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光と幸せを捕えるサンキャッチャーロックバンド「フジファブリック」

闇が漂う世界に消えるな太陽「光あれ」

“光あれ”―聖書における天地創造の有名な一節で、多くの人が一度は耳にしたことがあると思う。あまり聖書を知らない私でも聞いたことがある。

≪神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。≫創世記1章(口語訳聖書)※wikipediaより引用

光と同時に闇も生み出されていたことを知り、フジファブリックの新曲「光あれ」について、真剣に考察してみたくなった。この楽曲はあのミスチルやマイラバでおなじみの小林武史がプロデュースを務め、作詞作曲はフジファブリックのボーカル・山内総一郎が担当している。YouTubeのリリックビデオも含め“日常”、“希望”、“前進”がこの楽曲のテーマになっているということである。しかし、私はもちろんそれらをこのフジファブリックとしても真新しい空気を感じるフジファブリックの楽曲「光あれ」から感じ取ったものの、それだけではなく、光の対となる闇の部分も考えざるを得なかった。

まずは「光あれ」の歌詞を考察していきたい。

<朝焼けはマーブルのガラス 息を吹き込んでみる
ぶつかって割れた輝きさえ 今 踊り出すように>

1日の始まり、光源としての太陽が昇って空の色が変化する情景が描かれている。爽やかな朝の描写の後は、負のイメージのある衝突による輝きを正のイメージに変えて、動き出そうとする“何かの始まり”を告げている。割れたガラスに光が当たると乱反射が起きるので、その様は確かに様々な方向へ踊り出す輝きに見える。

<向かい風に笑った 叶わぬ時と知っても>

気象については詳しくないので、個人的にずっと不思議に思っていることだが、風というものは低気圧が発達している時は除いて、朝晩よりも太陽が出ている日中の方が強くなることが多い気がする。だんだん太陽が昇り始めて、昼間になって風が強くなる。追い風の時は風に任せてラクに過ごせるけれど、向かい風はなかなか前に進めないので、あまり好む人はいないだろう。けれど、この場面で主人公は向かい風にもめげていない。思い通りにならない時と割り切って、風が過ぎるのを待ってじっと耐えて、前向きに乗り越えようとしている。

<光あれ! 歩き出すあなたに 遠くまで降り注ぐ愛の光
正解は何時でもひとつじゃないよ 描いた行方を照らして>

光というのはもちろん“太陽”のことを指すと考えられるが、人々の“心の希望”も光には違いないと思う。太陽が出ているだけで、何となくエネルギーがみなぎって、どんなにツイていない日でも不思議なことに希望を持てる場合が多い。先程引用した<ぶつかって割れた輝き>という部分も、太陽の光だけでなく、人の心の葛藤、他者との衝突も示唆しているとすれば、やはり楽曲内における光というフレーズは単に太陽ではなく、人の心も表していると考えられる。太陽の光と共に、心を活性化させて、たとえ物事が順調に進まなくても、他者と意見が食い違う時があっても、自分が選んだ道を信じて歩んでいこうというポジティブなメッセージをサビの部分から感じ取ることができる。

<消えかけた轍 繋がるように 思いを凝らしてた>
<同じ魔法にかかった 会えて嬉しかった>

ふと自分が進んで来た道を振り返ると轍ができていたりする。でもその轍は雨が降り、また陽が照って、地面が乾燥すると消えてしまって、轍を頼りに元の場所へ戻りたいと思っても、道標はなくなって引き返せなくなることもある。つまり戻れないから、前に進むしかない。そんな時、同じように<消えかけた轍>に途方に暮れて、彷徨いながら歩いている誰かと遭遇する。希望を捨てずに進み続ければ<同じ魔法>にかかっている人と巡り会えるのである。

<光あれ! めくるめく数多の 踊る風 響き合う空の光
出会いは何時でも素晴らしいから 明日も微笑み揺らして>

今の時代、光は何も太陽だけではない。信号機も外灯も街のネオンも車も飛行機も光を放ち、私たちはたくさんの人工的な光に囲まれて暮らしている。街中に溢れるそれらの光を見ると音速を通り越して光の速さで時間が進んでいるようにさえ感じる。
そして様々なテクノロジーが進化している分、同じくらい人々の出会いも容易になった。出会いが容易になった分、振り返ればあまり出会わない方が良かったかもしれないと思う出会いも稀にあったりするけれど、でもそんな出会いさえ、出会わないよりは人生を豊かにしてくれる。特に笑顔でいると素晴らしい出会いは多く訪れるだろう。

<覚めぬ夢から夢 星を待ってる夕べ
素敵な日々はきっと 続いて行くよ ずっと>

自分の目標・夢を信じて活動した1日が終わり、太陽の光に変わって星の光が輝き始める夕刻となる。いろいろ衝突や葛藤や挫折があっても、立ち止まらずに未来を信じて進み続ければ、太陽や出会った人は自分の味方になってくれる。夜という闇の時間が訪れ、明日もこれからも素敵な日々が光と共に続くことを願う心情が描かれている。

前向きな歌詞や明るいメロディに合わせて、リリックビデオもまた太陽の光や灯火、日常のささやかな幸せ、ほのぼのする表情、夢に向かって真剣に取り組む姿などの断片をつなぎ合わせたポジティブな映像になっており、ハッピーソングという第一印象を持ったものの、これまでのフジファブリックの歴史を振り返ると、人々に幸せをもたらす光のような音楽を作り出すバンドに至るまでの闇のような苦労を重ねた部分も忘れてはいけないと思った。

それは志村正彦が活躍していた時代まで遡ることができる。これから随時、志村正彦著『東京、音楽、ロックンロール』を参照していきたい。
まず、フジファブリックのファンから言えば、志村正彦は太陽のような光の持ち主だったと思うのだが、当の本人、志村正彦自身は著書の中や、自身の心情を綴った歌詞の中で、かなり負のオーラというか闇の部分を包み隠さず、伝え残してくれた。自身の捉え方も含めれば、彼は“闇をまとった光”のようなアーティストだったと私は考える。

2008年5月31日、長年の夢だった志村正彦の地元、山梨県富士吉田市で凱旋公演を終えた直後、6月から志村正彦は著書内で語った“暗黒の6月”を経験している。12年前のちょうど今頃の時期のことである。1ヶ月間、彼が仕事をオフにした時期を指す。その頃、≪フジファブリックをやめたい。抜けたい。≫と発言したと書いてある。フジファブリックは元々、志村正彦が作ったロックバンドであり、現メンバーが加入する以前に作られたバンドである。“解散したい”というのではなく、“抜けたい”という表現に私は驚いた。まるでフロントマンらしからぬ発言で、なんて謙虚な人なんだろうと思った。メンバーの先頭に立って歩くというより、後について歩く、謙虚なフロントマンだと感じた。(実際、アルバム『CHRONICLE』に付属するDVDでは志村正彦がメンバーの後ろをついて歩くシーンも確認できる。)

≪僕は曲作れないけど、他のみんなが曲をめちゃくちゃ書きまくるっていう時期で。「俺、もうフジファブリックにいらないんじゃないか」ってことを思って。他のメンバーができるなら、他のメンバーがやったほうがいいんじゃないかって。(中略)他のメンバーが歌っている仮歌も、俺が歌うより全然良い。だったら俺もうフジファブリックやめたほうがいいんじゃないかってことを思い。≫(※著書、2006年終盤のインタビュー部分より抜粋)

このように凱旋ライブ数年前にも著書内で語った通り、フジファブリックは自分が抜けても存続できるバンドと思ったのかもしれない。そして自分が抜けたとしてもフジファブリックというバンドは残したいという気持ちもあったのだろう。
暗黒の6月から復活し、翌年5月には『CHRONICLE』を完成させ、闇が目立っていた志村正彦に光が戻った2009年12月、志村正彦は帰らぬ人となってしまった。
しかし志村正彦がいなくなってしまっても、フジファブリックは解散することなく、存続の道を選んだ。皮肉なことに彼が暗黒の時期に語ったように、結果として志村正彦が抜けて他のメンバーでバンド活動を続けることになったのだ。

つまり何を言いたいのかというと、今でこそ現メンバー山内総一郎、金澤ダイスケ、加藤慎一という3人で常に新しい音楽に取り組む愉快でハッピーな光の集合体ようなバンドという印象を持てるものの、当時のフジファブリックは音楽の中においても、単純に光だけではなく、心の闇を強調するような楽曲が少なくなかったのである。その闇の時期を乗り越えての「光あれ」だから、感慨深い。

「志村くんがいなくなった今のフジファブリックって前と全然違うバンドじゃん。ボーカル自体違うんだし。」と知人から言われたことがある。ファンではない人から見れば、そう見えるらしい。たしかに志村正彦がいた頃と音楽性がまったく違わないかと尋ねられたら回答に悩んでしまう。でも、私は思う。とても内向的で見かけは物静かな志村正彦が内に秘めた、太陽のようにメラメラ燃える情熱を注いで魂を込めて作り上げたフジファブリック精神の音楽は今もちゃんとフジファブリックに継承されていると。生半可な気持ちは微塵もなく、音楽にだけ没頭し、ストイックな楽曲作りに行き詰って悩んだりもがいたり後ろ向きになることもあった志村正彦がメンバーに残した光の対極としての闇の部分さえ無駄じゃなくて、今のフジファブリックに影響を与えている。だから、「光あれ」の歌詞の中でも、きれいに反射する光だけでなく乱反射の光や、向かい風という困難な場面も描かれたのだと信じたい。

志村正彦は自分がいなくてもやっていけるとメンバーの才能を認めていたし、メンバーを信じていた。メンバーもまた、2008年に放送されたテレビ番組内で、志村くんの不思議な歌詞の曲についてどう思っているのかという問いかけに対して、いいじゃんと思うと褒め、素直に志村正彦をリスペクトしている様子だった。つまり志村正彦を含めてメンバー同士が認め合い、リスペクトし合っているバンドだから、光輝く音楽を紡げるのだと思う。

光の反射、屈折、干渉など、光と言っても日常の中で見ている光の種類は様々だ。けれど、光の元はほぼ太陽というたったひとつの恒星から放たれている。太陽自身は自分の内部の熱と格闘するように燃えながら生きている。ある意味、決して穏やかではない壮絶な活動であり、距離が離れている分、地球はその恩恵をもらえて平穏に暮らせているのである。たったひとつしかない太陽から生み出される膨大な光の恵みを与えられている。

あの美しいダイヤモンドでさえ、不純物が含まれない天然のものは暗闇では一切光らないらしい。光がなければどんな高価な宝石だって意味がない。逆に太陽さえ照っていれば、その辺のアスファルトさえキラキラ輝く。砂場だってそうだ。それらには細かなガラスや石英という鉱物が含まれていて、その小さな粒子が光を反射して輝くのだ。それってものすごい奇跡だと思う。たったひとつの恒星があることによって、太陽の分身のような光が地球上のありとあらゆる場所に出現して、生物の命をつなぐ源になったり、人々の心に希望や幸せをもたらす根源になっていたりする。太陽光は時に姿を変えて、虹と化したり、日中は様々なものに色を与える役目も担っている。

私はサンキャッチャーが好きで、窓辺にたくさん吊るしたり、置いたりしている。日当たりのよくない部屋でも、わずかな太陽の光さえ差し込めば、サンキャッチャーを通して虹色の陽光が部屋中に広がる。その小さな虹色の光を見ればどんなに憂鬱な時でも和やかな気持ちになれる。太陽や光の話を長々としているのにはわけがあって、つまりこういうことだ。「光あれ」という新曲を完成させたフジファブリックはサンキャッチャーのような存在のロックバンドになったのである。

偶然だけれど、太陽にも存在するコロナではなく、新型ウイルスのコロナによって闇が漂う社会になった今、明るい気持ちを維持して前向きに生きることの大切さも当然、この楽曲には込められているわけで、つまりコロナ禍の中で生きる人々の心の希望の光と、志村正彦という闇をまとった太陽のようにひたむきで情熱的に音楽と向き合い煌めいた存在の残像が融合して、それらの光がフジファブリックの音楽に透過し屈折して、「光あれ」が生み出されたのではないかと思うのである。

フジファブリックというロックバンドは日々、新しい音楽と挑戦しつつも、志村正彦の意志を引き継ぐように、音楽に心を反映させている。それが志村正彦の心だけでなく、リスナーや世の中のたくさんの人々の心の光も反射させることにつながった。サンキャッチャーを通して見える虹色の希望の光は見た人の心に幸せをもたらす。それと同じように、心の光を反映させたフジファブリックの音楽を聞いた人の心にも光が宿って、光が次々と増えていく。光という幸せな現象を音楽を通して、表現してくれるバンドに成長したのである。だから私は彼らをサンキャッチャーロックバンドだと捉えた。「光あれ」を聞けば、みんなサンキャッチャーを通じてハッピーな<同じ魔法>にかかることができるのである。フジファブリックの光の音楽を聞けば、ささやかな日常の欠片にときめく心が連鎖するのである。

コロナのおかげで、人々は新しい世界を作る模索をしているのが現状である。つまり今は“創世記”時代に通じるものがある。物事の始まりはすべて光と言える。物理的に光がないと作物は育たないし、希望の心を持たないと何も始まらない。光と同時に闇も生まれてしまうけれど、闇は闇で必要だ。夜があるから、太陽以外の星の存在に気付けるし、人工の光や灯火に心惹かれて救われる時もある。希望の代償として、期待や夢を持てば持つほど、叶わなかった時、うまくいかない時の心の闇は計り知れない。これはどうにもならないことで、未来を築くということは光と闇のどちらも欠くことはできないのである。

そんな時、寄り添ってくれるのが光と幸せを掴んで離さないサンキャッチャー、ハッピーキャッチャーとしてのフジファブリックの音楽だ。フジファブリックは光や心を変幻自在な楽しい音楽に変換して、私たちの元へ届けてくれる。光を通じて日常をやさしく描写して、光と闇、昼と夜が交互に訪れるこの世界で暮らす人々の心をさりげなく後押ししてくれるのが「光あれ」という楽曲である。

最後に、フジファブリックの創世記時代を築いた志村くんに伝えたいことがある。

志村くん、サンキャッチャーのクリスタルのようにまっすぐに光をとらえるあなたの瞳はまさにあなたの心の内を映し出していたと「光あれ」という新曲を聞いて、改めて気付きました。音楽と真摯に向き合って、常に自分自身と戦って、心は太陽のように燃えていましたね。けれどその分、疲弊することも多かったでしょう。
著書の中で≪いわゆるミスチルと同じステージに出たんです。≫などとミスチルに憧れるような発言もしていましたが、そのミスチルをプロデュースした小林武史さんが今回フジファブリックの楽曲をプロデュースしたということは、フジファブリックは志村くんが尊敬したミスチルと匹敵するバンドに成長したと言えるのではないでしょうか。
そもそも2010年、Bank Bandとして桜井和寿さんが「若者のすべて」を歌い、カバーした時点で、志村くんはフジファブリックは、桜井さんと肩を並べたと思っていいのだと思います。
妙に自信なさげで、謙虚なあなたでしたが、近年やっと時代が志村正彦の音楽に追いついてきた気がします。
コロナによる創世記時代がやって来た今も、あなたの音楽性が継承されているフジファブリックは躍進し続けています。
だから太陽のようなあなたにこれからも見守り続けてほしいのです。

<暗い街にせめてもの光を>
<消えるな太陽 沈むな太陽>
<燃え上れ 燃え上れ太陽 照らせよ太陽
燃え上れ太陽 照らせよ太陽 ああ>

「消えるな太陽」の中であなたが訴えたように、私も太陽のようなあなたが消えないことを願います。どうか消えないで、志村くん。
音楽に対する熱い心は太陽みたいだけど、どちらかと言えば佇まいは月みたいに控えめで静かなあなたでした。昼間は太陽の光になって、夜は月の光になって、どうか私たちを導き続けてください。
サンキャッチャーバンドになったフジファブリックはあなたの光をきっと捕え続けます。
たとえ闇に阻まれようとも、あなたの分光を頼りに、どこへでも私たちは歩み出すことができるのです。
<光あれ 歩き出すあなたに 遠くまで 降り注ぐように>

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