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音楽が与えてくれるもの

デイヴ・リーブマン「Drum Ode」をずっと繰り返している

デイヴ・リーブマンによる1975年発表のアルバム「Drum Ode」を最近になって初めて聴いた。読んでいた雑誌の特集記事にこのアルバムの事が書いてあったのを見たのはもう10年くらい前のことだと今気付く。
ジョン・アバークロンビーのグループのアルバム「Gateway」に興味を持ったきっかけで、同じECMレーベルから同じ年に発表されている「Drum Ode」を今聴かないわけにはいかない。改めて気が付くのは、そこにマイルス・デイヴィスの存在ありということだ。
ロックを入り口に音楽を聴き始めたのなら、ジャズの世界に足を踏み入れる時の筋道は、マイルス・デイヴィスではあるのかもしれない。マイルスの歴史にはロックと共鳴していた時期があって、ロック好きの自分にも入って行き易いところではあるのだと思う。ところでデイヴ・リーブマンは1970年代の数年、74年までマイルス・デイヴィスのグループで活動していたのだった。「Drum Ode」はその少し後という事になる。そこにマイルスの影響力を見いだすことは出来そうだが、それはもはや狭い浅はかな考えだと気付く。聴いていれば判る。何々に似ているからそれを聴く、という感覚はもう捨ててしまおう。

僕は音楽を、高校生になった頃に聴き始めたのだけれど、その道のりは変則だったのだと思う。一般的な音楽ファンなら例えば、好きになったミュージシャンないし、歌手なりの全部を知ろうとし、またそのすべてを聴いてみるのだと思う。そこから自分なりのお気に入りや、こだわりみたいなものも出てくるのだろうし、ファンならではの熱い気持ちも生まれてくるのはよく解る。
けれども、自分にはその熱量がない。減ってきたのではなくて最初からなかったのか。僕には、自分の好きな、特別こだわりの音楽家がいない。だからすべてを知り尽くすという事がない。
例えばこういう人は少なからずいるだろうか。ある時期からその音楽家の音楽を追わなくなる。あるいはそれ以降を聴かなくなる。ある一定期間のみを愛聴し、そこにこだわる。もちろんファンであることはやめていないのだけれども、ある一定の距離をおいて観ている。もしも好きな音楽家の新作が発表されるのならそこに興味は持つだろう。だけれども、あの頃は良かったのになぁと、おぼろげな幻想を抱いたまま時は過ぎてゆく。

これは若い時の情熱を次第に失くしていった壮年期の達観にも似るのだろうか。それなら自分は若い時の昔からオジサンだったのかもしれない。いや、たぶん、それよりも、情熱の減退であることよりは怠慢であることは間違いない。全部を追っていくことが出来ない。それよりも他に興味のある音楽がたくさんあるし、聴いてみたくても忘れてしまった各種の時代の音楽が尽きないほどにある。あるいは、もう少し掘り下げて聴いていたいお気に入りが絶対的にそこにあって
先へと安易には進めない、
との言い訳なら幾らでも用意できる。

何故だか自分には、感覚へのこだわりがある。たとえばあるアルバムだけが好き。その前後の作品が好き。それ以前でもなく以降でもない。今がその時なら、それよりも初期の初々しい時代をさかのぼっていくこともあまりない。歴史ある何十年の音楽家なら、初期から中期、過去現在未来と晩年後期と、時代の選択肢は多く用意されている。それらをとりあえず調べて聞いてみて、どんな感じかを確かめることはある。それでも、他のところをいくら探そうとも見つけられない相性というか、感性は絶対にあると思う。ある一瞬を切り取った素晴らしい感覚、今の感触を大事にしたい。そこに現れて、自分の感覚を奮わせた、今ここにある何かを信じるのはよいことだ。現在地の自分の感触。そうやって音楽を開いていこう。
お気に入りを探して増やしていく旅をつづけているのだろう。本棚には乱雑にタイトルが並ぶ。僕はこれこれなになにの音楽が好きです、とは言い切れない。部屋に来て本棚を指差されて、これ、なに?と訊かれても説明はできない。とりあえず読んでもらうしかない。音楽なら聞いてもらうしかない。本の内容を説明することはできても、そこにしかない行間と言葉の響きを言い表すことができないように。

とりあえず、
Dave Liebman「Drum Ode」のアルバムを見つけたのは、マイルス・デイヴィスのアルバム「On The Corner」の特集記事のなかでのものだったのは記憶に正しいことだ。それが文脈だ。デイヴ・リーブマンはそこに参加してもいるのだが、そこでの影響を、自らの音楽へも表したという面では、彼自身の音楽を聴いてみる繋がりにはなるだろう。「Drum Ode」とのタイトル通りに読んでいけば、これはリズムへと傾倒した音楽であることに相違ない。それならば、マイルスによる「オン・ザ・コーナー」は特異なリズム音楽ではあったのだ。しかし録音と編集を重ねた「オン・ザ・コーナー」の音楽はジャズの世界に置いてはあるのだが、きわめて異端のリズムでもあり音楽であり、これと同じ感覚のジャズを見いだすことは周辺的にしても出来ないのかもしれない。「Drum Ode」の音調にはエレクトリック・マイルスの同じ時代が刻まれているのは否定できないが、聴いていれば、それよりも開かれた感覚をおぼえるのは確かだ。
僕は、音楽に詳しくないので、ジャズの事を語ることは出来ない。ジャズファン必聴のジョン・コルトレーンの全部を聞いていないし、同じサックス奏者であるジャズ界の重鎮デイヴ・リーブマンについても、ほぼ知らない。そんな間抜けな自分の書こうとしていることは、いったいなんなのか。これは何の主張でもないし、評論にもなり得ないのだろう。だけれども、デイヴ・リーブマン「Drum Ode」のアルバムの音響と刺激は伝わってほしいと願う。

初めに、ことばがあった。アルバムの始まりはデイヴ・リーブマンによるナレーションだ。そこから導入されていく音楽。軽やかなフレーズの連続、テナーサックスとエレクトリックピアノが主要なソロを続けていくなか、地の裂け目から吹きだしてきたかのようにコンガとドラムの立体的リズムが際立っている。初めに、リズムがあった。”Loft Dance” この音楽の相対はダンスミュージックでもある。デイヴ・リーブマンが演奏するサックスの響きは、激しく鳴ろうとも意外にも心地よい自由さを放つようだ。サックスと共に耳を引くエレクトリックピアノを鳴らしているのはリチャード・バイラーク。その音が、この音楽を流麗に響かせ、煌めき、リズムの多様性のなかで破綻しない支えともなっているのだと感じる。続く1曲”Oasis”では、Eleana Steinbergという女性が歌っていて、ひとつのポイントのように音楽を停まらせる感触だ。ここでの鮮烈なサックスソロは眩しい。スピリチュアルジャズという表現があるけれど、こういうことなのかもしれない。その曲から続く”The Call”のリズムはもしかするとオーネット・コールマンの感じかもしれないと思う。想い起こすのは「Dancing In Your Head」だ。しかし「Drum Ode」の発表はそれより1年は早い。そしてここでの音響は、生演奏が主であるジャズの臨場の響きとは少し異なって、意識的に空間が加工されているように聞こえる。レコードのサイド1は終わり、サイド2へと面を返す。その始まりは、なんといっても神秘的だ。スピリチュアルジャズというのはこういうことなのかもしれない(リプライズ)。”Your Lady”の原曲はジョン・コルトレーンだった。デイヴ・リーブマンのオーラの泉の源泉はコルトレーンなのかもしれない。今の自分にとっての聞きどころは、アルバムに参加したジョン・アバークロンビーのギターなのだという面はあったにせよ、それ以外にも晴れやかな瞬間は多面に散らばっている。もしもジョン・アバークロンビーを聴くなら、”The Iguana’s Ritual”という曲が良い。ある一場面から入り込んでくるジーン・パーラの歪なエレクトリックベースから続く展開、そこからのアバークロンビーのギターはやはり期待通りにギラつき軋んでいる。そのギターノイズがじわじわとハジければ空気が変わるのが確かめられる。その後のデイヴ・リーブマンのなめらかなサックスソロとリフとリズムギターの掛け合い、まるでプログレだ。そしてリズムの圧力と立ち回り、こういうところがエレクトリック・マイルスと通じてしまうのだろう。そこに過激さを見いだすのなら、ここが一番の山場になるだろう。峠を越えれば、病室のベッドを囲んでいる心配そうな家族親族の顔ではなく、フォルクローレと印度が見えてくる。マイルス・デイヴィスのアルバムにも参加していたことのあるタブラ奏者Badal Royや、Collin Walcottの演奏が聞こえる”Satya Dhwani(True Sound)”は、やはりタイトル通りインド風味だ。ここはあの世ではなかったのだと安心しよう。今日の晩御飯はカレーだよ、と言われたらうれしいもんね。そういう日常って良いよね。いやいや、病み上がりにカレーなんてダメですよ、と危機を救ってくれたスーパーヒーローであるかのような担当医は華麗にもさえぎるかもしれない。よし!それならメスとスプーンのどっちが強いか勝負だ!なにいってるの。早く先生を呼んできて!

音楽は妄想で出来ている。それも華麗なる超現実の妄想にちがいない。

音楽に影響を受けた自分を考えてみるのなら、音楽で表現する以外に自分ができることは何か。そのままの乱雑と混乱とを纏められない不自由な自由さ。ここでは論理が役に立たない。考え巡らせるのは諦める。不明なる展開を重ねる。
 

ところで俺は 雲を呼び、
という唄が頭から離れられずにいても、雲は呼んでも来ない。スカタン野郎の僕の今の気分から伸びてゆく長い如意棒の先にいるのは、永遠のダンディズムの結晶、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTだ。2003年発表の最終アルバム「SABRINA NO HEAVEN」がやっぱり凄い。同時期に作られた「SABRINA HEAVEN」を聴いてみても、NO HEAVENは凄まじい。ダークサイド、ヘヴィーオブジェクション、いつ聴いても突き抜けている。ミッシェルの代表作のどのアルバムよりも繰り返し聴きたい「SABRINA NO HEAVEN」だ。かなしみが宿っている音楽。ロックを鎮魂歌として響かせることが出来るのは、ジミ・ヘンドリックスとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTだと信じる。この世界に天国なんてないんだろう。

「SABRINA HEAVEN」のレコードは2枚組だった。”マリアと犬の夜”を聴いて、”サンダーバード・ヒルズ”を聴いて、ジャズを思った。チバさんの後のバンド、ROSSOがアルバム「Emissions」の音楽で表していたものの発火点はここにあるのだろう。僕は、ガレージロックにもロックンロールにも行き止まりを感じてしまった。ミッシェルには辿り着けない。新しい時代、ロックンロールを標榜するバンドの音楽がどんなに激しくても心は空虚に萎んでしまって炭酸の気も抜けていく。聴きたいのはサイケデリックなパンクジャズだ。そういう表現にしておく。ミッシェルの”サンダーバード・ヒルズ”はそれだと思う。チバさんがこの先ロックンロールじゃなくてこれをやってくれたら絶対凄いと思う。
“俺を転がしてるのは”
“たぶん君の声さ”

凄いな。

僕はジョン・アバークロンビーのグループの1975年のアルバム「Gateway」を聴いて、その日に「SABRINA NO HEAVEN」を聴いた。どこに違いがあるんだろうと感じた。真面目だった。音楽に違いなどないのだと思う。凄い音楽に違いなんてない。何処まで行っても感覚は別ではない。酔狂なことを言っているのではないと思う。

聴きたい音楽は他にもたくさんある。
時代と共に消えてしまったかのように記憶の片隅で燻っている音楽。それがどれだとは必ずしも言えないのだけれど、自分自身が探求していなかったものが響いてくる瞬間をさがしている。視線はいつも過去へと向けられていく。
昔の雑誌を読んでいて、その年に注目されていた音楽のアルバムを見て、そういえば、というのがいろいろある。The Flaming Lips(フレーミング・リップス)とかMERCURY REV(マーキュリー・レヴ)、僕はこの辺りを聞いてないのだった。こういうとき、サブスクが役に立つ。フレーミング・リップスの代表作は「The Soft Bulletin」なのか。これが発表されている時代、1999年にこのジャケットを何時も見かけていた気がする。僕は20歳だった。聴かないまま時は過ぎた。その時自分が聴いていたのはスラップ・ハッピーの何十年ぶりかの新作とロバート・ワイアットの新作だったのだろう。その方が自分には意味があったのだと思う。20年経とうが素晴らしいものは残っていくだろう。20年経って面白くないなら、それは良い作品ではないかもしれない。

埋めてしまった記憶を掘り起こす時期が来た。

ところで、僕はフレーミング・リップスのアルバムをサブスクで聞いた。「The Soft Bulletin」は色褪せない名作だった。さかのぼると、95年の「Cloud Taste Metallic」や、93年の「Transmissions From The Satellite Heart」が良かった。93年の時点でフレーミング・リップスがこういう音を作っていたなんていう発見。何を今更、と言われても、しょうがない。待ってください、マーキュリー・レヴはサブスクに入ってないですよ。それはアプリのなかのコレクションの問題だろう。サブスクに頼りすぎてもいけない。そういうときはCDが良いんじゃない。サブスクも万能ではないらしい。

ところで僕は、日本のロックの現在にも影響力が強いバンド、ゆらゆら帝国を聞いてないことに改めて落胆する。かつて自分が20代の若い頃、ゆらゆら帝国のCDを買って聴いてみた事があった。それはライブ盤「な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い」だった。調べると2003年の事だったと判る。発売された時だったのか、でもたぶん、それを買った理由は値段が安いからだと思う。聴いてみてすぐに挫折した。轟音ノイズが身体に合わなかったのか、坂本さんの声は聞こえるけど何を歌っているのか言葉が聞き取れない、という理由もあった気がする。ゆらゆら帝国ってこんなバンドやったかなぁ、と思った。最初に聞いたのは1998年のメジャーデビューの時期だったと思う。NHKの深夜のラジオで日本のバンドのライブを1時間くらい放送する番組があって、そこではTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTも出ていたし、ピロウズも出ていた。そんななか、ゆらゆら帝国の出演した回もあったのだろう。その時の音源をカセットテープに録音したのを今も持っている。古くて聴けないかもしれない。その当時聴きたいのは”昆虫ロック”と”発光体”だったのだと思う。他の曲はよくわからなかった。つくづく安易な自分に落胆する。そんなに落ち込まないで。
それから後に「ミーのカー」というアルバムが発売された時、聴いてみたいと思ったのは、ジャケットのあのピンク色の原色の強烈なイメージからだったのだろうか。でも何故か通りすぎてしまった。後にハイロウズが”ユーのカー”という曲を出してきたときは少し笑った。おもろいな。よく考えると1999年にはもう日本のバンドや音楽を聴かなくなったのかもしれない。ミッシェルも聴いていない。話題のNUMBER GIRLも。自分の1999年を想い返せば、この辺りからジャズを聴くようになったのだろう。

僕はザ・ハイロウズの”ミサイルマン”が好きで今でもよく聴く。今更気づくことは、”ミサイルマン”と、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの”バードメン”の音圧と曲のイメージは似ている。詞が描く世界もぶっ飛んでいる。ロックはこういうのが良いね。
全然関係ないので落胆する。
そんなに落ち込まないで、ゆらゆら帝国を聴こうと思う。遅すぎても構わないだろう。感覚が違うと直感したものをその時に聴いても合わないんじゃないか。今なら、ゆらゆら帝国を好きになれそう。僕はサイケデリックロックが聴きたいのだ。1960年代のサイケデリックロックならモビー・グレープを聴いてみたい。1970年代日本のロックバンド、はっぴいえんどに影響を与えたのは、バッファロー・スプリングフィールドとモビー・グレープだという話はいろんなところに散らばっているけれど、実際に本当に、MOBY GRAPEって、どんな音楽なのかあんまり伝わってきていない気がする。最近改めて良いんじゃないかと思うバンドは、Sons Of Champlin(サンズ・オブ・チャンプリン)の初期と、Steppenwolf(ステッペンウルフ)だ。ステッペンウルフは”ワイルドで行こう”という名曲だけの、一発屋ではなかった。1969年の「MONSTER」というアルバムが好きだ。

それよりも、そんなことよりも、
今、気になるバンドは、日本のバンドは、羊文学だ。
聞いてみて一発で魅了されてしまった。日本のロックもまだ大丈夫だと確信する。ギターとベースとドラム、シンプルのようでいて、個性の塊のぶつかり合いと調和の魔法の手さばき。聞いたことがあるようでいて、鮮やかに切り裂かれる記憶は、吹き消した煙みたいに何処かへ行った。

羊文学のメンバーのインタビューを読んでみると、気になる影響についての話が出てくる。ゆらゆら帝国の影響が音楽にあるのかは知らない。シューゲイザーの事はそんなに詳しくないので分からない。エリオット・スミスの事もよく知らない。その情報が意味のあるものか、あまり関係はないのかもしれない。

聴いていない音楽はまだまだ多いと気付く。
ところで、この音楽文のページには、ゆらゆら帝国の事を書いている人がいないんじゃないか。
羊文学の事は、いずれ誰かが書くのでしょう。
僕は別の事を書きます。
 

今日、僕はデイヴ・リーブマンの「Drum Ode」を何回も聴いたから、明日はその前のアルバム「Lookout Farm」を聴こうと思います。
この文を読んでくれているあなたもきみも、今日聴いた音楽は何でしょう?明日は何を聴きますか?
そしてこれから聴いていこうというものは見つかっているのでしょう。
 

僕は、羊文学を聴こうと思う。
ウイルスの蔓延してしまったこの世界で、音楽を生業としていく人たちの苦労は想像できる。
それでも、続けていってほしい音楽がある。
美しい音楽がある。

音楽は美しいと思う。

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