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意志を継ぐもの

ディアンジェロとプリンス。殿下とD

この文を書くに当たっては、5月18日に音楽文にアップされた「ブラック・ミュージックの真髄とは?」に、多大なるインスピレーションとモチベーションを与えて下さったYUKIさんに大いなる感謝と敬意を表したいと思います。
 

~はじめに~
この文章に出てくる「ブラック」と言うワードは多分に畏敬や憧れを持って使用するものであり、特定の人種や肌の色の人間を卑しめたり差別するものではないという事をご了承下さい。
 
 

~序章~
今年2020年はD’Angeloの歴史的名盤「VOODOO」発表から20年になる。
 20年の月日を経て「VOODOO」はほとんど語り尽くされ、しゃぶり尽くされ、時代の荒波に洗われて今なお、否、当時以上に現在でも高い評価を得ている。
 その素晴らしさはいちいちここで説明するまでもないのだが、一聴しただけでは到底理解できないドロドロとした内容がよくもこれだけ絶賛されたものだ。
 
 

~「VOODOO」その後~
 しかしながらその成功に飲み込まれたディアンジェロはその後、酒やドラッグに溺れ、刑事事件まで起こし長い間暗闇を彷徨う事になる。
そんな絶望のどん底にいた彼を立ち直らせるきっかけとなったのが、盟友J・ディラ、aka J ディーの死であった。(余談ながら「VOODOO」で絶賛されたモタるグルーヴは参加していないとは言え、ディラの功績は大きいという事を強く主張したい。「ドーナツ」など彼の諸作を是非チェックされたし。)
 ディラの死に衝撃を受け、自らリハビリを受けようと更正の道を踏み出すのである。
 このへんはなんともロックスター的なストーリーであり、矢継ぎ早に曲をリリースし、音楽以外の活動、例えば実業家や俳優などの活動に積極的に手を出す他のブラック・ミュージシャンとは違う所であり、ここが分かりやすく、彼が日本人にもある種の親しみを持たれる理由なのかもしれないと推測している。

とにもかくにもクエストラヴら仲間達の協力もあり、ライヴで徐々に活動を再開した事で、立ち上っては消える蜃気楼のような新作発表の話しが次第に現実味を帯びてきたのが2010年頃だったが、その後も今年出るだのもう95%できているだのという「出る出る詐欺」をドクター・ドレーやローリン・ヒルと一緒に繰り返した。(「三部作を発表する」と言って一足先に帰還したマックスウェルは時間を掛けて2枚まで作るがその後沈黙…)

 ようやく2014年末。
ファーガソン事件など当時アメリカで頻発していたブラック・ピープルへの理不尽な出来事を受けて発売を早め、「ブラック・メサイア」は世に放たれた。
 
 

~ディアンジェロ帰還~
 ブラックパワーを誇示するアルバムジャケット、ブックレットにはご丁寧に彼の「声明」まで記されている。
 発売当時は本国でもここ日本でもとんでもない熱狂ぶりで、多くの著名人や音楽好きが興奮や絶賛の声をあげた。なにせ渋谷の洒落たアパレル・ショップのスタッフ・ブログにまでアルバム発売を喜ぶ記事があったのだからその騒ぎたるや。

しかしながら、時間をかけて称賛が拡がっていった前作とは違い、発売直後のあれほどの熱狂後はほとんど語られなくなっているのが現状である。
本作で多くの人が思うのは「できは悪くない。いや、アルバムとしては名盤にまちがいないが、ディアンジェロのアルバムとしてはねえ…」という所であろう。これは何もディアンジェロに限らず、畢生の作品を産み出してしまうと、その後死ぬまでその呪縛に苦しむ事になる。
 
 

~「ブラック・メサイア」とプリンス~
 本題に入ろう。正に世間に渇望された「ブラック・メサイア」を語るとき、必ず引合いに出されるのが偉大なるレジェンド、プリンスである。理由はいくつか挙げられる。

 プリンスも90年代に最近気になるミュージシャンでディアンジェロを挙げていたし、何よりデビュー当時からディアンジェロ本人がプリンスへの愛とその影響を公言していた。「アンタイトルド(ハウ・ダズ・イット・フィール)」は濃厚なスローナンバーでエロい歌詞をファルセットで聴かせ、ラストの歪んだ歌い込みはもはやプリンスそのものである。裸で歌うMVも殿下っぽい。この曲に限らず歌い方やヴォーカルの重ね方がプリンスを彷彿とさせる。

 二人に共通するの点はいくつかある。プリンスもディアンジェロもマルチプレイヤーで、その気になれば管楽器以外は全て自分で演奏して曲を成立させることができる。それでありながらわざわざパーマネントなバンドを結成し、大層な名前を付け、連名で作品をリリースしていること。(プリンスはレヴォリューションやザ・ニュー・パワー・ジェネレーションなど。ディアンジェロはソウルトロニクスやヴァンガードなど。)
 これまで鍵盤を弾きながら歌う事が多かったディアンジェロが、今作発表前からギターを弾きながら歌い、曲もギターの音が前に出てくるようになったこと。
 更にかつてザ・タイムに所属し、プリンスの影武者とか言われていたらしいジェシー・ジョンソンが参加していること。とその他枚挙に暇がない。

要するにディアンジェロが、殿下が好き過ぎて真似しているだけと言ってしまえばその通りだ。

 アルバムのオープナーからモッタリとしたリズムに乗ってギター含めてワサワサと得体の知れないどす黒い混沌とした音が聴こえてくる。プリンスと言うよりは初期ファンカデリックのようなブラック・ロックだ。ロイ・ハーグローヴ(RIP、ロイ)のThe RH Factorでファンカの「アイル・ステイ」を歌っていたこともある。
 「1000デス」以降の「ザ・シャレード」、「シュガー・ダディー」なんかは確かにギタープレイや声の重ねかたにプリンスみがある。

B面は混沌したA面に比べ幾分整理された印象を受ける。
ハンドクラップとギター、ベースが細かいビートを刻み、ストリングスが控え目に絡む「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はジャズと言うよりフュージョンと言った赴き。「プレーヤー」の纏わりつくベースはパーラメントのブーツィやスキートのそれではなく、ブギーのプレイを彷彿とさせる。「ビトレイ・マイ・ハート」は前作の「スパニッシュ・ジョイント」の系統。ロイ・ハーグローブの枯れたホーン・セクションが良い。
「ザ・ドア」の口笛とドブロ・ギターのフォーキーな感じは、ブレイクビーツ満載の中に突然現れる朴訥ながらキュートなユージン・マクダニエルズのアルバム「ヘッドレス・ヒーローズ」の中の「スーザン・ジェーン」のよう。ラストの「アナザー・ライフ」でのエレクトリック・シタールはプリンスも使っていたが、殿下と言うよりは、彼もカヴァーしたスタイリスティックスのようなフィリー・ソウルを思わせる。
 
 

~「ブラック・メサイア」とは~
意識的に聴けば確かに「ブラック・メサイア」おいてプリンスの影響はあちこちで発見できるが、プリンスだけでなく、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの密室性、カーティス・メイフィールドの揺れ動くファルセット、JBのワン・コード、ワン・スケールの持続性、パーラやファンカらPファンクのスローな重量感やワサワサとした混沌、マーヴィン・ゲイの多重コーラス、ジミヘンのサイケなブラック・ロック等々様々な要素が混ざりあっている。

そしてプリンスもまたそれら偉大なる先人達の意志、ブラック・ミュージックの遺産を受け継ぎ自身の音楽へ昇華して、「プリンス」としての音楽を表現している。加えて言えば、どちらも他のブラック・ミュージシャンに比べ、音楽的にも精神的にも白人のロックからの影響が強い事が二人に共通する姿勢だ。
 
 

~Dと殿下の違いとは~
 では二人の相違点は何か。時代が違う、特にプリンスは80年代というある種特異な時期に全盛期を向かえたため、音のとり方や使う楽器・機材がかなり異なる。
 そこを抜きにするとプリンスは音がかなりロック寄りで、前述した通りメロディはポップでキャッチーなものが多い。そしてそれを実験的なサウンドにのせて表現する。

 音楽に詳しくない人でも一聴してわかりやすい、マーケットの中心である白人層にも容易くアピールできるものであると同時に、音楽好きにはマニアックな構成や音作りで唸らせると言うビートルズ的な、ロック的な姿勢である。

 対するディアンジェロはかなりブラック・ミュージック色が強く、ある程度の知識や経験がないとなかなか良さが理解できない。歌メロディも、特に日本人が一聴してすぐに口ずさんだり、鼻歌で歌えるはっきりと輪郭のあるものではない。ディアンジェロ自身もヒットチャートに乗るような売れ筋のR&Bをディスして、自分はそんな音楽は作らないと言っており、「セールス」よりも音楽としての「芸術性」をより意識した姿勢だ。

もう1つはヒップホップとの距離感である。プリンスは60年代末から70年代にかけて10代を過ごしており、先に挙げたオリジナル・ファンカーや、それらに影響され自身の音楽にファンクを取り込んでいったマイルス・デイヴイスやドナルド・バード、グラント・グリーンらジャズミュージシャンをリアルタイムで体験し、自身の血肉としており、ヒップホップは自身が時代の寵児になった後に大きな潮流になったムーヴメントである。
 それゆえ彼は、特に著作権もまだ明確化されていないで、過去のファンクのリフやフレーズを安易に切り取ってお手軽にトラックを作る初期のヒップホップに対して多分に懐疑的であった。
 プリンスがヒップホップに取り組んだのはかなり遅く、しかもサンプリングといったヒップホップの文化とも言うべき手法に抵抗するが如く、あくまでバンドでのサウンド作り、人力ヒップホップにこだわった。 生前、自身の曲のカヴァーやサンプリングに対してかなり厳しく、人より早くインターネットでの音源配信に手を出した割りに、動画投稿サイトでの自身の曲を素早く削除していったりと、常に時代の最先端を行こうとするヒップホップ的な(ブラック・ミュージック的とも言える)在り方に乗らなかった。
 一応ザ・ニュー・パワー・ジェネレーションにはラッパーもいたがなんともビミョーなスキルだった辺りにも複雑な心境が見てとれる。

対してディアンジェロと言えば70年代後半から80年代に多感な時期を過ごしている。ブラック・ミュージック的にはディスコやブラコンがメインストリームであり、ヒップホップはストリートから徐々に世間一般へと進出していく時期であった。
 西海岸からはN.W.Aが、サウンドこそGファンク確立前のまだ未熟なものであったが、ギャングスタな日常を虚実入り混ぜて語り、東ではデ・ラ・ソウルやATCQらネイティヴ・タン一派がサンプリングを芸術へ昇華させようとデビューしてきた、正にヒップホップの最も実験的で幸福な時代を迎えようとしていた。

当然ディアンジェロにとって、ヒップホップはチャート上の音楽とは違う刺激的で魅力的なものであっただろう。事実、彼も学生時代にヒップホップグループでラップしていたと言う。
 プリンスにとってのオリジナル・ファンカーのように、若きディアンジェロにとってヒップホップは身近で、オルタナティヴで、世の中への反逆的な存在だった。

そのヒップホップで重要なものが陳腐な言葉だが「仲間」だ。ヒップホップでは横の繋がりが大切である。
 他のミュージシャンへの客演はもちろん、まだ世に出ていない自分の友人や気に入ったミュージシャンを自身の曲に参加させたりソングライターやプロデューサーとしてフックアップする。ヒップホップのミュージシャンは一人で全てこなせる人も多いが、あえてそれをまだデビュー前の無名の新人に任せることで話題を作り、またコミュニティを広げ、自身のインプットとする。

ヒップホップ世代のディアンジェロもキダー・マッセンバーグが仕掛人となり、デビュー前に別名義でサントラに参加している。ファーストアルバムも、ATCQのアリ・シャヒードやトニ トニ トニのラファエル・サディーク、後に一時期は妻になるアンジー・ストーンなどの仲間達と作り上げた。

 更にその後、「VODOO」に向かってはウマー~ソウルクエリアンズという集合体として、志を同じくするクエストラヴやジェームス・ポイザー、コモンやエリカ・バドゥ、ロイ・ハーグローブやJ・ディラといった面々とそれぞれの作品に参加しあい、切磋琢磨しながら活動をしている。ソウルクエリアンズ三部作、またはエレクリック・レディ三部作とも呼ばれるアルバム群は正にその結実だ。

そこでは誰がリーダーでもなく、それぞれが個性を出し、それぞれの作品に携わる。これはヒップホップと言う文化にティーンネイジャーの頃から触れていたからであろう。

 対してプリンスはどうか。少なくとも80年代の彼は間違いなく「孤高」の人である。基本的に特定のシーンには属さない。彼の故郷に因んで「ミネアポリス・ファンク」なる言葉もあるが基本的にその担い手はほとんどがプリンス人脈の人たちである。

またザ・レヴォリューションといったバンドを結成したり、シーラ・Eという才女がサポートを務めても、プリンスが絶対的なリーダーで、バンドはあくまで彼の理想の音を再現するための駒である。

人に曲を提供する事はあったが、あくまでも自身の溢れ出る創作意欲の捌け口でしかなかっただろう。なにせ多作で次々作品を発表したい彼は、それにストップをかける所属レーベルとたびたび揉めていた男である。 昨年リリースされた「オリジナルズ」を聴けば、提供するにあたって後は歌入れだけのほぼ完成品の曲を渡していたことがわかる。プリンスが仮歌で提供する人の歌い方まで似せているぐらいなのだから。

更にはマイケル・ジャクソンの「バッド」やチャリティーソングの「ウィー・アー・ザ・ワールド」への参加も、表面的な理由はどうあれ、そんなも濃いメンツに参加して「ワン・オブ・ゼム」になってたまるか、と言わんばかりに無下に断っている。

 ディアンジェロの音は確かに重く重心が低く低体温的なプリンスの「パレード」や「サイン・オブ・ザ・タイムズ」などの作品からの影響は色濃いが、プリンスを語る上で必ず使われる強烈な「密室性」はそこまで感じられない。
もちろん根本的な性格の違いもあるだろうが、ヒップホップとの距離感によって、二人の音楽性は差別できるのではないかというのが私見である。
 

~21世紀~
さて、プリンスはレーベル離脱や改名など、はたから見ればは迷走としか言えなかった90年代を経て、2000年代に入り名前を戻しメインストリームへ復帰する。
その後も相変わらず作品を乱発したが「密室性」は確実に薄まり、多くのミュージシャンからのリスペクトを受けて、インタビューや公の場所にも数多く登場するようになる。

かつては「目を合わせると殴られる」とか言う都市伝説的な話しもたくさんあった偏屈な天才、80年代は時代をリードし、90年代はその時代に抗った男が(今聴けばそんなに悪くないのだが、やたらと低音を強調した音作りや、安っぽいスクラッチ音と無個性なラップを織り混ぜたトラックに乗せて「我が名はプリンス、我こそはファンキーなり」と大声で主張する殿下を見るのは辛いものであった)、時代を気にせず好きな音楽をやっている感がとても素敵だった。ラリー・グラハムの手引きで宗教に出会ったのも大きいのだろうが。結果的に遺作となった「ヒット・アンド・ラン フェーズ・トゥ」でも、革新的ではないが、彼らしいファンクが快活に鳴らされた快作だった。

その音楽的、精神的な遺伝子はディアンジェロはじめ、今も多くのミュージシャンへ受け継がれている。

 今後、ディアンジェロがいつ作品を作るかはわからない。また15年かかるかも知れないし、もう「アルバム」という物は発表しないかもしれない。それでもディアンジェロもプリンスも、彼らの作品が忘れ去られてしまう事はないのだろう。でも、ディアンジェロ。まだあなたは命があるんだから是非アルバムを作って欲しいと切に願う。
 

~アナザー・ライフ~
 2016年4月。プリンスは彼岸へ旅立った。ディアンジェロは「スノウ・イン・エイプリル」で、プリンスの新たな人生への葬送曲とした。
 

美しい余韻を残して。

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