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失われた居場所を求めて

全世界がリナ・サワヤマに恋する日

 この歳になっていきなりだが、同性に恋をしたことがある。
 長年自分は異性が好きだと思っていたし、異性とお付き合いして一緒に暮らしたこともある。だが長年、自分の中の性認識は「クエスチョニング」だと感じていた。身体は女性だが、中身は女性なのか男性なのかがわからなくて、或いはどちらともないような気がしてずっと悩み続けてきた。
 そんな最中、「身体は女性であるが心は男性」という人物に出会って一目惚れをした。数回会ったり話してるうちに一度や二度は自分の中で盛り上がっていたが、そもそも話すうちに相手の中にだんだん失望する部分が増えてきて、性格が全く噛み合わないことに気づき、滅多に会う機会が少なくなったとともにその恋は数年で幕を閉じた。
 
 私には「同性を好きになる事ができた」というスペースがチーズの穴のようにぽっかりと空いて残され、果たしてどうしたらいいものやら悩みながら、TwitterでLGBTQ+に関するTLをざっと目を通した。自分をゲイかノーマルかどれでも良いから肯定したい気持ちでいっぱいで、情報を探っている時にふと出会ったのがRina Sawayamaであった。

 私は自分で言うのもなんだが、音楽に関しては多雑である。自分が生まれる前のビートルズやストーンズもジョン・リー・フッカーも聴いたし、デヴィッド・ボウイのファンになると結構あらゆる音楽を受け入れられると学生の頃に気づいた。フーファイやジェーンズ、NINといったオルタナ世代の音楽が主に私を形成している。ケイト・ブッシュやプリンス、ビョークといった天才肌の音楽も欠かせない。
 
 だが、たまに無性に王道的なポップスが聴きたくなる時があるのだ。アリアナ・グランデ、テイラー・スウィフトやレディー・ガガ。彼女たちの音楽は少しスパイスの効いた砂糖菓子である。甘いキャンディーは中毒をもたらす。だからこそ、「ネクスト・ガガ」と呼ばれるRina Sawayamaの楽曲を耳にするのに秒とはかからなかった。
 初めて聴いた「STFU!」はまるでBABYMETALのようにキャッチーで、そのエアリーな歌声とヘヴィなギターリフの組み合わせに感動すら覚えたし、その後に続く「Comme des Garçons (Like The Boys)」のアーバンなクラブの作りとのギャップも悪くない。「XS」のPVでは偽物まがいのドリンク販売のセールスパーソンをコミカルに演じたかと思いきや、一方「Cherry」では頭をチェリー色に染めてモデルにも引けを取らない存在感で長い手足で妖艶に宙を舞う。様々の表情を持つ彼女の表現に私はあっという間に虜になった。

 そんな女の子を嫌いだと言える訳がない。世界が放っておくわけがない。

 ちなみに彼女の性認識は「パンセクシュアル」だそうだ。あまり聴き慣れない言葉だが、男女の性別だけにとどまらず、男性的でも女性的でもあらゆるジェンダーを好きになれる人のことを差すらしい。元々はバイセクシャルであったが、パンセクシュアルを自認するようになったのだのこと。
 幼少時に日本からイギリスへと渡り、英語圏の文化に馴染んで育ってきた彼女だが(もちろん、椎名林檎や宇多田ヒカルなど日本の曲も好きだったと言う)大学生時代は国籍のアイディンティティに苦しみ、いじめにも遭い、鬱に囚われ自殺までも考えたこともあるらしい。
 確かに彼女の音楽には二重のマイノリティ(少数派)ゆえの息苦しさのようなものがうかがえる。自分自身の肌一枚が国境であるという、決心のようなもの。覚悟のようなもの。弱者ゆえに持つ創造力の大きな力が、彼女自身を奮い立たせている。
 であるからRinaは音楽と意思があれば何処にでも行けるし、何処までも行ける、と言うタフネスを持っているのだ。
 私たち純日本人はできることなら群れていたい、という価値観で生きている人が多々である。カミングアウトは相手の様子をうかがうべきだと思っているし、性別のくくりに寄りかかって生きる方がマシだと甘んじる傾向が多い。そこからはオリジナリティは生まれにくいであろう。そのような右に倣えの風潮に苛立つ人々の為に、掠めた諦念を吹き飛ばすかのようにRina Sawayamaの音楽は誰よりも近くで鳴り続ける。

 かつてグウェン・ステファニーの「原宿ガールズ」という、愛してやまない東京のポップカルチャーについて歌った曲があったが、それに対してRinaが持つ東京とは祖国の都市であり、背景である。彼女の曲の中に流れる「東京」というキーワードは失われた、はかない繋がりである。今でもなおセラピーに時々通うという彼女のはかなさは、ともすれば居場所がなくなるという危惧を含んでいるが、前述の通りどれもが居場所になるという自由にとって変わる。

 そんな彼女のサウンドに触れて、私は自分を無理に男女その他別の役割に当てはめることを考えるのをやめた。そもそもLGBTQ+というカテゴリーも狭いものであり、人の性別はグラデーションごとに様々なのである。彼女の音が、それを教えてくれた。私は男性であるとか、女性であるとか、決めつけることなく不安定な振り子のようにフラフラ触れながらもそういう自分を丸ごと肯定していきたいと思う。そもそも人間誰しも「揺らいでいる」生き物ではないのか。そして個々に孤独というものはつきまとうものである。ただっ広い海の上に揺られながら小さな船に乗り宛先もわからず、目指すのは北極星。そのように、ある種の希望に向かって生き続けたいと願う心とともにRina Swayamaの「cuteなR&B」が鳴っている。それはとてつもなく幸せなことだ。私はそう思う。

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