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藤井 風、岡崎体育に学ぶ スランプのかわし方

がんばらなくてもいいんだよ。

収まりかけたと思いきや、最近になり再び感染が全国に広まってしまった新型コロナウイルス。不気味なウイルスに“ふつうの生活”を奪われてだいぶ経つが、最近は疲れやストレスを感じる人が増えたと聞く。
言われてみれば私も自粛生活に長々と続く梅雨も加わったせいか、気分が冴えない。TVをつけても毎日のように目にする悲しいニュースに、心が負けそうになるときも。
誰かは唄う。「やまない雨はない」と。だとしても、こんな先の見えない世の中じゃ、いつ晴れるのかも判らない空を必死に掴もうとする暮らしはツライ。

忍耐、根性、全力投球・・・・・・

アラフィーの私が駆け抜けた時代には、KANの『愛は勝つ』やZARDの『負けないで』、ウルフルズの『ガッツだぜ!!』など「頑張っていればいつか願いは叶う」と叱咤激励する“スポ根的な応援歌”が共感を得た。
汗水垂らしてがむしゃらに・・・なんか自分に似合わないし、そのテの応援歌はこそばゆくて避けていたけど結局、泥臭く立ち向かわなきゃ私の願う場所やモノを手に入れられなかった。だから器用じゃない私は何度壁に突き当たっても、常にアクセル全開で突き進むしかなく。
確かに得られたモノもあった。でも、その裏でどれだけ失敗や挫折をしたか数え切れない。
全身全霊かけた結果が“今の私”ならば、この姿は果たして成功と言えるのか?(自信ない) ただ、あの頃を端的に表わせば、「スランプもいい経験だったけど疲れた、キツかった」と思わず本音が漏れてしまう。

そんな生き方で来てしまったから、人生の折り返し地点に着いたとき、「これからは頑張りすぎない。歯を食いしばるほど我慢しない」と誓った。少しぐらい気を緩めたり手を抜いたりしても、そろそろ“許される”んじゃないか?と本気で思うのだ。
周りの期待に応え優等生を演じ、真面目、しっかり者と言われ続けて、ちょっと疲れたせいもある。人にお尻を叩かれるより、自分の判断で気持ちに緩急つけたい性格だから、真っ向から「頑張れ!」と発破かけられるの苦手だし。
無理して頑張ってココまで辿り着いたから、今後切羽詰まることがあっても“肩の力を抜かせてくれる”そんな音楽に励まされたい。

たとえば、藤井 風のこんな歌。
 

<さぁ羽のばして ここから 捉われてばっか だったから
行き詰った悦び手放す時は今
心軽くして これから 自由に歩いて みたいなら
すれ違った人だって過去だって怖くない>
 

<もうええわ 甘い夢ばっか見させんといて
もうええわ 要らんことばっか聞かせんといて
もうええわ 手放したいもの今全て この空に捨てて
もうええわ 何が大切なん?よう選んで
もうええわ そう思うならサッサ手放して
もうええわ 自由になるわ
泣くくらいじゃったら笑ったるわ アハハ⋯>
 

藤井 風が「人生における全ての重荷の放棄、人生のあらゆる執着からの解放」をテーマに、ジャパニーズ・ヒップホップの影響を受け仕上げた『もうええわ』。歩くテンポに丁度いいメロディに何パターンもの<もうええわ>がリフレインされ、余韻となり耳に残る。
夢が叶わず前に進めなければ、“抱えていること、縛られているもの”を手放せば自由になれる。泣く時間があるなら、いっそ笑ってしまえ、“発想の転換”をせよと“光さす”方へ導くように彼は唄う。
悔し泣きじゃなしに、アハハと笑い飛ばしてしまう藤井 風の肝の据わり具合が痛快。どこかの尊い僧侶の教え並みに有り難い言葉に目から鱗。笑う門には福来たる。私も泣くより笑える人でありたい。

もし、彼がこの歌をすべて標準語で唄っていたら、ここまで心に響いただろうか? それはそれで別の受け取り方ができるのかもしれないが、九州生まれ関東在住暦30年超の私でも喜怒哀楽はやっぱり方言で表わしたい。この歌は藤井 風のあの岡山弁で唄われてこそ耳馴染み良くなり、言葉の説得力が増したと言える。とりあえず<もうええわ~>と口ずさむだけでも、胸のモヤモヤと部屋の悪い気が消える即効性は絶大。
だからこの先、私が何かに迷っても『もうええわ』を唄えれば平気。そして
<何が大切なん?よう選んで>と己に問い掛け、<ぬけた 阿呆なゲームいちぬけた>と執着を<サッサ手放して>進んでいけるよう、しなやかに年を重ねていきたい。

※<>内は藤井 風【もうええわ/アルバム『HELP EVER HURT NEVER』】より抜粋 
 

同様にサビを唄いながら凹んだ気分を癒やせるのが、岡崎体育の『なにをやってもあかんわ』だ。
話題のTikTokで“腹太鼓”ダンスが注目され、年間楽曲ランキング2019年第一位を獲得したので、この面白映像をきっかけに、歌詞に共感し元気になれた人もいるだろう。
 

<もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな
もう実際問題あかんとおもった時点でもうあかんわ
もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな
もう一体全体なんなんだ もういっそ一生寝たろかな>
 

いきなり“あかん”連発のボヤキから始まり、早々に<もういっそ一生寝たろかな>と“ふて寝”を選んでしまう後ろ向きなメンタルに、岡崎体育の私生活が見えて親近感が湧く。
 

<筋書きのない昼夜逆転劇は宝の山か それとも臓器肉骨神経蝕む墓場か
西日の台所で一人で食うボロネーゼ(冷凍食品)になんか泣きそうだ
潜在的にはトップオブザワールド 感覚的にはアカデミー賞
現実的には烏合の衆のそれ以下の以下の以下>
 

理想像とかけ離れた現実に嘆く男の悲哀が、“西日”“冷凍食品”“烏合の衆”など情景描写の細かさによって、浮き彫りになる。けれどこの歌が救いようのない男の嘆き節にならないわけは、岡崎体育特有のキャッチーな言葉を鏤めるセンスの良さにある。
劣等感や自虐的な要素を盛り込みながら、“希望”や“小さな幸せ”をほんのり匂わせたりして、ホントにこの人は愛らしい。
<もうなにをやってもあかんわ>とゲームオーバー感を全面に出しつつも、
<もう実際問題あかんとおもった時点でもうあかんわ>と冷静に自己分析できてる。裏を返せば「あかん」と直ぐに決めつけなければ、その先の展開を変えられる“望み”がまだあると、ちゃんと気づけているってことだ。
 

<全身全霊お利口な子 でも憧れてるのはヒップホップの人
天津飯と酢豚のセット 幸せのカタチやな>
 

理想と現実のギャップに悶々としてるのに、目の前に出されたごはんに食欲そそられる。この弱さと滑稽さが人間臭くて特に好きだ。
<天津飯~>のこのフレーズだけで、出来たての湯気とカラフルな色味とお腹の鳴りそうな匂いが漂う。聴けば確実に頬が緩んでしまう。
岡崎体育の歌や映像には、かなりの頻度で食べ物や食事に関するシーンが登場する。私は日頃から「生きることは食べること」と感じている。相当心がダメージ食らわない限り、悲しいことがあってもお腹は空く。この歌の主人公は「もうなにをやってもダメだ。一生寝てやる!」とヤケクソなくせに、こってりした中華に涎を垂らす余裕も“幸せ”を感じてる時間もある。だから彼は“生きる気満々”なわけで、つまりこの歌は“絶望”を唄ってなんかない。
むしろ、サンボマスターにも通じる“青春パンク”なバンドサウンドには生命力が漲っている。グズグズな長梅雨も蹴散らしそうなスピード感と岡崎体育の仲間達による和気藹々なコーラスが気持ちをアゲてくれる。

※<>内は岡崎体育【なにをやってもあかんわ/アルバム『SAITAMA』】より抜粋
 

忍耐、根性、全力投球・・・・・・

世の中的に我慢を強いられ、思うようにいかないことが多い日が終わりなく続くけれど、人生にはメリハリや息抜きが必要。私はこれらの歌をお守りにして、頑張りすぎず求めすぎず、目の前にある小さな“喜びや楽しみ”に気づけるように穏やかに暮らしたい。

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