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森山良子が放った「いつまでも」

今だから受け取れる森山直太朗のメッセージ

<<いつまでも 絶えることなく 友達でいよう>>

この作文を、わたしは小学校に通うみなさんのために、書いてみようと思います。読めない漢字があったら、ごめんなさい。そういう時は、がんばって辞書をひいてもらえると、ありがたいです。

おじさんは、もう40才になろうとしていますが、30年くらい前に、移動教室で、キャンプファイヤーを囲みながら、この歌「今日の日はさようなら」を合唱したことを、今でも覚えています。「今日の日はさようなら」は、森山良子さんというアーティストの「恋はみずいろ」、そのB面の曲です。

(B面といっても、いま小学校に通うみなさんには、あまりイメージがわかないかもしれませんね。むかしは音楽をきく時、よくレコードやCDを買ったのですが、CDの「おまけ」のような形で、ついてくる曲があったのです。「おまけ」だって、くだらないものではないことは、きっと分かってくれると思います)

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キャンプファイヤーから火の粉が飛んで、そのとき近くにいた友だちのジャンパーに、小さなコゲがついて、少しあわてたり、おかしくて笑ったりしたことが、とてもなつかしく思えます。大人になると、あわてることが少なくなってくるけれど、心から笑えることも少なくなってくる、そんな風に、わたしは考えています。

もし、あなたが今、笑っているのだとしたら、そしてまわりにいる人が笑っているのだとしたら、それは、すてきなことだと思います。それでも、小学生がすごす毎日だって、いつも楽しいばかりではないことを、わたしは分かっているつもりです。友だちに泣かされたり、友だちを泣かせてしまったり、そうやってわたしも、小さいころを生きていました。

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わたしはキャンプファイヤーを見つめながら、熱さをかんじながら、心から、ずっと<<友達でいよう>>と思っていました。たぶん、いっしょに輪を作っていた<<友達>>も、同じようなことを考えていたのだろうと思います。それでも、わたしは<<いつまでも>>、そういう日がつづきはしないのかもと、少しさびしく思ってもいました。移動教室は2泊で終わってしまうし、もうじき小学校を卒業することにもなるし、いつかはお別れの時が来るのだろうと考えてもいました。

この曲には、ほかにも、とてもきれいだけど、もしかするとかなわないかもしれない願いのようなものが、いくつか、ふくまれています。

<<空を飛ぶ 鳥のように 自由に生きる>>
<<信じあう よろこびを 大切にしよう>>

あなたの近くにいる大人(ごはんを作ってくれる人や、勉強を教えてくれる先生など)は、<<自由に>>やっているように見えるでしょうか。もしかすると、ときどきはイライラしたり、がんばりすぎたりしているように思えてしまうかもしれません。それはきっと<<自由>>なすがたには見えませんよね。それでも大人だって、たまには子どもみたいなことを考えたり、ひとやすみしたりしているものだと、わたしは思います。そういうのも<<自由>>なのだと、みなさんに思ってもらえないでしょうか。

大人が<<信じあう>>だけの毎日をすごしているかは、もっと、むずかしい問題かもしれません。大人は、おたがいにめいわくをかけないように「けいやくしょ」というものを書いたり、あいての言っていることや書いていることが正しいのかを、たしかめたりしながら生きています。それは、いやな言い方をすれば、だれかを「うたがう」ことにもなるのかもしれません。それでも<<信じあう>>ことが、むずかしくなってくるからこそ、のんきに笑いあえる<<友達>>のことが、とても大事に思えてきます。ほかの大人たちのことは、ぜんぶは分からないけど、わたしはそうです。

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わたしが、あのときキャンプファイヤーを、いっしょに見た人と<<いつまでも 絶えることなく 友達でい>>られたのかを、正直に書きたいと思います。わたしは今、小学校のときの<<友達>>と、LINEをしたりメールをしたり、遊んだりはしていません。どこで生きているのかも分からない、いつかの<<友達>>が、たくさんいます。それでも「会えないから」といって、「れんらくをとってないから」といって、わたしたちが<<友達>>でなくなってしまったとは、できるだけ決めつけないようにしています。あのとき、いっしょに歌ったことを、おたがいに覚えていられるなら、すぐ近くに<<友達>>がいるのかもしれないと、わたしは自分をはげましています。

そして今、わたしには、ごはんを食べたり、いっしょに音楽をやったりする<<友達>>がいます。その人たちに出会えたのは、そして、その人たちのことを大事に思えているのは、あのころ、小学生のころ、なにかを、いっしょうけんめいに願ったからではないかと考えているのです。

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みなさんは森山直太朗さんというアーティストを知っていますか。「今日の日はさようなら」を歌った、森山良子さんの、お子さんです。「さくら(独唱)」や「生きてることが辛いなら」など、たくさんの曲を歌ってきた人です。

わたしは森山直太朗さんの曲では「風花」が好きです。この曲をきくと、いつのまにか会わなくなってしまった<<友達>>のことが思われたり、それでも今を大事にしなければと思わされたり、いろいろな形で、心がうごくのです。

<<ずっと探してた 愛し合う意味を>>

もうわたしは、大人になってしまいましたが、それでも<<愛し合う意味を>>、あいかわらず考えつづけているような気がします。つまり、まだハッキリとは分かっていないということです。それでも思うのは「愛する」というのは、女の子を(男の子を)好きになることだけではない、ということです。<<友達>>を大事に思うことにも、きっと<<意味>>はあるだろうし、キャンプファイヤーや星空、木といったものを、じっと見つめるということにも、<<意味>>はあるだろうと考えています。

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そして、持ちものを大事にすることにも、きっと<<意味>>があるとも思うのです。ものよりも人のほうが大事だとは思うけど、だれにでも捨てられないものがあると思います。わたしは、ずっとひいているエレキベースという楽器や、ある人からもらったドングリを、とても大事にしています。もちろんエレキベースやドングリは、わたしにむかって何かを話しかけてくることはありません。それでも楽器をみがいていると、そしてドングリをにぎってみると、<<愛し合う意味>>が生まれるようにも思えるのです。

いま、あなたのいる部屋は、広いでしょうか、それともせまいでしょうか。わたしは、あまり大きな家に住んでいないので、たくさんの持ちものをとっておくことはできません。それでも、だからこそ、少ない持ちものを大事にしたいと考えています。そして、もう捨ててしまった、小学生のころに買った本などが、この部屋のどこかに、そっとかくれているような気もするのです。なにかを捨てなければならない時も、そして「自分の家はせまいなあ」と感じる時も、それを悲しいことだとは思わないでもらえたら、わたしはうれしいです。

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<<感覚のない 冷えた手で手繰り寄せた未来は>>

少しむずかしい歌詞ですね。わたしにも、これがどんな意味なのか、あまりよくは分かりません(だれかの書くことを、100パーセント分かるということは、なかなかないものだと、わたしは思います、そして、分かったように感じられたことが「まちがい」だったとしても、考えた時間はムダにはならないとも思っています)。

もう春が終わりかけていますね、もうじき夏が来ますね。それでも、なかなか外遊びができない今、もしかすると、あなたは<<冷えた手>>をしているかもしれません。それでもわたしは、きっと、あなたが<<未来>>を<<手繰り寄せ>>ているだろうと考えています。「手繰り寄せる」というのは、遠くにあるものを近くにもってくるというような意味です。<<未来>>のことなど、分かりませんよね、それは大人にとっても同じことです。

それでも、あなたが今、好きな曲を、心をこめて口ずさんでいたり、<<友達>>のことを大事に思っていたり、持ちものを大事にしたりしているのなら、それはきっと<<未来>>にとどくと、わたしは思います。いつか大人になった時、あなたの近くに<<友達>>がいること、そして何かをなくしたあとでも、その気配を何となく感じられること、それを願っています。

長い作文を読んでくれて、どうもありがとう。

<<またあう日まで>>。

※<<>>内は森山良子「今日の日はさようなら」、森山直太朗「風花」の歌詞より引用

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