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天国への階段の踊り場で躍るダンス

レッド・ツェッペリン「Ⅳ」は聴いても聴いても足りない

1968年に活動を始めたイギリスのロックバンド、レッド・ツェッペリンは、その知名度に対してみると、活動期間は約10年しかないことに今さら気付いた。ドラム奏者ジョン・ボーナムが1980年に亡くなるまでの期間に残された曲が収録されたものが8枚、9枚とある。それらの作品の中で、名作アルバムとして多くの人に認知されているのは4作目の「Ⅳ」なのだと思う。理由は名曲”Stairway To Heaven(天国への階段)”が入っているからなのか。

僕はレッド・ツェッペリンを聴いていると身体が動いてくる。決しておおやけに踊っているわけではない。音楽の内容、そのロックのリズム、ダイナミズムに痺れて痙攣しているということでもない。ほんとは踊ればいいのだけれど、見られたら恥ずかしいよね。だから足を小刻みに踏んだり、たてによこにと動かしてみたり、手で膝を打ったりして、リズムに合わせようとしてみる。時には柔軟体操をしているフリをして隠れダンスをやっていたりする。

レッド・ツェッペリンが聴き手を踊らせるように弾ませるのは、やはりそのドラムサウンドなのだと思う。けれども、リズムだけでなくギターにもその魔力はあるのだろう。ギターの音に合わせても身体は動く。ベースにも体幹を奮わせる振動を伝えてくるものがある。レッド・ツェッペリンをダンスミュージックのバンドだと言うつもりはない。しかし彼らのビートは強烈だ。

レッド・ツェッペリンの名作「Ⅳ」は、決してあの”天国への階段”を聴くためにあるのではない、ということは言っておきたい。僕はこの曲が好きだ。始めのアコースティックギターのアルペジオからリコーダーの音が重なっていくところから、徐々に展開を詰めて進めてゆく構成は素晴らしい。ひとつひとつの展開がよく考えられ練られた末の構成力には唸らされる。聴きながらひとつの展開を確かめるように、次はこう来るこう来る、もうすぐもうすぐと待ち焦がれるみたいに、いやいやまだ、まだと行って、そうだ、そう、そうと言って、おお凄い、凄いと感極まってクライマックス、余韻に浸るのは一瞬、最期の締めを穏やかに受け入れる。これは、名曲になるべくしてなった完璧な、とも言える完成度なのだと思う。
僕は正直なところ、若い頃から今までこの曲が聞こえてくると、ああまたか、というような気分になったものだ。理由は、ロックの名曲であるからこそ、古典として、ロックの字引、教科書、参考書の如く、練習曲にされていることを快く思えなかったからだ。また誰かが真似事をやっていると思った。まるでそれは使い古されていた。定番は定番になるほど飽き飽きしてくるのも確かだ。”天国への階段”は大名曲であるからこそ、揶揄や嘲笑の的になることはあり得る。現にそれは多く音楽あるあるの笑いのネタにさえされている。でも笑えないよね。おもしろくない。
やはり、”Stairway To Heaven”をやるからには”完璧”でなくてはいけない。そんなことばが気分のなかをすきま風の如く吹き抜けてゆく。レッド・ツェッペリンだからこそ成し得たこの奇跡だと僕は思う。
そんな事を思っていて、純粋に楽しめる筈がない。

だからなのか、そうじゃないのか、僕は何度も何度もこの「Ⅳ」のアルバムを繰り返し聴いてしまう。途中でやめたくなることもある。だけれど、また聴きたいのだった。
“Stairway To Heaven”を聴くためではない。何度も何度も聴いて理解が及ばずついていけないのは実は”ブラック・ドッグ”だった。”Black Dog”は元来、不吉な存在として捉えられるものなのだろう。その意味合いは、地獄の番犬ヘルハウンドや亡霊とも例えられるらしい。天国への階段という言葉に連想として通ずる黒い犬なのか。いやそれは地獄の話でしょ。たぶん関係ないとして、この話になんの関係もないのだが、僕は”Black Dog”を心底、融解させたいがためにこの名作アルバム「Ⅳ」を聴いているのかもしれない。”ブラック・ドッグ”は”変”な曲だ。事実、リズムに変拍子を利用している。僕はここでいつも引っ掛かってつまずくのだった。流して聞いてしまう。ついつい流して、この凄さを聞き逃してただのリズム感として甘んじて受け入れてしまう。
ああ、またか、しまった、ちゃんときいてなかった、わすれてた、といっているうちに、2曲目の”ロックン・ロール(Rock And Roll)”が始まっているのだった。
ここからは単純明快だ。その愉快なロックンロールビートにノリノリになって任せるだけだ。いやいやそうじゃないんだ”ブラック・ドッグ”またもういっかいやり直しだなとそこでまた思う。輪廻だな。

とりあえずロックンロールを楽しんで、本当に好きなのは、”The Battle Of Evermore”なのだった。これはほんとだ。ロバート・プラントと共に唄うサンディ・デニーの麗しい声に流されて、ジミー・ペイジのアコースティックギターにさらわれて、風は吹き抜け、雲は動いてゆく。雲の切れ間から差す陽のひかり。キラキラのフォークソング、英国のトラディショナルフォークさながらに舞踏がめくるめく。フォークでもこんなにスウィングするんだ、と思う。巷の転がるロックンロールとほとんど変わらないスウィング感だと感ずる。
ロックを聴く人ならば、レッド・ツェッペリンを好きな人は多いだろう。しかしこのツェッペリン史上、バンドメンバー以外の声が堂々と差し込まれる”The Battle Of Evermore”のフォーク趣味、たとえこれが好きな人はいるだろうけれども、サンディ・デニーの音楽をわざわざ聴いてみようと思うことは少ないのかもしれない。SANDY DENNYは英国フォークロックのバンド、フェアポート・コンヴェンションというグループの初期に唄っていた歌姫だ。1978年に亡くなっているため、その後のサンディー・デニーのソロアルバムは数えれば数枚だけだが、透徹の英国トラディショナルフォークよりももう少しくだけて、ポップに、あるいはノスタルジックに、心に沁みるものも多い。どんな人にも分かりやすい、ポップに受け入れやすい、良い曲満載のアルバムは、1974年の「Like An Old Fashion Waltz」だと思う。
あるいは、”The Battle Of Evermore”の響きが気になるなら、英国のフォークグループ、PENTANGLE(ペンタングル)は聞き逃せないと思う。ジミー・ペイジに影響を与えたフォークギタリスト、バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーンという二人の変則チューニングによる鮮やかな弦さばき、単純なフォークソングではないプログレッシヴな曲想も興味深い。ジミー・ペイジのフォーク趣味を理解するためにも、これは聴きたい。それならさかのぼってデイヴィ・グレアムにも行けるだろう。

レッド・ツェッペリンがフォークに傾倒していたのは最初の「LED ZEPPELIN(Ⅰ)」からだが、「Ⅲ」では展開として、それが顕著になる。その上での「Ⅳ」のこの流れだが、これ以降ツェッペリンのアルバムには、如何にもという英国趣味のフォークサウンドは聞こえなくなっていく。いわば、”天国への階段”はそもそもフォークのような曲想だ。しかし劇性は目まぐるしい。
僕はこの”Stairway To Heaven”の曲想の端初になっているのは、1969年のアルバム「Ⅰ」にある、”Babe I’m Gonna Leave You”だと思う。ツェッペリンが好きなら、そこからの発展なのだと、たぶんみんな知っているのだと思うが、僕は”Stairway To Heaven”よりもこちらの方が響く。これもアコースティックギターを効果的にロックの激しさに組み合わせた傑作だ。けれども周知の”天国への階段”に比べ、相当に見過ごされている。

レッド・ツェッペリンのロックで、構成力のある名曲は、1969年”Babe I’m Gonna Leave You”から1971年”Stairway To Heaven”へと繋がった、とするなら、それをさらに展開していったのはどれなのだろう。ツェッペリンの曲で、長編の構成になっているものは、1976年の”Achilles Last Stand(アキレス最後の戦い)”だ。これは”天国への階段”に通じるのだと思う。ジミー・ペイジが考えたのもそこだったのではないかと気付く。”天国への階段”の曲の長さは8分位だが、”アキレス”は11分近くにもなる。その前に、長尺の曲は他にもあることを挙げておこう。1969年”Dazed And Confused”はオリジナルバージョンから長めの曲だったが、ライブではさらに長くなって20分以上にもなる。スタジオバージョンの”Whole Lotta Love(胸いっぱいの愛を)”は5分程度だったが、ライブでは15分、20分にもなる。これらは実に構成ではなく長尺に引き延ばされているだけだろうか。
そういう意味では、構成力、展開力という点で、練られた完成度の高い曲は”アキレス”なのだろう。しかしそれよりも前にまだこの種の曲があるのがいつも気になる。1975年の”In My Time Of Dying(死にかけて)”だ。これを構成と言うのはドラマティックに欠けるかもしれない。”死にかけて”の時間は、また11分にもなる。徐々に熱く激しく硬く強く鋭く燃えてゆく展開の凄みには唖然とさせられる。この曲想の規範はブルースなのだと思う。実際に、歌詞は聖書の一節から採られ、それを引用した古いブルース曲からの着想なのだそうだ。しかし、ここからどのようなブルースのオリジナルを想像出来得ようか。ツェッペリンの曲はブルースから盗用したと度々非難されてきたというが、そもそも発想力は凄いものだ。
1976年のアルバム「PRESENCE」に於ける決定曲は、”Achilles Last Stand”だというのは間違いない。アルバム構成のなかでこれと呼応しているのは、”Nobody’s Fault But Mine”だろう。音楽の枠組みがレコードだった時代、アルバムには、A面B面、サイド1サイド2という半面片面同士のそれぞれの構成があった。「プレゼンス」のそれぞれの面の最初を飾るハードな曲として配置されているこれらの2つだ。”Nobody’s Fault But Mine”も、またその歌詞がブルースからのものだ。しかしこれも相当に凄い。グルーヴと展開、まるで雷鳴の如くだ。自分には、この構成も完璧なのだと思える。レッド・ツェッペリンはその名前が伝説として残っているだけで、実は掘り下げられていないのかもしれない。
“アキレス最後の戦い”の仰天の展開は、徐々に盛り上がるどころか、最初から全開である。スピード、強さ、けたたましさ、クライマックスは何処でもない。
この響きがあるだけで勇壮にもなれる。”天国への階段”の最期の、ロバート・プラントの絶唱は素晴らしいが、そこまで待たずとも、”アキレス”は全力で走るのだ。同じ神話であろうとも決して走れメロスではない。友のためでなくとも、たとえアキレス腱が切れていようとも。
そういえば、この録音の時、ロバート・プラントは事故で足が不自由だったそうだ。凄いな。

いったい何の話か。主題はレッド・ツェッペリン「Ⅳ」だった。アルバムの構成で言えば、レコードのサイド1サイド2の最初の2曲は強めのビートとリズムで揃えられている。次に来るアコースティック曲というのも同じだ。そして最後に来る目玉、大目玉なのだ。ここもしっかり、本懐として構成されている。
サイド1は”Stairway To Heaven(天国への階段)”であり、サイド2は”When The Levee Breaks”だ。この曲はレッド・ツェッペリンのなかでも重要なものだ。まずドラムサウンドの強烈さが凄い。その後のツェッペリンの方向性を決めたようなドラムサウンドの確立がここにはある。曲想はまたも、ブルースである。

レッド・ツェッペリンの強力な音楽は、やはりブルース抜きには成り立たないのだと思う。そもそも、「Ⅳ」のアルバムの最初の決め手の1曲目、2曲目は、形は違えど、重いビートとリズムによる独自のブルース表現であるに他ならない。彼らは、ブルースの本来もっていた原初性をロックであるかのように作り替えたのだと思う。ビートもリズムも実は単純ではない。ビートが強いがゆえにシンプルに単純に聞こえたとして、もはやそう聞こえるように仕組まれているのだと思う。
例えば、「Ⅳ」の音の鳴り方を隅から隅まで細かく聴いてみれば分かる。これらの音楽を成り立たせている
ひとつひとつの音は周到に配置され、どう聞こえるかというところが考え抜かれているのだと感じる。
かつて1960年代にビートルズやジミ・ヘンドリックスが実験していた音響がここに受け継がれている。ジミー・ペイジは経験と試験により素晴らしい仕事を成し遂げたのだ。

「Ⅳ」のなかで一番好きなのは、”Misty Moutain Hop”だった。次の”Four Sticks”もいい。
いつも思うのだが、レッド・ツェッペリンの名作「Ⅳ」は変だ。かなり変だ。それを象徴するのが”Misty Moutain Hop”と”Four Sticks”だ。
ここには緊張の緩和がある。笑いがある。
特に”ミスティ・マウンテン・ホップ”の緊張のビート極点からの急落の脱力感が大好きだ。
緩むところで笑ってしまう。

ゆううつにならぬように、
今日も踊り場で踊ろう。
決して迷惑にならぬように、
ダンスは控えめに。

天国への階段をのぼっていくのはまだ早い。

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