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頭を殴られるような衝撃をよけたらタンスの角で小指をぶつけて痛い

ジョン・アバークロンビー「Gateway 2」を聞きながら思った

アメリカのジャズミュージシャンの3人、ジョン・アバークロンビーとデイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットが組んだこのグループは「Gateway」という。最初のアルバムは1975年の「Gateway」だ。この3人組は3年後の1978年に「Gateway 2」を発表している。

知らないアルバムの音楽を調べてみるとき、インターネットの情報から当たっていくのは今の時代、普通に行われているのだと思う。1975年の「Gateway」の音源は、YouTubeに出ているのだろう。僕はそれを聞いていないけれど、「Gateway」から次の展開を探ってゆくために「Gateway 2」がどんな感じか聞いてみたかった。いくら探してもそれは何処にもない。どうしてか見つからない。そういう事がよくある。そんな時、別の方法を当たるとしたらどうだろう。例えばAmazonのサイトなどで、その商品となるアルバムを検索してみてカスタマーレビューを見てみることもある。他にあるとしたら個人的なブログか何か、誰かが発信した情報を参考にするのもいい。大体にしてインターネット以外の手段が狭められている気がする。ある音楽の情報を知るために、それがどの本や雑誌に載っているかなんて事を探し出すのはなかなかに難しい問題だ。たとえばジャズならジャズ誌や特集号、歴史本を当たってみる。それでも史上に非常に重要な名作でもないかぎり詳しくは取り上げられていないのだろう。ようやく見つけたものがたった数行の情報でしかないという事も多く、正確に役立つのかというところも不安だ。それならいっその事、誰かの情報を当てにせずにそれ自体を自分で手にするのが早い。こんな当たり前の事を書いているので間抜けで困る。インターネットの情報が必ずしも最新だとは言えない。情報というものは常に動いてゆくし、埋もれていく。しかし知らない音楽を手にする前に踏まえておきたい知識は幾らかでも必要だ。

ところで僕は、以前にジョン・アバークロンビーの名前をどこかで聞いた事があったのかもしれない。記憶を辿れば自分が20歳頃だ。これから聴いてみたい知らないジャズの音楽がどういうものなのか、インターネットで検索した。そこで幾つか見かけた、アバークロンビーという聞き慣れぬ名前。内容は記憶に定かでない。とりあえず読みにくい名前だ。アバークロンビーじゃなくってアーバークロンビーなら納得がいったかもしれない。そういう問題ではない。読み方が何であろうと記憶に引っ掛かりのある名前なのだろう。

でも忘れるものは忘れる。

僕は高校生の時から1970年代のプログレッシヴロックを好きになっていった。音楽への傾倒がジャズへと向かったのはその流れからだった。プログレがイギリスのロックの一部というだけでなく、ヨーロッパ各地のロックへと拡がっていたのを知ったのもその20歳くらいの時だったのだろう。アメリカなら、プログレはロックよりもジャズフュージョンの方面に共通性がある。そうして、時代を積み重ねてきたアメリカのジャズの世界には多数のミュージシャンがいて、その一人一人を追ってゆくなら参加作品は多数ある。一つ一つを見極めて時代の変遷まで捉えて追っていくとすると手に負えないような気もする。

とりあえずジョン・アバークロンビーという名だけ記憶の何処かに置いていたのか。次にアバークロンビーの名前に出会ったのは、ジム・オルークのインタビューを読んでいた時だったかもしれない。時は20年近くも過ぎていた。
ジム・オルークは好きなギタリストの中に、ジョン・アバークロンビーを挙げていたのだと思う。アバークロンビー、なんか聞いたことあるぞ。誰やったかなぁ…..その名の記憶を辿りながら、噛み噛みの滑舌の悪さでようように発音してみるアバークロンビー….アバークロンビー….やっぱり言いづらい名前だ….あごが外れそうだ。

そんなこんなアバークロンビーはさておき、僕はジム・オルークに興味を持つ。得意のインターネットを駆使して外れかけた顎の治し方を見てみるでもなく病院を探すまでもなく僕は、このままでは良しとせずに、精一杯の検索をした。顎の調子を気にしながらマウスを舌妙なタッチで卓上に滑らせた。出てきた答えは、元気があれば何でもできる、迷わず行けよ行けば分かるさ、ありがとう、だった。一体何を検索していたのやら。それから感謝の念に堪えませんとの気持ちのもと、ジム・オルークのフェイヴァリットミュージックなるページを発見した。JOHN ABERCROMBIE「Gateway」のアルバムはそこに挙げられているリストの中から見つけたのだった。ジムさんありがとう。僕は何故だかリングの上にいて赤いマフラーを肩に掛けていた。1、2、3、の続きを言うのはやめておく。

「Gateway」気になるのは音楽の内容だけじゃない。ジャケットデザインを見ると、なかなか好きな傾向の絵が使われているから想像力は膨らむ。これは雨の音楽かもしれない。そして1975年という時代、ジャズに於けるこの時節は絶妙だ。アコースティックジャズの主流はエレクトリックジャズにも転換し、多様な表現法を獲得したが、そこからのクロスオーバーの時代に亘って、さらに過渡期にも当たるところかもしれない。
またこのアルバムは1970年代以降の代表的なジャズレーベル、ECMから発売されているらしい。そう想えば、自分がかつてインターネットで調べたジャズの情報のなかにECMの事が、いろいろ書いてあった、ような、気がする、のかもしれない、斯く斯く然然、という、もやもやとした記憶を取り戻した。以前にECMのレーベルから出ていたキース・ジャレットのソロピアノのレコードを聞いたような気がするという記憶の欠片。もらったレコードのなかに偶然入っていたECM作品。ジャズと思って聴いていなかった。それ以来ずっとECMの方向性を感じたつもりになって、興味を持っていなかった。ジャズと言えば、全盛期モダンジャズの有名なマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンのような代表格の印象、あるいはイメージ通りの夜の音楽、熱情、気圧の強い音楽、だと思っていた。しかしECMはモダンジャズとは異質な冷たい印象があるのかもしれない、と勝手な想像力が働く。それは全体的なデザインの印象に依るものではあるのだと思う。1970年代という時代の視点は冷ややかであったのかもしれないという側面を見る。そして、熱気を越えたあとの黎明期、模索の時代を、象徴する内省的な心象。
ECMの立ち位置、視点は気になるが、”The Most Beautiful Sound Next To Silence”という言葉による定義と概念には共感したい。

“沈黙の次に最も美しい音”….素敵じゃないか。

そうして実際に今「Gateway」を聴くと、このECM産の音楽は、それ自体は熱いと思う。自身の事を言えば、20年近くの期間、沈黙をしたつもりのままうつらうつらと居眠りを続けてふと気がついた朝靄のなかで改めて喪失したものは大きかったのだと思った。それならば、新しく迎える”breakthrough”そして”gateway”
昔からこの音楽を知っている人からしたら、今からECM?何を今更、なのだろうか。しかしこれはジャズファンが難しい顔をして流行りのマスクに隠れながらに密やかに、ひとり分だけと言わずに買い占めをして押し入れや棚の中に取っておくだけの音楽ではないと思うのだ。

と言いながら、自分はこのレコード盤を、他の誰かに買われて売り切れる前に我先にと手に入れたのだった。そして今は大事に大事に箱のなかにしまっているのだった。眠気と疲れを言い訳にして、聴くことを後回しにして、無為に日々を過ごしているのだった。だからこそ、ここでその事を書いている。音楽の事を書いている。このままではいけないと思う。
“timeless”
音楽に早い遅いはないと信じよう。

「Gateway」はジョン・アバークロンビーのソロアルバムではない。これは「Gateway」というグループ名だった。1作目は彼ら3人の連名作品となっている。音楽を聴いてみると、アバークロンビーのギター、ジャック・ディジョネットのドラム、デイヴ・ホランドのベース、このなかの誰が主体としてリーダーとしてそのように振る舞っているふうには聞こえない。各々の存在感は凄まじい。三者の波と波間と、うねりと調和と軋轢、発火点はジャック・ディジョネットのリズムか。ビートが爆発的に炎上すればギターも共に焔を吹き火柱を上げる。彼らの自由が揺らぐところの音楽を、しかしベースが補助的な役割として支えているわけでもない。蜃気楼よりも近く、高熱の温度を体感させない遠さ。三者は近すぎもせず、放たれすぎず、崩れないバランスで動きを止めない。無数の音の破片と千切れない一本糸。連続と複雑が行き着くところの1への回帰。刺激に心地好く耳をすませば、ノイズと破裂音は内省と沈黙を及ぼし始める。求めるものをはぐらかされる焦燥も、極めて純度の高い音響と音列のなかにあっては、不可解な真実と錯覚する。

レコードでいうサイド1ではジョン・アバークロンビーの演奏がジャズギターのトーンでまとめられている一方で、サイド2ではロックのエレクトリックノイズ、ディストーションが多用される。サイド1を聴き終わり、面を返してサイド2を続けて聴けば、そこからの音量音圧は凄まじい。思わずヴォリュームを下げようかとなるくらいだ。調べるとアバークロンビーが影響を受けたギタリストの一人としてジミ・ヘンドリックスが挙げられているのだけれど、このギタースタイルからは、ロックなら例えばアラン・ホールズワース、フランク・ザッパ、オリー・ハルソールというようなギタリストのソロ演奏を想い起こさせる。彼らのギターソロがノイズを伴って超絶に展開されていくある瞬間を彷彿とする。ジョン・アバークロンビーのこの時期のスタイルは明らかにロックの時代と共鳴する。同じ時なら、ビリー・コブハム、ジャック・ディジョネットやデイヴ・リーブマンの作品に参加しているアバークロンビーの演奏にその面を見る事ができる。彼らの演奏はジャズの世界のオン・ザ・コーナーからロープ・ア・ドープを伝って翻ってリズミックにリング上を駆け巡り、ロックの世界に向けて逆転の延髄斬りをかませる。炎のファイターはジャズの世界にもいる。

1970年代の終わりに近づくにつれ、アバークロンビーのギターのトーンは、しかしそのようなロックから、よりジャズの印象へと収束されてゆくのか。「Gateway」初作から3年後の1978年「Gateway 2」では明確にディストーションギターが封じられているようだ。1作目の凄まじいほどのリズムの臨場と躍動の感覚は、より一層深く内省に向かっている。これならば、この音楽が”ジャズである”と表現できるような音像に転じられていると言えそうだ。三者の演奏がより有機体に近づき、ひとつのトーンとして動いてゆく様は心地好くも、更なる集中力を要する。そして繰り返し聴きたくなる。

見せかけだけではなかった音楽。
「Gateway 2」を聴き終われば、再び「Gateway」の1作目に戻りたくなる。自分のなかに残された感覚を再確認すること触れることで、記憶は心象風景として深く浸透していく。ここには白の世界があった。内証には雨が降っていた。見えない音を捉えてゆくための理。音楽を全体で感じようと、立ち上がる音像を空間で捕らえる。深い考察は要らない。分析を試みることも。ただ自分は沈黙するのみだ。
 

ところで
僕は20歳頃にイギリスのカンタベリーミュージックのジャズをよく聴いていた。印象的なアラン・ゴーウェンというキーボード奏者がいる。彼が中心となったギルガメッシュというグループの1作目「GILGAMESH」は1975年だった。続く作品「Another Fine Tune You’ve Got Me Into」は1978年だった。そして1981年にアラン・ゴーウェンは亡くなるのだけれど、その遺作となる「Before Word Is Said」も消え失せない記憶だ。
“言葉を発するまえに” これも”沈黙”と意味するところが通じるものかと思う。今思えば、彼らが影響を受けていたのは、ECMサウンドなのか、音色が通じるのかもしれない、という気がした。
またギルガメッシュと同じ時、カンタベリーミュージックの代表的なハットフィールド&ザ・ノースというグループがいる。ハットフィールズに強い影響を与えたのはフランク・ザッパの音楽だと、ザッパを聴くたびに気付いてもいるが、自分にはZAPPAの奇想天外音楽よりも、あるいは一般的なアメリカのジャズフュージョンよりもカンタベリージャズが何故だかしっくりとくる。そんな時がずっと続いてきた。キーボードの音色が及ぼす意識の深いところへまでの探索。その印象を消さないまま時は過ぎゆきて。

いま、ジョン・アバークロンビーによるECMに於ける1作、1974年発表の「TIMELESS」を見てみれば、ここにはドラムのジャック・ディジョネット、キーボード奏者にヤン・ハマーがいる。ヤン・ハマーは発見だった。JAN HAMMERと言えば、ジェフ・ベックの75年以降に始まるフュージョンミュージック期に係わるミュージシャンだ。そうして彼はそれ以前には、マハヴィシュヌ・オーケストラというグループに在籍していた。またマハヴィシュヌに居たビリー・コブハムとの関係も気になる。そう思えば、マハヴィシュヌ脱退後のビリー・コブハムのグループによる1973年のアルバム「SPECTRUM」のロックギター系ジャズフュージョンのサウンドはジェフ・ベックの方向性に影響を及ぼしたと言われている。その時にそこでギターを弾いたのはトミー・ボーリンだった。そしてその後にグループのギタリストになったのがジョン・アバークロンビーというわけだ。近々に共演するヤン・ハマーの動向という面から、ジェフ・ベックもJOHN ABERCROMBIE「TIMELESS」を聴いていたにちがいない、と考えれば、次に当たる「Gateway」もそうかもしれない。
ジェフ・ベックによる1975年の「BLOW BY BLOW」から「WIRED」はロックファンからジャズフュージョンファンに亘るまで名作として認知され幾度も再評価されているのだろう。しかしそれなればこそ、ジョン・アバークロンビーは凄いぞ。「TIMELESS」のアルバムでは、ヤン・ハマーの存在感も強く、時にオルガンジャズの様相がある。負けじと対するエレキのアバークロンビーと、慌ただしいリズム洪水のジャック・ディジョネット。通低音は重く、沈静につき、言語を拒むかのようだ。ここにもカンタベリージャズと通じるところを見いだせそうだ。

自分はやはり、原点へと帰るのだと思う。
音を聴くうえで重心となるものは、沈黙かもしれない。言葉を発するまえに、いったん息を深く吸い込み、考えを巡らせるのはやめにしよう。音楽が降っているときくらいは。
 

ところで俺は雲を呼び、
そんなうたを心では唄い、雲は呼んでも来ないから全然違う方向へ歩き始めて、全然違う事を書き記していきたい。

僕は、JIM O’ROURKEのアルバム 「SIMPLE SONGS」を聴く。音楽はふつうのようでいて謎に包まれているのがよい。
そしてアルバムを聴くなら、30分から40分くらいがちょうどいい。まさにレコードを再生する時間だ。集中力はそれくらいしかないのだから。70分も80分にもなるCDのアルバムを聴きたい気持ちにはならない。そしてサブスクなるもので勝手なリストを、作っては消して単なる1曲だけを取り除いてそこだけを聴いていたくない。繰り返しは良い事だけれど、広がりと深まりは大切だ。

僕は、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのアルバム「SABRINA NO HEAVEN」をレコードで聴く。
CDの時代なら、これはミニアルバムなんてことを言われていた。30分くらいの長さ、それならCDよりもレコードに収まると、ちょうどいい。レコードの時代には30分くらいのアルバムが当たり前のようにあったのだ。「SABRINA NO HEAVEN」は良いアルバムだと思う。このレコードはなかなか見つからない、レアなアルバムなのかもしれない。
 

音楽に衝撃を受けてこの旅は始まった。
聴かない人生よりも聴いてきた人生の方が素晴らしかったと間違いなく言える。音楽に頼って生きてきたわけじゃないけれど、もしもこれから音楽が自分に衝撃を与えてくるとしたらどんなものだろう。

頭を殴られるような衝撃をよけようとしたら、タンスの角で足の小指をぶつけて痛い。ケンケンをしながら涙目で笑いながら痛い痛いって誰かに言えたら、そんな人が居たら、家族わいわいと、そんな面白い状況があったら、これからの人生も楽しいのかもしれない。

痛みが治まったら、どの音楽を聴こう。
「Gateway」が良いんじゃない?

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