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真逆のコンセプトでオンライン配信ライブを魅せたサザンと達郎

サザンオールスターズ、山下達郎の配信ライブはクオリティハードルを一気に上げる高性能作品

週末の早朝、突然発表されたTaylor Swiftの新作『Folklore』を聴きながら、墨田川沿いから、商店街を抜ける道を散歩した。個人的には聴き倒したJoni Mitchellの『Hejira』、Kate Bushの『The Kick Inside』と並ぶ歴史上の名盤と言ってしまいたい。

ゴージャス過ぎて、Taylor Swiftはどちらかというと苦手な部類のミュージシャンであった。先日、突然新譜が発表されたので、Taylor Swiftが現在の状況の中で、どんな音を鳴らすのか、一応聴いてみようという程度の気持ちで、同アルバムを家でスマホにダウンロードして、同じ道を散歩して聴いた。オープニングナンバー「the 1」から想像していたサウンドから完全に肩透かしなのだが、ゆったりと時間が流れ、囁くようなボーカルに、癒されるという感覚とは違う、心の底からじわじわと力が湧くような肯定性を感じるサウンドに「何じゃこりゃ~」と松田優作のジーパン刑事よろしく心の中で叫んでしまった。

この感染症で、ライブ、フェスが中止になり、停滞すると思っていた音楽業界。しかし、実際は素晴らしいアルバムが数多く発表され、アメリカの現状の問題へのミュージシャンの積極的な発言、ストレートな歌詞のナンバーの発表と話題が多く作品も今年ならではの作品ばかりで圧倒されている。

POPミュージックは最速で現在を表現するメディアであると思う。この配信の時代、釈迦に説法だが、サブスクで、サプライチェーンが簡素化され合理化され、聴くまでの時間が信じられないぐらい短時間で可能になっている。ミュージシャンの立場になると、サブスクであれば、曲が完成すれば、ニュースリリース1本、いや、SNSに投稿するだけで、我々視聴者に即届けることが可能になった。そんなのは当たり前だと若い人たちには言われてしまうが、レコード育ちのオジサンは、これは、すごいと力説するするほどのことで、僕の親しい友人にも急速に広まっている。
POPミュージックはテクノロジーの進化で変わっていくという当たり前のことを再認識した。
今年ほど、タイムリーというのを実感し、有り難く思ったことはなかった。
こう感じるのは、僕自身がこの感染症の世の中の当事者の1人であることが、勿論大きい。サブスクはとんでもないイノベーションである。

予定であれば、今頃、僕の家から近距離の海岸付近にある選手村は、世界中の選手団と観光客で溢れかえっていただろう。今年の2月までは、そんなことを考えていたことが、ふと脳裏を過った。
が、現実は言うまでもないが静かなものである。

今年は忘れられない1年であるが、決して、いい意味ではない。僕個人は、家に籠っているいがいは何も思い出さないのである。この年齢になって、特別、僕に大きなイベントがあるわけでもなかったのだが、それにしても何もない。

音楽いがい趣味と言えるものがなさそうな僕は、コンサートの予定がないと全く行くところがないのである。
感動して駄文を書いていたであろう、 Green Day、Thundercatのコンサートは延期になった。
そして、最後の来日になるかもしれないと思っていたBob Dylan、Brian Wilsonの来日は中止になってしまった。
本当に、何も予定がないのである。が、自粛が叫ばれるご時世であるから、予定がないのはいいことだと思うことにしている。

家にいるしかないのだが、ここ約1カ月で、今年だからこその感動的で圧倒的出来事を〖家の中、猫の額の自分の部屋〗で体験した。 POPミュージックの表現としての凄さを改めて感じた。

それは、体験順に書くとサザンオールスターズと山下達郎のオンラインライブ配信である。

以前書いた佐野さんについての文章でオンラインライブは今後(この感染症との戦いに勝つまでは)中心になるのではないかと述べた。現在のテクノロジーでは、ネットでの2次元映像配信が一般的な家庭で視聴できる限界だと思うが、オンラインライブを想像したとき、僕のイメージしたのは、映画『Blade Runner 2049』で3次元で晩年のElvis Presley歌唱映像(吹き替えが演じているのかCGなのかは僕には判別できない)がライブバーらしきところで、流れるシーン。将来的にこれが実現されれば、家の中でも、ライブは楽しめるなぁと思った。老後はこれだなと呑気なことを考えていた。
2次元放送はDVDを観るようなもので、それはそれで楽しいのであるが、実際のライブとはやはり次元が違うように思う。勿論、好みの問題である。

僕は、ライブは基本1人で行くし、あまり立つことも歓声を上げることもしない。なにか恥ずかしいのである。いい歳のオッサンだから。そんな僕なので、DVD、特別公開される映像を観ても画面さえ大きければ、感動は同じじゃないかと思っていた。が、僕にとっては、生ライブはやはり違う。何が違うのかというとたまたま座った席の、両隣、前後の皆さん、会場全体のファンの息遣い、豆粒にしか観えないが実際に演奏しているミュージシャンを生で感じていることが、僕に深い感動を与えてくれていることなんだと、日常が奪われた現在だからこそ再認識した。サブウーファー、アンプをサラウンドにしてみたものの、ライブ会場で身体全体で感じる音の洪水、ファンの息遣いは僕のようなチープなオーディオへの投資レベルでは無理でもあるが、それだけではないと思う。

達郎さんのいう“一期一会”が生ライブの醍醐味である。観客の人と交流するわけではないのだが、とてつもなく感動的な一期一会を意識せずに共有している空間である。

とはいえ、この先どうなるか僕にはわからないので、現在、始まったばかりのオンライン配信ライブを体感はしようと思っていた。正直テレビかなぁと思っていた
楽観的に考えれば、短期間で、感染症に人類は打ち勝つ可能性はあり、オンライン配信は短期間のことで、メディアとしてはその役割は終えるかもしれない。オンラインにしか出来ない新しい役割が見つかれば、オンライン配信が主流になるかもしれない。オンライン配信、生ライブの両メディアの役割分担ができて、両立していくかもしれない。そんな未来は僕には想像できない。
が、結果どうなろうと、今年が、おうちオンライン配信の立ち上がり元年であることは確かだ。僕も音楽業界の大きな変化の目撃者になるのである。ある意味歴史に立ち会うということだ。

誰がオンライン配信を始める、取り組むかというかというのは、興味深かった。が、絶対にオンライン配信はしないだろうと思ったミュージシャンは2組いた。

サザンオールスターズ、そして山下達郎 である。

が、前述、周知のとおり、この2組のミュージシャンはオンライン配信に早々と“トライ”した。そして、ここが、重要なのだが、そのオンライン配信のコンセプトは全くの真逆であった。他にも数本オンライン配信は観たが、その対極のコンセプトでは最高峰であろうライブ配信を観ることができた。素晴らしかった。時代に立ち会ったのだ僕は。

コンセプトの違いを一言で言うと
 

サザンオールスターズ
<普段通りのライブの再現を無観客で実施した。横浜アリーナというホームグラウンドで、オンラインで生ライブをどこまで、観客=視聴者が感じることが出来るかにトライした>
 

山下達郎
<オンラインでの配信は、配信であり、あくまで、リアルなライブではないというコンセプトのもとに、過去の映像を一つの作品として、プロデュースし、それを現在のテクノロジーでどこまで高品質で楽しめるかということにトライした>

僕の観た数本のオンライン配信ライブの範囲では、現在のテクノロジーで今のところ究極の2本であったと思う。

2組の配信ライブを観たのは、多分、僕と同世代が中心であったと思う。僕が田舎から上京した1980年代中期、この2組のミュージシャンのアルバムというのはまさに1家に1枚、学生が1枚必ず持っていたといって過言ではない。1人暮らしをしている友人の家を往来してよく泊まっていたし、僕は、東京出身の同級生の家にもよく泊めてもらっていた。特に上京1年目は、友人のご両親のお陰で、なんとか食いつなげたのだなぁ思う。食事もよく御馳走になった。東京の家というのは友人が遊びに行くことにこんなにオープンなのかと驚いた。浪人して上京した僕は、成人式は試験中で帰ることも出来ず、友人のT君の家で寿司を御馳走になって、引退する新日鉄釜石のSOの松尾雄治と同志社の故平尾誠二の最後の対決を観ていた。T君のお母さんありがとうございます。またO君の家では、エッグマフィンが朝食に並んで、友人に訛りが抜けない口調で、これはなんという食べ物だと質問したのは恥ずかしい気持ちと驚きとともに鮮明に記憶に残っている。

話がそれたが、そういう東京出身の友人の家にも一人暮らしの地方出身の友人の家にも、サザンオールスターズと山下達郎が鳴り響いていた。象徴的なナンバーはサザンオールスターズが「ミス・ブランニュー・デイ」、達郎さんは「SPARKLE」かな。ファン層は当時から微妙には違っていた。今回の2組のライブをおうちでみた僕の友人も実際被らない。

このご時世、オンライン配信と時間が遅いので、(考えてみたら遠方の友人も同時に)各々の家で観たが、ライブ中にLINEで、これきたか~などど会話し、友人達と一緒に観に行った気分でしたよ。サザンオールスターズの皆さん、達郎さん感謝します。歓声の共有はできませんでしたが、感動する気持ちは全国で同期して盛り上がりました。

さて、それぞれのライブについて

サザンオールスターズは、やるからには徹底的にヒット曲をやるだろうと予想した。オープニングが「みんなのうた」で、最近は殆ど演奏しない、「いとしのエリー」も含めて、特別プログラムで普段着じゃないことをやるんじゃないかと思っていた。が、実際は、「いとしのエリー」は演奏しなかったし、徹頭徹尾、ここ数年で観たサザンオールスターズの普段通りのライブであった。僕の予想は大抵当たらないのである。
サザンオールスターズなので、何をやってもヒット曲であるのだが、オープニングはシングルではないが、人気の高い「YOU」で始まった。静かな立ち上がりで逆に驚いたぐらいだ。
この時点でやっと気が付いた。あーそうか、オンラインだから、こんな時代だからと特別なことはしないのだサザンオールスターズは。普段のライブに徹するのである。(ただし、既に報道されているセットリストを改めて読むと、多分、視聴者の中心である僕たち世代向けに70年代~80年代のナンバーを多くは選曲していたとは思う。友人たちもそう言っていた)
配信終了後に、「YOU」がオープニングであったことはどうも不思議で、印象的でもあったので、理由を考えてみた。サザンオールスターズは、原さんの産休で、休業に入る。その間に、桑田さんはKUWATA BAND、ソロアルバム発表をし、メンバーも個人活動にシフトしていた。そして5年の時を経て、本格的に再生、復活したのが、5年ぶりのアルバム『SOUTHERN ALL STARS』のアルバムの1曲で、サザンオールスターズらしい、ノスタルジックな恋の歌詞と、メロディが印象的なナンバーが「YOU」である。勝手に深読みするとアルバム『SOUTHERN ALL STARS』のナンバーでライブを開演したのは、サザンオールスターズの再生と揺れる世の中の再生という意味を桑田さんの歌詞のようにダブルミーニングしたのではないだろうか?
なんてことを桑田さんに言ってみても気分、気分と言われるだけのような気がするけど。結局、ライブを普段の会場=ホームグラウンドの横浜アリーナで、いつものスタッフ全員で作り上げましたということなのだけだろう。サポートメンバー、ダンサー、舞台装置、演出、いつも通りである。

しかし、逆に考えれば、ライブが出来ないという特殊な環境で、初めてのビックミュージシャンのオンライン配信という注目を浴びる環境の中で、いつも通りのことしかやらなかったというのは逆に驚異的である。エンディングで、リハーサル、舞台セッティングの様子が映し出された。このライブのための準備の映像であるが、普段のライブツアーもこういう光景で出来上がっていくんだろうと思った。
当たり前であるが、無観客である。観客席は映しだされるが、誰もいない。しかし、時間が経つに従って、いつの間にか、その場に自分がいるような感覚になっていた。生ライブ一発勝負である。完璧にリハーサルして、完璧に作り上げたのであろう。DVD、テレビでのライブ放送のような編集は何もできない。それが、僕には伝わってきたし、普段通りの演奏に徹したからこそ、僕は会場にいるような錯覚を覚えたと思う。
ライブは「真夏の果実」を終え、終盤の大盛り上がりに突入する。「東京VICTORY」からはダンサーもいつものように大人数登場し、「匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB」、「エロティカ・セブン EROTICA SEVEN」、「マンピーのG★SPOT」というサザンオールスターズ流エロソングで盛り上げるだけ盛り上げる。際どい歌詞もあるけど、エロくない。ダンサーの演出もいつも通りのセクシーダンスで、フロントマンの桑田さんは、コスプレをし、ギャグも入れて現在の状況をさり気なく、照れも入れながら、そして、決して力まず、高らかには熱くメッセージはしないが、笑いを入れて、さりげなく、頑張ろう、普段通りに過ごしましょうという。実は僕は、エロいナンバーは選曲しないんじゃないかと考えていた。僕のほうが、音楽のユーモアを忘れていた、そう音楽ってのはユーモアがなきゃならないんだ。眉間に皺をよせて、いつも音楽聴いているなんて聴き方は僕はしたことがない。が、この数カ月は、違ったような気がするよ。そんな顔で音楽を聴いていたかと思うと、自分が気持ち悪くなる。 Green Dayのビリー・ジョーは“ロックなんて、俺ってすげえワルだな、と思わせるもんだ”って言ってた。そうだよな・・・
圧倒的なメロディやそのメッセージをあくまで、さり気なく普段の生活に溶け込ませるのがサザンオールスターズにしか出来ない、サザンオールスターズの凄いところだ。凄いことを凄くないように感じさせる。
横浜アリーナを無観客で貸し切り、大掛かりな舞台装置を作り、バックダンサーも入れ、多くの出演者、スタッフで出来上がったこのライブ。一体、これは、ビジネスとしてペイしているのか などとオヤジ臭いことを考えてしまった。が、全国で推定50万人が観たというから、チケット代の1/3の値段の視聴権であったが、ペイだけはしているんだと思う。しかし、50万人である。金をとって、50万人を画面に釘付けにする。まさに日本音楽史上最高の国民的バンドである。
(こういう言い方をするとサザンオールスターズにたかがロックバンドですと答えられるだろう)
 

対して、山下達郎である。報道もされているが、動く達郎さんを家庭で観れるというのは事件である。
ライブ盤はあるが、DVDなど映像は発売していない。家庭で動く達郎さんを観たのは、達郎さんがブレイクした「RIDE ON TIME」がCMに使われた約40年前の某カセットテープのCMだけしかない。それが、達郎さんである。
そんな、達郎さんであるが、映画館ではライブ映像を公開している。『山下達郎 シアター・ライブ』。映画館というのが、達郎さんらしくて、自身のライブパフォーマンスの映像的迫力と、何より、ライブでの演奏の音をライブのように、最高の音にコントロールしたかったのだと思う。現在の映画館の音響設備であれば、達郎さん自身がミックスダウンすれば可能である。
達郎さんがオンライン配信をやらないと確信していたのは、家庭の音響は限界があり、家庭によって、バラバラで、再現環境を考慮に入れた、最適な音つくりのミックスダウンが難しいと判断するだろうと思ったからだ。事実、達郎さんのラジオ番組は、“最高の選曲、最高の音”というのが売りになっているのはファンなら知っての通りで、最高の音というのはラジオという再生装置での最高の音のことを指している。その音を流すために、選曲したナンバーは全て自らリミックスするという達郎さんならではの徹底ぶりがザ・山下達郎である。
この話を聞くと、MotownのBerry Gordyがレコードを売るために、そのサウンドをラジオで最高に聴こえるかを意識して音を作ったというエピソードを思い出す。
オンライン配信を発表したコメントで “(略)今までのリアルなライブ体験にどこまで肉薄できるか、どこまで再現できるか、果敢に挑戦しようと思います(略)”というコメントがあった。それは、オンライン配信という新しいフォーマットで、最高の作品、音に挑戦し、達郎さん流の最高のエンターテイメントをみせる、聴かせるための挑戦をするという決意表明である。あまり、こういう力の入った決意表明のコメントをマスコミ向けに発表しない達郎さんなので、その決意の重さが伝わってくる(若い頃の達郎さんは、相当過激なコメントもしていたし、ラジオでも時々そういう一面を垣間見ることがある)。実際、オンライン配信のテストサウンドを聴いてみると、音の良し悪しをあまり気にしない僕でも音が他の配信のテストサウンドと全く違うことがわかるほどクオリティが高かった。更に徹底していたのは、音が良いということは、それだけ情報量が多いということでもあるので、テストで、配信スピードのビットレートを計測し、そのライブ映像の視聴に耐えうるスピードがあるかということを、教えてくれるという徹底ぶり。さすがだ。集合住宅であるので、不安定なのだが、何とかギリギリ基準は満たしていたが、これ環境を満たしてなかったら、どういうコメントがでていたのであろう。そこはわからない。
映像を発表せず、ラジオというメディアに拘る達郎さんであるが、それは決して古き時代が良かったとする懐古主義でおわっているわけではない。あくまでポピュラーミュージックは時代の音であることを意識している。
その証明は、例えば、1988年のアルバム『僕の中の少年』は、丁度僕がサラリーマン1年目で田舎に勤務(飛ばされた(笑))しているときに発売された内省的なアルバム(達郎さんのアルバムで唯一の日本語タイトル)で、しんみりよく聴いていた。このアナログ感のある音が、後にすべて、コンピュータで制作されたものだと知って驚くのだが、コンピュータでコンピュータに聴こえない音を作るという無謀なことをして大変だったと、達郎さんは度々いう(ミックスもよくない:僕にはよくわからない そうで、今年のリミックスが楽しみである)。同年には、桑田さんの初ソロアルバム『Keisuke Kuwata』も発売されていて、サウンドはカラフルだが、歌詞の世界は、達郎さん同様内省的で、1988年は、この2枚のアルバムを聴き倒した。学生を終えて、ノンポリで何も考えてこなかった自分も大人なんだなと自覚しつつ、不安な1年を象徴するアルバムである。

肝心のコンテンツは、僕のようにクジ運が悪い人は絶対に当たらないと最初からあきらめてしまう(実際、必ず申し込むのだが、本当に全く当たらない)ライブハウスのアコースティックライブ、そして2017年の氣志團万博という僕のようなオールドファンにはハードルが高いライブの超貴重な映像であった。普段のライブではないのである。両ライブとも不動のメンバーによる圧倒的な演奏、そしてボーカル。僕は、ギターのカッティングが日本で一番上手いギタリストは達郎さんであると僕は思っている。僕の勝手な3大カッティングギタリストは、山下達郎、Curtis Mayfield、Nile Rodgersである(Nile Rodgersと一緒にされるのは嫌がられそうだ)。氣志團万博では、アリーナクラスでは演奏しない達郎さんの花道でのギターカッティングを堪能できるという超レアなシーンもある。いつ観ても、聴いても達郎さんのギターは凄い。
 

ライブレポートにも何もなっていないが、現在のライブ会場での演奏が出来ない状況で、その可能性を感じるオンライン配信であった。
今後、新しいテクノロジーも開発されるし、有料オンライン配信も、その形態、コンセプトなど様々なことが試されるであろう。2組のミュージシャンの2本の配信は対極のコンセプトであったが、2組の試行錯誤と今回の配信に挑む、重い決断の姿勢が如実に露わになった映像であったと思う。

ミュージシャンが同じことを何度もオンライン配信でやっていたのでは、視聴者は減ってしまうであろう。僕がサザンオールスターズと達郎さんのオンライン配信を観て最初に思ったのは、今はあまりその映像のクオリティを云々批評はされず、オンライン配信をしたということだけで話題になっているところもあるが、数が多くなればなるほど、そのクオリティの批評がでてきて、そのクライテリアを2組のミュージシャンは設定し、配信のハードルを一気に上げちゃったなということだ。

偉そうなことをいうが、POPミュージックは、時代の鏡のように、変化するし、そして、売れたという事実が、その品質の良し悪しとほぼイコールであるという表現である。それは、視聴数という差で比較され、そして、コンセプト、クオリティで批評される時代がもう目の前だ。

大層なことを振りかざしてしまったが、僕は、サザンオールスターズ、山下達郎は圧倒的にPOPミュージックとして優れていて、そのライブパフォーマンスも圧倒的だったと言いたいのだ。

服を大量に捨てて、猫の額の自分の部屋の壁一面をあけ、チープなプロジェクターとスクリーンを購入し、音響もそれなりに増強した僕。
工夫して、探して、出来る範囲で投資したのだが、稼働率は超悪くて、実際、本格稼働したのは、この2本の配信だけである。投資というほどの額ではないが、この2本で充分回収できたと思う。

ヘッドホンで聴くことも考えたが、ヘッドホンでは、身体で音を感じないから、スピーカーで聴いた。やっぱり、身体で感じるグルーヴ、腹に響く音はライブ会場でしか味わえないので、許す限りの大音量で聴いた。

オンライン配信の可能性を感じたライブであり、これは作品であるということを認識した。

が、放送後から日数が経ったが、オンライン配信という作品のクオリティの可能性を感じつつも、いつか無事に、見知らぬ人たちの中に1人交じって会場で感動を共有することを願っている自分がいる。

会場の観客の一人として、こっそり、座って、ライブを観る日を僕は待っている。

最後になるが、桑田夫妻(夫人は原由子さん)と山下夫妻(夫人は竹内まりやさん)は非常に親しいらしい。桑田さんは、自身のラジオ番組で、音楽的で非常に専門的なことになると“そういう専門的なことは達郎さんのラジオで聴いてください”という。

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