460 件掲載中 月間賞発表 毎月10日

2017年9月11日

宮原 辰巳 (29歳)

この先もきっと、パラダイス

ユニコーン「D3P. UC」が示す、楽園のありかについて

 ライブは、言うなれば「パラダイス」だ。
 音楽が迫力のある生演奏で鳴り響き、メンバーのパフォーマンスに心動かされる。大好きな音楽を、耳だけでなく全身で体感できる。
 携帯電話の電源を落として入り込むそこは、ある意味「現実」とは切り離された空間だ。観客は、ほんの数時間だけではあるけれど、現実を忘れて夢のような空間に身をゆだねることができる。
 ユニコーンのライブは特に、音楽はもちろん、随所にそれを引き立たせる仕掛け――照明や映像、舞台美術、衣装、小道具などがふんだんに盛り込まれ、観ている者を飽きさせない。そればかりか、同じツアーの中でもそれらがどんどん変化を遂げていくため、2回、3回と繰り返し足を運びたくなる。彼らの作り出す楽園に引き込まれていくのだ。
 そんな彼らが2016年に行ったツアー「第三パラダイス」を映像作品としてまとめた「D3P.UC」。
 発売前に映画館で上映されるという情報に、心が躍った。映画館の大きなスクリーンとスピーカーで鑑賞すれば、ライブのあの空間――すなわち、パラダイスを追体験できるというものだろう。
 しかし、その期待は、予想もしなかった形で鮮やかに裏切られることとなる。

 最初にスクリーンに映し出されたのは、ライブ中のメンバーの様子が収められた写真だ。
 次々に映し出されるライブの名場面が外国の道路を模した舞台セットに切り替わり、そこにメンバーが現れる。ツアーでも冒頭から盛り上がりを見せた2曲「サンバ deトゥナイト」「すばやくなりたい」のスピード感ある映像が流れ、ジャケットにも使用されたタイトルロゴが、どんと映し出される。
 パラダイスに戻ってきた!映画館のシートに身をうずめながらも、心がワクワクと飛び跳ねる。次はライブでもおなじみの、あの曲だろうか?
 しかし――直後に映し出されたのは、「おはようございまーす」と私服姿とゆるやかな笑顔で会場に入っていくメンバーの姿だった。
 「サンバ deトゥナイト」でメンバー全員が頭に装着する吹き戻し(空気を入れるとピューッと伸びる“アレ”だ)。それを曲中のどのタイミングでピューッと吹くのか?というディスカッションが、本番前の楽屋でえんえんと、かつ、ゆるゆると行われる。そして映像はさらに遡り、そもそもどうしてライブの初っ端からそんなおもちゃを頭に装着することとなったのか?という疑問に答えるようなスタジオリハの映像が続く。

 ライブの真っ最中に客席の電気がすべて点灯されてしまったような、着ぐるみのキャラクターが突然被り物を取ってしまったかのような――突如として夢の空間から現実に引き戻されてしまった感覚。
 だが、それでも映像から目を離せない。
 圧巻の迫力をもった演奏を見せるバンドのライブ映像と、ゆるやかに旅を続ける合計年齢262歳のおっさん達の舞台裏。交互に映し出されているそれに、戸惑いを覚えるどころか、むしろ静かな興奮をもって引き込まれていくのは、なぜなのだろうか。

 彼らの再始動以後の作品には、必ずと言っていいほどメイキング映像が収められたDVDが特典として付属している。それらはあくまで特典であり、楽曲やライブ映像、すなわち本編とは別物として位置付けられていた、はずだ。
 しかし「D3P.UC」では、ライブ映像の合間、あまつさえ曲の途中にまで、いわゆるメイキング映像が挟み込まれているのである。
 時間軸を行きつ戻りつしながら流れる、楽屋や移動中のメンバーの映像。それだけでなく、舞台セットが作り上げられていく様子や、グッズが販売されている場面、会場にぞろぞろと観客たちが吸い込まれていく場面など、一見してライブ本編とはあまり関係のない、むしろ「現実」に近い部分が、ライブ映像と同じくらいのボリュームでクローズアップされている。それが、従来のライブビデオとは一線を画す部分だ。
 ただ、そこには法則性がないわけではない。ライブの映像は本編の曲順通りに進んでいくし、それに伴って各地を移動していく映像も随所に挟まれる。曲の前後や合間に入るのは、その曲をライブでどうパフォーマンスするかといったメイキング――楽器を購入したり、間奏での振り付けを考えたり、衣装や小道具を試行したりといった場面だ。また、メンバーだけでなく、スタッフが時に真剣に時に和やかにそれぞれの仕事をこなしているところや、全員が一堂に会しての打ち上げの様子も随所に盛り込まれている。
 まるで、手品の合間にタネを事細かに明かししていくような作り。だが、夢の後ろにある現実を目の当たりにさせられても、なお続きが気になり、食い入るようにスクリーンを見つめてしまう。
 それはおそらく、その明かされたタネを知ることで、逆にライブ本編へ、そしてこのツアーへの思い入れが増幅していくからだ。

 あの時メンバーやスタッフが寄り集まって考え、話していたことが、本番に活かされる。
 こういった過程を踏んだから、ライブの本編や映像がこうなっている。
 一つ一つに事細かな説明はないものの、そんな彼らの思考と行動の過程が、その後に流れるライブ映像とリンクする。笑いで混ぜっ返しつつも不安げに準備や練習を重ねる姿には、結果を知っているにもかかわらず手に汗を握る。
 そしてその結果、作り上げられたパフォーマンスに観客が沸く。安堵したり喜んでハイタッチを交わしたりする彼らの表情に、大きく心を動かされるのだ――まるで自分が、スクリーンの向こうの彼らと一緒にツアーを回っているクルーであるかのように。

 恥ずかしながら観るまで誤解していたのだが、今回の作品はツアーを追った「ドキュメント」「ロードムービー」と公言されており、いわゆるライブビデオとは違う位置づけの作品であるようだ。確かに、ユニコーンの映像作品には必ず表記されていた「MOVIE ○○」(○○の部分には、リリースされた順に数字が入る)という通し番号がついていない。
 しかし、上記の謳い文句の通り、ユニコーンというバンドの「今」を記録した、良質のロードムービーであることは間違いないだろう。
本編後に流れたメンバーのトークの中で、総監督を務めたABEDONは「元々はライブとドキュメンタリーの2枚組にするつもりだったが予算の関係上こうなった、分けて編集したものを1枚に収めるのにさらに数か月かかった」と話している。その苦労は計り知れないが、それでもこのような、ライブとドキュメンタリーを融合しても散漫にならず、むしろバンドの魅力を増幅させて伝えられるような作品を作れるのは、ユニコーンというバンドだからこそ成し得たことなのだ。
 通常のドキュメンタリー作品であれば、真剣に、時に葛藤しつつも緻密に試行錯誤を重ねるメンバーの姿や内面に迫るような作りにするかもしれない。また、そのような裏側をひけらかすと夢を壊すとして、あえて語らず、それこそ「パラダイス」つまり「人を楽しませる楽園」という側面だけを打ち出す向きもあるだろう。
 しかしこの作品は、そのどちらでもない。それが表でも裏であっても、笑いやユーモアにあふれ、メンバーやスタッフが分け隔てなく、楽しみながらツアーを構築している様子が描かれている。
 もちろん常に笑顔だからといって、決して彼らが全力を出していない、真剣でないというわけではない。むしろその逆であり、それぞれがライブや映像に対する真摯な思いや高度な技術とセンスを持ち合わせていることが垣間見える。そしてそれが合わさった時のグルーヴたるや、すさまじいものがある(これは、同時発売のライブ盤『D3P.UC LIVE CD』を聴くと、より鮮明に感じられる)。
 しかし、決してそれをひけらかすことはせず、笑いで包んで、いとも簡単にひょうひょうとやってのけているように見せているのだ。
 だからこそ、観ていて楽しい。それでいて、彼らの裏にある思いや奮闘ぶりがじわじわと伝わり、興味をそそられ、惹かれていく。
 音楽の役割は娯楽、と以前、某CDショップのポスターで奥田民生は語っていたが、裏側をここまで見せても、娯楽、すなわち人を楽しませるものたり得るバンドは稀有ではないだろうか。

 さらに今回は、メンバーであるABEDONが監督となり、彼自身が指揮したり、回したりするカメラの映像が増えたことで、従来までのメイキング映像よりも主観的で、より内部の目線に近い作りとなった印象がある。
 EBIはABEDONの撮影・編集作業について「この映像はいる、いらないの判断が早く、的確だった」と話していた。メンバーから見ても、単に面白い素材を抽出してつないでいるのではなく、ユニコーンというバンド、また今回のツアーにおける「肝」の部分を抑えた作りになっているのだろう。
 確かに、観客の目からも、ライブにおいて盛り上がりを見せた場面や曲については(編集のしかたや収録時間に差はあれど)ほとんど余すところなく収録されていたように思う。自分たちが楽しんでいるだけのように見せていても、観客のツボとなる部分を把握し、盛り上げるべき部分をきっちりと抑えていたということの証だ。
 そんな冷静さとは裏腹に、ユニコーンのリーダーである彼の目を通して今回のツアーの過程を垣間見ていると、今回のツアー、そしてユニコーンというバンド、ひいては彼らを取り巻くクルーに対する愛着すら沸いてくる。それはきっと、作った本人がそのような目線でこのバンドのことを見ているからとも言えるだろう。
 
 エンディングに使われているのは「風と太陽」。ライブの本編でも最後に演奏されていた曲だ。
 その音源をバックに、ツアーファイナルを迎えた彼らのすがすがしい笑顔と、それまで差し込まれていなかった場面(ことに、パロディがふんだんに盛り込まれ、権利の関係上フルでは収録することができなかったであろうアンコールの映像など)が流れていく。
 そして、ダァン、と最後の一音を合図に、舞台からメンバーの姿だけが消える。
 オープニングでも現れた、メンバーだけがいない舞台の映像。しかしこれがツアー、そしてこの作品の終焉を表現しているようで、寂しくもあり、しかしなぜか充実感で心が温かくなる。
 自分が参加しなかった公演も含めて映像で追体験できたこともあり、ああ、表も裏も全部ひっくるめて楽しいツアーだった!という気持ちが胸を満たすのだ。

 それはメンバーも同じようで、この作品については「いい思い出ができました」「記念になった」と口々に語っていた。
 当人たちにとっても、公に再始動して7年がたったこの年のツアーは、一つのバンドの到達点と言ってもいいような、手ごたえと充実感を抱くものだったのであろう。それをメンバーの手によって作品として残すことの意義は、きっとそこにもあったはずだ。
 また手島いさむは「若いバンドマンに見せたい」とも語っていたが、バンドマンに限らず、そしてこのバンドのファンでなくとも、彼らより下の世代の人々にとって見る価値のあるものではないかと思う。
 この楽しく充実した表情の大人たちを見ることで「自分もあんな風に仕事がしたい、あんな大人になりたい」と、将来にあたたかな光をともせるのではないだろうか――と、多少話が飛躍してしまったが、「言葉ではなく態度で示す大人」のかっこよさは、どの世代にも少なからず伝わり、あこがれを抱かせるはずだ。映像の中で奥田民生が語っていた、「おじちゃん、どうして知ってるの!?」と目を輝かせておもちゃの使い方を聞いてくる子供のように。
 そうしてきっと、パラダイスの作り方は受け継がれていくのだ。

 ツアーを「第三パラダイス」と銘打ちながらも、「夢」の裏にある「現実」の側面を見せることで、誰もが楽でいられるパラダイスなどないと暗喩するようなこの作品。しかし、「パラダイス」の創造を目指すために全員で奮闘する過程は、時に楽しく、時に充実したものでもあったはずで、それもある意味では楽園のようなものであるのかもしれない。
 川西幸一は「この作品の続編が作れるようなライブを、また俺らも作っていかなきゃならない」と語っていた。
 歳を重ねてもなお、革新的なことに挑戦し、よりよいものを目指して転がり続けていく彼らの道程。
 それを、この先もずっと観ていたい。観客としてはいつもぼんやりと抱く思いではあるが、この作品を観終わった後には、その思いが普段よりも強く、実感を伴ったものになっていた。
 それはきっと、メンバーやスタッフも同じ思いであるということ――それを、この作品にあふれる幾多の愛を通して、共有できるからであろう。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
音楽について書きたい、読みたい