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「白日」で語られる「今」という時

King Gnuが歌う偶然で必然な今

数週間前、寝ようと布団に入った時であった。私の頭にふとある疑問が浮かび上がった。

一体死んだらどうなるのだろうか。

もちろんそんなことを考えたって確かな答えが出るわけではない。だが私はその時から完全にその疑問に支配されていた。

あの世に行くのか。何かに生まれ変わるのか。

はたまた、永遠に無の世界に取り残されるのか。

なんにせよとてつもない不安が襲って来た。不安を解消しようと根拠もないことが頭を巡る。

それでも、その不安は消えるはずはない。当たり前だ。

そこで私は自分なりに納得ができそうな解を探し始めた。

最初は宗教であったり哲学者の考えなどを参照してみたが、その中であまりピンとくるものとは出会えなかった。

そのような自分なりの答えを探す中で、ふと私は「白日」を聞いてみようと思った。

どこかでこの曲は作詞作曲を手がけた常田大希氏の友人の死を歌っているという話を聞いたからだ。

そして死の不安への答えを求めこの曲を聞いた時、私ははっとした。

普通、死をテーマとした曲であれば思い出や亡くなった人のことなど「過去」を歌う歌が多いだろう。

しかし、この曲は違った。この曲の歌詞の中で焦点が当てられているのは「今」なのである。
 
 
 

「死」と「今」は一見関連性を感じない概念であるように感じることが多い。

ところが、「死」を含めた人生全体について考えていくと、「今」という時の特殊さが浮かび上がってくることをこの曲では示している。

この曲の1番のサビで次のようなフレーズがある。

——真っ新に生まれ変わって  人生一から始めようが  へばりついて離れない  地続きの今を歩いているんだ——

たとえ、今自分を取り囲む人間関係や社会情勢、さらには血縁や記憶、トラウマなどを全て取っ払ったとしても、結局自分が体感できるのは「今」であり、何かできるのは「今」しかない。

将来、タイムマシンが開発され過去や未来に行けたとしても自分が生きてるのはその未来や過去を見ている「今」の自分なのである。

そういう意味で「へばりついて離れない 地続きの今」と歌われているのであろう。

一方、2番のサビでは次のように歌われている。

——真っ新に生まれ変わって  人生一から始めようが  首の皮一枚繋がった  如何にしようも無い今を  生きていくんだ——

さっきの1番とは打って変わって、「首の皮一枚繋がった」というふうに「今」がギリギリの状態で存在しているように書かれていて、一見矛盾しているように感じる。

だが、ここでいう「今」は1番とはニュアンスが異なっていると私は思う。

1番では私たちが現在進行形で体感している時間軸の中での「今」という一点であるのに対して、2番では私たち自身が置かれている状況や環境自体を指す「今」である。

私たちが置かれている環境は当たり前のように見えて、実は絶妙なバランスによって偶然にも保たれている。

このエントリーを書いている2020年の春、世界は新型コロナウィルスの影響で今まで当たり前のようにしていた旅行や宴会、学校や仕事、さらには友人と会うことさえ満足にできない状況にある。

たった一種のウィルスでたちまち当たり前の「今」は崩れ去る。そのようなギリギリの「今」を私たちは生きているのである。
 
 

私は今学生の身であるが、これからの将来、行く末は人生計画までもを考えていかなければならない。

その中で死という終点も自ずと見えてくるのだが、正直そこばかりを考えていても仕方がないのである。

未来を考え動くことは大切であるが、そのために「今」を疎かにしすぎてはいけない。「今」にしか私たちは生きていないのだから。
 
 

未だに私の死への不安を根本的に解決したわけではない。

けれども、死を不安がるあまり見失っていた大切なものを「白日」という曲に気づかされた気がする。

当たり前だけど奇跡的な「今」を私は生きている。そして、死もまたそんな「今」の一部なのだ。

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