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Sワンダー熱唱。故ビル・ウィザースのリーン・オン・ミーは今聴くべき名曲

ネット時代のチャリティのワンワールド。見せ場は故ビル・ウィザースの名曲リーンオンミーを歌ったSワンダー

この年齢になってくると憧れたミュージシャンの訃報に接することが多い。そうするとどうしても若い頃を思い出す。そういう出来事も多い。このご時世だからそういう余計にノスタルジックな気分にもなってしまうのだろう。乾いた文章を書きたい。

10代から20代の前半に聴き狂ったとしか表現できないビル・ウィザースが逝去した。完全に引退状態で、日本では大きな話題にもならなかったが、つい最近、ビル・ウィザースの偉大さを感じる出来事があった。
 

先日のレディー・ガガのチャリティ ワン・ワールド:トゥゲザー・アット・ホームは感動的だった。アット・ホームで観れて、簡素な感じがまさに あっとほーむ なイベントだった。やたらと盛り上がるだけ盛り上がって、主旨もなんだか忘れそうだったライヴ・エイド、やたら情緒的で楽観的過ぎて、メロディも面白くなかったナンバー「ウィー・アー・ザ・ワールド」と違って、より、ミュージシャンの本来の姿を感じ、ミュージシャンの実力とその音楽性を非常に直接的に感じることができて、ライブ以上にライブ感があって、非常に楽しめた。

ライヴ・エイドを企画したその人、ボブ・ゲルドフ自身が、“今はライヴ・エイドのような形式のチャリティは時代に合わない、違うやり方がある”という趣旨の発言をごく最近に読んだが、確かにそうだった。ライヴ・エイド後に寄付金の行方で難儀しながらも最後まで努力した彼のその後はある意味感動的だったし、そこで最後まで落とし前をつけようとした彼であるからこその説得力ある発言だ。実際、ワン・ワールドはネット時代のチャリティの一つの方法論を実践したイベントだと思う。

演奏は、すべて素晴らしいが、何人、何組かのミュージシャンのパフォーマンスには特に圧倒された。

まず、出演にも驚き、そしてすべての出演者を圧倒してしまう存在感であったザ・ローリング・ストーンズは凄すぎて、これは別格、別枠
ストーンズを除くと、

オープニングを飾ったレディー・ガガの名曲「スマイル」の弾き語り。
映画アリーで素晴らしい弾き語りを思い出した。オープニングに相応しいナンバーだ。

続いて、ビリー・アイリッシュのボビー・ヘブの「サニー」。
ビリー・アイリッシュの「サニー」はいがいな選曲であったのだが、ボブ・ディランが、発表した「最も卑劣な殺人」でケネディ暗殺の取り上げた直後であるので、この事件に関係のある「サニー」を選曲するビリー・アイリッシュは(深読みしすぎなのかもしれないが)さすがである。

「サニー」は、僕は、オリジナルのボビー・ヘブではなく、スティーヴィー・ワンダーのモータウンサウンドの頂点ではないかと思う1967年の名作『フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ』で聴いた。素晴らしいボーカルとハーモニカ。(本当はディスココーラスグループのボニーMの妙に陽気なディスコナンバーで初めて聴いたのだが、それはこの際は封印したい)
 

最も個人的に感動したシーンは。僕の知っている範囲では大きなニュース(米国ではどうだったのだろう)にはならなかったが、(適当な言い方ではないが)チャリティの常連の愛と平和のスティーヴィー・ワンダーである。
さすが、スティーヴィー・ワンダーだ。その歌唱も凄いが、なにより、選曲が素晴らしい。
チャリティであるから、スティーヴィー・ワンダーらしく、愛の歌を歌った

(英語がわからないので適当な意訳)歌唱前のスティーヴィー・ワンダーのコメント
【今晩、友人である、ビル・ウィザースの完璧な歌を歌うよ。そして今晩、彼を思い出してほしい】

そして、ビル・ウィザースの「リーン・オン・ミー」からスティーヴィー・ワンダーの70年代全盛期の最高傑作(僕は『インナーヴィジョンズ』のほうが優れていると思うけど、それはどうでもいいことだ)のアルバム『キー・オブ・ライフ』からオープニングナンバーの「ある愛の伝説」をメドレーで唄った。

久々に観たスティーヴィーはさすが圧倒的だ。なんでこんな前半に出てくるんだ。
まぁ、最近のスティーヴィーと言えば、誰かのトリビュートライブのゲストか自身のライブをたまに開催したぐらいの話題しかないから仕方がないか。あれほど、日本で圧倒的な人気を誇っていたのに最近は日本でも話題をほとんど聞かない。この際だから、プリンス並みにストック曲があるんだから、次々に素晴らしい作品を発表してくれと思ってしまう。
が、さすが素晴らしいボーカルである。贅沢であるがハーモニカも聴きたかった。

「リーン・オン・ミー」ほど このチャリティ、時代にふさわしい歌があるであろうか・・・
 

「リーン・オン・ミー」(作 ビル・ウィザース)
歌詞は、スティーヴィーの歌唱の部分。
訳詞は筆者(間違っている可能性大。ごめんなさい)

Sometimes in our lives,We all have pain We all have sorrow
But if we are wise
We know that there’s always tomorrow

生きていると
痛みを感じ、悲しみを感じる
でも、ちょっと考えみよう
いつもまた明日があるって、私たちは知っている

Lean on me,when you’re not strong
And I’ll be your friend, I’ll help you carry on
For it won’t be long
‘Til I’m gonna need
Somebody to lean on

もし君が気持ちを強く持てないのなら、僕を頼ってよ
きっと友達になれる。きっときみを手助けできる
ずっとということではないけど
僕も、誰かの力が必要になる、その時まで
 

You just call on me brother, when you need a hand
We all need somebody to lean on
I just might have a problem that you’ll understand
We all need somebody to lean on

連絡をくれるだけでいいんだ。誰かの助け、手が必要なら
誰だって誰かの力が必要なんだ
僕にも、君じゃないと解決できない問題があるよ
私たちは誰かを頼って生きているんだ
 

今この時代に聴くべき歌だ。1人上京し、東京で孤独に過ごしたとき、友人ができた嬉しさを象徴する歌である。
当時、友人たちに、ビル・ウィザースを無理やり聴かせたら、嫌がられた(笑)。いい思い出だ。

釈迦に説法であるが、「リーン・オン・ミー」1972年の全米No.1の大ヒット曲だ。彼が育った貧しい街での想いを歌った歌だ。

ビル・ウィザースを知ったのは、グローヴァー・ワシントン・ジュニアの大ヒットしたフュージョンの1981年のアルバム『ワインライト』の「ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス」。フュージョンの最盛期ではあるが、ジャズのカテゴリーとしては破格のヒットを記録した名盤。このアルバムを他のフュージョンのアルバムと差別化したのが、「ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス」である。作者にビル・ウィザースが名を連ねているのも頷ける特長的な美しい淡々としたメロディラインである(逆にグローヴァー・ワシントン・ジュニアは作者ではない)。ビル・ウィザースのメロディラインとソウルミュージシャンにしては非常に珍しい淡々とした歌唱が見事に時代にマッチしていたからだと思う
 

この頃は、ポール・ウェラーのスタイル・カウンシルの影響で、スティーヴィー・ワンダーいがいのソウル(モータウン、ニューソウル)を聴きだしたばかりだったので、まだ、マーヴィン・ゲイ、そしてモータウンサウンドまでで、ビル・ウィザースには到達していなかった。
マーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールドは低迷期。ニューソウルの時代は終わっていた。ビル・ウィザースも同様。情報がなかった。

大学時代、東京を知らず、西方面に住んでいた僕。大学の2年に、都内の築数十年の化粧壁のオンボロアパートに引っ越し、念願のお洒落なワインバー(当時、ワインの店は珍しく、ボジョレーヌーボーなんて、ニュースにもならず、売れ線のワインはドイツの甘口のモーゼルワインである。そんな時代)でバイトを開始した。

僕の唯一の特技は、このアルバイトで会得した、ソムリエナイフの扱いが出来ること(ワインの開栓がヴィンテージの長いコルクでもできるが、味音痴、下戸、そして、ジャンクフード好きの僕には縁がない飲み物)と、クレープシュゼットと作るときに、ブランデーで火柱をつくること。少し、カクテルもわかる。が僕は酷い下戸で酒は飲めない。ここにアパートをかりたこもう一つの大きな理由は、大きな貸しレコード屋があったことだ。

新宿の西口の今でもある高層ビルでバイトしていたが、しばらくして、新店が新宿の東口にオープンするので、店長に連れられて転勤した。それまでペーペーだったのが、いきなり、社員を除くと一番の古株である。バイトでは、ワインの従来の発注係と音楽の選曲係をさせてもらった。大ブームだったこの会社の飲食店は、当時は経営も順調で、色々な業態があって、後に大ブームになる日比谷のディスコも経営していた。が後に経営が傾き、現在は、縮小して、当時の人気店だったそのチェーンも既になくなっている。新宿西口に残っていた最後の店舗に1回行っておけばよかった。青春の場所だ。

就職活動が本格化するとき、随分と就職を勧められたが、自分が明るくふるまっているが、実は、根性なしで、弱っちいと自覚していたから、社員として、僕に務まる激務ではなかった。バイトであるから勤まった仕事だった。

学生時代はこういうバイトをしていたから、現在の飲食業の皆さんのご苦労、そして、今でも王道であろう、飲食業界でバイトする(学生時代、高いといえる時給ではなかったが、このバイトがなければ、とても学生時代は東京で僕は送れなかった)学生の皆さんがバイトできずにいる大変さが少し想像できる。
 

完璧に同じとはいかないだろうが、早く日常が戻ってほしい。

仕事も一通り、覚えた僕は、オープン直後で暇なので、音楽の選曲ばかりしていた。店に資金を提供してもらって(領収書というのを初めてもらった)、貸しレコード屋で、レコードを借り、ランダムに音楽を選曲しカセットにエディットして流していた(今も当時も完全に著作権でアウトだと思う)。BOSEのスピーカー、CD、レコードプレイヤーもあったから、適当に好きな音楽ばかりかけて、社員の主任によく叱られた。10年前以上のオールディーズをかけることが決まりだったが、オープン時間には、「ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス」のCDをかけ、営業時間中は時間にあわせ、編集したカセットをかける。

お店は、深夜2時まで営業であるが、バイトの僕たちは、最終電車に間に合う11時半まで。11時からは賄(マカナイ)の時間である。この1食で1日分食べる気合で食べた。この賄で空腹を満たしていた。フロアから離れるので、この時間になると、同じミュージシャンのレコードをかけた。
1日の終わりはビル・ウィザースと決めていた。

金曜日、土曜日は、まだ混んでいるので、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』か、カーティス・メイフィールドの『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ』をかけた。両盤とも、僕にとっては、宗教的な厳かさを持ったアルバムである。スティーヴィーの熱唱型のボーカルはこの時間には相応しくない。

先日、某ラジオ番組でビル・ウィザースの追悼番組が放送された。非常に好きだったナンバーがかかった。「アイ・キャント・ライト・レフト・ハンデッド」歌詞は、簡単に言うと、ベトナム戦争に行った帰還兵が右手を失って、左手では母親に手紙を書けないから代わりに書いてくれ ということ。ライブアルバム『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』から

ニューソウルは、非常に画期的なムーブメントだったと思う(リアルタイムでは、僕は残念ながら経験していない)。ソフィスケートされた非常に都会的なサウンドに、非常にシリアスで、政治的、内省的なメッセージの歌詞を唄う。

先頭を走ったのは、マーヴィン・ゲイ。カーティス・メイフィールド、ダニー・ハサウェイ、そしてスティーヴィー・ワンダーだ。名盤を挙げるときりがないのでやめておく。

スティーヴィーは、その熱唱型のボーカルと、シンセサイザーを取り入れて、従来型のファンクをさらに進化させ、盲目というハンデキャップがあるがゆえに、ファンクが俯瞰的で観念的で、肉体性がないところが個性的で僕は素晴らしいと思う。だからこそ黒人の世界だけでなく、世界的に大ヒットした。全盛期には、先進的なファンクサウンドで「トゥー・ハイ」、「汚れた街」で強烈な政治的なメッセージを歌っている。70年代はスティーヴィー・ワンダーの時代である。
後には、「アイ・ジャスト・コール・トゥ・セイ・アイ・ラブ・ユー」と世俗的(といっても大好きである)なラブソング、そして、天然で音楽的天才という共通点のポール・マッカートニーとの共演で「エボニー・アンド・アイヴォリー」と平気で歌ってしまう。それでも、スティーヴィーだからと期待させてしまうところがメロディメイカー、シンガー、サウンドクリエイターとして天才たる所以だ。が、70年代の輝きがはないのは事実だ。
 

そんなスティーヴィーはビル・ウィザースの歌に魅せられていた。スティーヴィーには、肉体的なハンデはあったが、幼い頃からスターであった。それに対して、貧困のなかで育ち、デビューが遅かったビル・ウィザースに自身の歌にはない哀しみ、痛みを感じて魅せられたのではないか。実際、ロックの殿堂にビル・ウィザースを強く推薦したのはスティーヴィー・ワンダーである。この授賞式が、ビル・ウィザースの最後の公の姿になった。
政治的背景で失われる仕事、家族、愛が最も重要な日常であるとその大切さのメッセージを自身のひく見事なアコースティックギターの静かなグルーヴで、淡々と歌うビル・ウィザースの歌に、(無宗教の僕は何か)宗教的な厳かさを現在でも感じる(これは、カーティス・メイフィールドにも強烈に感じる)。そして数多くのミュージシャンの尊敬を集めた。
 

現在、ニューソウル、AORに影響を受け、そこにHIPHOPを融合した新しい音楽が登場でしている。ロバート・グラスパー、サンダーキャット、ジ・インターネット、トム・ミッシュなどだ。ニューソウルをこよなく愛する僕には馴染みやすい。
そして、愛を唄い、その歌唱法までビル・ウィザースの影響を強烈に感じるジョン・レジェンドも素晴らしいミュージシャンだ。サム・スミスもこの一連のムーブメントの重要なアーティストだと思っている。
 

哀しみ、諦め、怒りの先のニヒリズムを乗り越え、その先にある大きな愛をうたったビル・ウィザース。
こんなご時世だが、そうだ、ビル・ウィザースが居たじゃないか。スティーヴィー・ワンダー、ビル・ウィザース、ニューソウルの素晴しい歌を聴いている
ビル・ウィザースとスティーヴィー・ワンダーの音楽とメッセージは永遠だ。

ニューソウルをけん引し、僕が愛したミュージシャンは殆ど逝去してしまった。がんばれ、スティーヴィー。

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