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“変わらない為に変わり続ける”ということ

SEKAI NO OWARIの10年は「破壊と創造」の繰り返しであった

「ミュージシャンになったんだ」

先日リリースされたSEKAI NO OWARI(以後、セカオワ)の最新シングル「umbrella/Dropout」を聴いて、僕はそう確信した。今読んでくださっている方は「何を言ってるんだお前は?」「初めからミュージシャンだろ?」そう思ったと思う。普通に考えれば、今年でデビュー10周年を迎えた彼らに対して向ける言葉ではない。それでもそれを承知の上でこんなことを書いている。
 
 
 

《鏡に映る私は透明だった/分かってた事でも知らないままの方が良かった》”umbrella”

CDを再生して、真っ先に鼓膜に伝わったFukaseの声は歌詞中にも出てくる「透明」そのものだった。透き通ったファルセット。何の迷いもなく、これは女性視点の曲なのだな、と思った。ただただ綺麗だった。消えてしまいそうで、それでも確かにそこに在る。
元々彼の声には人を惹きつける不思議な力がある。それがセカオワをセカオワたらしめる要素の1つであり、彼らが生み出す多様な曲を「セカオワの曲」にする所以であるとも思う。
 

時は2016年に遡る。
その年に行われた全国ツアー「The Dinner」は僕にとって人生で初めてのライブであった。セットや演出が素晴らしく、とても感動したことは、YouTubeにセカオワの公式チャンネルから投稿されている当時の映像を見て頂ければ想像が着くと思うが、なにより彼の歌声に圧倒されたのを覚えている。初めて生で歌声を聴いたからというのもあったかもしれないが、手を挙げるのも拍手するのも忘れてただ聴き入ってしまう瞬間が何度もあった。中でもライブが終盤に差し掛かった頃に披露された”MAGIC”は心に訴えかけてくるものがあり、今でもはっきり覚えている。

《僕がさ、こんなに頑張って生きてきたのに/本当に大切なモノさえ失ってしまうんだね/でも僕はさ、知ってるよ、それでも人生は素晴らしいと/生まれてきて良かったと僕は本当にそう思うんだよ》”MAGIC”

間奏でSaoriのピアノの音がエモーショナルに躍動し、せり上がってくる感情が僕の心のリミッターを壊していく。その後の最後のサビでFukaseは噛み締めるように、或いは誰かに言い聞かせるように、強く、強く、人生は素晴らしいのだと歌いきった。その瞬間、リミッターは完全に破壊され、抑えきれなくなった感情が涙になって溢れた。

今振り返って思う。あれは革命前夜のような瞬間だったのだ。紛れもなく、「The Dinner」からFukaseの歌声に変化が生まれた。
当時、Fukaseはこう語っている

「”MAGIC”で心電図の音が鳴りながら、奥さんが死んでいく場面があって。ツアーの最初は悲しく歌ってたんです。でも今はその10年後、静かに家で飲みながら、その時のことを思い出しながら歌ってるっていう設定にして。それだけで全然違うんですよ。そういうことがわかってきたんですよね」(ROCKIN’ON JAPAN 2016年 8月号)
 

そこからFukaseのボーカルにどんどん新たな魅力が生まれていく。
その後リリースされた”RAIN”にはFukaseのボーカルへのこだわりがぎゅっと詰まっている。
「柔らかいまま強くなきゃいけなかった」というFukaseの言葉どおり、スッと入ってくるのにしっかりとした存在感を持った曲。丁寧、という言葉がしっくりくるようなFukaseのボーカルは、一文字単位で拘って録られたもので、本当に大切に歌われていることがひしひしと伝わってくる。
 

更に、”サザンカ”、”イルミネーション”、などバラード曲が生まれる度、Fukaseのボーカルに磨きがかかっていった。そしてその集大成とも言えるのが今回の”umbrella”だ。
この曲についてのインタビューでFukaseは

「感情がこもってることと、感情がこもって聞こえることって、全然別だと思ってて。たとえば、映画、ドラマや芝居とかもそうなのかもしれないんだけども、実際にそう思ってることより、そう見えることの方が重要だと思うし。それを技術と呼ぶんだと思うんですけど。」(ROCKIN’ON JAPAN 2020年 8月号)

と語っている。

以前のセカオワは、ある意味ではFukaseの声を楽器のように扱っていたように思う。例えばエフェクターを用いて加工した声で歌う曲がある。また、感情を込めて歌うとそれが全て正しいと思って歌っているように聞こえる、という理由で敢えて感情を込めずに歌っている、と話していたこともあったし、それをFukaseが、自分は歌うロボットだ、と冗談めかして話していたこともあった。それは恐らくFukaseの声が元々持っているパワーが強すぎるからなのだと思う。そのため、彼らが生み出すメッセージ性が強い歌詞を、感情を込めてしまうとあまりに強くなりすぎてしまう。それが「The Dinner」から変わった。先述したインタビューで語っていたようにFukaseは術を見つけたのだ。きっとそのきっかけは”umbrella”のインタビューの中にも登場したボーカルトレーナーの先生との出逢いだ。今Fukaseは「伸びしろナンバーワン」というキャッチコピーでレッスンを受けているらしい。
先程、”umbrella”はFukaseの進化したボーカルの集大成だ、というようなことを書いたが、きっとこれからもっともっと、彼のボーカルは進化していくのだと思う。何しろ「”伸びしろ”ナンバーワン」なのだから。
 
 
 

Fukaseのボーカル以外のことにも触れていきたい。

昨年行われた全国ツアー「The Colors」でFukaseがベースを、DJ LOVEがドラムを演奏し、本来のバンドの基本的な編成と言われる編成でステージに立っていたことは記憶に新しい。
ベースとドラムがいないバンドを選んだのではなく、選ばざるを得なかった。だから初めはそれを埋めるように打ち込みでドラムとベースのパートを演奏していた、というのがDJというパートの始まりなのだそうだ。それから彼らはパートが欠けているというコンプレックスを可能性に変換していく。この編成だからこそどんな曲だってできる。そう言って彼らはロックバンド、という枠に囚われず多種多様な曲を生み出してきた。バイノーラル録音という方法で録った音を使ったり、スタジオに留まらず、ホールや体育館、野外でレコーディングを行ったり、花火や心臓、水、時にはバスケットボールをつく音など、音が出るものなら楽器でなくても構わない、と言わんばかりに様々なものを楽器のように用いたりして「音作り」に拘っていたように思う。
そんな彼らが「音作り」ではなく「演奏」に拘ったのが2015年にリリースされた”ANTI-HERO”と”SOS”であった。
この2曲には先に述べたような特異な楽器は使われていない。その代わりにそれぞれが演奏している音がはっきりわかるようになっている。音数を減らすことでNakajinのギター、Saoriのピアノがよく聴こえる。
“ANTI-HERO”では、気だるげに歌うFukaseに反して、鍵盤の端から端までをアグレッシブに鳴らすSaoriのピアノが印象的だ。
“SOS”では、全篇ファルセットで歌われるFukaseのボーカルは神々しさまで感じさせ、それを助長するように寄り添うピアノとギターの音色が心地良い。
それぞれ印象は「黒」と「白」というふうに全く違えど、どちらの曲もそれぞれの演奏パフォーマンスが際立って聴こえる。
 

そして曲のリリースやライブを重ね、2019年に2枚同時にリリースされたアルバム、「Eye」「Lip」では、先に述べた「The Colors」で披露されたようにFukaseがベースを、DJ LOVEがドラムを演奏している曲が収録されている。
ドラムとベースがいないからそれを逆手に取って自分たちにしかできない音作りをしていた彼らが、真っ向からバンドの編成というものに向きあって生み出した結果だ。
先述したようにその発端となったであろう”ANTI-HERO”と”SOS”がリリースされる前、「Tree」というアルバムについてのインタビューの中でFukaseは

「ここからはサウンド的にも、よりパーソナルになってもいいのかなって思ってますよね」(ROCKIN’ON JAPAN 2015年 2月号)

と語っており、彼らが自らと向き合って、演奏面に重きを置いていく、ということを意図的に行ってきたことが窺える。
だからこそ、「The Colors」はこれまでのセカオワのライブの中では比較的シンプルなライブだったのだろう。「The Colors」は、巨大樹や洋館や列車などの建造物は無かったし、動物に扮したオーケストラやダンサー、増してや料理人なんてもちろんおらず、ステージに立っていたのはメンバー4人だけであった。
それは冒頭にも書いたように、彼らが「ミュージシャン」になったからなのだと思う。
今挙げたように、セカオワのライブは幻想的な演出も多く、セットやストーリーにとても拘っていた。
そんな彼らが、大掛かりなセットや一つの物語として完成された世界観をとっぱらってライブを行ったということ。それは、シンプルであるが故に、メンバーが実際に歌っている歌や、演奏が際立つということだ
 

もう一度言う。
彼らは、「ミュージシャン」になった。
音や光を自在に操り、音楽や空間を華やかに彩って僕たちを笑顔にする「エンターテイナー」から、歌や演奏に拘り、僕たちに感動を与える「ミュージシャン」になったのだ。
 
 
 

では、何故彼らは「ミュージシャン」になったのか。
何故、「ミュージシャン」にならなくてはならなかったのか。
 
 
 

それは、「変わらない為に変わり続ける」必要があったからだ。
 
 

《変わらない為に僕らはいつまでも/変わり続けるよ》”アースチャイルド”

これは2013年にリリースされた「RPG」に収録されている”アースチャイルド”の歌詞である。この曲は、セカオワが結成される前に自分たちの手で作り上げたライブハウス「clubEARTH」で過ごしていた時のことをポップなメロディーに乗せて語られている曲だ。彼らは「SEKAI NO OWARI」である前に幼なじみである。元々音楽をするために集った4人では無い。4人でいることが前提であり、4人でいられるなら、極論、音楽でなくても良かったのかもしれない。そのため、4人を繋ぎ止める何か、デビュー10周年を記念して行われたインタビューの中で、Fukaseは「洗脳」という言葉を用いているが、そういった皆が散り散りにならないためのものが必要だったのだと思う。その1つが「clubEARTH」だったのだろう。
それから今日まで、彼らは多種多様な曲を生み出してきた。カテゴライズされることを嫌い、「SEKAI NO OWARIってこういうバンドでしょ?」という世間の認知を尽く、意図的に、壊してきた。それは、カテゴライズされる、ということはその「らしさ」という言葉に縛られて不自由になってしまう、と彼らが気づいていたからではないだろうか。
つまり彼らが「SEKAI NO OWARI」として変わらないまま存在し続けるには、常に変わり続けていかなければならなかったのだ。
 

2015年に行われた「Twilight City」というライブはファンタジーな世界観のライブの最高ものになり、彼ら自身も満足できるライブになった。次のライブである「The Dinner」は「前回のライブを否定する」というところから始まったライブであった。そこまでしてストイックに「妥協」になりうることを潰して前に進む、ということが彼らには必要だった。
それは彼らが「SEKAI NO OWARIとして音楽する」という旗を掲げた以上、彼らはもう「SEKAI NO OWARI」としてしか存在し得なくなったからだ。
だからこそ彼らは「エンターテイナー」になり、更に「ミュージシャン」になった。
結成してからは、売れよう、とにかく自分たちのことを知ってもらおう。老若男女問わずファンが増えて、ライブの会場も大きくなってきてからはそれぞれの技術を向上させよう。そうやって変化や進化(深化)を積み重ねてきたのは、紛れもなく、この4人が「SEKAI NO OWARI」というバンドを心から大切に思い、ずっとこの4人でいたい、という思いを共有していたからだ。
4人それぞれが「SEKAI NO OWARI」というバンドの存在を心から愛しているのだ。
 

《いつまでも、僕は この四人でいたいと、/それは狼のように月に吠えてたんだよ》”broken bone”
 
 

彼らのメジャーデビューシングル「INORI」はトリプルリードになっていて、”花鳥風月”は作詞Saori、作曲Fukase、”不死鳥”は作詞Fukase、作曲Nakajin、”Never Ending World”は作詞Fukase、作曲Saori、というように3人がそれぞれ曲に関わっている。それももちろん意図的に執られた方法で、当時Fukaseはこう語っている。

「まあよく言えば、そろそろふたりを出したかったし、厳しく言うと、俺のうしろに隠れて欲しくなかったんですよね。これまでは俺がメインで曲を書くってなっていたけど、実際のアレンジだったり、その先は違うことが多かったんで。ちゃんとその現実を、そのまんま出すためにはこのトリプルA面という形が必要だった。」(ROCKIN’ON JAPAN 2011年 9月号)

その思惑通り、彼らがメディアに出演するようになったばかりの頃こそ、Fukaseの紹介の際に「作詞作曲を1番多く手がけている」という言葉を耳にしたが、今ではめっきり無くなった。彼らがコツコツ積み重ねてきたことの証明である。
 

そんな中、SaoriやNakajinはインタビューなどの中で時々「自分が必要とされなくなる不安」を抱えていることを明かすことがあった。それは2人が何より「SEKAI NO OWARI」という存在を大切だと思っていることの証とも言えることではないだろうか。

「Twilight City」で披露された”PLAY”はSaoriが作詞作曲を手掛けており、彼女自身も曲中でボーカルを務めている箇所がある。

《「冒険の始まりは僕の中の/-ここじゃないどこかへと行ってみたい気持ち-だから/どんなに険しい道にはばまれようと/その気持ちこそが僕の唯一の魔法だよ」》”PLAY”

FukaseとSaori、2人の声が重なってそう歌われた後、曲の最後には前に進もうと決意した曲中の主人公(=Saori)の背中を押すように、アウトロではマーチングバンドが高らかに音を鳴らす。
この曲についてSaoriは

「”PLAY”は、自分にとって、初めてひとりになった曲。ずっとそうならなきゃと思ってたのに、それができなくて、無理矢理ひとりになって困った曲です。ただ自分にとってはすごく大切な機会だった」(ROCKIN’ON JAPAN 2015年 2月号)

と語っている。
 

それと同時に、「The Colors」で披露された、Nakajinが作詞作曲とリードボーカルを務める”Goodbye”がとても印象的だったことを思い出した。先に述べたような不安を明かしていた彼が、ステージにメンバーを残し、1人でセンターステージに歩いていって、自らが作詞作曲を手掛けた曲を歌う。その姿がどこまでも頼もしく、今も胸に焼き付いている。

《絶望も 焦燥も 嫉妬も 孤独も 挫折も すべて/ただ永く強く光るために》”Goodbye”

あの場で彼が歌ったこの曲には、彼が不安や恐怖を抱えながらも、これからもセカオワの一員として曲を生み出していくこと、力強く歩いていくことへの決意が滲んでいる。
 
 
 
 

今日の彼らは、多様な曲で多くの人を魅了し、その輪を世界にまで広げようとしている。
音楽は魔法だ。ある時は胸の内の蟠りを涙として吐き出させてくれたり、またある時は、涙を止めて前を向く勇気を与えてくれたりする。心を天気に例えると雨も晴れも雪も自在に操ってしまう、そんな魔法。そして人々は音が鳴るところに集う。笑顔や涙を求めて。
その輪の中心には彼ら4人の姿がある。彼らの魔法は彼らの努力と絆の結晶である。音楽とは無限の可能性を秘めた素晴らしい魔法なのだ。

《僕らが会えない理由を/説明出来る人にはノーベル賞/あげたいくらいでしょ?/だから言わせてよ「See you again」》”周波数”
 

彼らが歌う「ファンタジー」は祈りである。辛い日々を乗り越えるための一筋の光、希望である。それはある意味では現実逃避と呼ばれるものなのかもしれない。夢はいつか覚めるように現実はすぐ側で待ち受けている。魔法はいつか解けてしまうから現実はいくら逃れようとしてもすぐそこに在り続ける。
彼らは「世界の終わり」だとすら思うような絶望から始まった。そんな彼らだからこそ、「ファンタジー」として歌われた曲が希望になる。音楽を聴いている時だけでも、と縋る僕たちにそっと手を差し伸べてくれる。

そして同時に現実を見つめている。当たり前だと思っていることは本当に当たり前なのか、感覚が麻痺しているだけではないのか、と僕たちに問いかける。
希望がなければ生きていくのは困難だが、夢を見ているだけでは生きていけない。
ファンタジーとリアルを両側から見つめ、どちらも同じように大切に歌うから、彼らが生み出す曲には説得力が伴うのだ。
 
 
 

彼らの音楽はこれから国境を越えて、ともすれば次元すらも越えて、多くの人に魔法をかけては誰かの絶望に希望を灯していくことと思う。そして今よりもっと沢山の人たちを輪の中に巻き込んでいくのだろう。そして、その中心には彼ら4人の絆がいつまでも輝いているはずだ。
きっとこれからも新しいことに挑戦し続け、今までもそうしてきたように、誰かが言った「できっこない」を裏切っていく。
もちろん、何よりも、彼らが「SEKAI NO OWARI」であり続ける為に。

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