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この世は腐ってなんかは居ない。

Mrs. GREEN APPLEと、平手友梨奈と、私の抱く祈り

みっともないと思っていた姿を、思いきって隠さずに見せてみた。
すると「私も同じ気持ちです」と言ってくれる人が大勢いた。
祈りとは本来、隠すべきではない。けれどあまりの真剣さに恥ずかしくなり、人はひと知れず何かを信じようとする。
 

私は平手友梨奈という人物が好きだ。音楽文でも何回か、彼女への思いの丈を書いて投稿した。彼女の引力に吸い寄せられるがままに生きることを、誰かに分かってもらいたかった。だから私は、自分のその、彼女の内側から発せられる美しさに妄執している姿をありのままに晒すことにした。

Twitterに載せた彼女への想いを書き連ねた文章は、同じく彼女を好いている人の元に届き、共感のコメントが多く私の元に寄せられた。ひとつずつ言葉を見つめるたび、彼女の持つ大きな力と、それに惹かれる人たちの熱意、生きるエネルギーみたいなものに圧倒され、結果的に私は彼女のことがもっと好きになった。私にとって、彼女はもう、当たり前のように唯一で、代えのきかない存在になっていた。

音楽とは、愛とはしばしば「祈り」のようだと思う。音楽の世界は私たちが生きている場所とは隔したところにある。目に見えないもので、本質的には耳という器官のみで受け取るものである。ライブなどで一体感をもち体感を共有することは、全員が音楽に対する思いを一緒にしたからこそ見える高次元な景色だ。
私たちはそんな音楽を、祈るように聴くシーンがままにある。自分のいる世界に絶望した時、苦しくてどうしようもない時、イヤフォンから聴こえてくる音楽に「どうか」と身体を預ける。そこから聴こえてくる音と言葉に、それを歌う人の真摯さに、歌われていることに、手を伸ばし救いを求める時がある。
私は音楽や人に対して祈るように傾倒していくことを、悪いとは思わない。むしろそういう時、人はとても美しくなっていると感じる。誰かを、何かを一心不乱に信じられるというのは、今を生きる上で手放してはいけない時間であり、経験であり、また光であると思う。

〝この世は腐ってなんかは居ない。〟

これ程までの「祈り」の言葉を、私は最近、本でも映画でも触れたことがなかったな、とMrs. GREEN APPLEの『Attitude』を聴いて感じた。難解な言葉ではない、けれど最大の「祈り」を、彼らの音楽が叫んでいた。
世の中の全貌は分からない。人ひとりが知ることのできる世界の真実は限られている。それでも、うわべだけでも分かるのは、人は醜く、そして人が集まり争い奪い合う財産のある世界というのは、着実に濁りつつあるということだ。

美しいものはどこにあるのか。美しさとは一体、何なのか。日々濁っていく世界を目の当たりにしていると、何も分からなくなってくる。美しいものを見たい。なのに、どこにもない。
この世界は腐りかけているのではないか。疑いが確信的なものに変わる瞬間、その一歩手前で、私はこの曲を聴いた。

〝「腐ってなんかは居ない」
この世は腐ってなんかは居ない。
そんなことだけでも
何処かで報われた気がして過ごせています〟

美しいな、と思った。この「祈り」は美しい。
腐ってはいないと願うこと、そこで生きること、もがくこと、苦しみながら歌うこと。全部が美しい。ここに私の探していた美しさはあったのだ、と、雷に打たれたように思った。信じがたい世界にいる信じられない自分を、もう少し信じてみたくなった。
そうだ、私もきっと美しい。この歌を美しいと思える心は、きっと何物も裏切らず私の生き方を照らしてくれるはずだ。
生き様の美しい人になりたい、たとえどんなに世界が汚く見えようとも。そう、強く「願った」のだった。

Mrs.GREEN APPLEの『WanteD! WanteD!』という曲に、平手友梨奈が出演している。彼女自身も好んで聴くというミセスのMVに、欅坂46脱退後初めて出演している彼女の姿を見るのは、少しだけ勇気がいった。なぜなら私はまだ「欅坂46の彼女」にとてつもなく惹かれていたからだ。魂を削り、身ひとつで表現するおそろしい彼女を愛していた。そのおそろしさから目が離せず、私は、加虐的ともいえるほどに心臓を揺さぶられていた。その痛みこそ愛していたのだ。

彼女は、笑っていた。破顔、という言葉が似合う、屈託のない、何もおそれるものはないともいうような笑い方だった。そして、「祈って」いた。冒頭、走り抜けてきた彼女が息を切らして急くようにイヤフォンを耳にさし、音楽をかける。そこから始まる曲のイントロ――メロディが、彼女を解放していく。海でひとり踊る彼女は、どこまでも行けそうだった。何にも制約されず、ただ、全身全霊で踊っていた。
私はそこに、平手友梨奈のいう人間の魂をもう一度見た。彼女は「祈り」を「表現」に変え、再び私たちの元に現れてくれたのだ。

そんな彼女を、本気で愛おしいと思った。なぜこんなに惹かれるのか、上手く言葉にできない。けれど心の底から彼女のパフォーマンスが、表情が、感情の発露が好きだ。そして気づいた。私は「祈っていた」のだと。平手友梨奈、という存在に対して祈りの感情を抱いていたのだ。彼女に対する感情に名前がつけられない、と、Twitterで発表した文章に書いていた。今、ようやく分かった。私は「愛することで祈っている」。そして、彼女が微笑みながら踊るこの世界に希望を見つけている。「この世は腐ってなんかいない」と、その姿を見て、懸命に、切に、思っている。

〝僕らは生きている〟

『WanteD! WanteD!』はこう叫んでいる。声で、歌で踊っている。
私はこれからもきっと、彼らの音楽と、そこで踊る彼女のことを好きでい続けると思う。
そうやって、生きていく。時には縋るほど、弱くなってしまうかもしれない。けれど音楽が、魂が、愛が、祈りがある限り、私は強くなれる。

世界は腐ってなんかいないと、今日も祈り続ける。明日にはどんな強さの結晶に、この思いは変わっているだろうか。

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