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人の痛みを知るシンガーよ

あいみょんと米津玄師の歌を聴きながら迎える終戦記念日

終戦記念日が近づいている。

原子爆弾が広島に投下された日、それが長崎に落とされた日、その狭間にある8月7日に、この記事を書いている。部屋に流れているのは、あいみょんの楽曲「空の青さを知る人よ」だ。

私は昭和56年(1981年)の生まれであり、戦争のむごたらしさというものを、もちろんリアルタイムで味わったわけではない。ただ「戦後50年」という節目を、中学生という多感な時期に迎え、多くの先達が語ることを心に刻みつけたからだろう、夏が訪れると、何かを祈りたくなる。誰かのために祈りたくなる。

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8月が半ばに差しかかっているな、終戦記念日が近いなと、気付かせてくれるものは年ごとに違う。

今年は、あいみょんのアルバム「おいしいパスタがあると聞いて」のリリースが待ちきれず、収録されるというシングルを順に聴いていたところ、ふと「その日の空を見上げていた人たち」が思われた。遠い昔、8月の空の下で、亡くなった友人知己のことや、焼かれた国土のこと、そして国の行く末を思いながら、茫然と空を見上げていたのであろう、生き残った人たちの姿が脳裏に浮かんだ。

念のために書いておくと、楽曲「空の青さを知る人よ」は、とくに「終戦」を意識して作られたものではないと思われる。反戦歌にはカテゴライズされないと考えられる。その旋律と歌詞から、戦争、それが終わった日、そういったものをイメージする人は、もしかすると少ないかもしれない。

それでも私は「おいしいパスタ」を待ち焦がれるように、あいみょんの新作を楽しみにしつつも、ごく個人的に祈りを捧げようとしている。

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<<赤く染まった空から>>
<<溢れ出すシャワーに打たれて>>

こういったセンテンスに、あいみょんが、どういった思いを込めたのか、私には十全には分からない。ただ、その「思い」が、とても強いことは分かる。時に軽やかに、また時には淡々と歌いもするあいみょんは、「空の青さを知る人よ」をエモーショナルに歌う。その激しいエモーションが、受け継がれてきた戦死者を悼む気持ち、夏という季節に溶けた哀しみ、そういったものと共鳴して、ある感懐を私にもたらしたのだと思う。

「終戦の日、空を見ていた人には、それが何色に映ったのだろう」

そんなことを私は考えた。

ある人にとっては、それは青く、ひたすらに青く見えたかもしれない。長く続いた恐怖から解放され、危険が遠ざかった今、その瞳に映った空は「希望」を宿しているように見えたかもしれない。それでも、空が<<赤く染まっ>>ているように感じられた人も、少なくはなかったのではないだろうか。「もう少し早く争いが終わっていれば、あの人を喪わずに済んだのに」、そんな憤りをもって見上げる空は到底、美しくは見えなかっただろう。

<<僕に さよならも言わずに 空になったの?>>

そんな叫びを放ちたかった人も、きっといたはずだ。自分には空が何色に見えるか、べつの人にはどう見えるのか、その色が何を意味しているか、青に赤は溶けていないか(平和に見える時代に火種は潜んでいないか)、私たちには想像してみる必要があると思う。不戦を誓った国に生まれたからこそ、「おいしいパスタ」を食べられる時代に生きているからこそ。

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いま(2020年の8月)という時は、日本の音楽界にとっての、大きな転換期にあたるのではないか。米津玄師さんのアルバム「STRAY SHEEP」が解き放たれ、それが(CDが売れづらい時代にあっては例外的な)ミリオン出荷となり、多くの人の心に届いているからだ。そして米津玄師さんの楽曲が「多くの人」を創り上げる、「かけがえのない個人」に向けられたものであるからだ。

米津玄師さんの楽曲には「心をひとつにする」要素、つまり普遍性があるとは思う。それでも、それ以上に尊いのは「多様な受け止め方を赦す」要素を含んでいることだとも思うのだ。

たとえば「優しい人」を聴くことで、ある人は過去を思い、またある人は「今」を思っているはずだ。そして未来を思う人もいるのではないだろうか。かくいう私は何を思っているかといえば、上に挙げたような「米津玄師を様々な形で愛聴する人の姿」である。そして、戦中に輪からはじき出されてしまった、お会いしたこともない人の姿でもあるのだ。

<<周りには愛されず 笑われる姿を>>
<<窓越しに安心していた>>

戦時中、この国に身を置きながら命を落としたのは、じつは日本人に限らない。戦火に焼かれながら、助けを求める必死の声すら聞き入れてもらえなかったという、外国籍の人がいたことを、かつて私は学んだ。

さすがに彼ら彼女らを「笑う」人まではいなかったかもしれない(そう信じたい)。それでも、歪んだナショナリズムが立ち込める「あの時代」に、もし私が生きていたとしたら、そういったマイノリティを愛すること、救いの手を差し伸べることが、はたして私にはできただろうか。

第二次世界大戦は、遠い昔に終わった。それでも各時代に、様々な問題が起きており、その最大の被害者となるのは、いつの日も「弱い人」なのだと思う。弱いというのは、あまり関心を向けられない、大声で何かを主張できるような立場にない、法の庇護から外れてしまう、そのような意味だ。

楽曲「優しい人」は、やはり反戦歌には分類されないだろう。それでも米津玄師さんが浮き立たせようとしているのは、その楽曲から私がイメージするのは、この社会の弱者である。かつて虐げられた人であり、いま虐げられている人であり、いつの日か虐げられるかもしれない私自身である。

<<ババ抜きであぶれて 取り残されるのが>>
<<私じゃなくてよかった>>

私は(私たちは)「あぶれる」誰かのために、「優しい人」でありつづけられるだろうか、その苦しみを推し量ろうとしていけるだろうか。「戦争がない時代=平和」とは限らない、そう私は考える。「平和」のなかでも傷つけられる人はいる。互いの「優しい人」になることが、表層的には「平和」な現代を生きる私たちの、大きな課題なのではないだろうか。

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あいみょんも、米津玄師さんも、恐らくは「人の痛みを知るシンガー」なのだろう、そう私は考えている。その優しさは、ご自身が「痛み」を味わってきたからこそ、時に「青くはない空」の下で過ごしてきたからこそ、いつしか育まれたものなのではないだろうか。

あいみょんが満を持して発表しようとする「おいしいパスタがあると聞いて」を、そして傑作が多く収録された「STRAY SHEEP」を、ただ呑気に聴きたい、そのリリースが嬉しくて仕方ない、そういう人たちにとっては、この記事は疎ましいものに映ったかもしれない。そうなのだとしたら申し訳ないとは思う。かくいう私にも、純粋に(娯楽のために)この2枚のアルバムを聴きつづけようとしている部分はある。

それでも今、この胸にあるのは「それだけではいけないのかもしれない」という思いだ。いつか(字義通りの)戦争の被害に遭った人、そして現在、色々な意味での「戦争」に巻き込まれている人。とりわけ、慰めてくれる人さえも見つけられない人。そうした弱者を探し出し、抱擁するべく努めている人。その存在を忘れずにいたい。

あいみょんも、米津玄師さんも、強く優しい人であり、時として弱者でもあるはずだ。私が祈るべきなのは、ご両人とリスナーが助け合って生きていける、そんな関係性が築かれていくことかもしれない。戦争で失われた命は、もう戻ってこない、そして微力な庶民である私は、国の舵取りをすることはできない。それでも、だからこそ、「誰もが弱い」という真理だけは忘れずにいたい。8月の青い空の下で、優しくなりたいと願うことが、私なりの「鎮魂」である。

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安らかに眠って下さい、できれば見守っていて下さい。いま日本には、あいみょんや米津玄師さんといった優しき歌い手がいて、その優しさは、きっと多くの人に託され、未来へと受け継がれていくはずですから。

※<<>>内はあいみょん「空の青さを知る人よ」、米津玄師「優しい人」の歌詞より引用

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