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願ったすべてが叶いはしなかったけれど

DREAMS COME TRUEと19に送り出された私たちの「それから」

20世紀が終わりかけたころ、私たちは高等学校の卒業式で、DREAMS COME TRUEの「未来予想図Ⅱ」と、19の「あの紙ヒコーキ くもり空わって」を斉唱した。

どのような経緯で、その2曲が選ばれたのかは知らない。生徒会に所属するどころか、2年目の半ばを過ぎて以来、無気力に遅刻や早退を繰り返していた(そして奇跡的に大学に合格できた)私にとって、高校は「さっさと出ていってしまいたい場所」であり、頭のなかには「十代という青春前期は楽しめなかったけど、大学生活は素晴らしいものにしよう」という思いしかなかった。
(様々なことを学び、経験した上で、教育実習生として母校に帰って、思い出を「上書き」することを夢見ていた)

それでも私は、式に向けて行われた何度かの全体練習に参加するうちに「未来予想図Ⅱ」と「あの紙ヒコーキ くもり空わって」を少しずつ好きになり、当日には「これが高校生活の最後なのだから、心を込めて歌おう」とさえ思うようになった。私は、ほとんど言葉を交わしたこともない級友に挟まれながら、彼らがあきれたかもしれないほどの大声で、この2曲を歌った。同じように声を張る同級生が、わりに多くいたので、会場には束の間、温かな空気が立ち込めた。

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<<きっと何年たっても こうしてかわらぬ気持ちで 過ごしてゆけるのね>>

同窓生のひとりひとりが、どのような<<気持ち>>を持ち、それがずっと変わりはしないと信じていたのか(あるいは変わらないようにと願っていたのか)、もちろん全ては分からない。そして私は当時、変えたくはない気持ちなど、ほとんど持っていなかった。何とかして自分は変わらなければ、もう少しは強くならなければ、そんなことを願っていたように思う。それでいて私は、斉唱が上記のセンテンスに差しかかった時、胸が熱くなる自分に気付いた。

いまにして思えば、私が願っていたのは、いまよりは立派な人間になりたいという向上心を、いつの日も失わずにいたい、そういうようなことだったのだろう。だとすれば、今なお未成熟であり、それゆえに自分の内奥には改善の余地があると考えている私の願いは、ある意味、叶ったことになる。<<変わらぬ気持ち>>を、20年以上が過ぎた今でも、守りつづけていることになる。

<<夢を描いた テストの裏、紙ヒコーキ作って 明日に なげるよ。>>

まさにそのようにして、私は巣立った。前述した通り「品行方正」には程遠い高校時代を送ってしまった私は、ものすごい枚数の「処分してしまいたい答案用紙」を返却されていた。もちろん、いくつかの教科は、懸命に学んだ(誠実だったわけではない、担当の教師を魅力ある大人だと感じたので、その授業は居眠りをせずに聴こうと思わずにいられなかった)。その「いくつかの教科」を足がかりにして、何とか進学を決められもしたわけだ。それでも引き出しには、膨大量の「誤答ばかりの答案用紙」が詰まっていた。

でも、それはもう終わったことじゃないか、これから頑張ればいいじゃないか、そんなことを思い、会場の窓からいくつもの<<紙ヒコーキ>>を投げるようなつもりで(実際に投げはしなかった)、私は「あの紙ヒコーキ くもり空わって」を歌い終えた。

***

それから20年以上の時が流れた。いま私に、頻繁に連絡を取り合う「当時の友だち」は、たったひとりしかいない。その「1」という数字が、ずっと守られることを、強く、強く望んでいる。何かを望めるという意味では、私は少年時代から変わっていないのかもしれない。

それでも、当時は「他人」のように思えていた、仲良くはできなかった同級生が、いま、どんなことをして生きているのかなと、ふと気にかけるようにはなった。かつての私と同じように、学校という場所にあまり馴染めず、居心地が悪そうにしていた彼や彼女が、どんな大人になったのかを、時おり想像してみるようにはなった。

<<君は 今も 哀しい笑顔 してるの?>>

私のなかの「ある部分」は変わらずに残っており、そして当時は持たなかった優しさ(のようなもの)が、心に植わったと思われる。

ただ私は、どうしても忘れられない哀しみを抱えてもいるのだ。夢が叶った、その先で願った夢、それが崩れ去ってしまった日のことを、今でもハッキリと思い出せる。整理すると、私が「未来予想図Ⅱ」と「あの紙ヒコーキ くもり空わって」を歌ったのが18歳を終えようとする初春。夢が叶ったのが、つまり母校に教育実習に行けて、思い出を上書きできたのが22歳の初夏である。

その「美しくなった思い出」の上に、悲しい色が塗られてしまったのが、その2年後である。いま私は39歳になり、少しずつ「何かを失うこと」に慣れてきてはいるのだけど、その知らせを受けとった日の衝撃は、いまも深い傷として心に刻まれている。

***

高校生だったころは、接点を持たなかった彼女と私は、実習生として巡り合い、数週間という短い時のなかで、色々なことを語り合った。馬が合ったのだ。ほとんどの仲間が(他教科の実習生が)進路をハッキリと決めているなか、彼女と私の未来は薄雲に覆われていた。

「とにかく、この実習を頑張ろう、走り切ろう」

それが我々のもっていた意志であった。何があっても教師になろうとは思っていなかったし、かといって「これをもって教育界からは遠ざかろう」と決めていたわけでもなかった。

それは実習生としては「不誠実」と思われても仕方のない、そんなスタンスだったのかもしれない。それでも私も、彼女も、生徒さんから温かな言葉をかけてもらい、自分たちも心のこもった言葉を投げ返し、光あふれる時を過ごせた。準備室に戻るたび、互いの姿を見ては「お疲れさま」というようなことを言い合い、その日の授業で、どんなに嬉しいことがあったのかを、報告し合った。

<<ほら 思ったとおりに かなえられてく>>

私は実習の初日、ぼんやりとホームで電車を待っていた時、受け持ったクラスの生徒さんに、笑顔で手をふってもらった時の歓びを、この年齢となった今でも忘れていない。ああ、自分は「先生」として認めてもらえたのだ、大学で過ごしてきた時間は無為なものではなかったのだ…それほどに深い安堵がもたらされたのは、22年の人生で初めてのことだったかもしれない。

彼女も(僕の実習仲間も)同じような尊い瞬間を、いくつも味わった。

「これだけ頑張れたんだから、これからも生きていける気がする」

そんなことを、実習の最終日に、彼女は私に言った。私の胸のなかに「未来予想図Ⅱ」が、あらためて響きはじめた。

<<きっと何年たっても こうしてかわらぬ気持ちで 過ごしてゆけるのね>>

しかし、彼女は2年後、突然に亡くなってしまった。私にとって母校は「さっさと去りたい場所」から「未熟な実習生でありながら愛された場所」に変わり、さらに「亡き学友との思い出が詰まった場所」に変わってしまったのだ。

***

<<開いてみるアルバム>>に、彼女の笑顔を見つけるたび、私は悲しくなる。「これからも生きていける気がする」、そんな彼女の予感が裏切られたという意味では、私たちの夢は叶わなかった。ドリームはトゥルーにならなかったのだ。

それでも、私が高校を出る時に投げた<<紙ヒコーキ>>、そして実習を終える際にも投げた<<紙ヒコーキ>>が、いまも空を舞っている、そんな風に思えることがある。それはもう、曇り空を割るほどの推力は失っているのかもしれないけど、まだ飛びつづけている、そう信じなければいけないと私は思っている。

夢は叶わないことがある、期待が<<裏切られる>>ことはある、それは事実だ。

だけど、だけど、私たちという<<紙ヒコーキ>>は、絶えず何かを失いながらも、<<心に描く 未来予想図>>に向かってもいるはずだ。19歳になろうとしていた春、夢を持っていた私は、いま何とか生き残っている者の責務として、かつて伴に学んだ実習生たちの幸福な今を、そして未完成の授業を熱心に聴いてくれた生徒さんたちの幸ある前途を、ひたすらに願っている。

※<<>>内はDREAMS COME TRUE「未来予想図Ⅱ」、19「あの紙ヒコーキ くもり空わって」の歌詞より引用

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