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音楽が響かない日々に

ジョン・アバークロンビー「Gateway」を聞きながら思った

アメリカのジャズミュージシャンの3人、ギター奏者JOHN ABERCROMBIE(ジョン・アバークロンビー)と、ベース奏者DAVE HOLLAND(デイヴ・ホランド)、ドラム奏者JACK DE JOHNETTE(ジャック・ディジョネット)が組んだこのグループは「Gateway」というらしい。
最初の作品は1975年に発表されている。
去年にこのアルバムのレコードを手にした。それにも関わらず、最近まで聴いていなかった。そういうことがよくある。ほしいレコードはたくさんある。しかし手にして安心するのか、すぐには聴かないというような事なのだった。ばかみたいだと自分でも思っている。間抜け野郎の僕が今想うのは、これは素晴らしい感触だということだけだ。リズムの躍動感が凄い。聴き始めたばかりの音楽について語るような言葉は見つからない。ジョン・アバークロンビー、ジャック・ディジョネット、デイヴ・ホランドの音楽を知らない自分はただ情けない。ディジョネットやホランドがマイルス・デイヴィスのグループに居たのは知っている。アバークロンビーがビリー・コブハムのグループに居た時代の音楽は幾つか聴いた。さかのぼっていけば、ギル・エヴァンスのオーケストラに参加していたギタリストだと改めて知った。ギル・エヴァンスの1974年のアルバムでジミ・ヘンドリックスの曲を全編で演奏したものがある。僕はそれを20歳の時に聴いたのだった。そこでギターを弾いていたのがジョン・アバークロンビーだった事に20年後に気付いた。

自分にとってギル・エヴァンスはジャズの入り口の存在だ。1973年のライブ盤「SVENGALI」が好きだった。1980年のライブ盤、日本の音楽レーベルから発売された「Live at the Public Theater」も良かった。ここでドラムを叩いていたのはビリー・コブハムだった。そして1960年、マイルス・デイヴィスと協同した「Sketches Of Spain」は、心に置いておきたい美しさの、いたみときしみとよろこびとゆらぎの鳴り響き、消えてゆくレクイエムみたいなものだ。これまで幾つものロックミュージシャンのインタビューを読んだりした。誰かしらの音楽家が、影響を受けた音楽について調べてみたりすることもあった。そういうところで何かと目にすることが多いこのアルバム「スケッチ・オブ・スペイン」は、ジャズ以外の音楽家にとっても多様な影響力があるのだと思う。

ギル・エヴァンスの60年代のものでは「Out Of The Cool」も好きだった。23歳の時38度の熱が出続けて寝込んだ。片耳が一時不通になって聞こえなくなってしまったことがあった。それでも音楽が聴きたかった。そんな情熱が20年くらい前の自分にはあったのだ。熱にうなされながら「アウト・オブ・ザ・クール」”La Nevada”を聴いて、凄いと思った感覚がわすれられない。目眩く音世界と鮮やかな決め打ち。ギル・エヴァンスのオーケストラは音が動いてゆくのがよく判る、その空間の扱い方が素敵だ。

僕はジャズが好きだけれど、今、モダンジャズを聴きたい気分には無い。ビバップやハードバップの1950年代、モードジャズ、フリージャズの熱い1960年代を聞きたいと思わない日が数年続いている。それなら興味の対象は1970年代のジャズなのか。自由なリズムのジャズがいい。録音されているところに残る自在な空気がいい。70年代ジャズは70年代ロックとも通じ合うし、時にプログレッシヴロックを想い起こす瞬間がある。ジャズがその音楽の枠に留まらずロックの感覚と共鳴した時代。そういうことならジャズフュージョン、クロスオーヴァーの時代、それもすこしちがう気がする。わからない。

すこし前までの自分は、ロックをずっと想っていたのに今は何も考えていない。こういう路頭に迷う事がよくある。音楽が響かない、とは言わない。聴きたい音楽が判らないのだ。そんなときにすくいあげてくれるのはジャズかもしれない。ジャズをロックの代替えとして扱うつもりはないけれど、別の感覚が必要な時がある。
ジャズの音楽の全体を言えば、ここには言葉がない。ジャズに在る唄は除いて、ジャズには明確な意味を直接に伝えるような言葉がない。ジャズ論を語るような高性能は自分には無い。僕は多分、AIでもなく計算高くNOを突き付けることも出来ずにただ愛を込めるつもりで駄文を綴るしか能がない。

そもそも自分はロックを聞くにも言葉を理解しているとは言い難い。洋楽なら英語の歌詞が文字としてあれば意味を知り察することは出来る。しかし耳で聞く言葉の意味はさして重要と認識していないのだと分かる。意味よりもリズム感が先だ。これは日本の音楽、歌を聴くにも当てはまってしまうかもしれない。自分の理解できる言語であったとしてもそれを意味では捉えていない。伝わってくるものがあるのは確かだが、意味を探っていない。いちばん良いのは、意味を考えずとも、深読みせずとも、共感を見いだせずとも、直に伝わる言葉の力、という事かもしれない。そういう音楽の言葉は稀にある。それこそ、”素晴らしい”という表現の、真の称賛に値するのだと思う。

自分には言葉の力を信じていないところがある。言葉が役に立たないということがあるのを知っている。例えばこうだ。人と人との関係も、始めに言葉で繋がることはできる。優しいことば、温かいことば、心を動かせるような情熱、それで繋がる事が出来たとしてその関係が揺らいできたときに、果たしてそれまでの言葉は有効だろうか。それ以上の言葉だとして、その”意味”は役に立つだろうか。いくら心を込めて書き連ねようが、真剣さを込めて願おうが、伝わっていかないものはある。いったい何の話でしょう。こういう事を書くつもりで、海へ行くつもりじゃなかった。青春の日々は過ぎ去るものです。でもそれを川や海に流して良いというものじゃない。残ったものを捨てずに歩んでゆくのも道。いつだって僕らは本当のあなたを本当の言葉を知りたいんです。DO BE DO BE DA DA DO

ところで、
1970年代の日本のジャズは同じ時期の海外のジャズと遜色がない。これをロックに置き換えると、ロックの時代は遅れをとってきたように思える。例外はあるにせよ、より多くのロックの名作、傑作のあるアメリカやイギリスのバンド群に比べれば、その当時の日本のロックバンドは数少ないというのも確かだ。ロック全盛期の1960年代70年代から以後80年代90年代に向けて多くのバンドが出現した。90年代2000年代になると洋楽と邦楽を比べる意味はあまりないのかもしれない。日本のバンドは海外へのコンプレックスを越えて独自の音楽を作っているのだろう。

ところで俺は雲を呼び、呼んでも来ないが、自分が何を聴くべきなのか、ずっと分からなくなっている。つい数年前にはチャットモンチーにハマった。その後ASIAN KUNG-FU GENERATIONにハマった。アジカンの音楽を心の支えみたいに聴いた日があった。自分は2000年代の日本のロックを何も知らなかった。日本語ロックは歌詞の意味がわからんというのが自分のなかでの或る定説だった。しかし言葉はダイレクトに届いてくる。詞にある”君”や”あなた”は文字通り、聞いている自分の事かもしれないと感じられてくる。架空世界の物語に自分の共感を寄せて行かなくても、自分の、僕の、私の世界を歌ってくれているというような感慨を得られる。だからこそみんながみんな、今の時代の聴き手は歌詞の意味を大切にしているのだろうと判る。

ところが、自分と言えば、そんな日々を思い返すのがいやなのか、大切だったはずの言葉を、聞きたくもなくて、歌詞を読みたくない紐解きたくないという所へ行き着いてしまった。心ある詞に救われた時があるのは確かだった。本当は大切な言葉は今も取ってある。決して言葉をないがしろにはしたくない。しかし素晴らしい音楽体験が最初になくてはいけないと思う。その上に乗った言葉なら信じられそうな気がする。それをこれまで以上にどうやって探しだせるのだろうか。こんなに情報が多い時代、簡単にアクセス出来る筈なのに、手段を見いだせない。身の回りに居る人達をあてにはできない。

僕は音楽を聴く時、好んでレコードを取り出してくる。それならば必然とそれらのレコードの時代の音楽を聴く事になる。近年は、新作のものでもアナログで発売されることも多くなってきているけれど、日本の音楽はそこに当てはまらない事が多い。今、音楽をCDで聴きたいという気がしない。サブスクリプションもなんかいやなんだ。第一、携帯、スマートフォンで音楽を聴いていると耳が窮屈で息が詰まるような気がして長時間楽しめない。そしてサブスクリプション時代は一方で音楽交流の手段を狭めてしまったような気もした。音楽は個人的なものになった。誰かとCDの貸し借りをすることもあった時代がなつかしい。配信音源を貸し借りしたり、譲渡することなんてあるのだろうか。twitterやブログ、その他の方法、リストの作成など音楽を何らかで紹介するようにURLをそこへ張り付ける事はできようが、遠くの他者と繋がる可能性はあっても、かえって身近な人との関わりが薄れていくような気もした。いや、本当のところは知らない。わからない。そもそも音楽を聴いている人が本当にいるのかあやしいほどだ。身近な人が音楽に興味を持っているなんて聞いたこともない。そして実際に話が合わない。

自分の聴いている音楽の世界は狭いと自覚している。そうしてすごくズレている。音楽好きの詳しい人に自分がついていけるかどうかもあやしい。音楽を探求できなくなってきた。新しいものへの探求心が弱くなった。過去のものへの再確認ばかりを繰り返すようになった。それはある意味、素敵な事ではあるけれど、自ら狭めた世界で同じところを行ったり来たり泳ぎ回っているだけかもしれないと思えば意欲は減退する。もう25メートルも泳げない。一日のうちに聴ける音楽は少ない。一度聞いて理解できるはずもない。何度も聴いていれば一日はあっという間だ。大体、一度聴いて解ってしまう音楽を聴く気はない。しかしわかってもそれでも何回も聴く事は良いことだ。繰り返す、染み込ませるということは記憶を作ってくれる。それはこの先揺るぎないものになりうる。音楽体験と記憶は重要だ。

話は混乱し始めている。最初から混乱しているだろう。はじめからそんなのわかってたよ。

音楽を聴くならレコードが良いと勧めるのはもうやめようかと思う。自分は音楽に対して何ら貢献してはいないのだと思う。中古で出回っているレコードを手にしても、それは作者には還元されない。CDを新品で買おうという熱意がないことが多い。たとえ最近の新作でも中古CDで買ったらそれは音楽家への対価として不当なのだろう。
最近買ったCDはThe Apples In Stereo(アップルズ・イン・ステレオ)の「The Discovery Of A World Inside The Moone」という2000年のアルバム。日本なら、NUMBER GIRL「SAPPUKEI」と「NUM HEAVYMETALLIC」それからZAZEN BOYS「すとーりーず」だった。全部中古だ。ZAZEN BOYSの最近作ですら2012年、もう8年前のものだ。自分がさぞ遅れているのが判る。「すとーりーず」発売時期の向井さんのインタビューをインターネットで探して読んだら、プリンスの事やジェントル・ジャイアントの1972年のアルバム「Octopus」の事が発言のなかで触れられているのを見つけた。僕はジェントル・ジャイアントのプログレッシヴロックが好きだった。プリンスは未開拓で「Musicology」くらいのものだ。自分が遅れすぎていることを露呈してももういいと思う。
音楽文でプリンスが取り上げられていることは多いのかもしれない。そこから聴いてみようと思って、手軽なサブスクリプションで試してみたら音質が良くないから諦めた。プリンスのグルーヴはスピーカーで聴きたいよね。何にも分かってない自分が言うのもおかしい。

僕は日本のロックの事が知りたい。1990年代から2000年代にかけて良いアルバムがあった筈だと思う。その情報は流れに流れて何処かへ消えてしまったのか。ここ2年の間で聴いたロックのなかで、凄かったバンドのアルバムは、ROSSO「Emissions」(2006年)と、くるり「THE PIER」(2014年)だった。傑作だった。邦楽洋楽の枠を越えてロック史に残ると思う。こういう素晴らしい作品が他にもあるのだと思う。そこがわからないから困る。カバの忍者はまぬけで困る。忍者の僕は隠れながらROSSOのチバさんが凄いと思っていた。そこからThe Birthdayを続けて聴いていったのだけれど、だんだんROSSOから音楽性が離れていくようで追うのはやめてしまった。くるりの場合は「THE PIER」をきっかけに遡って以前のアルバムを聴いてみた。2002年のアルバム「THE WORLD IS MINE」が好きで繰り返し聴いた。お父さんがなくなった日にも聴いていた。それを機に聴けなくなってしまった。くるりに傑作は多いが、「THE PIER」が素晴らしいのは間違いない。アレンジが凄いと思った。伝説のロック名盤に引けをとらないと思う。そうして最近気になるのはNUMBER GIRLというのだから自分はつくづく情けない。他にもバンドはあるんだろう。全然伝わってこない。それを伝える聴き手は何処にいるんだろう。ロックへの熱い想いが伝わってこない。”ロックンロール”という言葉だけが時代から独り歩きを始めて、そのものの実像をぼやかしてしまった。ロックンロールは死んでいないけれど、ロックンロールの真髄を知る聴き手は何処にいるんだろう。

近年、音楽を聴いている人達の、音楽への入り口はYouTubeなのだろうか。たとえば自分も知らないレコードを買おうか悩むときにYouTubeを活用することが多い。大体のアルバムの幾つかの曲が出ている。かなり無名でも出てくることがある。一方で誰かの音楽文を読んで気になった曲を探して聴いてみることがよくある。もしかすると僕が書いた文を読んでそのように探してみた人もいるのかもしれない。いや、そんなはずはない。読まれていない。共感されてない。ひとつ言っておくべきなのか、YouTubeの音で昔のロックを聞いても迫力はないんじゃないか。YouTubeの音楽はライブ映像で観るからこそ感動を及ぼすのだと思う。現に自分は、挫折したThe Birthdayの、ライブ映像をたくさん観て芯を揺るがされた。チバユウスケさんのチャンネル、roka2をいつも見ている。The Birthdayも素敵だった。チバさんは熱い男だと思った。自分が尊敬するロックンロールの伝説そのもののように見えた。語りすぎないところに男気がある。日本にも本物のロックはあるのだ。他に見ているチャンネルは、みのミュージックだ。若い人が昔のロックを当たり前のように紹介してくれるのが頼もしい。ちょっと聞いてよ奥さんお嬢さん。みのさんは音楽センスが良い。レコードが出てくるところが良い。これも熱いから楽しみだ。

しかし、ロックへの想いが熱くても、夜更かしをして徹夜をして金八先生の物真似をしても踊り疲れたディスコの帰りもそれでもダンシング・オールナイトこのままずっとは出来そうにない。音楽を聴くのが難しい。時間が足りないのか。疲れているのか、好きな音楽を繰り返しすぎて次へ進めないのか。仕事へ行く日になると行き帰りの時間に音楽を聴けてもアルバム一枚も聴ける訳じゃない。それで、さあ仕事も終わって家に帰って聴こうかと思えば今度は眠い。
今日は休みの日、一日中、ジョン・アバークロンビー「Gateway」を流し続けている。それで充分満足ではある。しかし集めたレコードの全部を生きているうちに聴き通せるのか疑わしいと思っている。ウイルスが蔓延して外出をしなくなって、レコードを探しに行く日々は終わった。それで良かったのかもしれない。レコード店に行けば、あれもこれもと安い値の盤を見つけてきりがない。共に聴く人が居ない孤独の日々ならレコードが増えても、しょうがない。待ってください。レコードは音楽の歴史的遺産だよ。でもやっぱり音楽はひとりで聴いても楽しくないんじゃないか。だからこそ今、ライブハウスやコンサートが無くなってつまらない想いをしている人たちが多いのだと思う。現にこの音楽文のサイトへの投稿数が明らかに減っていると思う。7月の受賞作品は実に2つしかない。ライブが無くなっても自分には関係なかったけれども、音楽が続いてゆくためには、絶対的不可欠のものなのだ。だからといって聴き手がしょんぼりしていてどうするのか。ロッキング・オンのページにいつも書いてある言葉、”あなたからの熱い音楽文の投稿もお待ちしています” そうなんだ。”音楽への熱い想い”、あなたのその気持ちはライブへの熱い想いだけじゃなかったはずだ。そうじゃないのか。

そんなことを考えているうちに、春を過ぎ、夏を迎えて、毎度のように、災害が起きる季節が来てしまった。濁流の恐ろしい映像。ニュースの話題を自分の安全な生活と結び付けて想像するのは難しい。大変な思いをしている人がいる。こんな時に気楽に音楽を聴き、音楽を書き綴っている事への慚愧の念は否定できないのも事実だ。ウイルス感染も再燃している。人が毎日死ぬなんて想像したくない。

けれども、
音楽に救われたなら、あなたの心を、その生命を救ってくれたというなら、それをもっと大事にしても良いんじゃないか。こんな時にと思ってみても、大切なものは変わらない。それでも音楽が好きだった。
それで良いんじゃないか。まちがっていない。

僕が今日紹介するのは、
John Abercrombie Dave Holland Jack DeJohnetteという超ド級メンバーによる爆裂ジャズ、1975年の「Gateway」だ。

ロックがなんぼのもんじゃい、という気概のごとく、
ヨットスクールを爆破するほどの、超烈火三者懇談。
ジャック・ディジョネットのドラムは大迫力に弾み
、デイヴ・ホランドは堂々たるぶっといベースを揺るがせる。ジョン・アバークロンビーはテレヴィジョンのノイズよりも軋み、フリクションなギターを空間で暴れまわらせる。空気、電線を切り裂いて、三密をぶっ飛ばせ。

これが音楽だろ。
70年代ジャズはめっちゃ良い。
ライブじゃなくても音楽は凄い。
ライブステージは世界の何処だって

そうじゃないのか。

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