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米津玄師とパブロ・ピカソ

感電MVが示す光

何事もなければ東京オリンピックが開催されるはずだった2020年、いつになく不穏な状況のまま世界は夏を迎えた。だが、この人の生み出す感性は、そんな中でも異彩を放っている。
事前の予告動画も効果的で話題になった。それは2020.7.10金曜日23時。ドラマMIU404第3話の放映が終わった直後、その主題歌「感電」のMVは公開された。その内容はタイトル通り衝撃的な物だった。
また新しい扉が開いた。誰がこんな米津玄師を想像出来ただろう。笑い転げ、初見でラスベガスかと思う位派手な光と銀色のダンサーをバックに踊り、車に駆け上がり、猫と戯れる。挙げ句の果てには、パンダの乗り物からの飛翔…。お洒落な曲調からイメージしていた
MVとは、まるで違っていた。
鮮烈であり痛快だった。犬と象(コーヒーカップ)も登場して幼児回帰かと思う、おもちゃ箱のような作品。ふと脳裏に浮かんだのは、ライブツアー「脊椎がオパールになる頃」の「ごめんね」での演出。無数のシャボン玉が飛び交う中歌い踊り、無邪気な一面を覗かせた。ライブ会場でみたあの姿も同じように鮮烈だったのだが、もう一つ唐突に思い出したのが、ある画家の存在。
パブロ・ピカソ。そうこのMVの衝撃は自分がピカソの絵画を初めて見た時に受けた感覚に近かった。
ピカソは時代時代で変化し、その絵のインパクトと共に西洋画壇を駆け抜けて行った誰もが知る画家の一人だ。米津さんの今がピカソで言う何時代に当たるのか、音楽と絵画、比較対象にならないかもしれないが、止まることなく進化を続け、時代を味方につけている点ではピカソと同等に感じる。
彼らは見方を変えれば世界は変わると、遊び心のある作品を通して喚起しているかのようだ。ピカソは独創的な対象の見方、描き方で。世間を煙に巻いているかのような、このMVも。
「感電」で人生の中のきらめきは一瞬だと、米津さんは歌う。きらめきが儚い事を知っていたはずなのに、いつの間にか光を失って人は平凡に帰る。平凡な人生は不幸な人生より遥かにマシなのに、実際に不幸になってみないと平凡の幸せに気づけない。
作品の中で、もう一人の自分に怯える米津玄師と一緒に、私は不思議な夢を見ている。中毒患者の様に何度も動画の再生をタップしてしまうのは、ただひたすら彼と同じ物語が見たいから。そして緑の米津玄師が見ている、もう一人の自分は彼のほんの一部に過ぎない。ピカソが飽くなき探究心でキュビズムに辿り着いた様に彼が、これから何を見つけて行くのか、楽しみで仕方がない。米津さんには、まだまだ、たくさんの引き出しが隠されていると思うから。
「感電」のMVはその序章に過ぎない。親切なようで突き放されているようで、でも結果的に楽しくて、いままでの作品とは異質な印象を受ける。更なる進化が感じられて、とてもいい。私は予想も期待もプレッシャーも軽々と超えて歩んで行く彼の姿を、今はまだ尊敬することしか出来ない(本人は軽々と歩んでなんかいないと思っているかも知れない)が。
米津さんは今年のライブでオーディエンスに「もっと歩み寄って欲しい」と言っていたと聞いている。将来、聞き手が歩み寄らないと聞こえてこない音楽を、米津さんが作ろうとしてるんだとしたら、とても手強いし、その時に私はどんな風に、その未知の創作を受けとめるのだろうと考える。そんな不安とも希望ともつかない事を思いながら、手癖のようにまた再生をタップしてしまっている。
活気に溢れた極上の作品は今、下を向いてしまっている人にも、きっと届いているはず。たとえ、それが。
たった一瞬のきらめきだとしても。

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