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配信ライブはライブに非ず、エンターテインメントショウと心得よ

女王蜂無観客配信LIVE『蜂月蜂日~ROYAL DISTANCE~』にその真髄を見た

最近の純粋な疑問。
皆さん、配信ライブって見てます?
配信ライブ、見てて楽しいです?

元々音楽好きで、アーティストのライブに足繁く通っていた人たちのうち、どれくらいの人々が従来の現場主義なライブシーンから配信型へのライブへと移行しているのだろう。
どこかの音楽業界系大手企業様にわりと真面目なアンケートとして、この配信ライブに関する意識調査を行ってみて欲しい。

なぜかというと、私自身がびっくりするぐらい配信ライブに対して食指が動かないからである。
否、動かなかったからである。

とは言え、ステイホーム期間でライブハウスの音楽に飢えたここ数か月間。
その期間を経て、有難いことにようやく活動再開し始めた好きなアーティストの配信ライブを、もちろんこれまでにいくつか見てきた。
その上での結論だ。
やっぱりライブは、あの本物の現場の臨場感や空気感に勝るものはない。
 

実はこのような意見は、悲しいことに私の周りでも、概ねそこまで差異のあるものではないと感じている。
配信ライブ、いくつか見てみたけどやっぱり本物のライブには叶わないよね。
2、3曲聴いたら飽きちゃったから、スマホいじりながらBGM垂れ流す感じで聞いてる。
あるいは、飽きたから途中で見るの止めちゃった。
以前は音楽が大好きで、好きなアーティストの曲を聴き漁って、ライブハウスにもほぼ毎月毎週通っていた。
そんな人の中にも、きっと現状配信ライブに対して上記のような気持ちを抱いている方も多いのではないだろうか。

私ももれなく、そんな音楽好きの1人だった。
8月8日に、女王蜂の配信ライブを見るまでは。
 

新型コロナウイルス流行前から大好きなアーティストの1つでもあり、以前は実際にソールドアウト寸前のチケットを根性でもぎ取って、ワンマンライブにも足を運んだ女王蜂。
そんな彼女たちのライブ配信に関しても、実はチケットを購入したのは当日の15時頃である。
先述した通り、そもそも配信ライブに対しての期待値がものすごく低かった私。
元々愛していることを公言するバンドに対してもこの体たらくなので、どれだけ配信ライブというものに期待していないかを察して頂けるのではないだろうか。

それでもこの日は土曜日で何の予定もない夜だったし、折角なら久しぶりに彼女たちのパフォーマンスを見たい。
そんな気持ちの方が僅かに勝って、滑り込みでチケットを購入した。
折角ついでだ、言わんでもいい余計な一言を、恐れ多くも言っておいてしまおう。
実は私、この日にこのライブと同時刻にどうしても見たいテレビ番組があった。
なので彼女たちには大変失礼な事に、PC画面とテレビ画面の同時再生で楽しむか。
チケットを買っていながらも、そんな舐めた事すらその時は思っていたのである。

20時ジャストに始まった、女王蜂無観客配信LIVE『蜂月蜂日~ROYAL DISTANCE~in Zepp Haneda』。
結論から言えば、私は開始5分後には平行視聴する予定だったテレビ画面を消した。
それくらい彼女たちのライブは、一瞬たりとも目を離すのが惜しい配信ライブだったのだ。
 

これまでに2、3曲で飽きてきた他の配信ライブとは何が違うのか。
ずばり一言で言えば、彼女たちのライブは飽きないのだ。
さらに言い換えれば、画面上で次の瞬間に何が起きるのか予測が付かない。
女王蜂のこの配信ライブには、なぜそれほどまでに私たちを惹き付ける魅力があるのだろう。
ライブのオープニングを飾る【P R I D E】から、続けざまに【BL】へと演奏が雪崩れ込む。
その頃には、私の中に抱いた疑問に対しての、1つの結論が出ていた。

これまでの他のバンドのライブ配信と、女王蜂のライブ配信の違い。
それは、彼女たちが行っているのはライブではない、という事。
彼女たちはこの配信ライブで、限りなくエンターテインメントショウに近いパフォーマンスを行っているのだ。
それは例えば、テレビ番組の生放送の撮影やMVの撮影。
あるいは舞台や演劇、ミュージカルに近いものと言ってもいいかもしれない。

画面を一枚介したエンターテインメントや演技のエンターテインメントは、その性質上観客の介在を必要としないし、観客を介在させようともしない。
観客にコールアンドレスポンスや手拍子を求める、ミュージカルの舞台役者やテレビの向こうのタレントはほとんどいない、という表現ならお分かり頂けるだろうか。
だからこそ、彼女たちはいつものライブの時のように、大勢の客に向かって呼びかけるような事は一切しなかった。
元々MCの類が多いバンドではないが、ボーカルのアヴちゃんに至っては本来客席であるはずの方向に、背を向けるようなセッティングですらあったのだ。

観客の介在が不可能な配信ライブというスタイルだからこそ、バンド側も観客の介在を許さないパフォーマンスを行う。
これが、配信ライブというもののスタイルの1つの正解の形なのだろう。

それに気づくと同時に、私自身も配信ライブを楽しむ側の1つの正解の形を知ることができた。
つまり我々も配信ライブは、ライブではなく演劇やテレビ番組などのエンターテインメントショウを見る感覚で触れるべきものだったのだ。
この日の女王蜂の配信ライブを通して、私はバンド側と観客側両方の「配信ライブの1つの正解の形」に気付くことができたような気がしている。
 

そうこうしているうちにも配信ライブは展開していき、この日1つ目のハイライトであった【火炎】。
音源の演奏に少しライブアレンジが加わったことによって、ぐんと増す楽曲の疾走感。
それにプラスして彼女たちは、この曲で開演後初めてステージの幕を開け客席を画角に取り込んだ。
それまでどこかの撮影スタジオの一室にいるような密閉空間で、冒頭からZepp Hanedaのステージ上だけで完結していた演出から、曲に合わせて一気に訪れる開放感。
実をいうとこの瞬間まで、私は彼女たちがこの配信ライブをライブハウスでやっていることすら知らなかったのである。
それもあって、この瞬間彼女たちがライブハウスに居る事に気付いた時の高揚感は凄まじいものがあった。

その後アヴちゃんがまるで「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の時よろしく舞台で役者として立っているかのような画角演出を挟んだ【DANCE DANCE DANCE】。
次いで【金星】、【失楽園】、【ヴィーナス】と彼女たちの十八番が次々と披露されてゆく。
それから【催眠術】【売春】を経て、この配信ライブ2回目のハイライトとなる【心中デイト】。
恥ずかしい話ながら、私がこの曲の違和感に気付いたのは曲も半ばを過ぎた頃だった。
 

ここまでと同じように、観客を飽きさせることなくカットの変わる映像。
メンバーが楽曲を演奏する姿が次々と映る中、よく見ると気づけばアヴちゃんの姿がこの曲が始まった段階から一度も画面に映っていない。
けれど彼女の声は聴こえている(打ち込みで流されていたのだろう)。だからこそ一切彼女の姿が映っていないことに、私は曲半ばを過ぎるまで全く気付くことができなかった。
ボーカリストの存在がなくとも画面の絵を持たせることのできる、女王蜂というバンドのメンバーの個性の強さ。
それにも同時に、改めて気付かされる事ともなる。

この時、私がアヴちゃんの行動として思いついたことは2つ。
1つはバンドのワンマンライブでたまにある、一部のパートのメンバーの休憩となる時間。
もう1つは、アヴちゃんの衣装チェンジの可能性。
ここまでで女王蜂の配信ライブの性質をある程度理解した私としては、正直1つ目の説が濃厚ではないかと思っていた。同時に2つ目の説はありえないな、とも。

これまでの流れを見ればわかる通り、女王蜂はこの配信ライブで舞台や生放送のテレビ番組に近いパフォーマンスを行っている。
それはつまり普段のライブに比べ、気が抜ける瞬間が本当に少ないということだ。
あまり大声で言えることではないが私自身も仕事の合間に時折、現在進行形でステージに立つ趣味を続けている。
1時間以上ステージの上で、休憩なしのノンストップノーカット。
その状態で人目に晒される用の自分の姿を作り続けることは、とても生半可な精神で出来ることではない。

またそれと同じくらい、私はまだどこかで配信ライブというコンテンツそのものを舐めていたのだ。
たかが配信ライブで、そこまで手の込んだ事を彼女たちがするわけがない、と。

しかしそう思っていた私は、曲の途中で再びステージに帰ってきたアヴちゃんの姿を見て、見事度肝を抜かれてしまう。
私がまさかと思っていた、予想の2つ目である衣装チェンジ。
それをこなし颯爽とステージに戻ってきたアヴちゃんが、一体どれだけ私を含め観客を喜ばせたことか。
この演出もまた、女王蜂が配信ライブをどれだけ完成度の高いエンターテインメントショウにしているか、を表すハイライトの1つとなった。
むしろステージから捌ける瞬間を見せないことで、衣装チェンジを観客に悟られないようにする、というのは配信ライブのような形だからこそできる演出でもある。
どこまでも、女王蜂は配信ライブというパフォーマンスに一切手を抜く事はしていなかったのだ。
 

さらに観客の度肝を抜く女王蜂のパフォーマンスは続く。
衣装チェンジを終えステージに戻ってきたアヴちゃんは、【Q】【十】の2曲で一気に有無を言わせない世界観へと引き込んでいく。
特に【十】に関して言えば、歌い出しで【Q】の最後に声に利かせていたエフェクトを、一切切ったことが素人目でもはっきりと分かるようになっていて。
けれどそれがまた、アヴちゃんの声の生身感をより生々しく感じられる演出となっていた。

まるでミュージカルのステージに立っているかのような、アヴちゃんの鬼気迫る表情。
それに魅入ってしまっていたのは、きっと私だけではなかったはずだ。
けれどだからこそ私は、この時またも気付くことができなかった。
誰が予測できただろう。
アヴちゃん以外のメンバーもまた、全員衣装をチェンジしていつの間にかステージに現れていた、という事など。
衣装をチェンジしたメンバーが映し出されたその瞬間。
そこで初めて、私はまたも画面に映されていたのがいつの間にかアヴちゃん1人だけになっていたことに初めて気付いたのだ。

次々とこの液晶の中で、私の予測が追い付かない展開が繰り広げられていく。
おかげで私は、ますます画面から目が離せなくなってしまう。
ライブの尺で言えばちょうど後半に差し掛かった辺り。
どこまでも女王蜂は、観客を最後まで飽きさせないエンターテインメントショウを徹底していた。
 

《眠りに就くまえはいつだって 不器用な十字を切るように
抜け出したあの日あの部屋と あなたたちのことを思ってる
-十/女王蜂 より》

【十】のアウトロに差し掛かり、4人の楽器隊のちょうど中央に立って歌詞を紡ぐアヴちゃん。
彼女を照らすように天井から差し込む照明は、歌詞に沿うようにステージ上に十字を描く。
そのまま【聖戦】へと流れ込んだその瞬間の映像は、今回の配信ライブの最も大きなハイライトと呼んでもいいほど、美しくて、胸の締め付けられるような光景だった。

この一瞬、画面の向こうの多くの人達には、きっと確かに「物語」が見えたのではないだろうかと思う。
【Q】【十】を通して描かれた、傷ついた人物。
その人物が救われた日が、笑えた日がきっといつかの未来に訪れたのだろう、という「物語」が。

《いつか笑える日が来るさ いつか笑える日が来るさ
いつか笑える日が来るから そのときにすこし思い出して
-聖戦/女王蜂 より》
 

「物語」を見せた最大の山場を越え、配信ライブは終盤へと向かっていく。
【Serenade】、【空中戦】の2曲では、女王蜂が通常のライブでも遺憾なく発揮するディスコムード。
この雰囲気を牽引するように、笑顔で画面の向こうの観客を魅せるダンスをアヴちゃんが披露する。
そして本編ラストの【Introduction】では、画面を4分割してメンバー全員の歌唱する姿が見られる演出も織り込まれた。

まさに1つの映像作品のエンディングの様相を呈しながら、こうして配信ライブの本編は終幕を迎えたのだった。
ライブ終了直後に、配信ライブの第2弾の告知を以てして。
このプロモーション手法にも思わず舌を巻いてしまった。
あのクオリティの配信ライブを見せられてしまったら、次の公演のチケットも迷いなく買うに決まっているじゃありませんか、ねぇ。
 

今回の配信ライブの総括としては、配信ライブというコンテンツは女王蜂というバンドのポテンシャルを120%引き出すものだ、と強く感じたことだろうか。
同時に女王蜂のような、ライブではなくエンターテインメントショウを行うバンドが、この配信ライブという土俵では非常に強いのだろう、という事も気づきの1つとなった。

これまでバンドの良さというものは、音源とライブのどちらかにあると表現されることが多かったように思う。
その中に今後もしかしたら、配信ライブが良いバンド、という括りが新たに生まれるのかもしれない。
そう考えると、現在新型コロナウイルスでこのような状況を余儀なくされているとは言え、配信ライブは決して生身のライブの代替手段などではない。
むしろバンドの強みを伝える新しい手段として、これからももっと環境整備が進み、参画者が増えていくのではないか。
今回の女王蜂の配信ライブは、そのような事を私に教えてくれるものだったと強く感じている。

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