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決するに怯まず ハードロックの三輪ギター戦隊スリーマンアーミー

時代の音楽を模索したエイドリアン・ガーヴィッツの歌うギター魔術

1970年代に活動していたTHREE MAN ARMY(スリー・マン・アーミー)というロックバンドがある。彼らは知名度、人気において、いわゆるB級バンドなのだろうか。高名なロックバンドの現代に於ける伝説化に比べれば、スリー・マン・アーミーへのその扱いはあまりに不当だと言えるのかもしれない。英国ロックの1970年代が好きなら、エリック・クラプトンの居た60年代の名バンド、CREAM(クリーム)のドラム奏者ジンジャー・ベイカーが、後にスリー・マン・アーミーへと参画したBAKER GURVITZ ARMY(ベイカー・ガーヴィッツ・アーミー)の名前は気になるところだろう。
これらのグループの音楽を中心的に進めてきたのは、バンドのギタリスト、ADRIAN GURVITZ(エイドリアン・ガーヴィッツ)と彼の兄PAUL GURVITZだった。彼らは兄弟で、1960年代から活動を始め、1968年から69年にGUN(ガン)というバンド、70年代にはスリー・マン・アーミーへと進み、ベイカー・ガーヴィッツ・アーミーにと続いていった。

最初のバンド、ガンはサイケデリックの時代を強調するサウンドが印象的ではあるが、目指していたのはディストーションギターによるロックの激化と劇化の新時代を描くものだったと言って間違いない。GUNの音楽の演奏形態はその当時ギター、ベース、ドラムというトリオによるものだった。その編成は当然のように、かのCREAMに影響を受けていたといわれる。荘厳につきドラマティックな展開から想起するクリームの音楽の影響力は、彼らのヒット曲”Race With The Devil(悪魔天国)”にも顕れている。ここで悪魔の高笑いを歌の渦中に響かせるエイドリアンは大変に不気味だ。ガンの音楽を例えるなら、シド・バレットの居た時代のピンク・フロイドと通ずるものかも、という気はする。クリームの性質を期待して聴いても、それとは感触が少し違うというのも本当だと思う。夢幻聴感調性、あるいはアメリカのロックバンド、BLUE CHEER(ブルーチアー)のサイケデリックなガレージサウンドの感覚、あるいはサイケデリック期のTHE BYRDS(ザ・バーズ)の様に不穏なコーラスを音響に及ぼす感覚、あるいは劇的なヴァニラ・ファッジ、あるいはハードロック前夜のディープ・パープル、これらと時代は同調しているように思える。しかし例えばそのなかでも時代を越えてぶっ飛んだ感覚を持っているガンの曲を挙げるとするなら、1969年の”Drown Yourself In The River”が適している。聞き始め軽快なカントリーブルースかと思いきや、急転圧力が侵食してくるアレンジはぶっ壊れていていびつだ。これが翌年のレッド・ツェッペリンのブロークンブルース”Hats Off To (Roy)Harper”よりも早かったというのは面白い。スライドギターも全開だ。

ガンの時から、エイドリアン・ガーヴィッツのハードなギターサウンドが素晴らしいというのは間違いない。しかし音楽も歌もまだまだ途上であると、後のスリー・マン・アーミーを聴いていけば分かってくる。成熟を歌の主体として見るなら、ガンよりもスリー・マン・アーミーへと進んだエイドリアンの歌唱力、表現力は格段に向上した。歌と声質がしっかりと定まったことで、伝わってくるものが明確になったのは音楽の飛躍だ。スリー・マン・アーミーになるとギターもさらに饒舌に歌うようになった。弾きまくるギターソロ、負けじと張り上げる声、そのスピードが素晴らしい。彼らはディストーションギターによるハードロックをトリオ編成で何処まで為せるのかを追究する意気込みを持っていたのだと思う。そして志もひとつに、ギターと同時に稼働している熱いベースサウンド、ポール・ガーヴィッツはギターの圧力に劣ることなくぴったりと寄り添っていく。ガーヴィッツ兄弟の変わらぬギターとベースのコンビネーション、そこで不可欠なのは個性派のドラム奏者だったのだろう。ガンのドラム奏者LOUIS FARRELLは60年代以降に音楽活動を続けていないため、無名に埋もれているのは残念だ。後のスリー・マン・アーミーでは、しかし名のある面々が代わる代わる参加していくのだから、やはり重要なポイントはロックとドラムが合致したビートの展開力だったのだ。

THREE MAN ARMY「A THIRD OF A LIFETIME」の最初のアルバムは1971年である。ここでの話題はジミ・ヘンドリックスのバンド・オブ・ジプシーズのドラム奏者だったバディー・マイルスの数曲の参加なのだろう。しかし全編を叩くのはSPOOKY TOOTH(スプーキー・トゥース)のバンドから来たマイク・ケリーによるビートだ。スプーキー・トゥースのヘヴィーロックを思い出させる重量のリズムが熱を帯びて稼働してゆくところは、60年代ロックのまだ燃え尽きない焦燥を伝えているようだ。そして60年代のポップ感覚も残る。エレクトリックに加えアコースティックギターの多用と哀愁のストリングスアレンジにはまだ、前身バンドGUNを引き継いでいるような感触がある。ガンの描く音楽はロックだったが、そこには雰囲気としてヨーロッパ風情があったように思える。アメリカのブルースやイギリスのフォーク、そういった音楽の出自が見えてこないところは彼らのひとつの特徴かもしれない。ガンは言うなればハードギターによる英国のサイケデリックポップだと感じるが、そのスケールを脱け出して、スリー・マン・アーミーの展開が目指していたのは実力派のドラム奏者を迎えた本格のハードロックだったのだろう。彼らはハードロックの音楽性を築いた名グループ、クリームやジミ・ヘンドリックス、そこからのジェフ・ベック・グループやレッド・ツェッペリン、ザ・フーらに並ぶような存在感を指針としたにちがいない。スリー・マン・アーミーに参加したドラム奏者の名を見ていけば、2作目からのこのバンドには、ジェフ・ベックと活動していたTONY NEWMAN(トニー・ニューマン)が加わるのだ。そして後にはクリームからのジンジャー・ベイカーである。

しかし単に実直にハードロックを追究し続けていたのではないという側面も垣間見られる。追って聴いていけば、スリー・マン・アーミーが音楽を以て表現しようと模索したものは少しずつ見えてくるが、そこには成功に対する目論見もあったろう。スリー・マン・アーミーの1973年の2作目「THREE MAN ARMY」及び「MAHESHA」が同内容であるのに別のタイトルで2つあるという経緯はどういうものなのだろう。「THREE MAN ARMY」はアメリカで発売され、「MAHESHA」はドイツで発売されている。そもそも彼らはイギリスのグループだが、最初のガンの時代はフランスやドイツでも活動していて人気もあったらしい。しかしここ72年73年はイギリスをマーケットの視野に入れていなかったのだろうか。イギリスでは発売されていない。アメリカ盤の「THREE MAN ARMY」のデザインはアメリカ風であり、写真に映るバンドメンバーの服飾も非常にアメリカを感じさせるものだ。変わってドイツ盤の「MAHESHA」は不気味なイラストレーションの暗黒面である。内容は同じだが、もしもそれらを初めて受け取って別々に捉えていれば印象も変わってしまうのかもしれない。デザインというのはそういうものだ。
細かいところをみてゆくと、サイド1の1曲目”My Yiddishe Mamma”は1920年代の歌曲をインストゥルメンタルでカバーしているらしい。この曲のタイトルに含まれる”Yiddish”という言葉には、イディッシュという言語、ドイツ語とも関わりがあり、ユダヤの関係性があるらしい。さらに調べるとガーヴィッツ兄弟の出自はユダヤ人だということだった。エイドリアン・ガーヴィッツの出生名は、ADRIAN ISRAEL GURVITZとなっていることも判った。”ISRAEL”という名は旧約聖書に登場するアブラハムの孫ヤコブの別名であり、ユダヤの民の信仰に強い関わりを持つ名なのだろうか。ハードロックバンドのスリー・マン・アーミーがイディッシュの1920年代の古典曲をカバーした意味、またこのアルバムがドイツで発売された意味も、何かしら彼らの出自とに示唆するものがあるのかもしれない。加えて言うと”MAHESHA”という言葉は、インドのサンスクリット語で神の名を意味するらしい。
なにやらおもくるしいことになりそうだが、言っておくべき事は「THREE MAN ARMY」「MAHESHA」の音楽はバンドとして、ハードロックサウンドとして、ギター表現として、素晴らしい成果である。トニー・ニューマンの暴れ太鼓もハードロックを最高値で通過していく。何より三者の無敵の三輪グルーヴが迫力だけでなく深みをもって伝わってくる。エイドリアン・ガーヴィッツのギターは魔術だった。サイケデリックの時代を越えて尚、表現するその真髄のギターが描くものは、言うなれば幻想のギターシンフォニーだ。しかも一方のリズムとビートはファンキーなのだからロックのグルーヴ感として申し分ない。エイドリアンの歌には親しみがある。その声と超絶ハードロックの対比もまた清々しい。ノイズとヒズミのなかで重くなりすぎない軽快さ、このバランス感覚が絶妙なのだと思う。スリー・マン・アーミーの決定版、傑作はこれで間違いない。

しかし作品はつづいてゆく。彼らの3作目が「THREE MAN ARMY TWO」になっているのは、前作が「THREE MAN ARMY」として発売されたアメリカ市場を意識しての事なのだろうか。あるいはトニー・ニューマンを迎えてバンドとして成立したという認識をもってこれが2作目なんだという表明なのだろうか。イギリス未発売の前作を抜いて2作目に当たるという意味で「TWO」という事もある。とりあえずややこしいのだが、覚えてしまえばどうということもない。しかもさらに解りづらいのは時を経て2005年に復刻された70年代の未発表アルバムのタイトルは「3」なのだった。これには当時73年から74年に制作されながらも一旦やめにして次のアルバム「TWO」が作られたという経緯がある。だとするなら「TWO」より以前の音楽が「3」という事になる。話をややこしくしているのは誰なんだ。
僕です。

スリー・マン・アーミーの「TWO」のアルバムも好きだった。これは最重量級のヘヴィーサウンドによる全力激情ロック大会だった。トニー・ニューマンのヘヴィードラムが最高だ。三者が前人未到の極地を目指しているかのように、揃い踏みの靴音も分厚く、円陣のフォーメーションの如く迫ってくるところから想像するものは、頼もしいヒーロー戦隊である。そしてハードな音楽の印象は、地から海へと渡ることも厭わず、荒海をものともしない最強度の無敵艦隊である。ちょっと言い過ぎかもしれない。大まかな印象を表現すればヘヴィーなアルバムだが、よく聴けばハードロックと同じくらいバラード曲も多いのが特徴だ。ストリングスオーケストラのアレンジが多用されているところ、エイドリアンが切々に歌う様はそれまでにない新境地だろうか。この辺りから彼はバラードを積極的に歌うようになるのか。もしかするとハードロックバンドで声を張り上げて唄うのに限界を感じ始めたのかもしれない。現にスリー・マン・アーミーはあまり成功しなかったらしい。

そこでひとつ、スリー・マン・アーミーの未発表アルバム「3」の音楽を聴いてみよう。この音楽は当初ロックオペラの作品になるはずだったらしい。言うなればコンセプトアルバムだったのだろう。僕は「MAHESHA」と「TWO」を聴いたのちに次の展開として「3」に期待して聴いてみたのだけれど、バンドサウンドとグルーヴが物足りないと感じたのだと思う。しかしそもそも聞きどころはそこではなかったのだ。ハードロックバンドのスリー・マン・アーミーが何故にロックオペラに取り組んだか、という経緯は明らかではないけれど、それが制作されようとした1973年は、ザ・フーのロックオペラともいう「QUADROPHENIA(四重人格)」と同じ時期である。もしかするとその影響かもしれない。そして僕は「3」を聴いて気づいた。エイドリアン・ガーヴィッツの声はピート・タウンゼントの声に似ているのだ。もしもザ・フーのバンドがロジャー・ダルトリーでなく、ピートのリードヴォーカルによるハードロックバンドだったとしたら、という妄想で聴けば、スリー・マン・アーミーとエイドリアン・ガーヴィッツの方向性もあるいは、ザ・フーとも近かったのかもしれないと想像してみたい。一方でスリー・マン・アーミーを脱退してデヴィッド・ボウイのバンドへと行ってしまったドラムのトニー・ニューマンである。スリー・マン・アーミーが経済的にきつかった事によってボウイのバンドへと移ったという面は想像できる。それとは別としても「3」のアルバムにはデヴィッド・ボウイのグラムロック風の曲想(“Jubilee”)だってあるのだからその方向性も模索していたのかもしれない。また取り上げたいひとつ良い曲がある。”Don’t Wanna Go Right Now”だ。ここでのポップな歯切れよいギターサウンド、その展開と叙情に及んで、これはザ・フーとピート・タウンゼントを想わせるところがある。スリー・マン・アーミー「3」の音楽はデモ段階より少し先に進んだような未完成の作品だ。そういう点から考えてもザ・フーに於けるピートの制作過程と通ずるものがあると思う。考えすぎかもしれない。
とりあえず「3」にはエイドリアン・ガーヴィッツの素顔のソングライティングが垣間見えるところが魅力だ。もしもこれがしっかりと完成されていたらと思うと残念だが、ガーヴィッツ兄弟が時代を模索していたところの一場面としてここは覚えておきたい。

スリー・マン・アーミーからドラム奏者トニー・ニューマンが抜けた後、1960年代のバンド、CREAMのドラム奏者だったGINGER BAKER(ジンジャー・ベイカー)が参加した時、彼らはどういう方向性を探っていたのだろう。伝説のドラム奏者を迎えてやりたかったのはまたもやハードロックの追究だったのだろうか。それならばと期待して聴いてみる。
グループの名前をBAKER GURVITZ ARMY(ベイカー・ガーヴィッツ・アーミー)と変えて制作された1作目「THE BAKER GURVITZ ARMY」は1975年である。まずインパクトの強いジンジャー・ベイカーのドラムの生々しい感触はそれをメインとして調整してミックスしているという事もあるだろう。そして曲想は幻想からの転調とドラマティックな激流への展開である。明らかにジンジャー・ベイカーのリズムはこのバンドの中心だ。1975年という時期に曲中にドラムソロの演奏を組み込んでいるところからして見せ場はジンジャー・ベイカーのプレイだったのだと思う。加えて感じるのはファンキーなリズム解釈の導入だ。聞きどころは”Inside Of Me”だとしよう。走るドラムと抑制のブルーズ感覚からの大胆な転調、これはかっこいいと思う。
それから”Mad Jack”というジンジャー・ベイカーによる歌もあるのだからこのバンドはよくわからない。こういうところからもすでにエイドリアン・ガーヴィッツの、バンドのなかでの役割が変化してきているのが窺える。そこまでしてジンジャー・ベイカーと組んだ意味はやはり知名度の獲得と商業的成功という目論見だったのだろうか。

そうして次のアルバム「ELYSIAN ENCOUNTER」では、専属ヴォーカルにSNIPS(スニップス)という人をバンドに迎えているのだった。明らかにバンドのヴォーカルの弱さをカバーするというところがわかってしまう。スニップス(スティーヴ・パーソンズという別名もある)、この人は以前にSHARKS(シャークス)というバンドで歌っていた。FREEというバンドのベース奏者アンディー・フレイザーとギタリスト、クリス・スペディングによる異色のバンドSHARKSではブルーズな歌を効かせていたスニップスである。この指向性からみて、ベイカー・ガーヴィッツ・アーミーへと彼が参入した意味はバンドのファンキー路線への転向もあったのだと思う。そうだとして「ELYSIAN ENCOUNTER」の音楽はどうなのだろう。ここでは前作のギターによるハードロックサウンドの勢いが幾分抑えられているように思える。明確にパワフルな歌志向への転換。ハードな演奏とアクの強いヴォーカルのバランス感覚が、その時代の志向として選択されたのだと思う。目立っているのはギターよりキーボードという場面もある。エイドリアン・ガーヴィッツはこれ以降、ハードなスピードで歌うことがなくなっていく。スリー・マン・アーミーの後期がそうであったように、エイドリアン自身の歌唱はバラード志向へと傾いてゆくようだ。しかし彼は主だって歌わなくなったというだけで、ベイカー・ガーヴィッツ・アーミーの作品のほとんどを作っているのだから、特に主役の座を奪われたのではなかったのだと思う。一度”The Dreamer”という曲を聴いてみればわかる。素晴らしく良い曲じゃないか。スニップスの歌も良い。
もしもエイドリアンの活躍を間近にしたいならこのアルバムの聞きどころは”Remember”かもしれない。久々にプログレッシヴに展開する曲想も、ギタープレイの冴えた感触も、秘めたる感傷の歌も、エイドリアンによるものだ。これを聴けば、ボクサーで活動していたその当時のトニー・ニューマンもリングからきっとこう叫ぶにちがいない。エイドリアーン!…エイドリアーン!….感動の名場面である。

ベイカー・ガーヴィッツ・アーミーを語り終わる前に、もうひとつ聴いておくアルバムがある。かつてMOODY BLUES(ムーディー・ブルース)というグループのドラム奏者だった、GRAEME EDGEという人がいる。その人のソロ作、THE GRAEME EDGE BAND「KICK OFF YOUR MUDDY BOOTS」は1975年である。ここには全面的にガーヴィッツ兄弟の参加があり、ほとんどの作曲と歌唱に於いてエイドリアン・ガーヴィッツの活躍が聴けるのだ。ベイカー・ガーヴィッツ・アーミーと同じ時期ということで、1曲にジンジャー・ベイカーが参加している事もある。素晴らしいのは、エイドリアン・ガーヴィッツのポップ指向がより良く発揮されているところ、ハードなディストーションギターよりも泣きのギターが多用されているところで、それまでの過程を経て別の視点が音楽に顕れている一面だろう。エイドリアンはやはりこういう方向に行きたかったのかもしれない。彼はGRAEME EDGE BANDの1977年作「PARADISE BALLROOM」にも参加している。そこではもう派手なギタープレイも多くなくなっている。

話をベイカー・ガーヴィッツ・アーミーに戻す。
グループのアルバムは3作で終わるが、その最終作「HEARTS ON FIRE」は1976年である。ここで発見するのは、プロデュースと録音エンジニアで携わるEDDIE OFFORD(エディー・オフォード)の名前だった。プログレの界隈で名作に関わってきたあのエディー・オフォードだ。そういうこともあるのかと想像するのは楽しいが、明確な輪郭でもって発揮されている音響と音圧の効果は目覚ましいと感じられる。
まず1曲目タイトル曲の”Hearts On Fire”からめっちゃくちゃ格好いい。ボクサーなら一発目はこういうパンチが良い。KOならこういうのに限るという見本みたいな曲だ。これを作ったのがジンジャー・ベイカーで彼の単独作だと知れば意外だが、シンプルなロックと弾む分かりやすさ明確さがこのアルバムの方向だと思う。そして明らかにファンキーを全面的に打ち出したと判る。ロックがファンキーに向かってもうそろそろAORの時代の洗練に傾いていく時代の一面なのだと思う。例えば”Smiling”のクールで洒落たファンク感覚はジャッキー・ロマックスみたいだと思う。
アルバムを通して聴き終わって感じた。この音楽性をこのメンバーで続けていく事はできなかったのかもしれない。時代に合わせることも、経験を活かすことも、それぞれの意思と志向を打ち出していくことも難しいものなのだと考えれば、変化と共に試行錯誤、模索を続けていく事は大変なものなのだろう。

ベイカー・ガーヴィッツ・アーミーの後、エイドリアン・ガーヴィッツとポール・ガーヴィッツは、GRAEME EDGE BANDへと再び関わる。その後、エイドリアンはソロシンガーとして1979年に「SWEET VENDETTA」をヒットさせている。ようやく掴んだ成功と言えるのか。そしてこの音楽はAORの名作としても認知されている。ここで迎えているバンドはTOTOのメンバーである。AORの時代と言えばTOTOである。エイドリアンはもうギターを全面的には弾いていない。ようやく彼は本当に歌へと転向した。それからその方向で幾つかアルバムを作って、近年は作曲者として多方面に曲を提供しているらしい。

エイドリアン・ガーヴィッツの歴史を追っていけば、この結果的な最終決断には納得できないというのが本当の気持ちだ。エイドリアンは素晴らしいギタリストだった。歌うギターを弾いていた。過激なハードロックのなかで繰り出されるリフとフレーズは閃きと煌めきの魔法みたいだ。魔術だった。スリー・マン・アーミーが成功していなかったとしても、ここをねばりづよく続けていたらと思うと残念だ。
一方、スリー・マン・アーミーのその後ベイカー・ガーヴィッツ・アーミーがどういうところを目指していたのか、そこを感じさせる彼らのライブ映像が実像として残されているのを、いま見られるのはうれしい。ライブの音源もアルバム「Live In Derby’75」というタイトルで復刻されている。そこでは、ジンジャー・ベイカーのバンド、クリームの名曲”Sunshine Of Your Love”や”White Room”が演奏されているのだった。あるいはジミ・ヘンドリックスの”Freedom”だって取り上げられている。やはり彼らはハードロックをやればよかった。ライブではヘヴィーでグルーヴィーだったのがよく判る。それがスタジオアルバムには捉えられていなかったのかもしれない。

最後に余談を。
BAKER GURVITZ ARMYのレコード盤のオリジナルはそれほど高価な値段が付いていないため手に入れやすいと思う。THREE MAN ARMYはレコードをあまり見かけないがどうなんだろう。ドイツ盤「MAHESHA」はレアだが、同内容のアメリカ盤「THREE MAN ARMY」は割安だと思う。とにかく見つけにくいものなのは確かだ。発表された1973年はオイルショックが起きた事もあるのだろう。レコード盤制作とオイルショックには関係がある。売れなかったアルバムはプレス数も少なく今では希少になっているようだ。もし見つけたら、素晴らしいので是非。

レコードに刻まれたエイドリアン・ガーヴィッツのギタープレイ、スリー・マン・アーミーの三位一体のグルーヴは永遠だ。上手くまとまらないので、こういうところで締め括ろう。

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