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BUMP OF CHICKENと共に音楽新時代を切り拓いていく

今、それぞれの四畳半の片隅で、同じ苦しみ・痛みを抱える僕らだけに歌える唄がある

私の理想の人、憧れの人、尊敬できる人は、非常時、緊急時、冷静な対応を取れる人。何の問題もなく、のほほんと暮らせる平穏な時に誰にでもやさしくできるのは当たり前のことで。ありがちなセリフを拝借すれば、“健やかなる時ではなく病める時”ちゃんと健やかな時と変わらず、冷静な愛を与えてくれる人が理想のタイプだ。そんな人はなかなかいないのだけれど、幼少期からささいな問題が起きる度に、言い争う大人たちを間近で見て来たものだから、そんな現実ではなかなかいないタイプの人を求めてしまう。

2020年5月4日、予想通り、緊急事態宣言の延長が決定し、覚悟していたとは言え、少しだけ落ち込んでしまった。通常、ひきこもりのような生活を送っている私でさえ、外出制限等は少しつらい。出歩くことが好きな人たちにとって宣言の延長は落胆しかないだろう。しかし悪いことばかりではなかった。同日、BUMP OF CHICKEN の公式YouTubeに『BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDER』のライブ映像と、YouTubeには公開されていなかった複数のMVがアップされたのだ。私は終わらせることのできなかった仕事をこなしつつ、YouTubeを見られない分、聞いていた。

懐かしい過去の楽曲、バンプの軌跡、そして新しい発見…。心が弱っている時に聞いているせいか、今まで以上にバンプの楽曲が心に響く。それまでとは違った捉え方ができる歌詞も多かった。こんなことがなければ、気付けなかった楽曲の新たな一面。それを私は書き残したくなった。緊急事態でなければ気付けなかったかもしれないバンプの良さがまだまだあることを伝えたくなった。闇夜に灯火とはまさにこのことだろう。

<四畳半を拡げたくて 閃いてからは速かった 次の日には 出来上がった 手作りプラネタリウム>

「プラネタリウム」の冒頭を聞いた瞬間、これだとひらめいた。藤くんは“STAY HOME”なんて言葉を考えもしなかった昔から、<四畳半>という狭い場所にいても、自分の世界を広げていた。どこにいたって、無限の可能性を見つめて、探って、試行していた。

<天井も壁も無くなって 代わりに宇宙を敷き詰めて 窓は一度も 開けないままで 全てを手に入れた>

窓さえ開けなくても、自分の理想の世界を自分の手で作り上げることができる。天井も壁も気にすることなく、自分の空間に閉じこもることができる。これはまさに今、全世界で求められているライフスタイル、究極の“おうち時間”ではないだろうか。

<四畳半の片隅には ここにしか無い星がある 傷付かず 傷付けないままで 君をついに閉じ込めた>

逆に現実世界では実在しないものを、<四畳半>の自分だけの世界だからこそ、存在を実現させられる場合もある。今の時期、他者と会ってしまえば傷付けてしまう恐れもある。大切な人のことは自分の中に閉じ込めておく方が、賢明な判断なのである。

<四畳半の窓を開けて 見上げれば現実が巡る 実在しない星を 探す心が プラネタリウム>

リアル社会と連動させれば窓は閉め切るより、たまには開けて換気した方がいい。窓を開けてしまえば、嫌でも現実世界が見えてしまう。自分で作り上げた理想のものは虚構と化して、現実を突きつけられる。実在しない星を信じて、自作プラネタリウムを作るという夢見心地は窓を開けるというたったそれだけの行為で消えそうになってしまう。

<見えなくても 輝いてて 触れようと 君の名前を呼ぶ 一番眩しい あの星の涙は 僕しか知らない>

でも<四畳半>の部屋でプラネタリウムを作ったのは事実で、狭い空間にいても、ちゃんと夢を見られたことは現実で、やっぱり窓を開けたくらいで消えてしまう絵空事ではない。<僕>が<君>を想う気持ちは会えなくても宇宙のように深く、想いが相手に届かないとしても、<僕>の心は星のように輝き続けている。これこそ、“STAY HOME”を理想的に体現した唄ではないだろうかと今、こんな時期だからそう感じた。

そしてもう一曲、新たな捉え方ができた楽曲がある。

<僕がここに在る事は あなたの在った証拠で 僕がここに置く唄は あなたと置いた証拠で>

「花の名」の歌詞がまさにその通りだった。バンプがYouTubeにアップしてくれたライブ映像は私たちリスナーがバンプと共に楽しく過ごした時間の証拠で、過去のMVの数々はそのMVを見るリスナーの数だけ、オリジナルMVのようなバンプとの思い出が詰まっていて、これまでのバンプの楽曲が制作したバンプだけのものではなくスタッフやリスナーみんなのものということを改めて示してくれた気がする。音楽の作り手と聞き手が一緒に音楽の思い出を築き上げて来た証だと思った。

<生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ>

バンプはリスナーのことを大切にしてくれる。こんな閉塞感ばかり漂う時代に、誰もが生命の危機に怯えながら、それでもまた推しのアーティストに会えると信じて、必死に静かに乗り越えようとしている。生きる力を借りているのはリスナーの方なんだけれど、バンプの場合、まるでリスナーにこれまでの恩返しをするかの如く、ライブ映像も、MVも出し惜しみせず、披露してくれた。バンプの愛の深さを感じた。

ライブ映像はかつて当たり前だった日常、戻りたいけれど、戻れない幸せな過去にひととき戻れて、その幸せだった瞬間に負けないくらい素敵な未来の時間にバンプと一緒に出会いたいって思えて、今のつらい現実を乗り越えられる気がした。
きっとバンプが過去のライブ以上の素晴らしい時間を作ってくれる、リスナーと共に希望を作っていけると思えた。このライブ中、

<そうして知った痛みが こうして僕ら繋いでいる>

と藤くんが「天体観測」の歌詞を少し変えて歌ってくれたように、
今、私たちは“平等な傷”を負っていて、“共通の痛み”が増した分、アーティストとリスナーの絆は強固なものになったと考えられる。

<涙や笑顔を 忘れた時だけ 思い出して下さい 同じ苦しみに 迷った あなただけに 歌える唄がある 僕だけに 聴こえる唄がある>

現在、多くの人たちが心からの笑顔を忘れて、忙しい職種の人たちは涙を流す時間さえ許されずに、生きている。平常時と違って、世界的な非常時というのは、ひとつだけ良いことがあると個人的に思っていて、それは、ほぼ皆が同じ時間に同じような気持ちで以心伝心というか、言わなくても分かる苦しみ、つらさを抱えていることが唯一の救いではないかなと思う。つまり、世界中の人たちが平等に<同じ苦しみ>をもつ試練を与えられたから、その分、共通して、<歌える唄>、<聴こえる唄>があることはせめてもの救いではないかと考えている。つまり「花の名」は私だけでなく、多くの人たちにこれまでとは少し違う歌詞の解釈で同じように心に響いているのではないかなと信じたい。

<皆 会いたい人がいる 皆 待っている人がいる 会いたい人がいるのなら それを待っている人がいる いつでも>

このフレーズなんかはまさにその通りで。現状、みんな、会いたい人、待っている人になっている。平常でも大切な人がいれば、誰しもそう思うけれど、今は本当に会えない場合が多い。だからこのフレーズが相当心に刺さる。会いたい人に会えない時間が長ければ長いほど、想いは募って、相手のことを考える時間が増える。だから、そんな風に考えれば、会えないこの瞬間も、「プラネタリウム」の藤くん流の考え方をすれば、

<いつだって見付けるよ 君の場所は 僕しか知らない 僕しか見えない>

というように、面と向かって会えないだけで、自分の中の世界ではいつだって<君>と会えているから大丈夫と思える。会えなくてつらくなるほど会いたい人がいることは幸せなことだろうとも感じられる。だからやっぱり悪いことばかりではない。当たり前のように会えていたことの方が奇跡なんだって気付けたから、考え方次第で、みんなに共通の救いが増える。非常時は本当に大切なことを気付かせてくれる。というか大切なことしか残らない仕組みになっている気がする。非常事態なんて本当は嫌だけれど、大切なことに気付けるなら、悪くないなと思える。せめてそう思いたい。

<いつか 涙や笑顔を 忘れた時だけ 思い出して下さい 迷わずひとつを 選んだ あなただけに 歌える唄がある 僕だけに 聴こえる唄がある 僕だけを 待っている人がいる あなただけに 会いたい人がいる>

迷わず選ぶというか、非常時は自然と大切なものが残るので、やっぱり今の私たちにしか<歌えない唄>、<聴こえない唄>があると思う。みんな推しのアーティストに会いたいし、アーティストもまたライブなどでリスナーに会いたいと思ってくれていると信じたい。

こんな時だから、「プラネタリウム」や「花の名」の歌詞が私にはこのように捉えられた。
しかし、単純に藤くんの歌詞をなぞりたかったわけではない。

最初の話に戻ると、今回バンプのYouTubeが更新されたことによって、私はBUMP OF CHICKENが、藤原基央の歌詞がまさに自分の理想、憧れ、尊敬の対象と気付いたのだ。バンプの音楽は平常時からそうだったけれど、非常時により威力を発揮する。そっと涙を掬って救ってくれる。落ち込んだ時に励ましてくれるし、でも空元気に励ますんじゃなくて、そのままでいいから、ちょっとだけ前向こうって弱い自分にもできそうな勇気を与えてくれる。冷静にやさしく、一緒にいるから大丈夫だよって寄り添ってくれる。俺たちみんなのこと忘れてないし、むしろこんな時だからリスナーが必要だし、“見えないものを見ようとする”俺たちなら少しくらい会えないことはそんな支障にならないでしょとYouTubeで勇気付けられた気がする。
緊急事態宣言延長のおかげで、私はずっと求めていた理想の存在とすでに出会えていたことに気付けたのである。

“新しい日常”なる言葉が世界的に使われ始めている。どうやら単純にこれまでの日常に戻ること、完全に元の暮らしに戻すことは困難らしい。つまり飽きるほどライブに参戦したり、カラオケ等で無防備に対面で歌い合ったり、当たり前と信じていた幸せな音楽ライフを取り戻そうとすることは難しいのかもしれない。けれど、だからと言って、悲しいとかつらいとか思うんじゃなくて、こうなったら、音楽ファンが一丸となって、新しい音楽の楽しみ方を探って開拓していくしか方法はないんじゃないかと思う。私たちは知らないうちに新たな音楽時代を担う先駆者としての使命を与えられたのかもしれない。気付かないうちに新しい時代は始まっていて、元に戻ろうとするだけが得策ではないのかもしれない。

緊急事態宣言が発令されてもされなくても、いつだって音楽が好きな人たちの側には音楽があって、必要としていて、それを奪うことは誰もできないだろう。
実際、推しアーティストのライブが延期、中止になってしまっても、だからと言ってすぐさまファンをやめるなんてリスナーはいないだろう。過去の音源を貪り、新譜を待ちわびて、アーティストに思いを馳せている。
アーティストだって、ライブしづらい現状だからと言って、急にアーティスト活動を停止させる人はおらず、無観客ライブ、自宅ライブなど、可能な方法で、ちゃんと活動してくれている。
恵まれていた時代に戻れないからって、音楽が消えてしまうわけではないのだ。過酷な試練と戦っていかなければならない時代がやって来たからこそ、これからは今まで以上に音楽の力が必要とされるに違いない。

少し前まで当たり前だったんじゃなくて、相当恵まれた奇跡みたいな時期を過ごしていただけで、長い地球の歴史で考えればきっと健やかなる時より、病める時の方がはるかに時間は長いだろう。だから、ある意味、緊急事態は非常ではなく、平常と捉えれば、少しは苦痛も和らぐ。そういう意味で、これからは“新しい日常”を築かなければならないのだろう。
馴染むまで時間がかかるかもしれない“新しい日常”生活で癒しを与えてくれる存在は音楽ファンにとってはやはり音楽なわけで。これからますます音楽という存在が必要となる時代を迎えてしまったから、私はこうして書くことで、音楽を応援している。(つもりである。)

苦しんだ分、会えない分、生まれる楽曲があると思う。バンプにしか紡げない音楽、藤くんにしか歌えない唄が、新たな名曲がきっとたくさん生まれる。
今頃、大切な“痛み”、“苦しみ”を糧に、リスナーをあっと驚かせてくれる新曲を磨いてくれているだろうと考えると、わくわく期待してしまう。
音楽の楽しみ方の形が変わったとしても、音楽を作る人、必要とする聞き手がひとりでもいる限り、音楽はなくならない。希望の灯火は消えないのである。

少し話は逸れてしまうけれど、宇宙飛行士を目指しているような子どもがいたら、今の生活は宇宙飛行士になるための訓練期間だよと教えてあげたい。閉鎖的空間で精神力を高め、耐えることは宇宙飛行士になりたい人なら必須だから。
こんな状況も夢を叶えるための道のりと思えば、つらさは和らぐ。

苦しんだ分、喜びは増す。悲しんだ分、ささやかな幸せを感じられるようになる。だから、季節は“春は必ず来る”はずだった春もいつの間にか終盤に差し掛かり、憂鬱な梅雨が近付いているけれど、待ち望んだ分だけ、新しい形でのライブや新曲が披露される時の歓喜は計り知れない。私はそれを信じている。どんな時代が訪れようとも、音楽が迷子になりそうな私たちを必ず導いてくれる。良き友、良き伴侶として、健やかなる時も病める時も音楽が私たちを支えてくれる。だから私は絶対手放さない。音楽を信じているから、聞き続けるし、待ち続けるし、微力ながら自ら行動し続ける。

あんなことがあったけど、あの時諦めなくて良かった、音楽の力を信じて良かったと言える新時代であってほしい。2020年は“NEO音楽元年”と言えるかもしれない。
こんな事態にならなければ、ライブの素晴らしさ、皆で無邪気に音楽を楽しめる尊さ、既存の楽曲を別の角度から捉えること、そして音楽のかけがえのなさに気付けないまま、あって当たり前と錯覚していた幸せな日常に甘んじて、永久的に何も考えることなく、音楽を進化させることを考えもせず、音楽を空気みたいに体内に取り込んで、噛み砕くこともせず、ただ貪っていたかもしれない。音楽界にとっても緊急事態が起きたことによって、私たちにとって音楽がどれほど大切な存在だったか再認識し、知恵を出し合って、より良い方向へ舵を切ることができたなら、従来の音楽が失われかけたこのつらい時期も意味があったと言えるだろう。

戻れないなら手段を変えて進めばいい。失くしてしまったものは作り直せばいい。幸い早く音楽を作りたい、聞きたい人たちばかりなのだから、きっと難しいことではない。
「ゼロ」からスタートするつもりで、荒野を切り拓いて行ければいい。
ということで、最後にこの曲を引用したい。

<終わりまであなたといたい それ以外確かな思いが無い ここでしか息が出来ない 何と引き換えても 守り抜かなきゃ>

私にとっての<あなた>は今は音楽だから、本当にこの通りの心境で。音楽がないときっと心の呼吸が乱れてしまう。心が息苦しくなるから<あなた>にいてほしいし、<あなた>を守りたい。<祈りの唄>は<続く者の灯火>となり、<虹の麓>へも連れて行ってくれる。不可能なことなんてない。音楽が私たちに勇気を与えてくれるから。これまでも音楽は私にたくさんの可能性を分けてくれたし、無理と思って諦めていたことを実現させる手助けをしてくれた。だから絶対、私は<終わりまで>聞き続けるよ。

緊急事態宣言延長が決定した日、バンプの貴重な音源をYou Tubeで聞いて、そんなことを考えてしまった。これまでとは少し違った感覚で過去の楽曲と向き合えたから、やっぱり非常時なんだなと実感した。早くこの非常に慣れたい。“新しい日常”にも確実にBUMP OF CHICKENは必要だと改めて気付いた夜だった。

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