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いつか「俺は幸せです」と言ってみたい

理想像として浮かぶあいみょん、ヒントをくれる槇原敬之

すでに若くない僕は、残された日々でやるべきことを、自分なりに精選したいと考えている。

もちろん少年少女だって、毎日を大事に過ごすほうがいいだろうけど、個人的には青年期までは「時間の無駄遣い」をしてもいいのではないか、意図的にしてさえ良いのではないかと思いもする。そして年長の人が、はたから見れば「下らない」と映るかもしれないことに精を出している様(さま)も、わりに好きである。

それでも僕は、あと何度か「やり遂げた」というような手ごたえを得たいと願っており、いわゆる「to do リスト」のようなものが、常に頭のなかにある(ここに具体的に書くことは避けます、ささやかな、それでいて大事なリストなので)。

究極の目標は、一度でいいから近しい人に「俺は幸せです」と、心から言うことだ。そのために時を大切にし、やりたいことを丁寧にやっていかねばと自分に言い聞かせている。

Bank Band with Salyuも、楽曲「MESSAGE -メッセージ-」のなかで、似たような願いを放っている。

<<「幸せだよ」と真っ直ぐ言えるような 笑顔の自分になりたい>>

***

自分の人生(生活)が幸せであると言い切れる人が、はたしてどのくらい、この世界にいるものなのか、いまひとつ分からない(僕の幼なじみは、言えるのだそうだ。そういう友人を持っていることを、僕は幾分「幸せ」だと感じられる)。

作品のなかで、自分が幸福であると言い切ったという意味で、僕が敬愛しているのが、あいみょんである。あんな風に力強く、自身が満たされていることを歌い上げられたら、きっと周囲の人は安堵してくれるだろう。楽曲「ハルノヒ」で

<<ほら もうこんなにも幸せ>>

と歌い上げるあいみょんの姿を、僕は「理想像」として思い描いている。あいみょんが知名度の高いアーティストであるからだとか、容姿端麗な人であるからだとか、そういう理由によるわけではない。その声調に、いささかの躊躇いも感じられないからである。私人としてのあいみょんが、笑顔で<<こんなにも幸せ>>と言い切れるのかは、もちろん僕には分からない。それでも、アーティスト・あいみょんは、少なくとも僕に「こんなにも格好いい人がいるんだな」と思わせてくれた。

「ハルノヒ」は、ひたすらに幸福感を叫びつづける楽曲ではないと感じるのだけど、ほかにも素敵なセンテンスを、いくつも含んでいる。そうも感じる。

<<ほら もうこんなにも夕焼け>>

<<夕焼け>>を見る時に、どんな気分になるのかは、人それぞれ、そして、その時々で変わるものではないだろうか。少なくとも僕には、夕空を「哀しい情景」だと感じることがあるし、逆に「希望を示唆する眺め」だと感じることもある。あいみょんは<<こんなにも>>という言葉を<<夕焼け>>の前に置いた。ここで強く放たれているのは、どのようなエモーションなのだろうか。これは推論というか、一介のリスナーとしての想像なのだけど、あいみょんは「切なさの混じった充足感」を歌い上げたのではないだろうか。苦みが溶けているがゆえに、美味しく感じられるカクテルのような、そんな声調だと僕は思う。

***

そういうカクテルを味わうためには、つまり切なさの混じった嬉しさを感じるには、どうすればいいのだろうか。もっと言えば、僕が(あるいは人びとが)幸せを勝ち得るには、どんなことを心がければいいのだろうか。そのヒントを、槇原敬之さんがリスナーに授けてくれたように僕は思う。楽曲「どんなときも。」から歌詞を引用する。

<<僕が僕らしくあるために>>
<<「好きなものは好き!」と 言える気持ち 抱きしめてたい>>

「どんなときも。」という題を付けたからには、槇原敬之さんは、悲しい時や辛い時をもイメージして、本曲の詞を紡いだのだろう。僕にも当然<<好きなもの>>はある。沢山ある。それは友人知己であったり、楽曲であったり、食品であったりする。本当に多くある。でも、本当に苦しい時(体調が悪い日やイヤなことがあった日など)や、誰かから、その<<好きなもの>>を批判されるような時「!」を付けるような勇壮な気持ちで「それでも俺は好きなんだ」と言い切れるか、確固たる自信はない。

それでも僕たちは、自分らしくあるためには、つまり幸せであるためには<<好きなものは好き>>でいなければならないのだろう。逆境にあっても、自分が大事にするもの(形あるものだけでなく、目標なども含む)は、きっと投げ出してはならないはずだ。

<<ビルの間きゅうくつそうに>>
<<落ちて行く夕陽に 焦る気持ち 溶かして行こう>>

何という優しい呼びかけなのだろう。ことによると、これはリスナーへのメッセージというより、他ならぬ槇原敬之さんご自身が、己に言い聞かせるべく書いた詞なのかもしれない。それでも僕は今、言うなればタイムリーに、この(だいぶ前にリリースされた)曲に励まされている。あるいは労わられている。

もう若くはない僕だって、そして残された日々のなかで叶えたいことを持つ僕だって、焦らないほうがいいのだろう。ひとつひとつ、目の前のことをやっていくより他ないのだろう。家路を辿りながら、あるいはベランダで洗濯ものを取り込みながら<<夕陽>>を見る時、そんなことを日々、思い出していきたい。

***

あいみょんさんが見せてくれた<<夕焼け>>、槇原敬之さんが届けてくれた<<夕陽>>。それに照らされながら、いくぶん疲れた心身を温められながら、できれば焦らずに、それでいて手を抜きすぎることなく、いつの日か「幸せです」と、近しい人に言える日が、僕に来ますように。そして(著名人であるという意味で)遠い存在である、あいみょんさんと槇原敬之さんにも、あらためて、より一層、感謝できる日が来ますように。

今のところ、少なくとも本文を書き終えようとしている今、僕は「ハルノヒ」と「どんなときも。」が好きだ。その気持ちを大事にして、次なる朝焼けを迎えたい。

※<<>>内はBank Band with Salyu「MESSAGE -メッセージ-」、あいみょん「ハルノヒ」、槇原敬之「どんなときも。」の歌詞より引用

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