3713 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

さあ、2020年のこれからの音楽の話をしよう

2019年のKing GnuとGEZAN、そしてドレスコーズのポスターが私に啓示したもの

突然だが、皆さんはTOWER RECORDSの「NO MUSIC, NO LIFE.」ポスター意見広告シリーズ、お好きですか?
冒頭からなんでいきなりお前は同じ業界の他社の話をし始めたんだ、とお思いの方もいらっしゃることだろう。rockin’ on.comの皆様、まず初めに陳謝させて頂きます。

各アーティストが撮りおろしの写真と、彼らが抱える思いを表現した端的な言葉。その僅かな情報量だけが掲載された、鮮やかな赤と黄色の色彩とモノクロ写真のコントラストが目を引くポスター。
きっと音楽好きであれば誰しも、必ず一度は目にしたことがあるのではないかと思う。
これまでにも様々なアーティストがその額面を飾り、時には強烈な印象を残す「作品」として度々世間で話題に上がる事もあった「NO MUSIC, NO LIFE.」ポスター。
その中でも、つい最近とあるアーティストが写ったそのポスターに、私は久々に鳩尾を思い切り殴られたような衝撃を受けたのである。

それは、2020年3月に全国展開されたシリーズの1つであったドレスコーズのものだ。
ポスターに写るのは、今年メジャーデビュー10周年を迎えた志磨遼平をこれまでサポートしてきた、多くのミュージシャンに囲まれた彼の姿。
大勢の名だたるバンドマンがみな一様にいい表情で映る中、写真中央の志磨遼平は小さな王冠を被り穏やかに笑っていた。

そんな彼らの写真の下に書かれた声明文は、たった二言だけ。
「ドレスコーズは、バンドである。
ドレスコーズは、みなひとりである。」
その言葉を見た私は、自分の内に渦巻いていた靄の掛かった思考が一気に晴れ渡ったような気がした。
この言葉は、私が2019年の音楽について考えていたことの答えだ。
その時受けた衝撃を、私は未だにこのポスターを見るたびに、鮮明に思い出すことができる。
 

少しだけ、もう半年以上前の事になってしまった2019年の話をしよう。
昨年の音楽業界に非常に大きなインパクトを与えたアーティストを考えた時、皆さんは誰を思い浮かべるだろうか。
この年は、日本の音楽界は近年稀にみるほど多くのアーティストの活躍が取り沙汰された年だったようにも思う。その証拠に、毎年年度末に行われるアーティストや作品を表彰する様々な音楽の賞グランプリノミネートには、ゾッとするような顔ぶれがずらりと並んでいた。
サブスクの楽曲再生回数が1億を突破したあいみょん、Official髭男dism。そもそもサブスクを初めて全面解禁した星野源、aiko、BUMP OF CHICKEN、スピッツ、サザンオールスターズ。待望の新作リリースが話題を掻っ攫っていったサカナクション、椎名林檎、THE YELLOW MONKEY、小沢健二、UVERworld、ONE OK ROCK。
今見てもこれらの出来事が、たった1年間の間に発生していたことがにわかには信じがたいくらいだ。2020年の東京オリンピックを控えた10年代最後の年として、後世に十分な語り草となる1年となったことには間違いない。(20年のオリンピックの影響でエンタメ界の経済が止まる前に動いとけ、というオトナたちの戦略もあったのかもしれないけれど。)
 

そんな2019年の中で、個人的に私が特筆すべきだと思っていたアーティストは2組いる。
1組は、ドラマ主題歌「白日」によって名実共に国民的アーティストとなったKing Gnuだ。

以前からバンドリーダーの常田大希は、「ヌーの群れが巨大な大群を作っていくように、自分たちの音楽で大勢の人を巻き込んでいきたい」と様々なメディアで語っていた。「Sympa」をリリースした頃のインタビューでは、その内容が非常に顕著に表れていたように思う。「Tokyo Rendez-Vous」リリースの頃に彼らを知った私としては、バンドがその野望を見事叶える様を、自身も群れの中の一頭のヌーとしてリアルタイムで見ていた訳である。
2019年のKing Gnuの活躍は、大躍進、快進撃という言葉を以てしても余りあるものだったと言えるだろう。私が彼らを知った当時は、周囲にはKing Gnuのキの字も知らない人ばかり。そんな状況の中で、音楽にどちらかと言えばそこまで詳しくない友人も、みなこぞってカラオケで「白日」を歌い始めた。街のあちこちから「飛行艇」が聴こえてきた。テレビでは連日、CMで「傘」が流れるようになった。
即完したチケットを辛うじて入手し行った地方のハコで行われた、2019年3月のツアー公演。同じハコで行われた去年の俺らのライブを見た人、という問いに挙手していたのは、私を含めざっとたったの20名弱。その去年のライブの終演後、私と一緒に写真を撮ってくれた4人は2019年の年末、晴れて紅白歌合戦出場アーティストとなった。
彼らは自分たちの音楽によって、今のこの時代の中でとてつもなく巨大な集団を作ろうとしていた。その彼らの数年間の軌跡が大輪の花を咲かせたのが、この2019年だったというわけだ。多くの人の波がうねりムーブメントとなる様をここまで間近に当事者として見ることができたのは、我ながら非常に貴重な経験だったな。私はどこか他人事のように、その光景をみてそんな事を思ったのである。

一言で表現するならば、個を集団とする音楽を発信したアーティスト。
King Gnuはそんなバンドとして2019年を走り抜け、2020年1月に昨年の集大成ともいうべき作品「CEREMONY」をリリースした。
 

では、私が特筆すべきと思っていたもう1組のアーティストは誰か。
それは2019年という1年を通して、形に囚われず我々に様々な問いを投げかけ続けていたGEZANである。

彼らの2019年の活躍は、まずドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord:documentary of GEZAN」の公開から語るべきだろう。さらにそこからFUJI ROCK FESTIVALへの出演を果たした彼ら。しかしそれをも凌駕する2019年のセンセーショナルな話題と言えば、やはり渋谷の街をジャックして行われた全感覚祭を欠かすことはできない。
いわゆる音楽フェスの中でもかなり珍しい、投げ銭制を毎年取っているこのフェス。今年の企画が立ち上がった当初、イベントの滑り出しとしては正直あまり順調なものではなかった印象がある。大阪での開催まで残り1ヵ月を切った8月末にマヒトゥ・ザ・ピーポーのTwitterに投稿されていたのは、予算1500万円、事前募金48万円、の文字。おいおい、大丈夫かよ。それが、タイムラインに流れてきた文言を見て私が抱いた当時の正直な気持ちだった。
その後9月の大阪開催ではちょっとした食中毒騒ぎの濡れ衣まで着せられ、追い打ちをかけるように10月の東京開催の日はまるで狙ったかのような台風襲来。今年の全感覚祭は終わった、ときっと誰もが思っていた。
しかし中止発表のたった2日後。本来であれば全感覚祭が開催されていたはずのその日に、マヒトゥ・ザ・ピーポーは全感覚祭を開催する、と告げた。台風が去った翌日となる明日の夜、渋谷の7つのライブハウスをジャックする。そこで夜通し音楽を鳴らす。人間を舐めるな。みんな、渋谷で会おう、と。
中止から一転、ゲリライベントとなった2019年の全感覚祭。少しでも音楽やライブカルチャーを齧っている人間からすれば、急転直下な展開を見せたこの数日で、イベント実行班の胃痛は想像を絶するものがあっただろうということぐらいは察しがつく。その中でいざ幕が落とされた、全感覚祭ゲリラフェス当日。残念ながら私はその場に居合わせることはできなかったのだけれど、小さなディスプレイの中のSNSのタイムラインは想像以上の熱気に満ち溢れていた。
会場のライブハウス、ほぼ全箇所入場制限掛かってるっぽい。
深夜の渋谷の街に、入れなかった人たちが何千人規模で溢れかえってる。
その場に居合わせていた複数の友人の写真が、タイムラインに流れていく。
どの写真も須らく、遠くに光る渋谷の街のネオンと闇の中に蠢く群衆の姿を写していた。
こんな一地方の音楽好きのタイムラインだけでその有様だったので、きっと実際に東京にいる人たちはもっと気迫に満ちた渋谷の街の熱量を感じていたのだろう。終電はとっくに行ってしまったというのに、人波は途切れる気配を見せない。渋谷のどこに行っても自分と同じように、いかにも音楽好きな風貌をした人たちがみな一様に興奮した面持ちで彷徨いている。目に見える形で今まさに人の波がうねり、ムーブメントが起こっている。それをこの目で実際に見られなかった私は、生きてきてこれまで数えられないほどに自分の心の中に襲来した「なんで田舎に住んでるんだ私は!」という思いと、その瞬間も戦っていたのだけれど。
そんな熱狂的な一大ムーブメントを起こしたGEZANが次に向かった先は、その集団を個人、独りという存在に帰す方向だった。あの熱狂的な夜から半年も経たぬうちに新作をリリースしたマヒトゥ・ザ・ピーポーは、その際のインタビューでこのような旨を述べている。集団として集まった人間をもう一度ばらばらに、個人に戻して、そこからまた独りと独りの状態で何かを始める。彼が率いるGEZANというアーティストの奏でる音楽は、どこまでも人間をたった独りの状態へと返そうとしている。彼の発言を要約すると、そんな風に私には感じることができた。

一言で表現するならば、集団を個とする音楽を発信したアーティスト。
GEZANはそんなバンドとして2019年を走り抜け、2020年1月に昨年の集大成ともいうべき作品「狂(KLUE)」をリリースした。
 

2019年という1年に、大きなムーブメントを巻き起こした2つのバンド。
彼らがそれぞれ一見相反する信条を持ちながら、各々うねりを巻き起こす音楽を発信しているという点もまた興味深い。そんな風にも思っていたのだけれど、彼らが向かっているのは本当に真反対の方角なのだろうか?
いくらメジャーシーンとアンダーグラウンドシーンというフィールドの違う音楽とは言え、同じようにあれほどまでに多くの群衆を動かした音楽が、相反する完全に異質なものであると言えるのだろうか?
理由はわからない。けれど薄っすら、それは違う、という漠然とした違和感があった。
その漠然とした違和感が言葉として、答えとして具現化された。
それが冒頭の、ドレスコーズのポスターに記されていた声明文だったのだ。

集団であることと個であること。
それは方位磁石のように正反対を向いているものではなく、太極図のように1つの事象の中に同時に成立することなのだろう。
GEZANは独りと独りから、またもう一度新たな集団を作ろう、と言っていた。
King Gnuは集団を形成しながらも、1人ひとりが全員突出した非常に強い個を持っている。
どちらもこの2つを両立させたアーティストだからこそ、恐ろしいほどの群雄割拠の年であった2019年の音楽業界の中で、その存在が私の眼には一際輝いて見えたのではないだろうか。
 

話に挙げた2組だけに限らず、昨年から勢いに乗っていた数多のアーティストたち。その勢いがオリンピックイヤーである2020年に突入後、より追い風を受け勢いを増す、はずだった。
しかしご存知の通り、新型コロナウイルスによる猛威で今エンターテインメント業界は全体として壊滅的な被害を受けたままだ。その中でも少しずつ、新しい生活様式の中で私たちはどう生きるか、という事が模索され始めている。

人類の生活様式がどのようになろうと、きっと昨年ムーブメントを巻き起こした音楽の中にある、コアとなる大切なことは、これからもきっと変わらない。
集団であること、同時に個であること。
物理的に集団であることを遮られ、個であることを余儀なくされる今この2020年。新たなムーブメントはどのような形で人々の集団を形成させ、同時に人々を個に帰し、うねりを巻き起こしていくのだろう。
その発想は新型コロナウイルスによって荒廃したこのエンターテインメント業界の中で、さながら新芽のような小さな生命の息吹にも、もしかしたらなりうるのではないかと思う。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい