは思う。それでも彼女に書く返事に、もう少し「気の利いたこと」を書ければよかったなと、ふと悔しくなったのだ。その時にはもう、べつの恋をしていたし「あのとき彼女との距離を縮められていたら」などと思ったわけではない。ただ人生の一時期、自分に心を預けてくれた女性を、癒やせなかったことが口惜しかったのだ。

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そして今、僕は数年ぶりに「Heaven’s Kitchen」を流している。勇ましいドラムスで幕を開け、その力強さを受け止めるかのようなBONNIE PINKの、美しくもパワフルな声が放たれ、つかみどこころのないような、それでいて共感を誘うような、独創的なフレーズが耳に届く。

<<明日があって そこが何色でいても 風はあなたのほほに 吹いてくるだろう>>

BONNIE PINKは何を<<風>>に喩えたのだろうか、それは字義通りの<<風>>なのだろうか。僕にはそれが「希望」や「慈愛」の暗喩であるように感じられる。「Heaven’s Kitchen」という題が、そしてBONNIE PINKの歌声が、そういったものをイメージさせてくれるのだ。

あのころ、僕に何通もの手紙を書いてくれ、そしてまた僕からの手紙を受け取ってくれた女の子が、いま生きていたとして、どんな家に住んでいるのか、どんな思いで<< Kitchen >>に立っているかを知らない。あるいは彼女は<<とても疲れはててても なぜかそこに立ってる>>のかもしれない。作るべき料理が分からず、進むべき方向が分からず、途方に暮れているのかもしれない。

いま僕の部屋に「金魚」はおらず、それに彼女の消息を知る術はない。もはや「元気でね」だとか「幸せでいてね」だとか、声を届けるべき立場でもないのだろうし、そういった声を先方が欲しているとも思えない。それでも彼女と、青春の前期、あまりに尊い数年間を、文通という形で伴に歩んだ跡は「BONNIE PINK」という名前として、僕の自分史に刻まれている。とても深く刻まれている。

彼女の部屋に、かつて僕が送りつけた手紙など、もう残されていない可能性は充分にあり、このように僕に回想されることさえ、特に嬉しくは感じられないかもしれない。だから僕は、BONNIE PINKさんの歌詞から、以下のセンテンスを引用して本記事を締めくくりたいと思う。

<<もしも私が邪魔ならば 水に文字ごと返してね>>

※<<>>内はBONNIE PINK「金魚」「A Perfect Sky」「Heaven’s Kitchen」の歌詞より引用

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