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コロナ禍、迷子は、歩き出す

BUMP OF CHICKENにまた会うために

 少し長く生きていると、何も心配事のない穏やかな日々など、続かない事はある程度分かる。一日の内では、楽しい瞬間も怒りを覚える瞬間も当然あるのだけれど、もう少し長いスパンで振り返ると、私の経験則では、それは数年おきに入れ替わる。仕事での挫折であったり、家族や友人の病や死といった、常に苦しく胸のつかえが取れない日々は、どうしたって、繰り返しやって来る。

 けれど、辛い出来事と出くわす度に、私は、BUMP OF CHICKENの音楽を聴き、何とか暗闇から這い上がってきた。
 BUMPの唄は、安易に希望を与えてはくれないし、優しくしてもくれない。自分の弱さや汚さを、これでもかと見せつけられるから、辛辣だな、と感じる時もある。けれど、どんな私をも見放さずに、「絶対に唄は側にいる」と伝え続けてくれるから、私は、その安心感を頼りに、自分と向き合い、受け容れ、また歩き出す。自分で力を出して、動き出せた事は、自分を信じる事に繋がり、また必ず起きるであろう、辛い出来事に出くわした時に、活きる。
 

 2019年11月4日、aurora arkツアーファイナルとなる東京ドームでのライブに、私は参加していた。ライブへは、Vo.藤原基央さん(藤くん)の声が聴きたい、彼等の音を全身で浴びたいという思いで参加をしているので、基本は「聴く」のだが、藤くんに、声を出すよう煽られたパートは、それはそれは思いきり唄う。
 ライブで演奏される事が多く、その一部を、参加者に唄わせてくれる事が定番となっている曲が幾つかある。初期曲『ガラスのブルース』も、そんな一曲だが、この日の“リスナーパート”は、いつもより多かった。普段なら藤くんが唄う部分を、私達に委ねた瞬間、「えっ、ここも唄っていいのかな」と戸惑ったが、「いやこれには、意味があるのだろう」と勝手に悟り、大声で唄い続けたことだった。
 このツアーは、幸い、大きな心配事もなく参加する事ができたけれど、次も同じように参加できるとは限らない。高齢の家族もいる。仕事もある。最愛のバンドのライブに行けないなんて、考えたくはないけれど、もしそうなってしまっても、今日を糧に生きていけるぐらい、全身全霊出し切ろう、などという思いが、唄いながら、脳裏をかすめていた。
  
 
 ・・・そうして戻った、元の生活。
 そろそろ、悪いターンがやって来るかもしれない、と、漠然と思ってはいた。それは単純に、生きていれば、良い時ばかりではないから。これまでだって、良い時期もあれば悪い時期もあったから。

 そして、案の定やって来た。
 しかし、それは、想像をしていなかった類のものだった。
 

 新型コロナウイルス感染流行。

 疫病の危険性は、当初は正直、ピンときていなかった。肺炎になるリスクがあるというが、私は喘息の持病があっても、普段から予防治療を受け、インフルエンザも、予防接種をきちんと受ければ、重症化することはなく過ごせている。新たなウイルスといっても、そうやって対応していけば、問題ないのでは?
 マスクや手洗い等、自衛策は取りながらも、まだ甘く考えていた2月末~3月だったが、様々なライブやイベントが延期や中止になっていく。友人と気軽に会うことさえ、できなくなっていく。
 4月になり、仕事が減り、派遣という立場の私には、収入面の心配が降りかかる。新型コロナ感染により、著名な方々の死亡のニュースが増える。次第に気持ちが滅入っていく。
 そして、4月半ば。身近な所で、新型コロナウイルス感染者が出た。
 私は、濃厚接触者の定義には当てはまらないが、2週間、自宅待機し、体調観察を行うことになった。

 体調を気にしながら、ひたすら自宅で過ごす日々。自分の身に降りかかると、想像を遥かに超える怖さがあった。
 あらゆるツールで、友人知人と連絡は取れる。しかし、感染者特定のリスクや、私自身が心配をかけてしまう事を考えると、自分の置かれた状況や、感じている怖さについて、気軽に話すことは憚られた。
 時間だけはあるため、自宅でできる事をすればよいのだが、心の中には常に「自分が感染していたら、周りが感染していたら」という疑念が渦巻いており、なかなか、新たな物事にチャレンジする意欲が出ない。TVをつければ、感染への不安が煽られる。もしも感染していたとして、基礎疾患のある私が急変しても、誰にも気付かれない。

 孤独。リアルに「孤独だな」と感じた。
 もし、私が、違う生き方をしていれば、こんな孤独や恐怖を味あわなくてもよかったんじゃないか、と、自分を責めてしまう。
 私は4年前、正職員を辞め、派遣職員になった。安定した職・地位を手放すのは、かなりの勇気が必要だったが、仕事だけではなく、自分の大切なものを大切にしたいという思いが勝った。管理的な業務を担わず、時間外労働も少なくなった事で、例えばライブ遠征も、ずいぶんとしやすくなった。
 けれど、今、世の中にライブは無い。友達にも会いに行けない。収入も減った。こんな私は、周りからはとても惨めに見えるんじゃないのか・・・と情けなくなった。

 どん底まで気持ちが落ち込んだけれど、救いは、私の側には、どんな時でも、常にBUMP OF CHICKENの音楽がある、という事だ。
 自分の感じた「孤独」というワードから想起して、BUMPの『オンリーロンリーグローリー』のCDに手を伸ばす。聴く。
 

【そしてその身をどうするんだ 本当の孤独に気付いたんだろう】

【置いていかれた迷子 遅すぎた始まり さあ 何を憎めばいい
 目隠しをしたのも 耳塞いだのも 全てその両手】

【笑われる事なく 恨まれる事なく 輝く命など無い】
 

 気付いた。強い孤独の正体は、自分で自分を否定する事だった。
 状況は変化していく。うまくいかない時もある。だからといって、あの時、一生懸命、何が大切かを考え、選んだ自分を、「間違ってたかもしれない」と否定し、置き去りにするから、今の自分も、過去の自分も孤独になる。
 過去の自分の声に気付いたなら、迎え入れてあげて、今の自分と共に、「これから」を作っていけばいいじゃないか。そもそも、どちらも「自分」なのだから。
 

 私にとって、大切なものの最たるものが、BUMP OF CHICKENであり、それを存分に伝える大切な場所が、ライブだと思っている。
 だからこそ、その居場所が失われるかもしれない状況で、自分に何ができるのか、どちらの方向へ歩いていけばいいのか、見出せていないというのが本当のところで。
まさに【迷子】状態だ。
 けれど、自分を、自分の選んだ生き方を否定せず、できる事を考え、動いていきたい。
 とりあえずは、こうして、音楽が(私にとってはBUMP OF CHICKENが)、いかに人が生きるうえで大きな存在で、必要不可欠なものかを、声に出して伝えていきたいと思う。誰かに。
 実際、今回だって、彼等の唄が側にいたから、自分を取り戻すことができたのだ。
 

 あの日、東京ドームで、参加者が一斉に自分の夢を叫ぶ、という場面があったのだが(詳細は省略)、私の叫びは、「BUMP OF CHICKENにまた会う」だった。
 あの時は、自分で言いながら、内心「これって、夢じゃないよな。健康に留意して、働いて、ライブに行ける状況を作ればいいのだから、目標だよな」などど苦笑していた。
 半年経って、今日現在、私の生きる範囲で、ライブはおそらくは開催されていないだろう。ライブがない世の中。やっぱり、私の叫んだ内容は、「夢」だったのかもしれない、とも思う。
 ならば尚更、自分の一部だけでなく、過去の自分も今の自分も、いろんな自分の力も知恵もエネルギーもフルに使わないと、夢なんか叶わない。
 BUMP OF CHICKENにまた会うために。迷子だけれど、歩き出します。
 

*【 】内は、BUMP OF CHICKEN 『オンリーロンリーグローリー』より引用
  
 
 
 

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