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境界線上で歌い踊る米津玄師—『感電』のMVを観て

ギリギリのところをスレスレで行くかっこよさ

米津玄師『感電』のMVを観た。2020年7月10日(金)23時にYouTubeで公開されてから4日と7分で、瞬く間に1000万再生を突破した。まさに稲妻のようなスピードである。初めて観た時、そこには今までに見たことのない、はっきり言ってクレイジーでぶっ飛んでいる米津さんがいて、かなり衝撃的だった。ネジが飛んでしまったのですか、戻ってこられますか、とちょっと心配になってしまうくらい弾けていた。いろんな化学反応が起こっていて、反応し過ぎて火花すごいな、と思った。めちゃくちゃシュールで奇抜なのに、めちゃくちゃおしゃれで一風変わっていておもしろい、不思議なかっこよさがあるMVで、目が離せなかった。気づいたら引き込まれていて、何度も観たくなってしまうのだ。

 『感電』MVの世界観は、一歩間違えると、へんてこ感満載でおもしろいだけのコントになりかねないし、かっこいい人が何かダサいことをやってるな、というように映りかねない。にもかかわらず、なぜこんなにも、クセになるようなかっこよさや魅力があるのか。それは、『感電』のMVが「かっこいい」と「へんてこ」の境界線上の、ものすごく絶妙なところを果敢に攻めているからだ、と私は考える。

 先ほども述べたが、下手をするとダサくてただおもしろいだけのコントになってしまう。かと言って、ただ一般的に見てかっこいいことだけをやっていては、普通にかっこいいだけでつまらない。『感電』のMVは、「かっこいい」と「へんてこ」の紙一重のギリギリのところをスレスレで行っているからこそ、めちゃくちゃユニークでエッジが効いていて、かっこいいのだと思う。

 それはきっと、典型的なかっこよさからの「ずれ」であり、その「ずれ」こそが新鮮な魅力になっているのではないだろうか。『感電』という曲自体も、ジャズやファンクといった異なるジャンルの音楽が、エッジの効いたアレンジにより、J-POP的なキャッチーさや哀愁感と絶妙にミックスされていて、まさしく、J-POPと海外の音楽の境界線上を行っている。そして、『感電』のMVも、昔ながらの遊園地、メリーゴーランド、ゾウさんのついた回るコーヒーカップの乗り物、パンダ型の乗り物……といったレトロで懐かしくてキラキラ(ギラギラ)した、ちょっと目眩のような非日常感。そこに、全身がDaft Punkのような、キレッキレですごくかっこいいけれど、どこか変でおもしろいダンサーたち(ミラーマン)が飛び込んでくるような、不思議な違和感。それらが、何だかクセになるようなかっこよさを醸し出している。パンダ型の乗り物の上から、ワイヤーアクションを駆使して宙に浮いていく米津さんも、めちゃくちゃシュールだけれどキマっていて、何だかよくわからないけれどかっこよかった。

 きっと、こういうかっこよさにもちゃんと名前があるはずだと思うのだが、私にはその名前がわからない。この何とも言えないかっこよさを何と呼ぶのか、私はとても知りたい。これはきっと、境界線上のかっこよさなんだな、と思う。米津さんは今までも、2つの対照的なものがあるとしたら、自分は常にその中間でいたい、ということを一貫して言っていた。

「理想に行きすぎるのもダメだし、現実だけに引っ張られるのもそれはそれでダメだし。だから、たとえば『ハチ』と『米津玄師』っていうものがふたつあるとしたら、俺は別にどっちにもなりたくないというか、ちょうどその中間のところにいたいっていう感覚がすごく強くありますね」(CUT 2017年9月号より引用)

ROCKIN’ON JAPAN2019年10月号のインタビューでも、自分自身をフラットに保ちたい、というスタンスを語っていた。

「どちらの立場にも立ちたくないし、でもどちらも信用しないわけではない。その中で、ちょうど真ん中を探していく——さっきも言った、磁石のS極とN極をちょうど半分で割ったら、またこっちがS極とN極になって、それをまた半分に割りながらっていうのをずーっと繰り返していって。それがついぞどこかに辿り着くことはないっていうのは、最初っからわかってはいるんだけれども。でも、ポップソングを作る、普遍的な事実を追い求めていくっていうのは、そういうことなんだろうなあとすごく思ってるから。」

 そのスタンスが、『感電』という楽曲とMVにも反映されているのではないかと感じる。米津さんは、「米津玄師の音楽とはこういうものだ」「米津玄師とはこういう人だ」という定義や、固定化されたイメージから、常に自分自身をずらし続けていっている。線でくっきりと区切られて囲まれた安定的な場所ではなく、様々なものの境界線上で歌い、踊る。何しろ境界線上なものだから、常に揺らいでいて、安定しない。だからこそ、緊張感やわくわく、ドキドキするような感覚がある。それが、米津玄師のかっこよさであり魅力なのだな、と私は思っている。

 米津さんが『感電』のMVを監督した写真家の奥山由之さんと出会ったことで、また新たな表現が生まれ、今までに見たこともないようなすばらしい作品が出来上がった。米津さんと奥山監督、関わったスタッフのみなさんが、楽しいことをしよう、という思いで、愛とリスペクトを持って作り上げたことがビシバシと伝わってきた。私はそれを言葉で聞いたわけではないけれど、あのMVを観たら、言葉で説明されなくとも、そこに込められたポジティブなエネルギーはちゃんと伝わってくる。だから、受け取る側の自分も、みなさんが全身全霊で生み出した作品や表現に対して、愛とリスペクトを持って受けとめたい思った。

 ドラマ『MIU404』の第3話でも、星野源さん演じる志摩が、キッチンでピタゴラ装置を再現したシーンで、「誰と出会うか出会わないか—。」それによってパチンコ玉の転がって行く先も変わっていく、というような話をしていた。これは、米津さんととてもリンクしている部分だと思った。米津さんも、様々な人たちとの出会いによって、新しい自分へと変化していき、新しい表現や音楽を生み出してきた。今までも、今この瞬間も、そしてこれからも、人との出会い、様々なものとの出会いの大切さを、米津さん自身と米津さんの音楽が示してくれている。

 新しいアルバム『STRAY SHEEP』のリリースまでいよいよあと3週間を切った。きっとそこには、また新たな、予想だにしなかった驚きやかっこよさが詰まっていることだろう。次は米津さんがどんな境界線上にいるのか、これからも目が離せない。

 

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