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「ニューノーマル」は僕らが作る。

~石田洋介が歌う「今」、新曲二曲のこと。~

「ニューノーマルは僕らが作る。」とその日、彼はつぶやいた。

かっこいいじゃないか。
 


 

2020年、私達は年明け早々からずっと謎のウイルスに翻弄され続けている。

最初はお隣の国でちょっとした感染症騒ぎが起きて、それは彼らの食文化に由来するものだ…なんて説があって、私たちは少し遠い目でそれを眺めていた。正直、大変だな、なんてひとごとだった。
それがいつの間にか、自分達の足元にまで波が押し寄せてきていて、ハッと気づいたときには渦中にいた。

いや、「禍」中だ。
 

自分の発した声が、触った指が、触れた唇が、大好きな人、大切な家族を殺すかもしれないという恐ろしさ。
それも即効性のある毒ではなく、2週間待たないと安心できない遅効性の毒。
恐怖に包み込まれているこの半年。
 

接触しなければ広がらない、という当たり前のようで、しかし残酷な事実に従って「家に閉じこもれ」と言われた春、「おうち時間」なんて柔らかい耳触りのいい言葉に日本中が覆われた。

経済的に苦しい人々や医療現場で戦う人にとって、それは虚しく響かなかったろうか。
 

打首獄門同好会の大澤会長は「新型コロナウイルスが憎い」とどストレートに私達の鬱憤を歌にしてくれた。
星野源さんは「うちで踊ろう」と、実際のホームだけではなく「心の内」まで含めて、ありとあらゆる状況の人々へのエールを歌った。優しさだけではない、焦燥や苦悩もにじませるような後半のテンポアップ。シンプルな言葉と音の響きが数多くの無聊をかこっていた人々を刺激し、アイデアを生み、社会現象ともいえる動きを呼んだ。作る人も見る人も、耳と心でそれらの映像を楽しんだ。
アーティスト達はそんな風に次々にテレワーク作品を生み出し、音楽や映像で私達を慰めてくれた。
 
 

私が今一番、その唄に惹かれている「石田洋介」というアーティストも、この「おうち時間」を歌った。
 

「アイタイけどガマン」。
自身の代表曲「アイタイ」から繋がる曲。
最初、動画で発表されたのは1番だけだった。
アイタイ人、アイタイ存在を思うと胸が切なくなる、その大事な存在のためにも「おうち」にいようよ…そう呼びかける唄だった。
 

「おうちにいましょう 君と僕の明日のため
おうちにいましょう また逢える時まで」
 
 

石田洋介は、ご当地キャラのための曲をたくさん書いていて「ご当地キャラソングの帝王」なんて愛称もあるくらいなのだが、この曲も彼らを思って書かれたようで、最初が「町」から始まるのがとてもよい。
 

「アイタイけどガマン 君の町を思い出す
アイタイけどガマン 君の顔を夢に見る」
 

そうした石田の持つ背景を知らなければシンプルなラブソングとして聴くことはできるが、「町」から始まることで男女の愛よりももっと大きなものを想起させ、何よりも彼が愛おしく思うご当地キャラの仲間達がまず浮かぶ。
さらに家族、友達、片思いの相手、恋人、夫婦、仕事の仲間、行きつけの店の人、SNSで出逢った人…どんな存在にも通じる「アイタイ」気持ちがそこにある。
 

そして、後日発表された2番にこそ、この曲の強い願いが込められていると思う。
 

「アイタイあまりに 病気にならないように
アイタイ気持ちで 楽しいことを考えてる
陽の光 風の音 雨の匂い
アイタイ思いで 全ては輝く」
 

「陽の光」からの、一拍のシンコペーションが生む音の弾み。雲間に差し込む太陽のような、寂しさをさっと掃うような、明るさや爽やかさを与えるひとふし。
2番ができてこそ、この曲は本当の力を持ったように思う。
 

「ガマン」を暗く辛いものとせず、明るい未来に繋がる時間に変えていこう。
「また逢えるときまで」。
いつか笑って振り返ることができるときまで。
 


 

この「アイタイけどガマン」の2番が披露されたのが5月中旬。
緊急事態宣言の真っ最中だった。

その後、宣言が解除され、長い「おうち時間」が終わって、私達は日常へと…これまでとは違う形になった「日常」へと戻っていった。
今度は「新生活様式」だとか「ニューノーマル」だとかそんな言葉が溢れ返る街へ。
人との距離、通勤をはじめとした生活時間、勤務以外の生活スタイル…すべてを変えていけ、と。

主にエンタテイメントはまだ封じられたままで、心を豊かにする時間は削られたまま、生活だけは戻っていかねばならなかった。
 

正直、「うちで踊ろう」はもういい、と思った。

うちで過ごそう、はもう終わった。
否が応でも「外」に出ていかねばならない。

「日常」をリフレッシュするための「非日常」は封じられたまま、ただただ不自由を強いられる「今」を過ごすために、何か私達の力になる音楽が欲しかった。
 

そう思っていた6月。
新曲「ニューノーマル」が突然、生まれた。

6/20、大塚LIVE×BAR ○(maru)での配信ライブの日だ。
にかにかと笑いながら「今朝できたばかり」と面白そうに、これまた1番だけだったけれど歌われたそれは、強いロックだった。
 

「時は過ぎ行き 時代は流れ行き
世界中の ハグ文化崩壊し
息がかからぬよう ツバが飛ばぬよう
互いの体温を 疑いあったりして」

「とにかくマスクしろ ディスタンス死守しろ
信じ合うより 監視しあう仲さ」
 

さえぎられても止められてもそれでも「君を感じたい」。
今の私達のもどかしさと憤りと怒りと悲しみと寂しさに、少しのシニカルなユーモアとがまぶされた、感情のごった煮のようなロックナンバー。

配信ライブだったから届かなかっただろうけれど、画面のこちらで大きく声を上げた。
 

こういう曲が聴きたかったのだ。
 

発表の数日後にはフルバージョンが披露され、さらに7月にはMVもできあがった。
それまでのライブでは弾き語りだったが、「密を避けて」ひとりきりで宅録されたMVではバンドサウンドに。エレキギターのリフを加えてよりハードになっていた。
 

痺れるね!
 
 

ニューノーマルってなんぞや。
だいたい英語として正しいのかもよくわからん。

これまでの日常、標準をまるで塗り替えるのではなく、COVID19に対する「うつらず、うつさず、うつされず」なポイントを見つけていくためのチェック作業みたいなもんだ。
ちょっとつついてみて、よしオッケー、ここはクリア!みたいなことの繰り返し。
ちっともクリエイティブな部分がない。
 

ゲームならそれで死んでもリセットできるけど、現実の人の命はできないので、慎重に。それだけめんどくさいし、つらいし、哀しいし、もどかしい。
今を受け入れようとしつつ受け入れきれないジレンマにずっと私達は陥っている。

そんな今に対する強い憤りと、痛みと。
シニカルな視点とペーソス。
そして、笑い飛ばすユーモア。
強いビートと強い石田の声に、私達の鬱憤も乗せてもらって、遠くへ運んでもらっているような気持ちになる曲。
 

弱いものにはとても優しい。その分、それを虐げようとするものには強烈な毒を吐く。憮然とした、不機嫌な顔で。
その「毒」加減が、ああ、石田洋介だ!と嬉しくなる。
 

シニカルに笑い飛ばしながら、苦しさを抱えながら生きていく。
やさしく寄り添う以上にともに歩いてくれるこんな曲が私達には必要なのだ。力を与えてくれる曲が。
「今」をともに歩く歌を、「今」作ってくれたことが心底嬉しい。

嬉しかった。
 


 

「ニューノーマルは僕らが作る。
誰かに押しつけられるものではなく、自ら考え、恐れず実行し検証する、その繰り返しを、みんなと一緒に歩みたいです。」
 

先日、石田がツイートしていた言葉。
唄で、ライブで、この先もそれを実行してくれると思う。
まだ現場でこぶしを振り上げたり歓声を上げたりはできない時期だけれど、画面のこちらから大きな声で、現場にいるときは大きな心の声で、そのビートに応えたい。

一緒に、ニューノーマルを作っていく。
そんな思いで。

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