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酔いどれ詩情と閃光のディストーションギター

マイク・パトゥとオリー・ハルソールを追って見えてきたもの まだまだ見えないもの

1970年代に活動していたパトゥ(PATTO)というロックバンドがある。英国ロックが好きなら、一度は聞いたことのある名前かもしれない。しかし知名度はそんなにもないというのも本当だろう。そのバンドのギタリスト、オリー・ハルソール(OLLIE HALSALL)のギタープレイが僕は好きだ。最初のきっかけは、ケヴィン・エアーズ(KEVIN AYERS)のバンドで弾いていたのを聞いてからだった。特にケヴィン・エアーズの”Blue”という曲で聞かれるギターソロは素晴らしい。加えてバッキングに於いても、オリー・ハルソールは閃きに満ちたプレイスタイルを存分に発揮していると思う。

僕はケヴィン・エアーズの音楽を、自分が大学生になる頃に初めて聴いた。その前にソフト・マシーンというグループの1作目の音楽を聴いていて、そこに参加していたのは知っていた。しかしソフト・マシーンで主に歌っていたのはロバート・ワイアットだと知ったのは、ケヴィン・エアーズのソロアルバムを聴いて初めて理解した事だった。ケヴィン・エアーズ独特の低めの音感のヴォイスに最初はすごく異質な印象を覚えたが、聴けば聴くほど親しみやすいのも本当だった。ケヴィン・エアーズの緩やかな音楽観に任せていれば、世知辛いもののすべては、ユーモラスに塗り替えられてしまうような気がする。
そうして、ケヴィン・エアーズの陽気さと反面の陰翳なムードが描くもののなかで聞こえる音楽に見事に張り付くオリー・ハルソールのギターだと言えるのかもしれない。1975年「SWEET DECEIVER」に、1976年のアルバム「YES WE HAVE NO MANANAS,SO GET YOUR MANANAS TODAY」にと続いてゆく次の1978年のアルバム「RAINBOW TAKEAWAY」からその後の作品まで、オリーはケヴィンの相棒のギタリストとなり活動を共にしていっている。そもそもオリー・ハルソールはケヴィンの1974年作「THE CONFESSIONS OF DR. DREAM AND OTHER STORIES」から参加しているのだが、本格的に組み合ったのは1975年からなのだろう。しかしその最初のコラボレーションから、オリーのギターは全開だった。例えば”Didn’t Feel Lonely Till I Thought Of You”である。スタジオバージョンも良いが、あるライブバージョンではとんでもないことになっている。幾つかあるなかでも1974年のBBC、ジョン・ピールのラジオ番組でのパフォーマンスがとりわけ素晴らしい。イントロからバッキング、何度も挟まれるギターソロ、最初から最後に至るまで、そのキレキレのギタープレイには凄みがありすぎる。そして余裕綽々な感もあるのだから痛快だ。そこに乗っかっていくケヴィンの歌も飄々としていて堪らなく可笑しい。聴き始めればうれしくなる。

話は飛ぶが、僕は一時期、ロックをあまり聴かなくなり、ジャズばかり聴くようになった事があった。モダンジャズをひたすらに聴きまくる日々。ジャズのソロ演奏とそこを支えるバッキング、ソロの繋がり方、テーマから始まりソロ回しを経ての再びのテーマへと戻る瞬間の、それぞれの鮮やかさに魅了されていた。ある日、ジャズを聴きながら時計を見ていた。時計の針を目で追って、耳では音楽の進み方を捉えていた。目でも感じる音楽。そういう聞き方も面白いと思って、そこでふっと思い出したのだった。そういえばオリー・ハルソールの凄いギターソロがあったよなぁ、あれが聴きたい。そこで聞き直したケヴィン・エアーズの”Didn’t Feel Lonely Till I Thought Of You”は素敵だった。これもジャズじゃないか。異論はあるにせよ、僕はジャズを感じたのだ。

そもそもオリー・ハルソールの居たバンド、パトゥはロックバンドでありながら、ジャズに通じる演奏スタイルをも内包していた。オリーのギターはジャズだった。ロックのディストーションギターを過激に鳴らせたかと思えば、フリージャズにさえ向かうような延々とした奇妙なソロも弾いた。この実験的な展開が、パトゥをアンダーグラウンドに押しやってしまうことになったのかもしれないが、しかしそこにこそ時代の真髄はあったのだと思う。パトゥの最初のアルバムは1970年の「PATTO」だ。それに続く71年の「HOLD YOUR FIRE」である。これらの2作が、パトゥの最も冴えた閃きを感じさせるものだというのは間違いない。
イギリスの1970年代後期からニューウェイヴの時代にいたバンド、XTCのアンディ・パートリッジが、影響を受けたギタリストにオリー・ハルソールを挙げているらしい。例えばアンディ・パートリッジが紹介している”Money Bag”や”Air Raid Shelter”という曲がある。それらのギタープレイとバンドサウンドは”ロックバンド”を求めて聴けば、意味不明につき不可解な展開なのだろう。冗長にも読めない音楽。あるいはその当時未発表だった曲”Hanging Rope”にもその感触がある。また、オリー・ハルソールのギタープレイはアラン・ホールズワースのプレイスタイルに影響を与えたという事も言われている。彼ら二人は1973年頃にテンペストというハードロックバンドで一緒だったが、後に発表されている1982年のALLAN HOLDSWORTH「I.O.U」というアルバムの幾つかの曲では、そのパトゥがやっていたような”Money Bag”及び”Air Raid Shelter”のスタイルが踏襲されているように聞こえる。

塊になったグルーヴ感が伝わってくるロックのダイナミズムは勿論、音楽のその凄さ、素晴らしさを印象付けるが、また、不可解なものがあるひとつのものに収束する瞬間を味わうのも音楽の大事な感覚だと思う。今の時代の音楽は多様だからこんなことを述べている意味はないのかもしれない。
しかしパトゥの凄いところは、ロックバンドとしてのグルーヴだという事も言い忘れてはいけない。例えば”Red Glow”である。”Hold Your Fire”である。
他にも”The Man”や”Sittin’ Back Easy”の、静から動へと続く怒涛の展開も凄い。そのなかでも自分が最初に特に凄まじいと感じたのは”Hold Your Fire”だった。オリー・ハルソールのギターは超全開だった。こんなギターは聞いたことがない。そしてバンドのグルーヴも半端ないのだ。
この曲の歌詞は、その時代のヒッピーの世代が保守的な人達から追われているような展開を描いている。Hold Your Fire、という言葉は、銃を仕舞ってくれ、という意味なのか。保守的な旧世代から銃を向けられている新世代のヒッピーという図は、あるいは映画の「イージー・ライダー」の世界観かもしれない。あの映画は最後、ヒッピーが銃で撃たれてバイクも破壊される衝撃の場面ばかり思い出して、内容がはっきりしないのだけれど、後味は悪いと思う。それを踏まえてパトゥーの”Hold Your Fire”を聴けば、ここには面白いユーモアがある。ヒッピーの生活が、ぼやき節のように語られ、その都度、銃を仕舞ってくれと懇願する情けない風情。マイク・パトゥのしゃがれる語り口と転がるピアノのロックンロールは中盤戦の冗長さを間延びさせるように聞こえるかもしれない。しかし聞きどころは、最初から凄いギターソロ、最後にもう一回出てくる最大圧力のグルーヴを先導するギターソロである。オリーは凄い。そしてパトゥのバンドがあってこそである。ふてぶてしいまでに踏みつけ踏み抜いてゆくような横行闊歩の感覚が堂々たる感触を以て表現される大胆不敵の体感である。
ヒッピーの情けないぼやきに対するこの演奏の落差は面白いと思う。どういう意図なんだと考えれば可笑しくなる。
アルバム「HOLD YOUR FIRE」の1曲目のタイトル曲から続く”You, You Point Your Finger”という歌を聴けば、この唄はジョン・レノンの歌い方を非常に意識しているように聞こえるが、どうだろう。コーラスの入り具合もビートルズの様に。

考えれば、ギターのオリー・ハルソールとドラムのジョン・ハルゼイのその後は、ビートルズのパロディグループ、ラトルズへの参加である。ここにはモンティ・パイソンとその周辺の演劇と音楽の人脈が絡んでくる。パトゥの1972年のラスト作「Roll’em Smoke’em Put Anothet Line Out」の音楽では、
早くもそれらのコメディ感覚が展開されている。それを主導しているのはドラムのジョン・ハルゼイなのだろう。こういうところでパトゥがロックバンドとして正当な評価を受けずに終わってしまったのが残念だ。ジョン・ハルゼイのドラムが及ぼすグルーヴはこのアルバムでも凄まじいのだけれど、悪ふざけも過ぎたのかもしれない。そういうわけなのかこのアルバムはパトゥのなかで駄作の烙印を押されているようだ。しかしそれらのおふざけを含めて多様性を認めてゆくならば、なかなか聴き応えのある1作だと思う。
グルーヴもヘヴィーにバンドサウンドは充実している。全体で物足りないのはオリー・ハルソールのギターソロが多くない事だろうか。それでも1曲全編に渡るギンギンのギタープレイが聴ける”Loud Green Song”でじゅうぶん満足だ。これは早すぎたオルタナティヴだと思った。狂いすぎて笑える。レコードで聴けば最高すぎる。

それにしてもパトゥが終わったのはどうしてなのか謎は残る。伝わってこない事が多すぎる。実はこの後73年にアルバムを制作して未発表になっているらしい。今それは「Monkey’s Bum」というタイトルでCD化されている。未発表にするに惜しい曲が揃っていて聞きどころは満載だと思う。一方、同じ時期72年に、マイク・パトゥとオリー・ハルソールが参加したSteve York’s Camelo Pardalis「MANOR LIVE」というアルバムがある。そこで聞かれるラフなセッションの演奏の感触は未完成な部分を残して魅力的なのだが、パトゥの「Monkey’s Bum」もそれに近い感覚だと思う。
そこで紹介したい「MANOR LIVE」だ。英国ロックの個性派が集っているところに興味は尽きないが、この当時のキング・クリムゾンのメンバー、ボズ・バレルが何曲かで歌い、イアン・ウォーレスもそこでドラムを叩くというのだからどういうものかと思う。オリー・ハルソールもまた半数くらいの曲でギター、そしてマイク・パトゥも歌う。特に、ランディ・ニューマンの名曲”I’ll Be Home”をマイクがピアノ弾き語りで切々と唄う様は感動だ。ここでベースを弾くボズ・バレルとドラムのイアン・ウォーレスなのだった。しかし全体でみれば、一番魅力的なのはヴィネガー・ジョーのバンドから参じたエルキー・ブルックスの見事な歌いっぷりにちがいない。英国ロックの裏通りで活躍していた強者どもの行方を追っていくのは楽しい。ロックンロールとブルースとソウルフルの旅。

話を戻すと、ビートルズから繋いでゆく英国喜劇と音楽劇だ。パトゥもそこに少し噛んでいたのだった。ザ・フーのジョン・エントウィッスルもキース・ムーンもそうなのかもしれない。後にラトルズで主導している音楽家ニール・イネス(NEIL INNES)の存在は見逃せない。BONZO DOG BANDに、SCAFFOLDや、GRIMMSというグループのメンバーと関わり多いニール・イネスと、オリー・ハルソールもまた縁は多い。ニール・イネスの参加作にオリーの存在ありという場面に多々出逢う。余談だが、スキャッフォールドのマイク・マクギアはポール・マッカートニーの弟だった。その人のソロアルバム1972年の「WOMAN」は素敵なアルバムだ。これらのコメディ、パロディ、演劇の人脈のなかで音楽部門を担当しているのがニール・イネスであり、マイク・マクギア、アンディー・ロバーツといった人たちなのだろう。特に素敵な、内容を誇るべきNEIL INNES「HOW SWEET TO BE AN IDIOT」1973年のアルバムにはまったく満足する。ビートルズから繋がるエミット・ローズまでを想い起こさせるような英国ポップを繋げてゆくニール・イネスの歌は心に来る。ここに参加したオリー・ハルソールのギターは大活躍だと思う。これはコメディの音楽ではない。素晴らしい演奏と歌である。パトゥのバンド解散後の1973年74年頃のオリーはセッションミュージシャン、バッキングギタリストとしていろいろなところに向かっている。パトゥのバンドの後、こういう経験を通して、ただ過激にやるというギタースタイルから、どのジャンルにも対応する歌伴に於ける正当なギタリストへと転向してゆくのかもしれない。そしてここからオリー・ハルソールの関わる人脈はロックの文脈から離れてゆくというものでもあるだろう。
ニール・イネスと同じ1973年に、オリーが参加した、MICHAEL de ALBUQUERQUE「We May Be Cattle But We’ve All Got Names」というアルバムがある。ここには英国ジャズのミュージシャン、ゴードン・ベックやクリス・ローレンス、フランク・リコッティといった面々が集っているのが興味をそそる。マイケル・デ・アルバカーキという人はエレクトリック・ライト・オーケストラのベース奏者だったらしい。ここで聞こえるのは、言うならばジャズミュージシャンを迎えて作ったシティーポップ、という表現でもいいかもしれないと思うほど、AORの時代に行ってしまう前夜の鋭角を残した洗練がある。そこで究極のギターを弾いているオリー・ハルソールである。オリーのギタリストとしての在り方は、この時期辺りから、歌のバッキングと過激なギターソロのせめぎ合いをみせるようになるのかもしれない。

数あるセッションから飛び出したなかでも彼がロックを追究したのは1974年のテンペスト(TEMPEST)なのだろうと思う。「LIVING IN FEAR」というアルバム、ここでは自らがリードヴォーカルをとって、ハードロックギターを弾きまくっている。ドラムのジョン・ハイズマンをリーダーとするこのバンドは、ベース奏者マーク・クラークとギターのオリーの3人によるトリオ編成である。このアルバムで録音を担当するのは、ビートルズのエンジニアだったジェフ・エメリックである。そしてここではビートルズの”Paperback Writer”がカバーされているという事もある。
僕はパトゥのバンドでは聴き足りないオリー・ハルソールのギターを聴くために、このテンペストのアルバムを何度も何度も聴いていた。しつこいくらいだった。ある日、そんな事を続けていたら、部屋を通りかかった母が言った。たくさんCDがあるのになんでそれを聴くの?良いのは他にもいっぱいあるでしょう?分からんわ。
….ほんとうにその通りだった。何故だかは説明はできなかった。僕はいったい何のために聴いているんだろう?その答えはいまだに見つかってはいない。テンペストは過剰なるロックだ。音圧の歪みとも呼べるエネルギー。ストレートハードロック。スピード感と緩急の使い分け。転調につぐ転調。スタジオライブの熱気と粗さを感じさせるように、作り込みが綿密ではないがゆえのエネルギーの放射。小技大技を巧みに使い分けたギタープレイは、小枝を折り大枝をねじ折り大木をなぎ倒してもなお木片をもバキバキに折りまくるかのようだ。それは森林破壊じゃないか。言い過ぎかもしれない。しかし音楽が終わった後の静寂は森林浴の如く独特の間を現出させてくるようなのだ。
オリー・ハルソールはここでハードロックをやりきったのかもしれない。同じ時期という事を考えてみると、ジェフ・ベックのベック・ボガート&アピスが同じようにトリオでハードロックを展開させていたところに対するテンペストのハードロック大会だったのかも、という頂点を目指すかのような気迫はあると思う。現にテンペストの”Stargazer”という曲のイントロからのギターとバンドサウンドは、ベック・ボガート&アピスを彷彿とする音の鳴りがするように聞こえてならない。そしてロックをやりきったのがこの74年の分岐点だったのかも、と思うのだ。ジェフ・ベックがそうであったように。
しかしオリー・ハルソールのロックはまだまだ続いてゆくのだった。それでも内面の変化は、はかり知れるところではない。ケヴィン・エアーズのアルバムではまだロックのギターをギャンギャンいわしているのだから説明はつかない。

そういえばこんな映像があるのを見つけた。1981年なのか確かなことは分からないが、ケヴィン・エアーズのバンドでギターを弾くオリー・ハルソールとポリスのギタリスト、アンディー・サマーズのギターソロ合戦。演奏するのは”Didn’t Feel Lonely Till I Thought Of You”である。オリーはピンク色のジャケットを着ていて、変幻自在の変異態ギターをギラギラさせている。対するアンディー・サマーズが端正なイケメンに見えてしょうがない。
だが、それはそれで、やはり”Didn’t Feel Lonely”のギターは74年のライブに限る。

僕は大学生の頃これを聴いていたのだけれど、ケヴィン・エアーズのBBCラジオでのライブ放送を集めたCDのアルバムを聴いていて発見した、ポリス以前の70年代アンディ・サマーズの動向だった。サマーズ参加のその経緯は、ケヴィンのギタリストに収まったはずのオリーがボクサーの活動のために一時バンドを離れたというところからのものだった。大学生の時、何にも知らない自分は、オリー・ハルソールはボクサーだったんや、凄いなあ、そういう人もいるんやなぁという感想をもったのかもしれない。しばらくはボクサーの選手だと信じていた。僕さあボクサーだったんだけどさあ、という駄洒落は、しかしその時も今も必要ないのは断言できる。

気を取り直してボクサーのバンドの話である。パトゥのバンドで共に活動していたオリー・ハルソールとマイク・パトゥが再び組み合ったのが1975年に始まるBOXERだ。ここで期待したいのは、PATTOの再来、ハードロックと過激なギターの再演である。しかし喜び勇んで聴いてみれば、シンプルにオーソドックスにまとまったロックサウンドだった。そう聞こえてしまった。この感覚は1970年代のグラムロック以降のモダンロックを示唆しているようだ。
よく聴けばマイク・パトゥの歌い方、唱法がパトゥ時代とボクサーではかなり違っている。オリーのギターはあの時のように、はめを外して過激とはいかないようだった。いったいこれはどういう趣向だ。しかもボクサーのバンドのメンバーは実戦と成績を残してきた強者の集まりなのだ。ベース奏者キース・エリスはジューシー・ルーシーで弾いていた。ドラム奏者トニー・ニューマンはジェフ・ベック・グループ、メイ・ブリッツ、スリーマン・アーミーと歴代ハードロックバンドを渡り歩いてきた。
では何故にハードロックではないのか、武骨のグルーヴでヘヴィーロックをやってくれないのかという点がもやもやとしてくる。ゴングは鳴らされたのに逃げ腰ではチャンピオンになる話にもならない。

KOが無理なら一旦コーナーへ戻ろう。
やはりオリー・ハルソールのロックはテンペストでやり尽くされて終わったのかもしれない。燃えたよ真っ白に燃えつきたと言ったとか言わないとかそんな事は知る由もないが、ボクサーはパトゥのやり直しではなかったのだと理解するには、ボクサーをやはり何度も何度も聴く必要があるのだと思う。そして考えよう。なにゆえにこのメンバーが集まったのか。その経緯を。

起点はデヴィッド・ボウイかもしれない。そしてテリー・スタンプだ。1974年のデヴィッド・ボウイ「DIAMOND DOGS(ダイアモンドの犬)」にはトニー・ニューマンが参加していた。ここではエインズレー・ダンバーが共に参加しているが、次の「DAVID LIVE」というライブではれっきとしたメンバーである。この2枚に共通するのはベース奏者ハービー・フラワーズとトニー・ニューマンによるリズムとグルーヴだ。ハービー・フラワーズはルー・リードの名曲”ワイルド・サイドを歩け” の印象的なラインを弾いていることで知られている。そして同じ時期1975年のTERRY STAMP(テリー・スタンプ)のアルバム「FATSTICKS」には、このハービー・フラワーズ、トニー・ニューマン組が居るのだ。そのうえ、ギターはオリー・ハルソールである。この時テリー・スタンプが目指したのはデヴィッド・ボウイのグラム以後の路線なのか。もっと興味深い事は、後のボクサーのアルバムではこの時のテリー・スタンプの曲が2度に渡って取り上げらているのだ。”Town Drunk”は「BELOW THE BELT」のアルバムに。”Dinah-Low”は「BLOODLETTING」のアルバムに。それならば、ボクサーのベース奏者キース・エリスは何処から来たのだろうか。実にケヴィン・エアーズの1975年のライブツアーのメンバーだったのだ。そこでオリーと知り合った面々が新バンドに揃えられたと考えると繋がってゆく。ここにはデヴィッド・ボウイとテリー・スタンプが間違いなく音楽の趣向に影響を及ぼしているだろう。だとするなら、マイク・パトゥはただオリー・ハルソールの馴染みとしての繋がりだけなのだろうか。いや、ここでもまだあった。マイク・パトゥが1974年に参加したスプーキー・トゥースである。「THE MIRROR」というアルバムでバンドは最期を迎えるのだが、アルバムの後少し続いていたバンドにキース・エリスは在籍していたらしい。そこでボクサーが始まるのだ。
マイク・パトゥがパトゥーのバンドで歌っていたさまには鬼気迫るものがあったと思う。それがボクサーのバンドで変化したのは、スプーキー・トゥースで得た経験なのだと、「THE MIRROR」を聴いていると解る。
彼らは決して軟弱化したのではなかったのだと思う。

しかしボクサーは悲運のバンドだ。
1975年に「BELOW THE BELT」を発表し、次の作品を発表せずにメンバーは散会した。1977年に2作目「ABSOLUTELY」が出た時、そこに居たのはマイク・パトゥだけになりバンドは一新されている。1979年になって未発表だった「BLOODLETTING」が発表された経緯は、78年に亡くなったキース・エリスの追悼を込めていたのかもしれない。そして79年にはマイク・パトゥも亡くなるのだ。

BOXER「BLOODLETTING」のアルバムは素晴らしい。ベースの音が強調されているように聞こえるミックスはやはりキース・エリスを追悼するがゆえの事なのだろう。だからこそここにはグルーヴが漲る。1曲目はビートルズの”Hey Bulldog”のカバーだった。ニール・ヤングの”The Loner”もある。極めつけはライブ録音の”Teachers”だ。ここではパトゥさえも想い起こさせるヘヴィーロックがグルーヴに渦巻いている。ボクサーはライブが凄かったのかもしれない。ザ・フーがそうであるように。

最後にひとつ言っておきたいのはマイク・パトゥだけになってしまったアルバム「ABSOLUTELY」はそれにつけてもカールせずにストレートにロックでグルーヴィーだ。ここでベースを弾くのはティム・ボガートである。一本筋の通った図太いベースがうごめいている。
ここでやっと気づいた。オリー・ハルソールが好きだっただけでなく、僕はマイク・パトゥが好きだった。この声を聴きたい。
マイク・パトゥは咽頭ガンで亡くなったという。

祈る。

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