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2017年8月25日

kam (23歳)
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うたう人

フジファブリック・山内総一郎とアルバム『LIFE』

 ボーカリスト、あるいは「歌をうたう人」とひとくちに言ってもいろいろな人がいる。声がきれいな人、表現力が豊かな人、音程が正確な人、ひとりで歌う人、バンドで歌う人、自分でつくった歌を歌う人。
 そんな中で、ほかの人の歌をうたい継ぎ、また自分の歌もうたうようになった人とその作品について、今日は書いてみたい。

 その人というのは、フジファブリックのボーカル・ギター、山内総一郎だ。
 彼は元々ギタリストとしてフジファブリックに在籍していたが、今では二代目のボーカルを務めている。このことはおそらくよく知られた話だと思うので、ここでは詳しい経緯は割愛する。今回はあくまでも、歌をつくり、自らうたう人としての山内総一郎に焦点をあてたい。

初代ボーカルである志村正彦のいた頃から、山内も作曲には携わっていた。バランスの良いメロディーメーカーとしての素質は「水飴と綿飴」や「記念写真」「まばたき」のような曲に既に発揮されているし、「B.O.I.P.」のようにパンチのある曲だって作っていた。ただ、志村がいなくなってからもバンドを継続させていくにあたって、志村ののこした歌をうたうことも、自分で歌詞を書いて自分でうたうことも、彼にとって全く新しい試みで、相当な試行錯誤や努力が必要だっただろうことは想像に難くない。
 それでも、彼が「うたうこと」に向き合い、殻を破ったことを示す作品がある。山内をボーカルに据えた3人体制のフジファブリックが本格的に動き出してから3年後の2014年9月に、彼らがリリースしたアルバム『LIFE』がそれだ。
 この『LIFE』では、それまでに3人で出した2枚のアルバム『STAR』と『VOYAGER』に比べて、山内の作詞作曲が目を引く。数的な意味でというだけではなく、とりわけ、彼自身の内面に踏み込んだような、ノンフィクションと言って良いような歌詞が展開されているという点で、本作はそれ以前の2作品とは違っていた。それはタイトルの通り、彼の生き方、半生を映すようなアルバムになっていた。
 ノンフィクションの歌詞、私小説的なアルバム。志村にもそのような作品があった。全作詞作曲を自らが手掛け、アレンジの方向性まですべて自分で決めて作った『CHRONICLE』。山内にとっての『LIFE』を、志村にとっての『CHRONICLE』と等しく見ることもできるかもしれない。

 そんな『LIFE』には、ソングライターとして自身の内面を探り、それを外に向けて解き放とうとする山内の、嘘のないまっすぐでまっさらな言葉が詰め込まれている。
冒頭、幻想的なインストゥルメンタル曲の「リバース」を導入として、「Gum」が流れてくる。
 
 毎回その場しのぎでなんとなく 過ごしてたから
 僕はどうやっても君らしく生きることができない
 梅は梅ガムの匂いがする だから好きだと
 何気なく言ってたけどそれもまだよくわからないんだ

 何一つ同じじゃないはずなのに

(「Gum」)

 自分にとって大切な人のことを思い出し、あるいはその人と自分とを比べて生き方に葛藤するような歌詞には、志村のことを重ねて聴きたくもなるが、必ずしもそれに尽きるわけではなく、過去を振り返りながら、それでは自分はどうなりたいのかと自ら問うような曲だろう。ここにこのアルバム全体を通しての彼の姿勢が表明されているように思う。
 アルバムと同じ題名を冠した曲「LIFE」では《ちっちゃい頃に思ってた 未来の姿と今はなんだか/違うようだけれどそれもいっか/僕は旅に出たんだよ 雨の日も風の日もあるけど/大切な何か知りたいんだ》と、自身の現在地と行先を確かめるように歌う。「efil」ではまた《切り裂いて広がる世界へ》の船出が描かれる。人生を旅にたとえることは使いまわされた技巧だろうか。その比喩自体はそうかもしれないけれども、この曲たちの中に綴られている言葉は確かに山内総一郎という生きた人間のものだ。「シャリー」や「WIRED」のようなどこかコミカルな印象の曲も、演奏面でフジファブリックらしい自由な遊びを伴いつつ、歌詞の上では人間味に溢れている。
 さて飛び出したは良いけれど、順調にいかないこともある。「robologue」でひたすらに自分と向き合い苦悩し、もがきながらも《変えられるぜ 変われるんだぜ》(「バタアシParty Night」)と歌った彼は、「sing」に至って自分が歌う理由に出会う。とてもシンプルな答えに。

君をおもい
僕は歌う
ラララってね

(「sing」)

 《この目で見えたとしたら/色や形を見る事ができるのなら/ずっと大切にできただろうか/ずっと近くにいれただろうか》(「カタチ」)と、通り過ぎてしまった優しさに思いを馳せながら、最後の曲「卒業」で、さなぎから羽ばたく時を思い、春の中「悲しみはこのまま雨と流れて行けよ」と歌いあげて再び歩き出す。「卒業」を逆再生すると、アルバムの頭に収録されている楽曲「リバース」となる。「逆転、裏返し」の意で “reverse”――アルバムのジャケットに英字で表記された曲名ではそうなっているが、ブックレットに表記された曲名は片仮名で「リバース」。それは、「復活」を指す “rebirth” を想起させるものでもある。そうして人生は続いていく。

 『LIFE』は、生きていく中でふと訪れるさまざまな瞬間の情景を、その時の感情ごと切り取ったような作品でもある。梅が咲く早春の朝の「Gum」、新緑の中を雨上がりの風が吹く「LIFE」、夕立が残る踏切の「ブルー」、暑くなりそうな日の朝を思わせる「F.T.79」、真夏の西日がさす「祭りのまえ」、終わった夏を思う「フラッシュダンス」、笑うのは秋の月であろう「sing」、再びの春を迎えようとする「卒業」。一曲ごとに、山内が彼自身のやりかたで、自身のことばで描く、二度とは出会えない色々の風景がある。『LIFE』の山内総一郎は、自ら歌を作り、それをうたう人としての覚悟を、ほかでもないその作品を通して示したのだ。
 収録されている曲の中にはアルバムに先んじてリリースされていたものもある。しかしそのような曲もすべて含めて、『LIFE』はアルバム1枚を通して一篇の物語になっている。それは山内総一郎自身の物語、あるいはフジファブリックの物語であると同時に、聴き手に対してとても開かれた物語だ。詞の出てくる源はとてもパーソナルなところにある一方で、それらを普遍的な言葉で表現し、自らうたう人。『LIFE』をつくったことで、彼はさなぎの殻を破ったのだろう。

 この『LIFE』が世に出て、今年でさらに3年が経つ。山内は「うたう人」として確実に飛躍を遂げてきた。フジファブリックとしての活動の充実はもちろんだが、ソロで弾き語りのライブに出演する機会が増える中で、彼の歌はフジファブリックを知らない人をも魅了するようになっていった。
 弾き語りの場でも『LIFE』の収録曲は存在感を持っている。やわらかな歌い出しから徐々に感情が揺らぎ、たまらなくなるような「ブルー」も、軽やかなスキャットで遊んでみせながら会場をあたたかく満たす「LIFE」も、彼の歌として響いている。
 その一方で、いまなお健在の(むしろこちらも進化している)ギタリストとしての側面を発揮して、ほかのソロシンガーにはない武器で観客を引き込みもする。ステージを練り歩きながらかき鳴らす、まるでバンドの音が聞こえるような「虹」は圧巻だ。弾き語りの舞台に立つ彼は、どんどん自由にうたい、奏でるようになっていった。そして彼が自由になるにつれて、彼のうたう志村の曲もまた、いっそう生きた輝きを放つようになっていったように思う。今夏、各地のフェスやイベントで、フジファブリックとしてのバンドセットでも山内の弾き語りでも披露された志村の代表作のひとつ「若者のすべて」にも、あるいはそのような変化があらわれていたかもしれない。

 今年の9月、山内はソロでのワンマンライブという新しい試みを控えている。フジファブリックのフロントマンであるということに変わりはなく、それでいてうたう人としての彼は進化し続ける。その歌声と奏でる音楽、そしてその作品は、この先もまだまだ高く、遠くをめざして羽ばたいていくはずだ。

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