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2017年9月11日

八和詩 めぐむ (30歳)

BRAHMAN、その光の源を求めて

―「尽きない熱風」の夜―

 人が歌う姿を見て、ただただ美しい、そう思ったのは初めてのことだった。

 それは2017年8月18日、佐渡島での夜のこと。
 アースセレブレーション、第一夜「鼓童&梶原徹也スペシャルユニット×BRAHMAN」。小木港を望むハーバーマーケットの特設ステージで行われた、忘れたくないあの、夜。

 全身を汗と水で濡らし、べったりと鯉口が張り付いた分厚い男の身体。頭を振り上げる度に汗の飛沫が真っ暗な夜空を背景に白く飛び散り、唾を飛ばしながら振り絞るように叫ぶ。白い照明の光で縁取られた横顔の水晶のような瞳は空を越えた何かを見るよう。そんな男の姿を見れば、熱い、逞しい、そんな言葉が真っ先に浮かぶものなのかも知れない。僅かに残った理性はそう言っていた。けれども私の心は、心の底から美しい、ただそれだけしか感じていない。後光が差すなんていう表現は陳腐でありきたりだけれども、神様に会ったような心の震えと感動を、その唄う姿に覚えた。ただただ美しくて、どうして泣きそうになる―。
 沢山の人々の身体の上で、唄う男の姿。支えるように、必死で伸ばされた手を微笑みながら一つ一つ握っていく。私はこの夜、BRAHMAN、そして、そのヴォーカルTOSHI-LOWに出会った。

 生きていることの叫び、生きているからこそ伝えなければという使命を帯びた魂からの声。私はBRAHMANの22年の歴史のほんの1時間半に立ち会ったに過ぎない、バンド名と曲の断片を知っているだけの人間だった。鼓童が好きで佐渡島に集い、偶然にBRAHMANを観ることとなった、ただそれだけの。そんな何も知らない人間にもあれだけの光景と感動を、様々な力を与えてくれたBRAHMAN。ただ暴れるだけの音楽ではなく、激しい音楽と歌声の中に真っ白で透明な魂の輝きがあるからこそ、彼らは結成から20年を越えて支持され続けているのだと分かった。
 ただもっと、唄う姿を見ていたい。その声を聴かせて欲しい。最前列の柵にしがみつきながら、頭と拳を振り上げ声を出すことも忘れ、最後はずっとTOSHI-LOWの唄う姿を目で追っていた。本当に美しい魂を持った男が佐渡の夜空の下で、分厚い体を空気を私のちっぽけな体と心をめいいっぱい揺るがせて、震わせて唄っていた。そんな現場に立ち会えたことはとんでもない僥倖で、終わってしまった後は呆然自失とする他なく、光の消えた夜空がハーバーマーケットの照明に下から照らされてぼんやりと浮かんでいたのを、ただ私の目が映していた。

 この夜は様々な輝きがあった。和太鼓とロックという活躍するジャンルを飛び越えた、人と人同士が一つの音の塊を一気に放つ、爆発する太陽のような熱量とその輝き。そしてTOSHI-LOWの魂の輝きそのものを見た「満月の夕」「霹靂」は頭が忘れてしまっても、私の魂が覚えている。熱気に包まれた空間が凝縮するように、散っていた人々の意識や目線が唄う人の姿に集まっていく。雲が冷えて凝って雨が降り出すように、暗い夜空に人の姿になって現れた光の粒。今も「霹靂」を聴きながら涙が流れるままにこの文章を書いている。感情に任せて書いていいものか迷ったけれども、感情以外に何をもってして書けばいいのか、この伝えたい夜の出来事を。
 

 そして9月6日、梅田クラブクアトロにて行われたFire EX.とのツーマンライブ。私は佐渡で見たあの光の源を確かめに、再びBRAHMANのステージを訪れていた。音楽に飲み込まれながら、「確かめよう」という思いと「ただこの場を感じよう」という思いが膨らんでは混ざり合う。今目の前にあることを、ただの一つも逃したくなくて。
 拳を振り上げながら、汗でじっとりと体を濡らしながら、唄う。TOSHI-LOWにだんだんと眼が吸い寄せられて行く。あの夜と同じだ。私の眼が、見たがっている。彼から発せられる光を。

 客席に真摯な眼をしてTOSHI-LOWは語り掛ける。
「昔はMCをずっとやってこなかった。MCなしでも音楽だけで伝えられればいいのかもしれない。けれど、そのライブが100点なら、MCで102点、103点になるなら俺はMCをするよ。」
 彼の口から語り掛けられる今日の夜までの沢山の出来事。2011年、東日本大震災の折に決して裕福ではない国、台湾から200億円もの支援があったこと。その台湾から来たFire EX.とBRAHMANが立つ今夜の舞台に至るまで。何も知らないままに、ただ光の源を確かめに来ただけの私はまた、今夜に立ち会えたことがどれだけの僥倖かを知る。様々な繋がりが、目には見えない心のやりとりが、6年の歳月の間に優しさも苦しさも積み重ねられた強い思いの一つが、目の前に立ち現れた夜を観られたかけがえのない喜び。

 最後に唄われた「満月の夕」。歌詞の意味が、その情景が雷に打たれたような衝撃と共に目の前に現れる。鳥肌が立つ。言葉がそのままそこに現れる。そこにあるはずの物や、人が無くなってしまった街を、死の瞬間も。いつでも、何度でもなぞる。何度でも唄う。忘れないために。忘れられないために。彼らは忘れないことで、救われる人がいることをきっと知っている。触れられたく無い傷かもしれない、思い出したくないことかもしれない、それでも消せない確かにあった出来事を―。

 「6年前から、離れていく人たちも沢山いた。俺の伝え方も悪かったかもしれない。それでもこうして集まってくれる、男も女も、頼りがいのある奴らだと思っています。」
 暮しの中で次々と降りかかる、様々な出来事を乗り越えて日々を生きる。時には乗り越えきれずに喘ぐように空に伸ばした手を、しっかりと温もりのある分厚い手で掴もうとするその言葉。一人堪えていた苦しい過去ごと、共に歩もうとしてくれるかのような熱を感じた、生きている、そして体温のある言葉があった。
 ―「孤独が何で珍しい」―高村光太郎の詩が浮かぶ。

「孤独の痛さに堪へ切つた人間同志の/黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ/(中略)孤独が何で珍しい/寂しい信頼に千里をつなぐ人間ものの/見通しのきいた眼と眼の力/そこから来るのが尽きない何かの熱風だ」―高村光太郎「孤独が何で珍しい」『高村光太郎詩集』より―
 

佐渡の潮風は知っていただろうか。
出会って一か月も経たずしていつの間にか私の心深く深くに寄り添っている彼らの音楽、そして言葉たちの光の源を。
きっと、海を、世界を行く風は知っている。
様々な出来事を、人々を空を渡りながら感じて知っている。
その光の源は、手と手を握り合おうとする、強い、そして優しい力だということを。

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