3456 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

偏見を捨てるまでに要した時間

モーニング娘。と日向坂46が元気づけてきた人々

大学に入ったばかりのころだったと思う。ある講義で隣り合わせになった同級生に「どんな音楽を聴くの?」と問いかけてみた(私は誰かと親しくなれそうな予感をもつたびに、とりあえず「好きなアーティスト」を訊いてみることにしている、それは今に至るまでつづく習慣である)。

彼は「ヒットチャート上位のものしか聴かない」と断った上で「さっき『モーニング娘。』のCDをレンタルしてきたところだよ」と答えてくれた。その時点で我々の話題は尽きた、というか私が一方的に、価値観を共有できないだろうと決めつけた。もちろんモーニング娘。が大衆に支持されていることは知っていたけど、当時の私は「アイドルソング」に対する偏見を持っていたのだ。

それは恥ずかしいことだったと(いつしか)思うようになっていたし、そもそも「価値観が違うこと」の何が悪いのかと、いま思う。ある人は(たとえば私は)Mr.Childrenやスピッツに元気づけられて日々を生きている。べつの人はモーニング娘。や日向坂46(ひなたざかフォーティーシックス)からエネルギーをもらっている。それの、どこが悪い? 重要なのは互いが何とか生きているという事実であり、何に生かされているかは大きな問題ではない。

そして誰かと出会うこと、よく知らないアーティストの名前を聴くことは、自己変革の好機でさえあるのではないか。

***

モーニング娘。には熱狂的なファンが多いようである。大学時代のアルバイト先にも、それほど潤沢とは言えない小遣いを割いてまで、そのライブに(遠地で催されるものであっても)駆けつけ、普段は出さない大声を挙げるのだという人が(何人も)いた。そんな様も私は、実に不遜なことに、いくぶん醒めた目で見ていた。何かに夢中になれること、声を張り上げられるほどに気持ちが解放されること。それは素晴らしいことだと今は思うし、私だって(たとえば)Mr.Childrenの楽曲を聴く時、時として体が震えるほどの感懐をおぼえる。

そして、いつしかモーニング娘。の楽曲が、優れたものだと気づき、それは今、この情勢に喘ぐ私たちに、励ましの歌として届くのではないかと考えてさえいる。相も変わらずモーニング娘。のCDを全て買い集めるようなことはしていないけど(Mr.Childrenの新譜は必ず聴く)、少なくとも「LOVEマシーン」は懐メロなどではなく、ずっと世界に放たれつづけるであろうポジティブなメッセージソングだと考えているのだ。

***

<<どんなに不景気だって 恋はインフレーション>>
<<日本の未来は>>
<<世界がうらやむ>>

これを「お気楽」な発信だと見なす人も、依然としているのではないかと思う。そして実際、いまの社会が<<不景気>>であると感じ、あるいは経済的に困窮し、恋愛をしている場合じゃないと焦る人もいることと察する。そうなのだとしても、世界が「シリアスな歌」や「センチメンタルな曲」だけで満たされていたら、それは寂しいことだと思う(どちらも私にとっては好んで聴くジャンルの曲だけど、それでも「そればかり」では、やはり世の中は良い方向へ向かいはしないと思うのだ)。

楽曲のジャンル(カテゴリー)の多さは、人間の価値観の多様性を意味する。何を聴くかは、もちろん個々人の自由だけど、誰かの愛聴するアーティストが自分のそれと異なっていても、そこから始まるコミュニケーションというものは、きっとある。私たちは様々な情報を交換することで、この世界をカラフルな場所にしていくものだと思う。

<<幸せ来る日も キャンセル待ちなの?>>

ごく個人的なことを述べるなら、私の所属する市民バンドは、予定していたスタジオでの合同練習を<<キャンセル>>しつづける数か月を送っている。メンバー各位が無事でいるかを、ただ確認するためでの、LINEのトークルームを作りさえした。そこまで心配する私は、もしかすると考えすぎなのだろうかと書き込んでみたところ、ある人が「そんなことないよ」と応じてくれた。そして教えてくれた、日向坂46の楽曲に「ソンナコトナイヨ」というものがあるよと。

***

前述したとおり、すでに私はアイドルソングへの偏見を(ほぼ完全に)捨てているので、迷うことなく「ソンナコトナイヨ」を聴いた。「ソンナコトナイヨ」は「LOVEマシーン」と同じように、恋情、あるいは恋をすること自体の意義を歌い上げるような佳曲に聴こえる。

<<ソンナコトナイヨ ハグしたくなるほど>>
<<僕は君でなきゃ嫌だ>>

一人称として<<僕>>を用い、それを女性が歌い上げているということに、この曲の良さがあるように思える。あるいは日向坂46は(歌詞を書いたのは秋元康氏だけど)「こういう風に愛されたい」という願望を歌い上げたのかもしれないし、あるいは男性を代弁するように本曲を届けてくれたのかもしれない。

それにしても<<あの絵の女の子のように>>、ある女性が可愛らしいと発信する本曲は、独自性を持つというか「ありきたり」のラブソングには聴こえない。「LOVEマシーン」が社会情勢と恋愛感情の両方を曲に含ませたように、絵画の美しさと女性のそれを重ね合わせるような「ソンナコトナイヨ」は、非凡と言えると思う。すでに偏見を捨てた私であっても、これが単に「誰かから勧められただけの曲」であったとしたら、オリジナリティを感じさせる楽曲ではなかったとしたら、何度も聴きはしなかったと思う。

<<どこにでもいるようなタイプなら>>、本曲は人の共感を誘ったり、あるいは着眼に驚かせたりはできなかったと思う。

***

<<少し自分が高尚な人種になれた気がして>>
<<夜が明けて また小さな庶民>>

Mr.Childrenは、そう歌う。<<庶民>>であることは、大衆的な価値観を持つことは、際立った個性を持たないことは、はたして惨めなことだろうか。「ソンナコトナイヨ」からフレーズを借りれば、<<僕はそう思わない>>。

Mr.Childrenも「彩り」のなかで<<庶民>>にだってできることがあることを示唆しているし、私は<<庶民>>にしかできないことさえあるのではないかと考えている。それは<<庶民>>は<<庶民>>なりの責任(あるいは役割)を持つことを意味することにもなるだろう。

私たちが多様性を認め合った時、それは異なるフィールドで発信をつづけるアーティストを結び付け、互いの存在に気付かせることになりえるのではないだろうか。Mr.Childrenのファンでありながら、モーニング娘。や日向坂46のリスナーであることも果たしうるわけだし(現に私が果たしている)、それを知ってくれたとしたら、Mr.Childrenが「日向坂46を聴いてみるか」と思い立ってくれるかもしれない(あるいは既に聴いているのかもしれない)。

***

<<あんたもあたしも>>、ここまでを生きてきたという「功績」を持ち、他ならぬ自身の感性を持っている。たとえ人が思い込みにとらわれていても、その心が<<1秒ごとに変わって行く>>可能性はあると思う。私が<<まだ出会ったこともない>>アーティスト、あるいは楽曲が、この世界には多くある。

それはきっと「希望」を意味するのではないかと、いま私は考えている。いまモーニング娘。と日向坂46に元気づけられている人たちに(これまでに長く元気づけられてきた人たちに)、「俺はMr.Childrenが好きです」と、この場で、あらためて打ち明けてみる。その価値観が認められることを願って、筆を置きたい。

※<<>>内はモーニング娘。「LOVEマシーン」、日向坂46「ソンナコトナイヨ」、Mr.Children「彩り」の歌詞より引用

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい