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令和2年のハナミズキ

時を経て届いた、一青窈さんの「祈り」

電車通勤をやめて、自転車で通勤するようになった。
電車通勤のときも駅まで歩くとき、そして駅から歩くときにいろんな花を見かけていたけれど、自転車通勤になってより一層、花を目にする機会が増えたように思う。

少し前なら、椿や桜が。
今ならツツジや藤の花、タンポポやシロツメクサも群れるように咲いている。
そんな中、とても気になる花を見つけた。
特に香りがあるわけではないのに、ふっと目を引く白や薄紅色の花を咲かせる木。

なんていう花だろう…
民家の庭先や街路、いたるところで目につくその花はきっと有名な花に違いない、と私は思った。名前を聞けば「ああ!」となるような…

「白い花 木 春」などのキーワードで検索して、たどり着いたその花の名前は「ハナミズキ」だった。
ああ!これがあの有名な…そうだったのか!

それからは毎日、その白い花を見かけるたびに「ハナミズキ」という名前を心の中で呼ぶようになった。
花には特別詳しいわけじゃないけれど、人並み程度には好きだと思う。なのにどうして今まで気に留めなかったんだろうというくらい、本当にあちこちでハナミズキは咲いていた。

そしてある日。いつものようにハナミズキの側を自転車で駆け抜けると、ふと馴染みのあるフレーズが頭の中に流れてきた。

〈君と好きな人が 百年続きますように〉

一青窈さんの「ハナミズキ」だ。
特別お気に入りの歌というわけでも、この曲を熱心に練習したことがあるわけでもない。
それでも、ある程度ソラで歌えてしまう。そういう人はきっと私だけじゃないと思う。
けれど、何度も耳にしてきたはずのフレーズが、この日は今までと違う聴こえ方で響いてきた。
 

令和2年5月現在。
COVID-19、新型コロナウイルスが世界各国で猛威を振るうっている。
感染の拡大を防ぐため、人との接触を極力避けるため、人々は不要不急の外出を控えてなるべく家で過ごすなどしている。
いつかまた行きたい場所へもう一度行けるように、会いたい人にもう一度会えるように。大切な人やものを守るために、今はいろんなことをじっとぐっと耐えている。

〈僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと止まりますように
君と好きな人が 百年続きますように〉

まるで今の様子を表しているようだと思った。
もちろん、この曲が生まれたときに今のこんな状況は想定していなかっただろうけれど。
調べてみると、「ハナミズキ」がリリースされたのは2004年の2月11日らしい。
16年…?16年もの間こんなに身近にありながら、あまりに当たり前のようにそこに在りすぎて見過ごしていた。ハナミズキの歌も、花も。

正直に言うと、「ハナミズキ」の歌詞は少し不思議で難解だと思っていた。
よく分からないけれど、だからと言って歌詞の意味を深く考えようとするわけでもなく…
いつか自分の中でぴったりはまるような日がくるかもね、くらいに思っていた。
なんとなく、生と死を連想させるワードが散りばめられているような気はする。
フレーズごとに分けるとぼんやりイメージできても、全体的に見るとやっぱり分からなくなる。
でも、そういう余白を残しているからこそ、いろんな人がいろんな想いを重ねることで「ハナミズキ」は長く愛され歌われつづけているのかもしれない。
音楽は、聴く人の心境や時代によって同じ曲でも新しい聴こえ方をすることがある。
今まで特に気に留めていなかった曲がある日自分の状況にカチリとはまってシンクロして、心を動かされることも。だから音楽はおもしろいなと思う。
 

ハナミズキの花言葉に「逆境にも耐える愛」というものがある。
ハナミズキが、ゆっくり確実に育っていく様子が由来になっているらしい。
いま、家の中や家の外、それぞれの場所で耐え頑張っている人のそばでハナミズキはそっと佇んでいる。
花はしゃべらないけれど、その花言葉を知ると勝手に元気になったり癒されたり、希望をもらったような気になれるから不思議だ。

ハナミズキには他にも「永続性」という花言葉がある。
〈君と好きな人が 百年続きますように〉という願いを託すにあたって、どうして一青窈さんはハナミズキを選んだのだろう。
花であれば他にもたくさんある。似たような花言葉をもつ花も。その中で、どうしてハナミズキだったのだろう。

「ハナミズキ」の歌は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、一青窈さんが世界の平和を願って書かれたそうだ。
一方、花木のハナミズキはもともとはアメリカが原産らしい。
1912年、当時の東京市長が日米の友好を願ってアメリカに桜を贈り、その返礼品として1915年にハナミズキは日本へ寄贈された。
そのことに由来して「返礼」「私の想いを受け取ってください」という花言葉も与えられている。

もしかすると、だから「ハナミズキ」なのかもしれない。一青窈さんから、アメリカへの想い。人々への想い。
一青窈さんはこの曲を、ツインタワーが崩れる映像を見て、ボロボロ泣きながら書き上げたとインタビューで語っている。
どんなに恐ろしかっただろう。どんなに悲しく、やるせなかっただろう。
最初こそ、彼女を突き動かしたのは強い悲しみや怒りにも似た感情だったかもしれない。でも、最終的に書き上げた「ハナミズキ」にはそれらの感情を超えたような、静かで穏やかな、それでいて芯のある言葉が並んでいるように思う。
そこにあるのは誰かへの恨みや憎しみではなく、ただただ永続的な平和を祈る気持ち。
憎しみに憎しみで返せば、また争いが生まれてしまう。その連鎖を断ち切るために、平和への祈りとして昇華させたのではないかと思えた。
そう考えると、身振り手振りを交えて、ひとつひとつ言葉に想いを込めるように「ハナミズキ」を歌う彼女の姿にも納得がいく。

衣食住のどれにも当てはまらない、花や音楽。
それでも、気持ちを豊かにしてくれたり、心が折れそうなときに支えてくれたりと、人が人らしく生きていく中で欠くことのできない大切な存在だと私は思う。
今、多くの花屋やライブハウスが危機的状況にあると聞く。ライブハウス閉店のニュースに胸が痛む。私の恩師が経営するライブハウスも閉店してしまった。
心の拠り所が静かにぽつぽつと消えていくのを見ているようで、とてもさみしい。
「みんな我慢しているから」「みんな頑張っているから」と、苦しくても声を上げられない人たちもいる。
自分の無力さを嘆きたくなる。
もしかすると、今のこの気持ちは一青窈さんがテロの映像を見て泣きながら筆をとったときの衝動と、近いものがあったりしないだろうか。

病気の恐ろしさは、病気そのものへの恐怖にとどまらない。
経済的な打撃、生活への不安、先の見えない現状に様々な「我慢」による疲れなどが重なって心のバランスが崩れてしまったりもする。
恐怖や不安から生まれる偏見や差別は、瞬く間に人から人へと伝染する。
行き場のない不安が他者への攻撃に変わる前に、恐怖や不安に心を飲まれてしまう前に、どうやって自分の心を守ったらいいのだろう?
私は、そんな「不安」や「恐怖」から心を守ってくれる存在のひとつ、それこそが花や音楽だったりすると思うのだ。
花や音楽さえも届かない程疲れきってしまうこともある。それでも、花や音楽にはそういう力があると思うし、自分にはそれしかないという人も少なからずいると思うのだ。
花も、音楽の未来も守りたい…。具体的に何をしたらいいのかも分からないまま、ただその想いだけが日々心の中に居座りつづけている。
 

ゴールデンウィークが明けた。
6日ぶりに自転車で職場へ向かう途中にハナミズキを探すと、花はほとんど散ってしまっていた。ぱっと見、その他たくさんの木と似た姿だ。
でも、今はそこにあることが分かる。
この数週間、毎日のようにハナミズキを見てきたから。
ハナミズキの花と歌のことが気になって調べていくうちに、いろいろな想いに触れたから。
そうやって私の中で少しだけ、「ハナミズキ」が特別な存在になったから。だから今は花が散っていても分かる。

ハナミズキはこれから、夏になれば涼しげな新葉を茂らせて、秋には葉は紅葉して紅い実をつける。
冬になれば落葉して、その真っ直ぐな幹や華奢な枝の美しさが一層際立つかもしれない。
そしてまた春になれば花が咲いて、同じ佇まいでそこにいるはずだ。
そのとき、「ハナミズキ」を口ずさむ私の心はどう変わっているだろう。世界はどうなっているだろう。
花屋やライブハウスが再び活気付いて、人々が安心して暮らせるようになっていることを願いたい。どうしても、願ってしまう。

その日が来るまで、綺麗事や美談では済まされないようなこともたくさん起こってしまうかもしれない。個人の頑張りではどうしようもないことも。閉店するお店はこれからまだまだ増えるだろう。
でも、悲しみに目を向けてばかりもいられない。
人の密集を避けるために観光名所でチューリップや大藤の花を刈り取ったというニュースもあった。
刈り取られて横たわる花の写真はショッキングなものであったけれど、早めに刈り取ることで来年また元気に花を咲かせるためのエネルギーを温存するというメリットがあることを知った。
それは絶望の淵に追いやられそうな私にとっても、大きな希望となった。
ライブハウスにしても花屋にしても、頑張れるところまで頑張るという選択もをとる人もいれば、早い段階で閉店へと踏み切る選択をとる人もいる。大切な人やものを守るためにそれぞれが考えて考えて考えて出した決断を、私はただただ尊重したい。
大変な状況の中で一人ひとりが踏ん張って、手を取り合って、それぞれに出来ることを工夫して、時に人情に助けられて、なんとか生きている。
それぞれの場所で頑張っている人たちへの敬意を失うことのないようにしたい。

季節がめぐって再び花が咲くように、太陽と月が沈んだらまた昇るように、「終わり」は必ずしも悲しいだけのものではないのかもしれない。そこから生まれる新しい世界を信じてみたいと思った。
一青窈さんが「ハナミズキ」に込めた普遍的で永続的な「祈り」は、16年の時を経て私のもとにも確かな手ごたえをもって届いたようだ。

ハナミズキの花と歌から受けとった想い、感じた今の気持ちを忘れずにいられたらと思う。
もちろん解釈は人それぞれで、正解も不正解もないと思う。
だからこそ私は、私の中の「ハナミズキ」を、この先永く大事に抱えていきたい。

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