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米津玄師「STRAY SHEEP」は「宗教」を体現する

無宗教な迷える羊たちの信仰となる「赦し」の音楽

1人の人間が発信者となり自分の思想を人々に広め、その思想が多くの人々に共感を得た時、さらに多くの人々によって、その思想が横へ横へと広がっていく。
そんな現象が起こるもの、なーんだ?
 

この問いの答えとなるものは2つある。1つは宗教。もう1つは音楽だ。
そう考えると、好きな音楽を「布教する」なんて言い回しは実にできた日本語だと思う。

音楽と宗教の本質は、実は全く同じものなのかもしれない。
米津玄師「STRAY SHEEP」を聞いて私の頭にふとよぎったのは、そんな発想だった。
その発想に至った理由は簡単だ。
この「STRAY SHEEP」の事を、どこまでも「宗教」の概念を体現する作品だと感じたからである。
 

先んじて言っておくが、宗教なんてカタイ話、私正直全っ然好きじゃないんですよね。
退屈だし眠くなりません?あともれなく胡散臭い。
現実に宗教の話を嬉々として語るような人間がいた場合、十中八九その後に謎のセミナーに連れていかれたり、よくわからん壺を売りつけられたりする。
そんな一部のよろしくない輩のイメージもあって、やっぱりあまりいいイメージじゃないですよね。「宗教」という言葉そのものがさ。

けれど世界的に見ると、「宗教」は多くの人々を救う心の支えにもなっている。
海外映画なんかでもよく見ますよね。日曜日の教会のミサに家族で出席するシーンとか、牧師さんの話を寝ながら聞いてるガキンチョとか。
ただ、日本だと結構な割合の人が自分は無宗教だと答えているらしい。要は信じている宗教はありませんよ、と。
むしろ宗教と聞けば胡散臭さを感じるぐらいの人が多いであろうこの国で、「STRAY SHEEP」は“フラゲミリオン”という爆速のヒットを飛ばした。
いくら米津玄師の新譜をそれだけ多くの人が待ち望んでいたとは言え、それって結構皮肉なことだよな、と思ったりするもんである。
 

私の中で「STRAY SHEEP」を「宗教」の概念を持つ作品として認定した理由として、いくつかの要素がある。
前もって言っておくが、「米津玄師が神だから」みたいな安直な話ではないので安心してほしい。
とは言え確かに私自身もかれこれ10年以上彼の音楽を追い掛け続けてきた、どちらかと言えばかなり敬虔な信者ではあるのだけれども(ハチ時代の楽曲もサブスクリプション解禁してくれて本当にありがとうございました)。
 

わかりやすいところでいくと、まず端的に「STRAY SHEEP」、迷える羊というモチーフ。
これがキリスト教の教えの元となる、新約聖書のマタイによる福音書から来ているものだという事は周知の事実だ。

アルバムの主題となる楽曲【迷える羊】が教会音楽や讃美歌めいたサウンドをふんだんに盛り込んでいるのも、きっとそこから来ているのだろう。
Aメロのボーカルにボコーダーを用いて重ねられたようなゴスペル調のハモリや、サビの開放感溢れる重厚な和音を支えているパイプオルガンのような音。
この音質感は実は【迷える羊】だけではなく、セルフリアレンジとなった【まちがいさがし】や【海の幽霊】のサウンドにも散りばめられている。
これも作品全体のキリスト教感を増長させているように感じる点だ(私が見つけられてないだけで、他の曲にももしかしたら織り込まれているのかも。是非聞き返してみて下さい)。
アルバムのパッと見の部分だけでもこのような形で、ある種の宗教感を漂わせるピースが散乱していことがお分かり頂けるのではないだろうかと思う。
 

さらに「STRAY SHEEP」が「宗教」足りうる本質的な所を見ていこう。
まず1つ目として、この作品には全体的に「命」というモチーフがちらついたり、「生」と「死」の匂いがする曲が非常に多い。
キリスト教、イスラム教、仏教などの毛色を問わず「宗教」という概念は、そもそも人が「命」ある中で「死」と「生」の苦しみを乗り越える為のものである。

「死」の主題として非常に分かりやすい【カムパネルラ】と【Lemon】。
荒い括りにはなってしまうかも知れないが一言でまとめるなら、これらの曲はどちらとも死者に想いを馳せた曲だ。

米津自身も表現に悩んだと話す【優しい人】は、いじめという主題から「命」のテーマに発展することも容易い文脈となる。
【海の幽霊】に関しても、この曲が彩った映画「海獣の子供」の存在を無視するわけにはいかない。
この映画は、海は全ての「命」の源である、という主題が非常に色濃い作品ともなっている。

さらに【ひまわり】は歌詞やアートブックの随所から、ある人物の「命」を強く感じさせる。
アートブックに歌詞と共に見開きで載せられた目の覚めるような黄色と青、《転がるように線を貫いて 突き刺していく切っ先》、《散弾銃》、《北極星》、そして「ひまわり」。

《悲しくって 蹴飛ばした 地面を強く
跳ねっ返る 光に指を立てて》
《舌を打って 曠野の中 風に抗い
夜もすがら 嗄れた産声で歌う》

“狂気と情熱の天才画家”と呼ばれた彼が、自分を評価しない世間へとアンチテーゼを突き立てながら「命」を炎の如く燃やし生きていた姿。
曲全体に荒々しさの見えるこの歌の歌詞からは、それがまるで目の前にありありと浮かんでくるようではないだろうか。

子どもたち向けの楽曲を、アレンジにより完全に自らのものとして作り替えた【パプリカ】。
お囃子のようなサウンドを押し出したこのアレンジと元々の曲が持つ歌詞が相まって、その様子はさながら「命」や「生」を貴ぶ豊穣祭の景色すら見えるよう。

そしてこのアルバムのアッパーテイストなパートを牽引する【感電】。
《稲妻の様に生きてたいだけ》
《それは心臓を 刹那に揺らすもの
追いかけた途端に 見失っちゃうの
きっと永遠が どっかにあるんだと
明後日を 探し回るのも 悪くはないでしょう》

一瞬の刹那が連続で続いていくという、相反する概念を複合した「生」きるということ。
それをこれほどまでに鮮やかに描いた曲は、なかなか類を見ないのではないかと思う。
いつか必ず終わる楽しい刹那の時間が詰まった遊園地・としまえんでこの曲のMVが撮影されていることも、この曲のメッセージをより強調しているようにも思えてならない。
(間もなく惜しまれながら閉園を迎えるとしまえんも、このMVに残る事である意味その存在が永遠となるのだろう。)

余談だが、私は【感電】のサビの部分の歌詞が大好きだ。
《たった一瞬の このきらめきを
食べ尽くそう二人で くたばるまで》
全然一瞬を刹那で終わらせる気がないよな、笑っちゃったよ。
 

そしてこの「STRAY SHEEP」が「宗教」の概念足りうる本質的なポイントの2つ目。
それが、アルバムのフィナーレを飾る曲となる【カナリヤ】だ。

実は私はアルバムのトレイラー映像を聞いた際、【海の幽霊】でこの作品はフィナーレを迎えてもよかったのではないかと思っていた。
初めに一聴した段階でそれほどまでにこのアルバムは、ここまでの14曲で恐ろしいほどの密度を持って作品として完成していたからである。
けれど、このアルバムを今まさにこの時代に、世の中に発表するという事。
それにおいて、言わばこの曲はマスターピースのような役割を果たしているのではないだろうかと思う(過剰な言い方をすれば、その存在感はアルバムの主題曲のであるはずの【迷える羊】以上のものだ)。

新型コロナウイルスという脅威に世界中が脅かされる今、人々の生活は否が応でも変わる事を余儀なくされている。
人間が変化を好まない生き物であることは、これまで多くの学術研究でも証明されている明白な事実だろう。
それでも好むと好まざるとに関わらず、今私たちは様々なものを変えていかなければいけないし、自分自身も変わっていかなければならない。
その中でこの【カナリヤ】という曲に、大勢の人々にその「変わっていく」事を肯定するメッセージを込めた。
このアルバムの発売に際して、様々なメディアで米津自身はそう語っている。

《あなたも わたしも 変わってしまうでしょう
時には諍い 傷つけ合うでしょう
見失うそのたびに恋をして
確かめ合いたい

いいよ あなたとなら いいよ
もしも最後に何もなくても
いいよ》

どれだけ変化に抗いたいと思っていても悲しいかな、毎分毎秒ごとに少しずつ形を変えていく人間という生き物。
それでもこの曲は、私もあなたも「変わっていく」事を受け入れる曲となっている。
それは言い換えれば、私もあなたも「変わっていく」事を「赦す」曲とも言えるのではないだろうか。
この「赦し」の概念が、「STRAY SHEEP」という作品が「宗教」の概念を内包する作品である事の決定打となっているように私には思えるのだ。
 

古今東西様々な「宗教」において、思想の発信者が様々な人々を「赦す」という信仰は共通のものであろう。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者だけが、この女に石を投げなさい」。
これは主が人に他者を裁く権利のない事を民衆に説きながら、同時に咎人に立ち直る為の赦しを与えた逸話としても有名な話。
また、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」。
こんな言葉を聞いたことがある人も、きっと少なからずいるのではないだろうか。
さらに宗派によって多少の違いはあれど、仏教においても根底にある教えは、御仏はどんな人間であっても赦し受け入れてくれる、というものである。

【カナリヤ】という曲と「宗教」に共通する「赦し」の概念。
これこそが、このアルバムが「宗教」の概念と呼んでも差し支えないほどの昇華された作品となる、大きなポイントとなったのではないだろうかと私は感じている。
 

元々米津自身、このような宗教めいたモチーフを自らの作品に用いる事が昔から多い。
ハチ時代の「Christmas Morgue」や彼のメジャーデビュー曲であった「サンタマリア」などは、その最たる例の1つだろう。

けれど、この「STRAY SHEEP」という作品を以てして、宗教というテーマをモチーフで散りばめるだけでなく、「宗教」の概念を彼は自らの音楽で体現させた。
そういった意味でもこの「STRAY SHEEP」という作品は、昔から地続きに続いている彼の音楽性と、彼の音楽が昔に比べいかなる進化を遂げたのか、という事。
どちらも両立させながら確かめることができる、彼のこれまでのキャリアを総括する素晴らしい作品となっていると言っても差し支えないのではないかと思う。
 

ただし、最後に1つだけ気を配るべきは、この作品を造り上げた米津玄師本人の存在について。
彼自身はまごう事なくこの「STRAY SHEEP」という作品においては、音楽を通して自らの思想を発信した発信者の立場ではある。
しかし彼もまた神や指導者などではなく、迷える羊の1人でもあるのだ。

けれど今の彼が造った音楽は、どうしてもこれまで説明したように「宗教」の概念めいた性質を孕んでしまっている。
それもまた皮肉なことに、どうにも彼の音楽に信者のような人たちが多くなる理由の1つなのかもしれない。
 

収録曲を通して「STRAY SHEEP」に纏わる、「生」と「死」の「命」の匂い。
そして「赦し」の概念。
これらの要素から「宗教」の概念を内包することとなったこのアルバムは、きっとこれからも我々迷える羊たちの道標の光となって、多くの人に信仰され、愛され続ける作品となるのだろう。
 
 
 
 

※《》内の歌詞は米津玄師「STRAY SHEEP」収録【ひまわり】【感電】【カナリヤ】より引用。

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