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愛ある未来を願う音楽

米津玄師『STRAY SHEEP』の放つ輝き

蒸し暑い夏がやってきた。真っ青な空と入道雲。元気なセミの鳴き声。太陽に顔を向けて咲き誇るひまわりたち。いつもの夏と変わらない景色だ。けれどもそれは私達の目に映るだけのものであって、心の中に映るものは、見えないウイルスという恐怖や混乱だった。

人も生活も世界も変わってしまったこの夏を、私は切なく想った。
つい半年前はツアー『HYPE』に行き、大好きな米津さんの歌を聴くことができたのに。

“何もない砂場飛び交う雷鳴 しょうもない音で掠れた生命 今後千年草も生えない 砂の惑星さ こんな具合でまだ磨り減る運命 どこへも行けなくて墜落衛生 立ち入り禁止の札で満ちた 砂の惑星さ”(米津玄師『砂の惑星』より)

まさかこの世界が、『砂の惑星』のように変わってしまうことを、あの頃は誰も想像していなかっただろう。

「また会いましょう。それまでお互い元気で生きていこうね。」そう言った米津さんの言葉が、今も胸の中で繰り返される。あの煌めくような美しいライブは、あまりにも刹那的な時間だった。ツアー『HYPE』の中止は、私達にとって寂しい出来事となってしまった。

中止のお知らせがあった数日後、新しいアルバム『STRAY SHEEP』が発売された。ジャケット、CD、歌詞カードなど、どれもが光に反射して輝く仕掛けになっていた。そして音楽も、まるで宝石のように美しいものばかりだった。切ないような気持ちと、それでいて心が救われるような幸福感。
米津さんは、ツアー『HYPE』の煌めきを、アルバム『STRAY SHEEP』という輝く宝石に変えて、私達に届けてくれた。
 
 

アルバム最初の曲『カムパネルラ』は、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の登場人物の名前だ。いじめっ子〈ザネリ〉が自らの過ちのせいで友人の〈カムパネルラ〉を亡くしてしまった。「友人の死」を傷として背負いながら生きていく少年。歌詞にはその少年の覚悟が歌われている。

“あの人の言う通り わたしの手は汚れてゆくのでしょう 追い風に翻り 私はまだ生きてゆくでしょう 終わる日まで寄り添うように 君を憶えていたい”
“あの人の言う通り いつになれど癒えない傷があるでしょう 黄昏を振り返りその度 過ちを知るでしょう 君がいない日々は続く しじまの中 独り”(『カムパネルラ』より)

〈ザネリ〉と私には重なる部分があった。
「私がいなければ、あの子はもう少し長生きできたかもしれない」
そんな自己嫌悪や自責の念を抱きながら生きている私には、〈ザネリ〉の苦しさが少しわかる気がする。

けれども米津さんはこう続けた。

“光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル 君がつけた傷も 輝きのその一つ” (『カムパネルラ』より)

傷にあたった光が跳ね返り、少年自身が宝石のように輝くとはどういうことなのだろうか。

「宝石は偶発的に石として生まれて、人間の手で発掘されて、いろんな研磨やカットを経て美しい形にたどり着く。それって要は原石を傷つけることだと思うんです。それで美しく形を整えるということは、本質的には傷を付けることに近いと思っていて。同じように人間も生まれた瞬間は球体で、そこから家庭環境や友達付き合い、いろんな外からの刺激によって傷が付いていく。丸だった形が変化して、摩耗したり研磨されたりして、たくさんの傷が付いて、形が角ばって、それによって光が反射する宝石になっていくんじゃないかと。そんなふうに思うんです。」(音楽ナタリー2020.8月インタビューより)

私の傷に光をあててくれるものは、米津さんの音楽だ。そして、大切な家族や友達、出会ったすべての人達が、私の傷に光を当ててくれた。だからこそ、今の私は笑っていられるし、人に優しくすることができる。寂しいという人を抱きしめ、大切な人に「愛している」と伝えることもできる。同じように傷ついた人の力になりたいと思うこともできる。

私たちは皆、宝石の原石として母親の胎内に宿っていた。この世に生まれて付いた、たくさんの傷は、消えなくてもいいんだよ。私たちは宝石として輝くべき存在として生まれてきたんだから。そんなふうに肯定してくれる米津さんの音楽に、私は救われる思いだった。
 
 

そして7曲目の『優しい人』。
この曲を聴いたとき、私は胸がぎゅっと圧し潰されそうになった。

“強く叩いて 「悪い子」だって叱って あの子と違う私を治して”
“優しくなりたい 正しくなりたい 綺麗になりたい あなたみたいに”(『優しい人』より)

気の毒に生まれて虐げられている〈あの子〉が、〈あなた〉から愛されることを許せないでいる〈わたし〉。〈わたし〉も同じように〈あなた〉に愛されたい。けれども〈あなた〉のように優しくなることができない。もがき苦しむ〈わたし〉の心の内がダイレクトに伝わり、私自身の胸も締め付けられる。

虐められる人の悲しみを歌う音楽はこの世にたくさんあるだろう。けれども、虐められている人を傍観している人の気持ちを歌ったのは、この曲だけかもしれない。

米津さんの音楽のなかには、ネガティブな心情を歌うものがいくつかある。こういう音楽があるからこそ、自分のネガティブな感情としっかり向き合うことができる。そして必ず光を差し込んでくれる。だから、暗闇の中から光の方に向かって進んでいくことができる。

この曲にはどんな救いがあるのだろうか。

“あなたみたいに優しく 生きられたならよかったな” (『優しい人』より)

自分が「悪い子だ」と認めることは簡単ではない。自分の汚れた部分を自分自身が知ることは、とても苦しいことだろう。だから多くの人が、そういう自分に気づかないように、汚れた自分に蓋をして生きているように思う。
けれども、この曲の〈わたし〉は、汚れた自分の醜さに気づくことができている。そこにこの曲の救いがあるのだと私は思っている。

醜い自分を愛すこともできず、愛されることもない悲しさ。それは、この世の多くの人が抱えている苦しみのひとつかもしれない。そんな苦しみを米津さんは、わかっているよと優しく歌ってくれているような気がする。
 
 

そして9曲目の『まちがいさがし』もまた、自分を肯定してくれるような優しい曲だ。

「菅田君のために作った曲」と言っていた米津さんが、セルフカバーバージョンとしてこのアルバムで歌ったことにも、大きな意味があるのだと思う。

“まちがいさがしの間違いの方に 生まれてきたような気でいたけど まちがいさがしの正解の方じゃ きっと出会えなかったと思う” (『まちがいさがし』より)

まちがいだらけの私でも、「今まで生きてきてよかったなあ」と思うことがある。そういう瞬間は年を重ねるごとに増えてきた。自分に付いた傷に、米津さんが音楽という光を当ててくれた。そしてその光を、優しさとして周りの人に返すことも少しずつできるようになってきた。〈まちがいさがしの正解の方〉では、米津さんの音楽には決して出会えなかったかもしれない。

この曲の最初と最後には、鳥の可愛い鳴き声が響いている。この鳴き声は、アルバム最後の曲である『カナリヤ』へと続いていくような気がした。
 
 

そして11曲目『迷える羊』は、この歪んでしまった世界で混沌と生きていく私達に向けて歌われた曲だ。

“祈る様に 僕は口を開いた 「千年後の未来には 僕らは生きていない 友達よいつの日も 愛してるよ きっと」”(『迷える羊』より)

変わり果てたこの世界。これから始まる私達の新しい物語。この先の未来にいる人達が見る景色は、どんなものだろう。
〈迷える羊〉である私達が、この世界の変化を肯定し、「愛してるよ」とお互いに言い合える優しさを持つことができるのなら、きっと未来はとても美しい世界になっているかもしれない。

“君の持つ寂しさが 遥かな時を超え 誰かを救うその日を 待っているよ ずっと” (『迷える羊』より)

人と人とが身体的、社会的に距離を保つことを余儀なくされている私達。その寂しさから生まれるものはきっと、「離れた人を思いやる愛」ではないだろうか。他者を想う優しさが、未来の誰かを救うかもしれない。
愛ある未来を願うこの曲は、〈迷える羊〉である私達を導いてくれる存在だろう。
 
 

けれども米津さんは、ポップミュージシャンであることについてこう言った。

「ポップソングを作るっていうのは、ある種ものすごく浅ましいことなんだと思う瞬間があるんですよね」(ROCKIN’ON JAPAN2020.9月号米津玄師インタビューより)
「そもそも何かをすることは人を傷付けることだとか、そういう戒めを自分の中に持っておくのが責任なのかとか、いろいろなことを考えました」(音楽ナタリー2020.8月インタビューより)

音楽を多くの人に届けることに対する責任を背負いながらも、自分の信じる音楽を世に送る米津さんの強い意志や音楽こそが、この歪んだ世界の中で、光り輝く宝石のような存在だと私は思う。
米津さんの「誰も傷つけたくない」という優しい気持ちは、このアルバムから十分と言っていい程、私達の心に響き、涙があふれだしてくる。
 
 

そして最後の曲『カナリヤ』が、このアルバムのすべてを歌っているように思えた。米津さんは、どうしてこんなにも優しい曲を作ったのだろうか。あまりにも美しい音色と歌詞と歌声は、汚れた私には辛く映ってしまうくらいだ。

“いいよ あなたとなら いいよ 二度とこの場所には帰れないとしても あなたとなら いいよ 歩いていこう 最後まで”(『カナリヤ』より)

カナリヤという鳥は、飼い鳥として人間の手で品種改良され、世界中で多種多様なカナリヤが存在しているという。羽の色や模様、姿、鳴き声など、それぞれの観賞目的に合うように、美しく変化してきた(変化させられてきた)鳥だ。

そんなカナリヤと米津さんが重なって見える。
「変化を許容する。それこそが絶えず美しく、これから先何十年も生きていくためには、いちばん重要なことであって。美しく真摯な生き方なんじゃないかなと思いますね」(ROCKIN’ON JAPAN2020.9月インタビューより)

カナリヤの変化はもしかすると、不本意なものであったかもしれない。けれどもそれを受け入れて美しく在るというカナリヤの生き方は、米津さんの「変化を許容する」生き方に似ているように思う。

”いいよ あなただから いいよ”(『カナリヤ』より)

繰り返し鳴く、カナリヤのように美しく優しい米津さんの歌声は、変わっていくあなたであってもいいんだよ。それが一番美しいあなただよ。と言ってくれているように聴こえる。

“いいよ あなただから いいよ 誰も二人のことを見つけないとしても あなただから いいよ  歩いていこう 最後まで” (『カナリヤ』より)

『カムパネルラ』の罪を背負いながらも生きていこうとする〈ザネリ〉に、『優しい人』を羨ましく思い、自分も優しくなりたいと変わることを望む〈わたし〉に、『まちがいさがし』の〈間違いか正解かだなんてどうでもよかった〉と気づいた自分に、『迷える羊』のこの変わり果てた世界を受け入れ、美しい未来を願う〈迷える私達〉に、米津さんは歌い続けてくれる。

“カナリヤが消えていく五月の末の 木の葉が響き合う湖畔の隅っこ あなたを何より支えていたいと 強く 強く 思う”
“いいよ あなたとなら いいよ もしも最後に何もなくても いいよ”(『カナリヤ』より)

あなたがあなた自分自身を赦すことができるように、そして他者を肯定することができるように、自分の変化も他者の変化も受け入れることができるように、僕は歌い続けるから。
そんな優しさに満ち溢れた米津さんの声が聴こえてきた。
 
 

「最終的にはどうしてもそういう人(心に傷を抱えていたり、なんらかの抑圧を受けてきた過去を持っている人)のほうを向いてしまうんですよね。傷つきやすかったり、些細なことでひどく沈みこんでしまうような人たちに対して、自分はどんなことができるのか。」(音楽ナタリー2020.8月インタビューより)

そういう人にこそ音楽を届けたいという米津さんの想いは、アルバム『STRAY SHEEP』のひとつひとつの曲に十分すぎるくらいに込められていた。

宝石のように輝く米津さんの音楽は、この世界に生きる多くの人の傷に光を当てることだろう。そして、跳ね返す無数の小さな光がたくさんの集まりとなり、大きな輝きになることだろう。

音楽で世界が変わる。

この世界が優しく変わっていくことに希望を持ちながら、私はここで生きていこうと前を向くことができた。
 

米津さん、素晴らしい音楽を本当にありがとう。米津さんのように、私も優しく生きていきたいです。

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