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4人の正直者の戦い方

SUPER BEAVER・“正攻法”に寄せて

遡ること2年前の4月30日。ちょうど4曲目に差し掛かろうとしたときのことだった。渋谷龍太(Vo)は集まった1万人超のオーディエンスへ向けて「めちゃくちゃ感謝してます。大好きです。ありがとうございます!」と心を砕くように感謝の気持ちを述べると、そのままステージど真ん中に設けられたお立ち台の上に立ちながら、ビシッと客席を指差して こんなことを言った。

「敬愛すべき大好きなあなたに。俺たちが14年間、どんな戦い方をしてきたか見してやるよ!よろしくどうぞ!」

直後、そんな彼の声に呼ばれるようにして、ステージ上の大スクリーンが真っ赤に染まって始まったのは、「正々堂々とした攻撃法」を意味するタイトルの楽曲“正攻法”。

《史上初の快挙を もてはやすのに/過程ではなんで 舌を出す 指をさす》(“正攻法”)

曲中にこうある通り、紆余曲折を経た彼らがいくつもある内のひとつの到達点として日本武道館のステージに辿り着いた姿を見れば、人知れずそうした戦いをこれまでしてきたということは想像に難くなく、それがどれほど尊いことであるかということも当時の自分はもう十分すぎるくらいによく理解していたつもりだった。

だが、あれから約1年経ってスタートしたSUPER BEAVERの全国ツアー「都会のラクダ“ホール&ライブハウス+アリーナ”TOUR 2019-2020~スーパー立ちと座りと、ラクダ放題~」。その中のひとつ、昨年の6月9日に東京エレクトロンホール宮城にて行われた彼らのワンマンライブを目にしたとき、私はあのとき渋谷が言っていたこのバンドの本当の戦い方というものを、彼らにとっての正々堂々という言葉が持つ意味を、ここに来て ようやく知ることが出来た気がしてならなかったのだ。

偶然が必然か、語呂合わせがロックだったこの日、私がそう強く思ったのには、客席全員が座って見守る中で「気分がいいからもう1曲いいですか?」と清々しそうな顔をして渋谷が歌い出した あるひとつの楽曲と、このバンドにとっての1番の代表曲の存在がある。

まず最初に触れたいのは、彼らからの提案でオーディエンス全員が椅子に座りながら披露された楽曲。メジャーシーンを離れて出した2枚目のフルアルバム『未来の始めかた』の中に収録されている、“your song”だ。

《君に何かを伝えたい でもその何かが言葉にならない》

《君に何かを歌いたい でもその何かがよくわからない》

直訳すれば「あなたの歌」と名付けられたこの曲は、主人公の彼が言葉に表せない思いの正体をそれでもまだ探そうとするところから物語が始まっていく。約5分40秒と実に6分近くもある道すがら、彼は何度も《君に何を言おう》と口にしてはそのもどかしさと対峙し、自分の頭の中で考えていることをそのままどんどん並べていって、時には《なんだそんなもんか? 僕の想いは 君が大切だとか言ってみても》と自分にハッパをかけてみたりしながら、不器用なりに悩み、もがき苦しんで、それでも何とか答えを見つけ出そうと歩みを前にしては進んでゆくのだ。だが、幸か不幸か、彼はその持ち前の素直さゆえ、曲が進むにつれて、こんなことまでもポロッと口に出してしまうようになる。

《“君のため”というその全てが 僕のためのような気がして/“君の気持ちになろう”っていう それがまずもう僕の主観で/捻くれているつもりはない だけど 全てに矛盾を感じてしまう》

《頭ひねって並べた言葉って 嘘っぽくて歌えない》

聴く度に「いや、そんなことないでしょ」「言わなきゃ分からないから大丈夫だよ」とそれぞれ思わずフォローしたくなるのだが、彼はそれだけにとどまらず、さらにこんな自問自答もしだすようになっていく。

《「愛してる」違う そうなんだけど何かが違う/「ありがとう」違う 思ってるけどそれだけじゃない/「ごめん」違う 「バイバイ」違う 違う/君に何を言おう》

このバンドの曲をよく聴く人ならお分かり頂けると思うのだが、実に興味深いことに、ここで何箇所か登場するカギ括弧の中の言葉というのは、これまで彼らがリリースしてきた曲のタイトルになっていたり、タイトルとまでは行かずとも歌詞として実際に曲に出てきたことがある言葉たちがほとんどである。しかも、どういうワケか、その曲たちはすべて、この楽曲がリリースされる前でなく、後に出来たものばかり。

《あなたに一言 言えるだけで 何かが変わるような気がする/ありがとう ごめんね 愛してるよ それくらいで笑顔が生まれる》(“ひとこと”)

《「あなたに会えてよかった」なんて/どうでもいいほど 当たり前でさ/だけどね 言わなきゃね 死んじゃうから僕らは/ありがとね 愛してる/ありがとう》(“ありがとう”)

それなのに、彼は自分たちが未来に歌うであろう曲のその中身を、《そうなんだけど何かが違う》としっくりこず、《思ってるけどそれだけじゃない》と満足せず、極めつけには《違う 違う》と全力で掻き消さんとばかりに、過去から眼差しを向けては力いっぱいに否定していくのだった。

だが、それは今回に限った話ではなく、この日の1曲目として披露された“それでも世界が目を覚ますのなら”にも、同じように言えることである。

というのも、静かなオンステージからほどなくして、渋谷はスタンドマイクに手をかけ、開口一番こう歌い出した。

《一寸先に何なのか 一体明日がどうなのか/一瞬なんて一瞬で 考える間もなく過ぎ去ってく/一分間の葛藤を 一週間抱えながら/一生分の正解が 急に欲しくなった》

そのとき、私はまるで身に覚えのある弱さを目の前に叩きつけられたかのような行き場のない苦しさで、まだオープニングだと言うのに終始俯きがちにステージを捉えることしか出来ずにいたが、彼はそんなことなどお構いなしに、

《羨望の眼差し 卑屈を正統化する術が/どんどん上手になってきた 要らない 要らない》

《自分がわからないんです 嘘だ/どうすればいいかな 嘘だ/正しいと言って欲しいだけでしょう/ねえ でも誰が決めんの それ/“ユメカラサメタクナイ”》

今度は《違う》に代わって《要らない》と《嘘だ》を繰り返して、のちに披露されることになる“your song”と同じように、自らを律する邪魔となる まやかしを両手で必死に振り払っては、《“ユメカラサメタクナイ”》という本当なら声にならなかったはずの本音を何度も何度も空へ向かって切に叫んでいたのだった。

そんな中、アルバム『未来の始めかた』リリース時に行われた彼らへのインタビュー記事を目にする機会があり、そこで、ほぼすべての作詞作曲を担当する柳沢亮太(Gt&Cho)がこんな風に話をしていたことがある。

「『今』を認識した瞬間に未来を始められるんじゃないかと思い、アルバムタイトルは『未来の始めかた』になりました」

彼らがこうも自身の胸の内を包み隠さず口にし続けるのは、それは何も卑屈になっていたからではなく、そのモヤモヤした思いこそが、彼らの現在地だからに他ならなかったのだ。本来ならば目を背けたり見て見ぬふりをしてしまいたくなったり、ライブ冒頭の私がそうだったようにそれを聴いただけで俯きたくなってしまうのに、彼らは他人のことではなく、自分自身のそんな現状を事細かに 逐一記している。そうして綴られた言葉というのはどれも、主人公の彼らが自分自身で自分自身の「今」をちゃんと認識していることの、自らの不完全な姿を受け入れて それとちゃんと向き合おうとしていることの、何よりの実証となるべくして こうやって絶えず歌われてきたのである。

その上で、再び“your song”にスポットを当ててみると、

《さんざん考えたって 結局こんな歌になるんだ/答えなんて出ないし 感動的なメッセージも無いし/でもきっと伝わりきらないから 僕は歌を歌い続けるんだ/いつの日か全部 全部 君に届くその日まで》

そこには、《君に何かを伝えたい》と言って思いっきり足を踏み入れた数分間の短い旅の末、素直で不器用であるがゆえに、とうとう最後までその答えを見つけることは出来なかったが、代わりに辿り着いた《でもきっと伝わりきらないから 僕は歌を歌い続けるんだ》という結論を大事そうに抱えながら私たちの元へと帰ってきた、4人の勇敢な主人公の姿があった。それはまさに、ひとつの未来が始まろうとしていた瞬間だった。

だが、結局 納得のいく答えを見つけられなかった「君に伝えたい何か」でも「君に歌いたい何か」でもなく、はたまた《感動的なメッセージ》でもないのだとしたら、この曲の主人公であるSUPER BEAVERの4人が、その信条を全うするためにこれまで歌い続けてきた歌というのは、いや、これから先も変わらず歌い続けるだろう歌というのは、一体 どんなものなのだろうか?

ライブ終了後、この日 披露された曲をシャッフルで聴きながら 帰りのバスの中でその答えをずーっと考えていたのだが、時間の都合で「あ、次の曲でラストかな」と思ったとき 最後にイヤホンから思いがけず流れてきたのは、《会いたい人がいる 胸の奥をぎゅっと 掴む想いは/明日を見つける 始まりは 青い春》という歌い出しから幕を開ける 彼らの1番の代表曲“青い春”だった。

直後に続く こんな歌詞。

《二人だけの秘密 待ち合わせで 顔を見れば照れた恋や/夕方五時の鐘 かき消すように初めて口にした夢は》

こうして共通点を探そうとすること自体、とてもナンセンスなことなのかもしれないが、敢えて振り返ってみれば、これまで私たちが聴いてきた彼らの楽曲というのは、さきほど触れた“your song”に見る 歌い手である彼ら自身の姿に並ぶくらいの多さで、臆病なりに恋に夢にと奔走する、自分たち聴き手とまるでそっくりな主人公たちがよく描かれていたように思う。

《泣きたい時にいつだって 夕暮れ時だとは限らない/大体いつも一人だけ 浮いているような気がする/ガラスの靴も履けなければ 悲劇のヒロインにもなりきれず/村人A か Bあたり か弱いセリフなんてない》(“赤を塗って”)

《騙し騙されながらも笑って/少しずつ歪む心 気付かぬふりして走ってる/蹴落とされては また蹴落として/悲しみのデットヒート 心が漏らす悲鳴》(“ヒカリ”)

見ているこっちが思わず焦れったくなってしまうくらい不器用なのに、でも懸命にそれに向き合おうとする。でもやっぱり、現実の壁にぶち当たってしまう。その姿は傍から見れば、シンデレラになりきれないただの夢追い人でしかないのかもしれないが、絶賛 淡い恋の最中だからこそ、ほんのちょっとのことで自信が揺らいだり 心がポキッと折れそうになったり、強い志を持って夢にひた走るがゆえに、世の中の理不尽さがより色濃く浮かび上がって見えてしまったりと、その中で細かく描かれている心模様はどこを切り取っても、他人事とは思えないほど深く共感できる部分がたくさんある。はじめから心ばかりしか持ち合わせてないのに、早々に打ち砕かれてしまう唯一の長所。分かっていても、どうしようもない不安や焦り。そして、頭の中がバツで埋め尽くされそうになる底無しの自己嫌悪。彼らの楽曲では、本来なら隠してしまいそうになるそうしたものたちが、思いっきり日の目を浴びて、そのまま言葉になってきた。

だが、“青い春”のさきほどの歌詞のすぐ後に、三拍子の軽やかな足取りで続けられるのは、こんな意外な言葉だった。

《正しい間違いその先で 悩みも迷いも引き連れて/それでも輝きを放ち続けてた 未来へ》

ひとつひとつの楽曲の最後に目を向けてみると、その言葉通り、それぞれの主人公たちは皆、あらゆる負の連鎖を断ち切る《それでも》という逆接の言葉に導かれるように、やっぱり気丈に誰かに恋焦がれたり、諦めきれない夢を再び追いかけたりと、これまでと変わらない貪欲さを持ち合わせながら、でもこれまでとは格段に見違えるようなタフな姿へと確かに変貌を遂げている。彼ら4人が筆を握って《未来へ》と言って指差したその先には、思わず「生きててよかった」と大声で叫びたくなるような、たくさんの人たちの本当に清々しい日々が描かれていたのだ。

《夕暮れ時なら 涙を浮かべて/もう少し このままでいいかと 笑う/笑えてるうちは まだこっちのもんだ/強気に 赤を塗って》(“赤を塗って”)

《始まりも目的も目指した場所も/時に僕らは見失ってさ 無意味な迷走に空を仰ぐけど君だけが 僕だけが 目にしたあのヒカリは/そのたびに揺らめいて 此処まで来いよと僕らを呼ぶんだ/広がる闇の奥へ》(“ヒカリ”)

このとき同時に、私は本当に情けなくも、自分が“青い春”の最後の結末をよく知らないまま ここまで来てしまっているということに、今さらながら気付いてしまった。思えば、普段の生活の中で自分から聴きたいと思うことも、そう思ってこうして好きな時に聴けていることも、何だかすべてが当たり前すぎて、決して当たり前なんかではないのだけれど、それが当たり前だと認識することすら出来ていなかった。

でも、だからこそ、ここで後悔の念と反省の意味を込めて本当の意味で初めて最後まで聴き届けられたとき、これまで自分たちが過去に散りばめてきた伏線も、これから未来に自分たちが見せていくであろう姿勢も、もうありとあらゆるヒントというヒントすべてをたったこれだけで一気に回収してみせる その締め括りの言葉に、私は心の底からハッとさせられた。

《会いたい人がいる 胸の奥をずっと 掴むあなたが/くじけそうならば 今度は僕らが 笑わせたいんだよ/あなたが生きる意味だ と 伝えたら 笑うかな/そんな歌が歌いたい 始まりは 青い春》(“青い春”)

そう。SUPER BEAVERにとっての「生きる」がこうして4人でひとつのバンドとして在り続けることを意味するのなら、彼らが《でもきっと伝わりきらないから 僕は歌を歌い続けるんだ》(“your song”)と言ってこれまで歌い続けてきた歌、これから先も変わらず歌い続けようとしている歌というのは、後にも先にも「あなた」という二人称の言葉が表す、でもとてもそれだけでは表しきれない、《さんざん考えたって 結局君に会ってしまえば/何かどうでも良くなってしまう》(“your song”)ほど大きな、大きな、それは大きな「あなた」という存在だったのだ。

《会いたい人がいる 胸の奥をぎゅっと 掴む想いの/隣にはいつも あなたがいるんだ 元気でいますか?》(“青い春”)

しかも、彼らの隣にいるのが、彼らの目の前にいるのが、不特定多数のあなたたちではなく、いつだって、ひとりの「あなた」だということ。その何物にも代えがたい事実こそが、15年の長きに渡り SUPER BEAVERの戦いを絶えず正々堂々たらしめている何よりの所以でもある。

最後になるが、以前「ROCKIN’ON JAPAN」の企画として敢行された渋谷への2万字インタビューの中で、未だに頭から離れないほど強く印象に残っている 彼の言葉がある。

「綺麗事を言ってるやつが、次に会った時に綺麗事を言ってなかったら、それは本当に『綺麗事』。でも、そういうのをたとえば10年経ってもまだ言ってたとしたら、それは『綺麗事』っていうことの範疇を超えていて、もはや『信念』」

私たちは今、“your song”のリリースから9回目、“青い春”のリリースから5回目の夏を迎えようとしている。だが、ひとつの大きな節目たる10年の月日がそれぞれの楽曲に流れたとき、そのとき彼らは今と変わらず、私たちの目の前で、「あなた」の目の前で、この曲たちを歌い続けてくれているのだろうか?

それは「綺麗事」か。はたまた「信念」か。

いや、私たちはもしかしたら、あと何年先のその答え合わせを待つまでもないのかもしれない。

というのも、つい先日リリースされたばかりの最新曲“ひとりで生きていたならば”の中で、《こだわること やめてしまえば/過去が嘘に変わる》と前置きした上で、彼らはこんな言葉を繰り返し高らかに宣言していたばかりだ。

《こだわって生きると 今一度言い切るよ/原動力はずっとひとりで生きていないこと》

さらにもっと言えば、この日から数ヶ月前の今年1月、今ツアーのファイナルを飾った代々木第一体育館ワンマンライブにおいて、渋谷は集まった大勢のファンへ向けてこんな言葉をかけてくれたという。

「『生きててよかった』と思わせてくれたあなたの、『生きててよかった』になりたいです」

たとえ、そのとき相手がどんな感情を抱え込んでいたとしても、それらを一手に引き受けて、生まれてから死ぬまで「あなたの歌」という大役を買って出る。

《再放送のドラマより 一発勝負のドキュメント》(“正攻法”)

それが、SUPER BEAVERが選んだ たったひとつの正々堂々とした戦い方。4人の正直者にとっての唯一の正攻法なのであり、こだわって生きる以上、決して虚しくなることのない 彼らの一生モノの「信念」なのだから——。

《正直者はいつだって 馬鹿のその先を見ている》(“正攻法”)

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