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目を覚まして、わたしたちは他人になった

flumpoolニューアルバム「Real」発売に寄せて

少し前まで、flumpoolの音楽、そしてそれを生み出す彼ら自身はわたしの一部だった。

中学の給食の時間に流れていた「花になれ」。
何故かは未だにわからないが、毎日のように流れていたので妙に耳に残っていた。
中学生の自分のことはあまり思い出せないけれど、そんな彼らの音楽との出会いと、
その後初めて行ったflumpoolのライブのことは覚えている。2階席1列目からの景色は、今でも鮮明で、まだしばらく忘れないと思う。

気付けばそんな日から10年以上経っていた。長い間、ずっと変わらず彼らの音楽はわたしの一部で、お守りだった。
若さゆえに世界の全てを恨んだような日も、何かを成し遂げて少し自分のことを好きになれた日も、
どうしようもなく辛くて起き上がれなかった朝も、大切な友達と過ごした後に楽しい時間をひとり反芻した夜も
彼らの音楽はわたしの傍にいた。
そして同時に、flumpoolもわたしの傍にいるような気がしていた。
彼らはずっと、わたしの味方でいるような気さえしていた。
 

先日発売されたflumpoolのニューアルバム「Real」。
2017年の年末からの活動休止、昨年の復帰や全国ツアーを越えて4年ぶりに発表されたアルバム。
彼らはこのアルバムで自らを再定義してみせた。

思えば彼らはこれまで、自らを再定義しては壊し、再定義しては脱ぎ捨て…ということを繰り返したように見えた。
そして本アルバムはその集大成のように感じる。
彼らがデビュー間もなくして発表したアルバムのタイトルは「Unreal」。
彼らは10年以上もの時を経て「Real」というタイトルのアルバムで過去の自分をひっくり返し、再定義した。
だから今までのどんなアルバムより強い意志と覚悟をひしひしと感じてしまう。もちろん、タイトルだけでなく、中身からも。

初めてアルバム「Real」を聴いたとき、彼らの中の何かが確実に変わった気がした。
不思議な気持ちになりながら歌詞を眺めて気づいた。このアルバムはとても内省的で、彼ら=≪僕≫に焦点を当てたアルバムなのだ。

以前のflumpoolの楽曲というのは、誰か=≪君≫という存在を強く感じる事が多かった。
≪君≫を愛し、励まし、≪君≫のために自分を犠牲にすることも厭わないような印象を受ける楽曲が多かった。
先述したような、「彼らはずっと、わたしの味方でいるような気さえしていた」感情はきっとそういう彼らの姿勢によってもたらされていたものだと思う。
彼らの音楽はその≪君≫に捧げられたもので、彼ら=≪僕≫の存在はいつも≪君≫のためにあった。

一方で「Real」では≪君≫に関する言及が少ない(実際に数えたわけではないが、おそらくこれまでよりは少ない)。
単語として歌詞に登場することがあっても、それは二人称のひとつという扱いであり、あくまで≪僕≫の対としてしか存在していないように感じる。
≪僕≫に深く潜っていくため、≪僕≫がどんな人間で、何を望んでいるかを明らかにするための≪君≫。
flumpoolはこのアルバムを通して、誰かのために歩き続けるというよりは、自らを高らかに宣言し、再定義することを選んだのではないか。

そう思うのには理由がある。
昨年のツアーの終盤、わたしは運よく彼らを最前列に近い席で見ていた。そこにいた彼らは、紛れもなく他人だった。家族や友人ではないという意味の他人だ。
当たり前じゃん、と言われるかもしれないが、私にとっては不思議な体験だった。
10年以上ライブに行っていれば、前の席になることは珍しくない。それでも「彼らは他人だ」という印象を抱いたことなどなかったし、
なによりそれまで彼らはわたしの一部で、味方だった。
精神的には家族や友人より近いような気さえしていたのだ。

今振り返ってみると、きっと彼らはその時「Real」に表したように、自らが信じる道をすでに歩いていたんだろう。
≪君≫のために歩かないことを決めたんだろう。

だからといって突き放されたわけではない、と思う。
彼らが身を削るようにして自分自身を表現する姿に、わたしは今、静かに励まされている。
幸運なことに、彼らを他人だと感じたとき、わたしはお守りがなくても自分のことは自分で守り、幸せにできるくらい大人になっていた。
だから彼らの音楽は、困ったときは縋り、良いことがあったときは抱きしめるようなお守りではなく、わたしにとって架空の戦友のような存在になった。
flumpoolとわたしは、他人になった。
 

「Real」のプロモーションの中で、彼らは「Unreal」発売当時のことをタイトルの通り「フワフワしていた、非現実的だった」と語った。
夢の中では、現実では起こりえない素晴らしいこと、まさに「夢のような」出来事が起こる。
flumpoolはデビューした瞬間から注目を浴び、異例の速さで武道館のステージに立った。あれよあれよという間に人気ロックバンドの仲間入りをし、紅白歌合戦にも出場した。
一方で夢の中では、自分ではどうしようもないことが起こったりする。夢の中では現実のように思った通り動けはしない。
それが、彼らの「Unreal」な日々だった。

しかし、flumppolにそんな日々はもう来ない。
目を覚まして「Real」を生きる彼らは自らを宣言し、自らの信じる道を進み続ける。

きっと、信じる道を踏めしめて歩む現実はどんな夢より素晴らしい。そう願いたい。

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